【87995】北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part16 ユジノサハリンスク遊覧、サハリン鉄道最後の撮り鉄

▲ ユジノサハリンスク駅のヤードで静かに休む樺太最後の蒸気機関車、D51-4号機(日本車両製)です。
戦後の1949年(昭和24年)にソビエト連邦からの要望でD51形蒸気機関車30両が他の客車等と合わせて輸出されました。日本仕様と違っているのは防寒のための密閉構造と、形式と車両番号間にハイホンが入った表示をしてあることです。仲間たちが廃車されていく中、最後に残ったのはD51-4号機で観光列車に使用されていました。

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【87895】北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part15 大泊(コルサコフ)を散策する

▲ 図書館で借りた樺太の写真集を見ていましたら、大泊に向かって海沿いを走る蒸気機関車の写真がありました。バラストも満足にない軌道を走っていますので600㎜ゲージ軍用鉄道時代の写真とは思います。光景は、乗って来た車窓とほぼ同じです。

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【87827】北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part14 豊原から大泊(コルサコフ)への乗り鉄旅

▲ 今日の午前中の乗り鉄は、豊原(ユジノサハリンスク)から稚内への稚泊航路のある大泊(コルサコフ)までです。
日本時代は7往復もあった路線ですが今は1.5往復しか運行していません。今日は土曜日で土日しか運行しない朝の列車に乗って豊原から大泊へ向かいました。

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【87768】北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part13 

▲ 豊原から樺太西線の真岡まで、山脈を横断した豊真線(76.2㌔)ですが、1994年になって途中の宝台ループ線のトンネル内崩落があり、復旧費用が多額に及ぶ事から1995年以降は運休(廃線)になってしまいました。ただ、豊原から16.2㌔先の奥鈴谷、ロシア語ではノヴォデレヴェンスカヤ(Ново-Деревенская)まではД2 系気動車による運行が行われています。
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【87613】北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part12 ユジノサハリンスク鉄道歴史博物館を見る

第6日目 7月14日 その3
奇跡的にユジノサハリンスク鉄道歴史博物館のチリーキン・アンドレイ・ニコライ館長さんにお会い出来ました。この博物館の開館は月曜日~土曜日 8:30~17:30、休館は日曜日とはなっていますが、常時開いているわけではありません。連絡を受ければ開館するといったスタイルですので入場は運がよくなければ難しいのです。この難関だった問題が解決できたのは感激です。皆さん歓喜で入場しました。

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【87530】北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part11 ユジノサハリンスクの子供鉄道に乗る撮る、サハリン州立郷土史博物館視察

第6日目 7月14日 その2▲ 9:55ユジノサハリンスク駅北側の踏切での撮影を終えてからはもう列車の運行も夕刻までないので市内にある子供鉄道を見に行こうとなりました。

【 子供鉄道 】
旧共産圏諸国の多くの主要都市では、子供の社会教育を目的とした「子供鉄道」が運営されていました。将来の職業選択の際役立つように子供たちの社会学習の一環として行われており、現在も続いているものが多いそうです。以前にハンガリーのブタペストに行った時に訪問しましたが、全長は11.6㌔もあって本格的なものでびっくりしました。ここでも山裾のガガーリン公園の池の周りをループする2.5㌔の子供鉄道があります。
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