【83449】 カラーで振り返る 昭和の気動車 -2-

昭和30年前後、前述のキハ10系に続いて、改良が加えられた新系列のDCが続々投入されることになります。当時の軽量客車の技術を採り入れて、車体断面を拡大の一般車として登場したのがキハ49000(のちのキハ20)でした。走行機器はキハ10系を踏襲しましたが、座席の構造や間隔も大幅に改善されて居住性が格段に向上しました。前回、キハ10系が前に停まれば“ハズレ”でしたが、キハ20系はその逆で“アタリ”でした。昭和32年に登場以来、キハ20系は、一般形DCの主力として、最終、昭和41年までに1126両が製造されることになります。日本一の積雪量を記録したこともある豪雪地帯の飯山線森宮野原付近を行くキハ20系(昭和47年2月)。

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【83290】凍える大地への旅 2016年 Part11 札幌市電その1

▲ 撮影日 1972年(昭和47年)9月6日 札幌の繁華街”すすきの”を行く札幌市電の834号連接車は、金魚鉢と呼ばれた阪神71形電車と同様の側面大型窓やパノラミックウインドーを採用した斬新な北欧調デザインの路面電車です。最近のスタイリッシュな低床式トラムと比べても遜色ない車両です。
私の最も大好きな車両でした。
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【83326】寒中北海道見聞録 半世紀前の旅ー5号車

■尺別鉄道へ(迷い込む)行きはよいよい、帰りは・・・

心地良い眠りの中、列車はひたすら釧路に向かって走り続けます。池田を過ぎると3人とも目を覚まし寝台もたたまれた所で早速今日どうするかの予定の相談です。あと30分もすれば尺別に着くのですが、まあ「出たとこ勝負で行こか」と始めた旅であるにしても至極ええ加減なことをしています。相談内容は次の2つからどちらを選択するか、その意思決定をしようというのです。

  • ・ このまま乗って釧路へ行くか
  • ・ 折角なので尺別鉄道へ行くか

尺別鉄道はれっきとした地方鉄道であるが時刻表にも載らず地方鉄道の権威藤本大先生でも訪れたことがないような全く状況が分からない点が問題でした。釧路へ行くとしたら議論が纏まらないうちに降りるチャンスを逃した、というか成行に従った結果ということになるでしょう。議論の結果は折角ここまで来たのだからこの際行っておこうということになって尺別に降り立ちました。とんでもないことになってしまいそうであったとは露知らず・・。

 

尺別に到着
駅員もこの時代には居ります。まだ、尺別が元気な頃。

改札口まで来ると駅員が「汽車ですか?」と言うではありませんか。驚いた小林氏が「そうです」と返事をすると、その駅員「そこに止まっているバスにお乗りなさい」と言うではありませんか。その言葉に従って我々3人は少し不安を感じつつもバスに乗り込んだのです。バスには新聞や荷物が積まれていて車掌などという気の利いた乗務員がいないボロボロのバスは走り出しました。

尺別鉄道を左に見ながら約20分で車庫のある新尺別に着きました。新何々とかというと、何か最近出来たモダンな駅か何かのようであるが、尺別があるので新尺別位かなあの感じである。さて運転手に料金を聞くと「さあ・・・、いらんでしょう」という返事。想定外のことに驚きながらバスを後にしました。※今にして(編集時点)思えば、何でこのバスをもう少しちゃんと記録し、写真を撮っておかなかったんか、と後悔しきりです。得てしてこんなもんなのでしょうが・・。 記事の続きを読む


【83310】 カラーで振り返る 昭和の気動車 -1-

最近はもっぱら家に引き籠って、第二の人生で最大の事業?と位置づける写真・資料のアーカイブス化に精を出しています。対象は、もっぱらモノクロネガが中心で、カラーフィルムには、なかなか手が回りません。理由のひとつは、とくにカラーポジの場合、初期のものは劣化が進行し、データ化しても手遅れ感もあって、優先度が低くなっていました。しかしスキャン・レタッチの技術もわずかながらも向上し、何とか見られるようになって来て、 少しずつカラーポジのスキャンも進めるようになりました。

始めてみると、国鉄ではDCを多く撮っていることに気づきました。なるほど、蒸機を撮りに行っても、蒸機はモノクロ中心になりますが、その合い間にやって来るDC列車はカラーで、となります。あくまで“ついで撮り”のカラーですが、集めてみると、案外、当時のDCの事情が伺えるかなと思い、カラーで撮った昭和の時代のDCを系列別に見ていくことにしました。
伯備線井倉~石蟹の高梁川に沿う鉄橋を渡って行くキハ17×3+キハ20の列車。伯備線のハイライト区間も路線変更で今は見られない(昭和46年9月)

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【83282】 50年前の撮影地を歩く -16-

米子(2)
米子機関区での撮影を終え、米子駅から東へ歩いて、最初の踏切を渡って南側へ行くと、民家に囲まれて日ノ丸自動車法勝寺線の米子市駅がありました。
法勝寺鉄道として大正13年に開業、米子市(当時・米子町)から法勝寺までと、途中から母里へ向かう支線がありました。社名を何度も変えながら、鳥取県でバス事業を行う日ノの丸自動車の電車部門となり、訪れた当時は、米子市~法勝寺12.4キロを16往復の電車が結んでいました。地方私鉄がどんどん廃止されていた時代、ご多分に漏れず、法勝寺線も廃止の申請が出されており、訪問した翌年、昭和42年5月に廃止されました。廃止時の車両は、電車4両(デハ201・203・205・207)、客車6両(フ50・51・52・53・55、フニ100)、貨車2両がすべてでした。 米子駅の裏側に隠れるようにしてあった日ノ丸自動車法勝寺線の米子市駅、当時はバス社が経営する鉄道だった。

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【83219】凍える大地への旅 2016年 Part9 西の大地から北の大地へ

第8日目 12月16日

今日は日本への帰国日ですが、今回のツアーでご一緒させていただいた数名の方々は夏のインドネシアツアーでご一緒させていただいた方々でもありました。その時に哈密の噴火ツアーが終わったら北海道の「丸瀬布いこいの村」で走る雨宮21号の雪中運行が12月17日に予定されているので帰国後一緒に行ってみないかと、哈密からの怒涛の丸瀬布ツアー後の話がまとまりました。旭川空港からのレンタカーや宿泊ホテルの予約も完了し、私も参加を表明していましたので今回の北京からの復路航空券は羽田経由で旭川行きをマイレージ航空券で購入済みでした。

ところがご存知の通り夏の台風7~9号による水害で「丸瀬布いこいの村」は大きな被害を受けて冬の雪中運行は中止となってしまいました。マイレージ航空券ですので帰国後の空港からの国内線乗継は目的地の変更不可なのですが、JALの勝手な都合となった場合は別で、今回も旭川空港への便の時刻変更があり、JALからは「目的地は変更可能となりました、どうされますか。」との問い合わせが来ました。
羽田から伊丹へ帰ることもできましたが、折角取った北海道への搭乗券です、冬の函館には行きましたが札幌はまだ行っていません、雪が降る中を走る路面電車を撮りに行くのも良いなあ、先日JR北海道から維持不可能路線としてノミネートされた宗谷本線も大学時代以降は乗車したことがないので乗り鉄をしてみたいと、行くことにしました。そして行くからには「排雪列車」も撮ってみたいとダイヤを調べました。
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