【90044】1956年11月2日京都駅

米手作市氏から「あやしい秘蔵写真の出どころに関して」とのアップがあった。それによると1956年11月3日梅小路区での御召列車スタッフの記念写真を、コロナ写真館が出張撮影されたとあるではないか。その前日、確かにC59108牽引のお召列車が京都駅に到着し、それを若かりし日のこの老人が、なぜか撮影していたのである。

C59108
1956年11月19日東海道本線は全線電化されたから、これはその17日前―東海道本線としては、最後の蒸機牽引御召列車ということになるのであろう。
小生は元来お召列車とか、豪華列車などにはトンと興味も関心もないまま今日に至っているが、この時だけはなぜか京都駅に行き、2番線からお召列車を撮っている。恐らく東海道本線最後の蒸機牽引―C59108の御召列車だから撮る気になったのだと思う。1番線は特定の者しか停留できなかった。 記事の続きを読む


【89896】誰でも撮った高倉陸橋

京都駅の高倉陸橋から下にたむろする蒸機を撮った人は多かろう。石炭ホッパーがあるため、機関車は常に数輌いるから、何時行っても、当然誰でも同じような写真が撮れる。東海道線電化の1956年11月19日以降は、C59やC62、C51が消え、奈良線C58に京都入換のC50ぐらいになってしまうが。まあ誰でも撮った写真だが、60年以上前というだけでご勘弁を。キャプションはいらないだろう。

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【89448】塩江温泉鉄道

この我国唯一の非電化で軌間1435mm鉄道に関しては、デジ青でも何回か話題になった。たしかぶんしゅう氏の中国長春記事にもあった筈。で、再度か、再々度かの講釈を。標準軌間の琴平電鉄の仏生山から、塩江(しおのえ)温泉のある塩江まで16.1km、免許1927年12月15日、開業1929年11月12日。当初軌間1067mmで計画され、免許もそうだったが、1928年6月7日起業目論見書を変更し、標準軌間に変更した。これは高松から貨車を直通―仏生山までは琴平電鉄の電車に連結し、自社線ではガソリン機関車で牽引、旅客はガソリンカー、というものである。有蓋貨車、有蓋緩急車各1輌を備える計画であった。最急勾配は33‰ときつい。

1929年8月28日瓦斯倫自動客車設計認可。川崎車輌最初のガソリンカーで、両端を絞り、妻面は1枚窓、側面も変わっていて、窓2個セットが3組だが、セットの窓2個の間=通常なら間柱だが、その部分にもガラスが嵌め殺されている。足回りは片ボギーで、機関はブダDW-6。ともかくは旅客だけで開業したが、川崎車輛製車輌が大欠陥品で散々な幕開けであった。その期の営業報告書には次のようにある。

「不幸ニシテ車輌機械部分ニ不備ノ点アリ故障頻発製造者川崎車輌会社ノ熱心ナル修復アリシニモ拘ラス著シク運転状態ヲ乱シ大ニ人気ヲ阻害シタリ其ノ後11月下旬ニ至漸ク故障原因ヲ発見修繕ニ努メタル結果無事平常運転ニ復スルヲ得タルモ時既ニ閑散季ニ入リ予期ノ成績ヲ挙ケ得サリシハ誠ニ遺憾トスル処ナリ」

「車輌ニ関シテハ其ノ設計、製作、組立共全部神戸市川崎車輌会社ニ委託シ営業開始前入念試運転ヲ行ヒ其ノ完全ヲ図レリトモ納期稍遅延セル為長期ニ渉ル試練ヲ経サリシニ依リ開始後幾何ナラスシテ故障頻発セシハ甚タ遺憾トスル処ナリシモ鋭意故障ノ原因ヲ調査シ改良ヲ加ヘ今ヤ殆ト完成ノ域ニ達セシハ欣幸トスル処ナリ」

要は川崎車輛がガソリンカー第一作なのに技術を過信して、軽量化を図り過ぎたようで、輪心が車軸から抜け出すという、聞いたことのない不始末が連続した。価格も5輌5万円ときわめて高価だったが、後々まで4,000円の支払残があり、支払拒否であろう。

貨物の方はトラックの隆盛に勝ち目がなく1931年貨物運輸は起業廃止断念した。このため1435mでのガソリンカーという珍物になったのである。1933年5月1日琴平電鉄に合併し、1941年5月11日廃止。車体を生かし、足回りをブリル2軸台車に代え、当時満州国の首都であった新京(敗戦後長春)の路面電車に化けた。

なお先述のように車体両端が絞ってある為、正面からの写真ではとんでもなく車体幅が狭く見え、従前「標準軌間の軽便」とか「車体幅と軌間がほぼ同じ」などと無責任極まる記述が大手を振って横行し、かつ引き写された。しかし車体実幅は2,250mmである。


【89220】この老人も

EF52だ、やれ14だとかで、突然?国鉄電機で盛り上がったので、この老人も確か天王寺で何か1枚だけ撮っていたと、限りなく薄れゆく記憶をたどってネガを探すが、何時ごろかもわからず断念。プリントを探すと手札版があったので、枯れ木も山とばかりご笑覧に供する次第である。


【89144】大阪駅100式鉄道牽引車その2

どですかでん氏から鋭い突っ込みが。元来鉄道聯隊では、100式車は鉄路上で97式貨車を5輌牽引して時速30~40kmで走行できるとしていた。そのためピンリンク連結器が装着されていたが、大阪駅の100式は、保線区が使うため固定連結器が装着されている。これはあちこちに山ほどいた貨車移動機が装着していた、相手が自連でないと連結できない、肘が動かない代物である。なおトロッコ牽引の為、その下部に通常連結器を持たない路面電車が、故障や回送時牽引するための簡易なピンと両端を平たく潰して穴をあけた鋼棒=連結棒と同様なもので連結できるように改造していた。