会員の皆様にお尋ねします。

故あって、ある写真を探しています。お持ちの方がおられればここへでもメールで私へ直接でもご連絡下さい。

梅小路に保存されている蒸機の“現役で走っている”写真をお持ちでしょうか。ナンバープレートが判読されることが条件です。とりあえず持っておられるかどうかだけお知らせ下さい。

保存蒸機の機番は下記の通りです。

1080,9633,8630,D50140,C51239,C5345,C551,C1164,C571,C581

D511,D51200,C56160,B2010,C59164,D52468,C612,C621,C622 以上17機種19両です。

C5345は鷹取工場で復元公式試運転時の写真でも可。C571は山口線での復活後は不可。1080は日鉄鉱業時代で可。

事務局よりお願い

ここ数日前よりジャンクメールが頻繁にはいるようになり、気づく度に削除しておりますが今朝方よりは無数のメールが入り削除が追いつかない状態です。

仕事の合間に鋭意削除に努めますが皆様方には決してさわらないようにお願いいたします。

また、あまりの多数のため誤って会員によるコメントを削除してしまう危険性もありますがその節はお許し下さい。

西村雅幸さんへ

 以心伝心とはこういうことかと思いました。と、いうのは今日思い立って今津まで出かけることになりました。途中白鬚を通るので、以前から気になっていた貴兄の白鬚駅の模型の件で白鬚神社に車を止めました。参拝してから社務所に宮司さんをお訪ねして「後輩にこの駅を模型で復元するために資料を集めている人がいますが写真はないでしょうか」とお尋ねしたところ、社務所にあげていただき壁に掛かった写真を見せていただきました。小さい写真ですが廃止直前の白鬚駅でした。また宮司さんのお母様も“目で見る旧高島町の移りかわり”という冊子を出してくださり該当写真の部分をコピーしてくださいました。

 もうご存じの写真かもしれませんがここに載せますのでご覧下さい。コピーですので不鮮明ですが宮司さんに名前を名乗っておりますので直接行っていただければ拝見させていただけることになっています。

ふるさとに学ぶ会平成22年3月1日発行「目で見る旧高島町の移り変わり」より

白鬚神社社務所にあった写真

 

完成を楽しみに待っています。

世間の見る目は・・・

最近は世間から厳しい目で見られている我ら「鉄道趣味人」であるが、今日の新聞におもしろい記事が出ていたので転載してご覧いただく。

著者は作家の赤瀬川原平氏。小生は作家としての氏は知らないが、テレビなどで「路上観察者」としてたびたび出演されているのを見ている。なんでも路上にある普通すぎて誰も気にもしないものに注意してその存在意義を議論するのを趣味にしておられる様子である。大阪特派員氏と共通しているようでもあり、我々とも目の付け所が似ているようでもあり同好の臭いを感じていた方である。

この掲示板でも最近の「テッちゃん」と言われる連中の態度に厳しい見方が書き込まれることが多くなってきたが、鉄道趣味は持たない世間の方から見た意見としてお読み願いたい。

同じ朝刊に昨日も関西線の線路内に三脚を立てていた尼崎の50才のテッちゃんが通報され(近所の人に!)怒られたとか。

趣味を持つことは人生にとってすばらしいことである。しかし趣味とは他人に迷惑を掛けないことが最低条件であろう。でも自分のことには寛容で、他人には厳しいのが凡人の常である。小生は以下のように考えているが諸先輩のご意見はいかがであろうか。

たとえば暴走族とツーリングの違い。車で走っているとき大型バイクに迫られると「ドキッ」とすることがある。しかし近づいてよく見ると凝った装飾は似ているがこだわりを感じるデコレーションと、手入れの行き届いたバイク、ゆったりとした走り具合、なによりライダーにゆとりと品格が漂っているのに安心する。一方の暴走族は騒音が趣味なのかバイクが趣味なのか分からない。人相風体を見ても教養やゆとりは感じられない。どちらも聞けばバイクを愛していると言うだろう。では違いはなにか、小生なりの結論は「好き」だけでは趣味とは言えないと考える。知識を基礎にした教養と廻りに対する感謝と遠慮、なにより鉄道を生活の糧にしている鉄道員に対する配慮がなければ暴走族と同じであると自制している。

