【89182】大捜査!「イメージは木枯し紋次郎」はどこ?

 伊那谷といえば「木枯し紋次郎」のイメージがつきまとう。「木枯し紋次郎」オープニングタイトルの最初の場面は背景に山々が連なっている道を紋次郎がこちらへ向かって歩いてくる。撮影された場所を調べている人がいて、それをネット上で見ると長野県伊那市高遠町にあるとのことである。やはり飯田線沿線の伊那谷であったようだ。

 飯田線には学生の時に3回行っている。しかし、最近はご無沙汰である。よくテレビなどで秘境駅の紹介やツアーで秘境のローカル線乗車などと注目されているが、当時は蒸機に比べれば注目度は低かったと思う。それでも鉄道雑誌には時々紹介され、私が後に3回も飯田線へ行くきっかけになったのは「鉄道ファン1966年9月号」にある「鉄道ファン・フォトサロン 宮沢孝一作品集」である。宮沢氏はこの作品集に書かれている文によると特に金野、唐傘、千代あたりを好んで行かれて撮影されている。写真を見るにつけ、いつか行ってみようと思い続けていた。そして初めて飯田線に踏み入れたのは1970年夏の清里合宿の後である。ところが残念ながら写真はない。映像は頭の中。途中、温田の南宮ユースホステルに泊まったのであるが、少し早く着いてしまった。俳優の浪花千恵子さん(若い人は知らないと思うが)に似たおばさんがまだ利用時間前なのでユースに入ることできないと言われたので、近くをブラブラする。ちょうどユースは駅のすぐ裏であった。ここで次の年に夏期合宿をするとは・・・

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【89448】塩江温泉鉄道

この我国唯一の非電化で軌間1435mm鉄道に関しては、デジ青でも何回か話題になった。たしかぶんしゅう氏の中国長春記事にもあった筈。で、再度か、再々度かの講釈を。標準軌間の琴平電鉄の仏生山から、塩江(しおのえ)温泉のある塩江まで16.1km、免許1927年12月15日、開業1929年11月12日。当初軌間1067mmで計画され、免許もそうだったが、1928年6月7日起業目論見書を変更し、標準軌間に変更した。これは高松から貨車を直通―仏生山までは琴平電鉄の電車に連結し、自社線ではガソリン機関車で牽引、旅客はガソリンカー、というものである。有蓋貨車、有蓋緩急車各1輌を備える計画であった。最急勾配は33‰ときつい。

1929年8月28日瓦斯倫自動客車設計認可。川崎車輌最初のガソリンカーで、両端を絞り、妻面は1枚窓、側面も変わっていて、窓2個セットが3組だが、セットの窓2個の間=通常なら間柱だが、その部分にもガラスが嵌め殺されている。足回りは片ボギーで、機関はブダDW-6。ともかくは旅客だけで開業したが、川崎車輛製車輌が大欠陥品で散々な幕開けであった。その期の営業報告書には次のようにある。

「不幸ニシテ車輌機械部分ニ不備ノ点アリ故障頻発製造者川崎車輌会社ノ熱心ナル修復アリシニモ拘ラス著シク運転状態ヲ乱シ大ニ人気ヲ阻害シタリ其ノ後11月下旬ニ至漸ク故障原因ヲ発見修繕ニ努メタル結果無事平常運転ニ復スルヲ得タルモ時既ニ閑散季ニ入リ予期ノ成績ヲ挙ケ得サリシハ誠ニ遺憾トスル処ナリ」

「車輌ニ関シテハ其ノ設計、製作、組立共全部神戸市川崎車輌会社ニ委託シ営業開始前入念試運転ヲ行ヒ其ノ完全ヲ図レリトモ納期稍遅延セル為長期ニ渉ル試練ヲ経サリシニ依リ開始後幾何ナラスシテ故障頻発セシハ甚タ遺憾トスル処ナリシモ鋭意故障ノ原因ヲ調査シ改良ヲ加ヘ今ヤ殆ト完成ノ域ニ達セシハ欣幸トスル処ナリ」

要は川崎車輛がガソリンカー第一作なのに技術を過信して、軽量化を図り過ぎたようで、輪心が車軸から抜け出すという、聞いたことのない不始末が連続した。価格も5輌5万円ときわめて高価だったが、後々まで4,000円の支払残があり、支払拒否であろう。

貨物の方はトラックの隆盛に勝ち目がなく1931年貨物運輸は起業廃止断念した。このため1435mでのガソリンカーという珍物になったのである。1933年5月1日琴平電鉄に合併し、1941年5月11日廃止。車体を生かし、足回りをブリル2軸台車に代え、当時満州国の首都であった新京(敗戦後長春)の路面電車に化けた。

なお先述のように車体両端が絞ってある為、正面からの写真ではとんでもなく車体幅が狭く見え、従前「標準軌間の軽便」とか「車体幅と軌間がほぼ同じ」などと無責任極まる記述が大手を振って横行し、かつ引き写された。しかし車体実幅は2,250mmである。


【89308】京成電鉄モハ300型

今年のホームカミングデーの講演が関三平先生に決定して嬉しい限りです。この掲載がご縁になって、いろいろと交流ができて一層楽しくなっております。先日の飲み会で先生から「このホームページで画の批評を見るのが楽しみです。知らないことが多々指摘されて大変参考になりますから、できるだけ皆さんが知っている知識を開陳して下さい」とのお話を頂きました。
会員の皆様、今回の「京成電鉄モハ300型」も知識を絞り出して“線香花火”を光らせて下さい。


【89220】この老人も

EF52だ、やれ14だとかで、突然?国鉄電機で盛り上がったので、この老人も確か天王寺で何か1枚だけ撮っていたと、限りなく薄れゆく記憶をたどってネガを探すが、何時ごろかもわからず断念。プリントを探すと手札版があったので、枯れ木も山とばかりご笑覧に供する次第である。


【89200】北欧のたび6(ストックホルムの市内交通)

ヘルシンキからストックホルムへは間にボスニア湾があり、軌間も異なるため直接鉄道ではいけません。直線距離では400㎞あまり飛行機で行けば1時間の距離ですが、それでは面白くないので船の旅を選びました。先にエストニアに行くときに使ったのと同じタリンク・シリアラインがