【89156】 地図を携えて線路端を歩いた日々 -11-

飯田線②   B・C地点:宮田~大田切  D地点:駒ケ根駅
五万分の一の地形図「赤穂」を見直して興味深いのは、三州街道(伊那街道)と飯田線がほぼ完全に並行していることです。旧街道沿いに鉄道が敷設されることはよくありますが、たとえば例のΩカーブでも、旧街道がちゃんと寄り添っていて、ここまで完全並行は珍しいことです。あくまで地形に忠実に敷設された、明治期の私鉄らしいところです。そもそも開通当時の伊那電気軌道の辰野~伊那松島は、三州街道上にレールを敷いてポール電車が走る、まるで路面電車だったとのことで、大正12年になって現在の専用軌道となったと言いいます。
先の沢渡から2つ目、宮田(みやだ)も三州街道沿いの宿場町でした。最初は宮田村で、町制施行で町となり、そのあと合併で駒ヶ根市となり、2年後には分離独立して村に戻るという珍しい変遷があります。読みも昭和31年に「みやた」から行政名と同じ「みやだ」に変更されています。
  宮田駅は、大正2年の開業当時のままの駅舎、駒ケ根の近くで乗降は多い。

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【89117】 地図を携えて線路端を歩いた日々 -10-

飯田線(1)   A地点:沢渡駅

地図シリーズ、今回は趣向を変えて、蒸機区間をやめて、電車・電機の走っていた飯田線に移ります。飯田線が前身の四つの私鉄をつないで全通してから80周年を迎えたとのこと、鉄道雑誌の記事特集を見て初めて知りました。飯田線はかつて旧型電機・国電の宝庫として注目されましたが、それが終わると、あまり顧みられない線区となりました。改めてチェックしてみると、私も過去4回、飯田線に行っていますが、“撮りっぱなし”の典型で、ほとんど振り返ることもなくネガは眠ったままでした。今回、80周年を迎えて、自分なりに過去の思い出を掘り返してみたいと思った次第です。辰野から乗って12番目の駅、沢渡で待望のED19の牽く貨物列車と交換した。キロポストは190を示すが、実際の営業距離は173.4キロ、たび重なる渓谷区間の路線改良・短縮に対応していないようだ。

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【88912】半世紀前の神戸市電-併せて街の今昔対比(2)天神下-鷹取

国道2号線、須磨駅前を東に向け出発。間もなく綱敷天満宮の天神下です。
▼ここに架かる天神橋で山陽本線を跨ぎます。2017.7.22撮影
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【88934】カラーで振り返る 昭和の気動車 -5-によせて

はじめまして。88年度生の「こぱんだの保護者」こと山本 晃司です。

昨年の総会で「子連れ鉄日記台湾編」を僭越ながら発表いたしました。
ORFC-OB デジタル青信号 に投稿を…といわれていたのですが、サボっておりました。
8月26日の記事で「カラーで振り返る 昭和の気動車 -5-」キハ58系「きのくに」の写真がありました。1972年とあまり変わらないということに逆に驚きました。
2017年8月31日のほぼ同一地点の写真をお粗末ながらご紹介いたします。

岩代-南部間のお立ち台ですが、走ってくる役者も287系がメインとなりました。

8月5日から運転開始した「パンダくろしお」です。
何とも言えない表情をしています。

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【88872】 夏の思い出 2017-4  ある駅を訪ねる

8月もあと1日で終わります。私も、夏の思い出づくりに、ささやかな旅をして来ました。
以前、デジ青で海水浴の話題がありました。米手さんのコメント「満員の列車に揺られて、若狭・丹後へ海水浴に行ったもんや」で、思い出したことがありました。小学生の3、4年、昭和33、34年です。家族で海水浴へ行きました。米手さんのように乗った列車は超満員でした。小学校高学年になると臨海学校が開かれますが、その学年に達する前の齢で、初めての泊りがけの海水浴でした。泳ぎ疲れた夕方、民宿の開け放した窓の向こうを、DC列車が紫煙を上げて通り過ぎるのを、ぼんやり見ていました。
米手さんのコメントで、なぜか“その場所へ行ってみたい”と言う思いに駆られました。 そう思う理由は、もうひとつありました。その近くに、鉱山へ向かう専用線があって今も廃線跡が残っていると聞きます。二つの理由から、ある日、ある駅に降り立ちました。

          ▲ある駅に近づいて来た。

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【88679】北方見聞録 北の大地、シベリア鉄道をちょっと見の旅 Part22 ウラジオストク駅、朝の流電、帰路

第10日目 7月18日

8:40  今回の旅に出て10日目、ロシアに入ってからは8日目、ロシア訪問最後の日を迎えました。当初はユジノサハリンスクから成田経由で帰国でしたが搭乗する飛行機便が休止となってウラジオストク乗継となりました。そして、これを利用してプラス2日間のロシア本土視察の機会を得ました。
最後に訪問したウラジオストク駅は日頃よく訪れている同じ大地の中国鉄路の駅と比較しますと小さく、約9,000㌔以上もの長い旅路の駅とは思えないスケールでした。昔からそれほど多くの鉄道利用者はいなかったのだろうと推測します。

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