いまや鉄道沿線の住民にまで通報されるようになった趣味活動は今後世間をも敵として戦いながら続けて行かなければならないのだろうか。

芦生佐竹保雄写真展のご案内

つぼみも花も気まぐれな天候に戸惑っているこの頃です。

お変わりなくお過ごしのことと思います。

私たちも相変わらず元気に忙しく過ごしております。

さて、「佐竹保雄鉄道写真展in芦生」のご案内をさせていただきます。

トレランス号のころからときどき訪ねたり、木のおもちゃオータンやそれにちなむトレランス号の記念品などでかかわりの深い芦生での催しです。

廃校になった小学校の分校舎で芦生木工を営む鈴木さんとのお出会いで、この催しが実現しました。鈴木直道さんの仕事場で木工作品とのコラボです。

思えば京都府と滋賀県と福井県の国境に位置するこの地は、鉄道と何のかかわりもありません。今日でも秘境といってよいほどの山奥です。近くには美山のかやぶきの里がありますが、そこからさらに13キロ離れた芦生へは、アクセスが難しいです。だからこそ芦生という気がします。

 今回の企画は、大阪の友人グループと同志社の鉄道同好会OB・クローバー会のご協力をいただきました。外国の鉄道ではシベリア、ペルー、中国など、路面電車ではキエフ、タシケント、サンフランシスコなど外国の作品は全部未発表です。枚数も今までで最大規模となります。

また51日のみ、展示写真の説明も含めて「特別企画・佐竹の話、夜呭(よばなし)ということで、ゆっくりした時間を予定しております。

翌日は由良川源流のせせらぎを聞きながらの森林浴もよし、生き物の多様性がうれしい京都大学演習林辺りの散策もよし、きっと日頃の疲れを癒してくれることでしょう。ゴールデンウイークを1泊2日芦生の旅に是非どうぞ。

私たちも、おかげさまでこの1年を喜寿と古稀夫婦として過ごしてきております。この企画も自分の越し方の振り返りや整理になるように思います。

お会いできるのを楽しみにしております。

取り急ぎご案内まで。    

   

 

 

        2010年3月吉日  佐 竹 保 雄                        

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

      「佐竹保雄鉄道写真展in芦生」

 

会   期:201051(土)~5日(水)10時~17(12時~13時休み)

観覧自由、1日の午後・夜に佐竹の話、聴講無料。宿泊お勧めします。

在 廊 日:430(準備)、5月1日・2日宿泊,3日(午前中)。

会   場:芦 生 木 工 (南丹市美山町芦生)、     主催:芦 生 木 工 

   合:芦生山の家(0771-77-0290)  佐竹保雄 (&fax075-593-4276

アクセス:5/12のみ園部駅前から専用送迎バス1回運行。  他はマイカー。

宿泊募集:12日(5/1・2)、定員20名。  他の日の宿泊については山の家へ

費   用:10200(12食・バス利用・2日の昼弁当付き)

申   込:417日、別紙申込用紙にて佐竹宛FAXで、先着順。詳細・相談等は佐竹へご連絡ください。(&fax 075-593-4276090-1248-3321)

 

 

 

 

     FAX 075-593-4276 佐竹宛

 

「佐竹保雄鉄道写真展in芦生」宿泊・専用バス・弁当 申込み用紙

  

                     申込日 :  月  日  

 

お名前 :

                     

連絡先 :電話・FAX・携帯    

 

 

参加者お名前(性別)

 

小人は( )ご記入ください。

 

1、             (  )

 

2、              (  )

 

 

 

 

 

 

宿 泊 日 

(7350円、小人5775)

 

 他の日の宿泊は山の家へ

 

1、51(土)人数(  )人 ⇒万一の   場合2日に変更(可・否)

 

2、52(日)人数(  )

 

 

 

昼食弁当 (850)

 

 

 

1、52() (  )ケ

 

2、53() (  )ケ

 

 

専用バス利用(片道1000) 

 

JR園部駅西口1300

芦生山の家  1330?

