【89446】塩江温泉鉄道

朝日新聞デジタルにこんな記事が出ていました。

「昭和初期の12年間だけ高松市の仏生山―塩江間(16キロ)を結んだ「塩江温泉鉄道」。当時走っていた「ガソリンカー」の写真や資料を紹介する企画展が、市香南歴史民俗郷土館で開かれている。23日まで。」

仏生山といえば乙訓の長老様の縄張り、ガソリンカーと言えば須磨の先輩の縄張り、なのに今まで聞いたことがありません。記事には写真も出ていますが“駅馬車”のような物です。
両先輩様、ご記憶が残っていればご説明下さいませんか?

 


【89194】教えて下さい!最近の鉄道を


会合があって松江へ行ってきました。ルートは、新幹線で岡山へ、「やくも」381系で松江。帰りは「スーパーおき」187系で鳥取へ、「スーパーはくと」HOT7000系で京都まで。
この途中のことです。
「スーパーはくと」は人気があるのか増結をしていました。2号車と3号車の間に「増2号車」を入れています。
車内の案内放送で聞き慣れない言葉が流れました。「本日は2号車と3号車の間に”増2号車”を繋いでおりますのでお乗り間違いの無いようにご注意下さい」という主旨です。問題は”増2号車”のいい方が「まし2号車」と言っていました。私は「ぞう2号車」だとばかり思っていましたがこう言うのですか?教えて下さい。


昨日の小田急線での車両火災事故ですが、テレビでは踏切で緊急停車ボタンが押されたので自動的にエマがかかってその場に停車した。エアが復旧するまで動けないので火が移ってしまった、との説明でした。
踏切の緊急停止ボタンと列車のエマは自動連動しているのでしょうか?
電車は約5分後に動いたらしいですがエアタンクが回復するのに5分もかかるのでしょうか?
北陸トンネル火災事故での教訓で、火災時は迅速にトンネルを出る事になりましたが今回も同じ事象では無かったのでしょうか?エマが連動していたらムリですが。

以上、教えて下さい!          ―新しいことは全く知らない年寄り―


【88730】こんなモンもありまっせ!【中学修学旅行編】最終回

中学の修学旅行は映画「三丁目の夕日」の時代でした。昭和33年に出来た東京タワーが首都東京を誇らしげに宣言しているように思えました。
問題は皆様から色々と解読いただいていますが、確認の為のご質問に答えられません。覚えていないのです。実は私には秘密兵器があります。私が会長をしている時の会計・K君です。彼は子供の時代から日記を付けているので彼に聞けば大抵の事は分かります。今回も静岡鉄道デワ1を撮ったのはどこか?で西村氏とSN氏の見立てが微妙に違うのです。下車したのが草薙かどうかが分かれ道らしいのですがK君の記憶では草薙となっています。いまK君を追求中です。SNさん、お問い合わせ頂いた事への追加回答です。小田急の車両は「2232号」で急行の円盤を付けています。

さて、東京への旅も今回で終わりです。

①横浜市電 1系統 526号 扇田町附近?(SK氏解説)

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【87165】保津峡駅の午後の思い出ほか

総本家青信号特派員殿より「はしだてビーチ」の紹介がありました。そのなかで昭和44年7月の合宿が宮津線・加悦鉄道で行われたとありましたが、私は参加していません。ただ当時のチラシ類が残っていないかと探してみますと 次のようなものが見つかりました。

非常に見づらくてスミマセン。この年昭和44年の夏頃から全学封鎖だった時期で、クラブ活動は非常にやりにくい時期だったと記憶します。そんな中で熱心な旅行班長T君はいろいろな企画を考え、このようなガリ刷りのチラシでみんなに呼びかけを行っていました。

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【86968】中国地方小ネタ3題

まずは梅小路のD51200が山口へ出稼ぎに来ているようです。

平成29年7月25日 中国新聞朝刊

「デスティネーションキャンペーン」と言われても「それ何?」という感じですが、9月1日から12月31日まで JR西などが企画している「幕末維新やまぐち デスティネーションキャンペーン」のことのようです。結局 オジサンには「デスティネーション」が解りませんが どうやら「目的地」の意味だそうです。とすると「幕末維新やまぐち目的地宣伝活動」と言うことになりますネ。どうも長州人は物事を判りにくく 回りくどく説明するのが得意なようです。D51200がいつのまにか山陽路を回送されて行ったようですが、これぐらいの長距離を回送する際には無火状態にして回送するのでしょうか?あるいは一旦火を落とすと大変なので有火状態で機関士も添乗して回送されるのでしょうか?どなたか教えて下さい。

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【84688】[84583]「特派員氏の疑問を解く」に寄せて

京都駅から向日町にかけての配線図の話で盛り上がっていましたが、ヒントになるような写真がないかと探してみました。親父のカメラを借りて初めて京都駅に出向いて駅撮りしたときのものです。中学1年の冬だと思われます。昭和38年1月か2月の筈です。

京都駅1番ホームで列車を待つ自衛隊員と上り急行なにわ

いわゆる三八豪雪で北陸から新潟方面は雪に閉じ込められて鉄道も動かなくなりました。そんな新潟方面に救援に向かう自衛隊員が大勢1番ホームで列車を待っていたことを覚えています。従って昭和38年の1月か2月の撮影だと思われます。すべて同じ日の撮影ですが、次は山陰線ホームに準急「丹後」が到着したときの様子です。

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