【80696】糸崎と鉄道連絡船

キハニ5000の話題に対して戦後撮影の貴重なお宝画像をご披露頂き、感謝に堪えません。もうひとつだけ糸崎関連の話題を凝りもせずにご紹介させてください。昭和14年8月26日の中国新聞備後版の記事です。

昭和14年8月26日 中国新聞備後版

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【80657】糸崎とガソリンカー

糸崎や尾道がらみの投稿連発で恐縮です。鉄道とは関係のない郷土史のことを調べるために図書館で古い新聞記事を丹念に見ていると、自ずと鉄道関連の記事にも目がとまります。昭和8年8月8日の中国新聞備後版にこんな記事を見つけました。

昭和8年8月8日 中国新聞備後版

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【80584】尾道に山陽鉄道の痕跡を探して

昨年末に糸崎及び糸崎以東に残る山陽鉄道時代のレンガ積み橋台を3回に分けてご紹介しました。年が明けて次は三原以西を詳細にチェックしようと思っていたのですが、西に向かうと時代は新しくなり、東に向かうと時代を遡ることになりますので、古い方を優先することにして まず尾道市内を歩いてみることにしました。尾道市街地での見どころはレンガ積み橋台もさることながら、山陽鉄道の社紋入りの敷地境界杭です。実はこの境界杭については、2003年10月に発行されたJTBキャンブックス「鉄道廃線跡を歩くNo.10」のなかで 山陽鉄道に造詣の深い長船友則氏が「尾道周辺の山陽鉄道境界杭」という現地レポート記事を載せておられます。これを読んで 一度自分でも現物を確認しようと思いながら10数年が経ってしまい、ようやく実現したというわけです。

尾道駅から線路に沿って東に歩くことにしました。長船氏のレポートを頼りにまず最初の地点「千光寺前踏切」付近の境界杭を探しました。ここは線路の山側です。意外と簡単に見つかったので さい先良しと次の地点に向かいました。しかし帰宅して写真を確認すると どうも別物だったようで、本物はどうやら草むらの中に隠れていたようです。残念! ここから東に10mほど行った歩道沿いの花壇の中にも境界杭がありました。

平成29年1月11日  花壇の中の境界杭

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【79547】糸崎以東に山陽鉄道の痕跡を探して

先に79394、79421で「糸崎に山陽鉄道の痕跡を探して」と題して 臨港線跡に残るレンガ積み橋台を中心に120年前の遺構をご紹介しました。引き続き 非常にローカルなレポートで恐縮ですが、糸崎から東に向かって尾道方面の山陽鉄道の遺構と思われるレンガ積み橋台を見て歩いた結果と そこから見えてきたこの区間の歴史に思いをはせてみました。なお大半が海岸近くですので橋台の観察は干潮時を狙わないと見れません。この日は天気の良い干潮時間帯でした。糸崎(いとざき)を出発した上り列車は山裾を左にカーブしながら糸碕(いとさき)神社の裏を抜けて海岸に出ます。この日私は糸碕神社に参拝したあと 神社の裏手にある短い糸崎川橋梁から観察を始めました。

糸崎川橋梁を通過するEF210-305牽く上り貨物列車  平成28年12月19日

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【79417】読者の方々へ(4)、山陽電鉄2000型

63型車輌20両の投入(1947年)で戦後の車輌不足を凌いだ山陽電鉄はその後、820、850型18両のロマンスカーを登場させ(1948年から)戦後復興をようやく果たした(以上既説)。
その矢先、1951年9月西代車庫の火災で14両もの車輌を焼失したが、小型車の車体新造による250型を誕生(既説)させるなど、再復興と車体の大型化に対応して来ました。

曲がりなりにも安定して来た1955(昭和30)年頃、神戸高速鉄道の構想が生まれ、ほぼ同時期にWN駆動の軽量高性能車2000系が登場しました。

第一次2000型2両、MM2両編成、車体長18m、ロングシートとして誕生。1960年に中間車2508を加え3連化、2001にもパンタがついた。3両共にまだ2扉の時代です。
▼2000+2508+2001 上り特急 須磨浦公園-塩屋 1965.1.31 C0808
海岸べり(右手)の国道2号線はまだ車が少ない時代です。
▼2001+2508+2000 下り特急 大蔵谷-西舞子 1965.1.31 C0811
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【79421】糸崎に山陽鉄道の痕跡を探して(2)

岡山県下の鉄道遺産については小西伸彦氏著「鉄道遺産を歩く 岡山の国有鉄道」という名著があり、山陽本線をはじめ津山線、宇野線、吉備線などのトンネル、橋梁、駅などの詳細な調査結果が解説されています。レンガに関しても詳しい説明があって、多くのヒントを得ています。まず松濱臨港線で発見して驚いた弧状レンガのことですが、時代の最先端であった鉄道建設には、意欲に満ちた技術者が橋台のような目立たない部分の外観や意匠にも意を払い デザイン重視で弧状レンガを使ったそうです。弧状レンガは通常レンガと違って特注品であり、当然高価なレンガでした。しかし時代が進み、路線の延伸が進むにつれて意匠よりコストが優先されて弧状レンガは使われなくなり、やがてレンガから石材に移行し 次に石材からコンクリートへと進化してゆきます。そんな技術的な流れから考えて 松濱臨港線で最も古い橋台をA1の弧状レンガだと推定しました。しかし弧状レンガが使われたのはA1の1ヶ所だけです。そこで明治30年測図の地図と考えあわせて導いたのが次の図です。

山陽鉄道開業時の松濱臨港線の推定図

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