52日園部迎えは希望者があれば運行予定、時間は15時頃?

1、利用しない(マイカー)

 

251() 園部発(  )人

352() 芦生発(  )人

452()  園部発(  )人   ⇒

553()  芦生発(  )人

 

 

 

 

運行決まれば発車時刻を改めてご案内します。

 

  5月1日は、山の家は貸切となります。宿泊定員は32名です。相部屋をご了承ください。先着順。万一定員オーバーの場合は2日に変更できる方にご協力をお願いし少しでもご参加できるようにしたいです。申し訳ありませんが調整不能の場合は参加をお断りします。受付結果は返信します。

430日、51日、2日に佐竹は泊まります。30日または2日のみの宿泊、または連泊は可能のようですが、至急佐竹まで。3日は満席とのことです。

この用紙で4月17日までにfaxまたはE メールでで佐竹へ申し込んでください。 大阪グループは小川さん取りまとめお願いします。

問合先:宿・展覧会・散策ガイド⇒芦生山の家 ℡ :   0771770290

    その他・相談等    ⇒佐竹 保雄 電話&fax 075593-4276

                佐竹紀美子 携帯 :09012483321

一般観光・町内バス  ⇒美山町観光協会℡ 0771751906

 

 

※このお知らせは佐竹先輩よりのご依頼を受けて田野城が代理投稿いたしました。

※お問い合わせは乙訓の長老、会計の井原会員、佐竹さんまでお願いいたします。

※佐竹さんのアドレス

   yks-tole@kyoto.zaq.ne.jp   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お譲りします。

娘の友人からなにか怪しげなモノが届きました。

開けてみたら、コレ。電流計のようです。彼は鉄道ファンなのです。どこかで買ったのでしょう。でも飽きたのか持ち込んできたのだと思います。

でも私はコレクターではありませんので不要です。かといって捨てるのは失礼ですし鉄道機器を捨てるのには気が引けます。

そこでこれを見て「ほしい」と思われる方がいれば差し上げます。大事にしてください。

でもこれはなにに使っていたのでしょうね?教えてください。

なにが問題か?

昨日テレビで「関西線で鉄道ファンが列車を止めた」と報じていた。見た人も多いと思うがもう一度読売新聞記事の一部を掲載する。

 14日午前10時40分頃、大阪府柏原市青谷のJR関西線河内(かわち)堅上(かたかみ)―三郷(さんごう)駅間で、加茂発天王寺行き快速電車(6両、乗客約500人)の運転士が、線路脇に4、5人が入り、カメラの三脚を立てているのに気付き、約50メートル手前で電車を止めた。連絡を受けたJR西日本社員が説得を重ね、約30分後に敷地外に出た。

 午前11時25分頃には、約600メートル西の河内堅上―高井田間でも、JR難波発奈良行き普通電車(6両、乗客約200人)の運転士が、線路脇にカメラを持った人が入っているのを見つけ、約10分間、停車した。2度の停車で上下19本が運休、同26本が最大39分遅れ、約1万3000人に影響した。

 同社によると、当時、運行回数の少ない団体用お座敷列車「あすか」(6両)が、カーブが多く撮影ポイントになっている現場付近を通るため、鉄道ファン約50人が沿線に集まっていた。(以下略)

写真撮影をやめて久しいので最近の線路端の雰囲気はわからないが、昔と比べてなにやら殺伐としすぎていないか。

JRの対応やファンの態度にも疑問を感じる。

線路端といってもファンも危険な範囲には入らないだろうと言うこと、それなのにJRは電車いちいちを止めたりするのか?50mも手前で止まっていることから運転士はだいぶ前から視認しているし徐行・停車しているので係員を繰り出して説得まですることなのだろうか。

またファンもJRから危険だから立ち退くように、と言われたら素直に移動するのが常識であろう。

古いのかもしれないが、どちらも行動が硬直的で敵対的なのが気になるのだ。かつては機関士と手を振りながら撮影していたではないか。

撮影を趣味にしている会員諸兄のお考えと最近の現場状況をぜひとも聞かせていただきたい。

読書感想文:「十五号車の男」黒羽英二著

新聞で読んだ書評に惹かれて図書館から借りてきたのがこの本。著者は早稲田大学出身の方で1931年生まれだから今年で78才と言うことになる。当会会員の有栖川有栖氏と同じく鉄道を使ったミステリーと新聞にあったので意気込んで読んだがミステリーとしてはもう一つだが取り上げている鉄道がユニーク、というよりマニアックである。たまたま我が家へ立ち寄った乙訓の長老や今年より大作家先生になる予定のF先生にもご覧に入れたが驚いておられた。作品は短編集である。ではご紹介する。なお、黒羽氏は自分で廃線跡探検趣味だと書いているとおりかなりマニアックで私は知らないものばかりであるから知っている方が有れば簡単に紹介していただければ幸いである。

「月の光」

江戸川乱歩の代表作「押し絵と旅する男」を彷彿とさせる設定の作品だ。乗り合わせた見知らぬ男が語る妖しい思い出話だが場所が「C県の炭と醤油で有名なN町からK浜の漁港A町まで全長39.2kmのレール幅60cmのN軽便鉄道」機関車は「1号機関車より古く、S鉄道が購入し巡り巡ってこのN鉄道へ来たもの」だそうである。さてこの鉄道はどこだろうか?この機関車は?

「十五号車の男」

平塚から横浜までの通勤電車内での席争いの話。つまらないので略。

「幽霊軽便鉄道」

主人公は廃線跡探検趣味の高校教師。ホンダライフに乗って旅に出る。回った廃線跡が出ている。曰く、東野鉄道、昭和11年廃止の塩原電車、沼尻鉄道、昭和46年に廃止の福島電鉄、高畠鉄道、新戸軌道、磐城炭坑軌道、磐城海岸軌道、好間軌道だそうな。本当にあるのか想像のものなのか分からない。舞台は好間軌道の神野木近くの老津温泉で幽霊に会うというもの。

「カンダンケルボヘ」

主人公の父親の思い出を探しにシンガポールへ行き、戦争中に昭南島、昭南市と言われたシンガポールを歩き回る話。略

「古い電車」

一人暮らしの老人が廃墟となった遊園地に残っている古い電車、子供の頃乗った思い出と現実の間を行きつ戻りつしながら独り語りする。「不動尊から宗吾霊堂5.1kmを20分かかって走った成宗電気軌道の電車で、1372mm軌間・下すぼまりのセピア色、ダブルルーフ、八つ窓、鉄製丸ハンドルブレーキ、オープンデッキ、定員客席16名、・・・」とある。

「母里」

もりと読むらしい。これを聞いてどこの廃線跡かと言うことが分かるのは少ないのではないか。広瀬鉄道跡を調べていて見つけたオハグロトンボに子供の頃の母親の思い出がよみがえる。伯陽電鉄→山陰中央鉄道→法勝寺電鉄を探検していて小学校に保存されている302号車に感激している。阿賀駅から母里までの支線を終点まで歩く。

「子生」

これもこなじとよむらしい。鹿島鉄道の廃止直前に鉾田近くにいる同級生を訪ねていくというもの。その同級生と車で廃線跡を巡るがその線が鹿島軌道。沿線の旭村に子生はある。

「成田」

先ほども出た成宗電気軌道についての思い出。作者自身が乗ったらしくかなり詳しい。今もトンネルが残っているとか。

最後に創作ノートというのがついており、それぞれの鉄道についての歴史と時刻表と路線図が掲載されている。

田口鉄道、谷地軌道、鹿島軌道、法勝寺鉄道、鹿島参宮鉄道、成宗電気軌道(成田電気軌道、成田鉄道)、千葉県営鉄道

本当に実在する鉄道なのか、車両なのかを含めて長老、大兄、大老など諸賢のご解説を待っております。

慶祝!須磨の人間国宝、島秀雄記念優秀著作賞受賞

この度、我らが大先輩であり鉄道趣味界の至宝である湯口徹先輩が上梓された「日本の蒸気動車」がめでたく鉄道友の会が選定する島秀雄記念優秀著作賞に輝いたとの速報を吉田さんよりお知らせをいただきましたのでここに記載して敬意を表したいと思います。たまたま昨日には交通科学館で写真展の打ち上げでご尊顔を拝したばかりでしたが普段より控えめで柔和なお人柄そのままにこの件について一言もなかったため、直接に御祝い申し上げることができなかったのが残念でした。おめでとうございます。

受賞作品は「日本の蒸気動車 上・下」ネコ・パブリッシング

受賞経緯など詳しくは下記のリンクをご参照下さい。

http://www.jrc.gr.jp/award/cyosaku/cy2009.htm#book2

ウワサでは近々小林宴会部長の音頭で祝賀会が開かれるとの由、その節はぜひともお知らせ下さい。

なにわ筋線いよいよ出発進行!?

新聞の報道によると以前から出ては消えていた幻の新線・なにわ筋線が橋下大阪府知事の肝いりで政府も調査に乗り出したとか。大阪市やJR,南海電鉄など思惑が入り乱れて決定までの道のりはまだ遠いようだが笑い話からはまじめな提案に変わった事はまちがいない。そこで物知りな会員諸氏に教えを請うのだが、はたしてこの線は必要なのか?効果があるのか?作るとしてこのルートでいいのか?費用対効果はどうか?など無知な私にも分かるように教えて欲しい。

素人が考える問題点

①3000億円もかかるといわれるが短縮時間は新大阪から10分ほど

②南海汐見橋とJR難波に接続するが南海難波にはつながらない。南海のメリットは?JRのメリットは?

③おおさか東線との関係は? など

これなんだ?教えて下さい!

雨のそぼ降る午後、ある新刊をもって会長・乙訓の老人を訪ねた。会長猊下はいつもの玉座に鎮座まします。

実はこの本は3月からDRFCクローバー会に入会する法学部法律学科78年度生・上原正英氏の作品である。これを会長猊下にご高覧頂きたくて訪問したのである。会長猊下はぺらぺらと一瞥して後、「余はその昔、推理小説に熱中したものである。最近のものはあまり面白くないではないか」「畏れながら申し上げます。猊下はどのような作家をお好みでしょうか?」「よい質問じゃ。余は松本清張、横溝正史、江戸川乱歩、鮎川哲也などを好む」「畏れながら有栖川氏は鮎川哲也の弟分でございます」「なに?では読んでみよう」てな具合であった。

そのとき、長老猊下は表紙を見た瞬間、「この車体は●●鉄道の○○や」と即断を下された。《そんなこと、ほんとに分かるのかいな~?》と思わず疑いましたがなにせこの世界では伝説の方、確認したくてこっそりと皆様にお尋ねする次第です。

この車体の出自をご存じの方、教えていただけませんか?

なお、献上した本は私が先輩であることをいいことに作者にサインを入れてもらって買った本であり、決して巻き上げたりしたようないかがわしいものではないことを明言しておく。

前歯健造君は生きていた!

今日、40数年の時空を越えてあの「須磨のガイコツ」前歯健造君から電話がありました。声だけを聞けば学生時代と変わりません。

実は以前から前歯氏についてよからぬ噂が流れていました。それは彼が「クローバー会には入らん」と言ったきり姿を消して、以来ようとして行方が分からなくなった。雨の降る山間の駅の待合室でオリンパスペンEEを磨いていたとか、北海道の線路端でオリンパスペンEEで写真を撮っていた、とか噂が出ていましたが、その後途絶え数十年が流れてしまったのです。

だまされやすい純粋な性格のため、小海線がいい、と岩波さんに言われると「小海線を愛する会」に入り、客車はスハ43がスバラシイと中林さんに言われると「急行つるぎを愛する会」を創り、カメラはハーフサイズがいいと宮本氏に聞かされるとオリンパスペンEEを買ってきてずっと愛用していました。

そんな彼がなぜかたくなにOB会である「クローバー会」にはいるのをいやがり身を隠したのか積年の疑問でした。そんなとき東京特派員の鬼太郎さんから新宿の居酒屋で前歯さんに会ったとの連絡を頂いたのです。教えてもらったアドレスは会社のものでした。北京特派員の陳さんに相談したら「会社のアドレスへ個人でアクセスするとリストに載せられてあとでひどい目に遭わされるから気をつけろ」とまるでアダルトサイトでひどい目にあったような用心深さです。まさかとは思いましたが用心に越したことはないと売り込みを装いメールしてみました。その返事が先ほどの電話でした。

鬼太郎特派員のねつ造記事で誤解しておりましたがOB会には参加しているとのことでした。ただ、須磨の自宅は早くに引き払い金沢文庫にいるので関西に行く機会がなかったこと、会社のアドレスしかないので書き込みが出来なかったこと、でも子会社に監査役で行ってからは少し自由になって、この4月からさらに転勤するのでこれからは関西出張もありそうなのでぜひ会おうと話してくれました。今後は東京支部の集まりには出席しますと約束して電話を切りましたが40数年の時空は一瞬にして消え去ったのです。

やっぱりDRFCの仲間はいいものですね!

尋ね人

子供の頃、ラジオから「北支派遣軍第○○部隊におられた●●さんをxxさんがさがしておられます。・・・」という声が流れていたのを記憶しています。乙訓の老人や須磨の人間国宝などはリアルタイムに聞かれたはずです。それではありませんが事情があって下記の方を探しています。

会員で、78年に法学部法律学科に入学した方を探しております。知っている方がおられればご一報下さい。よろしくお願いします。

いよいよシリーズ?最後になります。

皆様のご指摘で整理が進みましたことをお礼申し上げます。

前回は横浜在住の方からの初投稿もあり望外の喜びでした。そこでここはどこでしょう、と言う写真です。撮影は昭和43年春です。同じ場所から四方を写しています。都市名と場所、撮影ビル名などお解りならお答え下さい。

今もあるのかしら?屋上から北を見る

同じ場所

西方を見る。向こうの山はどこ?

上と同じですが大望遠で撮るとうっすらと・・見えますね!

今度は東の方。よく見ると貨車が。

同じビルの屋上から撮ったものですが今から見ると面白いものが写っていますね。
ところで一回目にも書いたように使ったフィルムはフジカラーリバーサル、サクラカラーリバーサル、エクタクロームです。
場所当てと共に一回目はなにカラーか二回目は、三回目は、と答えて下さい。

40年前のカラー写真(パクリ版)その2

一枚目は春の休日に横須賀を散歩したときの撮ったものです。渡し船ですが今でもあるのでしょうか。どことどこを渡していたのか、撮ったことも覚えていません。

横須賀にて

横須賀の渡し船

二枚目と三枚目は京浜急行を撮ったのですが、京急には全く興味が無くいい加減な撮り方でした。

京浜急行、撮影場所不明

撮影場所不明

 

次は都内に帰ります。夕暮れの都電を撮ったものですがこれも撮影場所が分かりません。これは東京支部の方にお助けいただく必要がありそうです。

 

次は多分新宿駅。注目は道床に張られた金網。若い会員には知らない人が多いでしょうがこの前年、10月21日に世に言う「国際反戦デー」があり新宿駅は全学連に占拠、破壊されました。その後全国の主要駅は砕石をとられないように網を張ったりアスファルトで固めてまるで市内軌道のようになったのでした。

http://www.youtube.com/watch?v=mnrgvmxEkdQ

 

線路上の防護網

 これからの4枚はクイズです。新宿であるのはお解りでしょうが、さて今のどのあたりでしょうか?昭和44年の新宿は戦後の闇市と新時代都市が交錯していた時代でした。

新宿1

新宿2

新宿3 これは分からないでしょうから正解を。建設中の京王プラザホテル

新宿4 これが分かれば新宿王!

続きます。

40年前のカラー写真(ぱくり版)その1

ほぼ同名の記事がありますが、これは似て非なるもので通称「ぱくり」、関西では「パッチもん」ですからそのつもりで見て下さい。そして教えて下さい。

というのは学生時代(実は今も全く変わりません)から写真は撮るだけ、あとは野となれ山となれでほったらかし。整理しながらどこで撮ったものかいつ撮ったものか分かりません。分かった方は教えて下さい。

時代は私が東京にいた昭和43年から45年にかけてです。北海道は昭和40年頃です。またサクラカラーリバーサル、フジクロームとエクタクロームを使っています。色の退色具合からどれかも判断してみて下さい。

たぶん原生花園

上記と同じ場所でキハ04

上と同じ場所でキハ04

壮瞥付近ではないかと思う

壮瞥付近ではないかと思う

保線区の人から「京都から汽車を見に来るとは奇特な人」と褒めてもらった。

さてこれがどこか分からん

これも・・・

これも・・・

そしてこれも・・・多分同じ駅だと思う。

これは分かるぞ!

続きはまたいつか・・・・

0系雑感

昨日(2008年11月30日)昭和39年10月1日以来走り続けた新幹線0系が営業運転から引退した。思えば同志社へ入学した年で、8月の夏休み中に試乗会があり米原まで往復した想い出がある。

さて、この引退を巡ってマスコミは一大キャンペーンを繰り広げている。テレビではトップに報道され、新聞でも数面を使って詳細に解説されていた。

たしかに一時代を画した車両ではあったがこのマスコミの報道ぶりにはいささか違和感をおぼえる。涙を流して0系への思いを話す男性、感謝のコメントを書いたパネルを掲げる十に満たない子供をテレビが映し出す。思い入れは人それぞれだから彼ら達には異存はない。しかし、そもそも0系の引退が今日のニュースのトップに座るほどの価値があるのだろうか?マスコミは何を基準にニュースの価値を判断し、軽重を決めるのか。その能力と権限がマスコミにあるのだろうか?かつて某新聞社は自らの政治的プロパガンダのために珊瑚に傷をつけたし某政党を選挙で勝たせるために団結して反対党のネガティブキャンペーンもした。

0系新幹線に話を戻すと今回かなりの国民が“0系”なる新幹線の存在を知ったと思われる。これはマスコミがその様に意図したからに他ならない。自分も鉄道が好きだから引退すると聞けば惜別の情は湧く。でも泣いたりプラカードを立てて見送る気にはならない。車両はいつか更新されるものであり、それであるからこそ趣味の対象となりうる。泣き叫ぶほど擬人化したり、過度の思い入れは趣味の対象への行動としては鼻白む思いがするのだ。

マスコミは株式会社○○新聞社であり××テレビである。利益を出すために今度はこれを煽ってやろうと思えばその様に番組を作る。われわれはそれを見抜く眼力が必要になってくるのでは無かろうか。

それにしても我が愛するスハ43や80系の引退時にもこんなイベントが欲しかった!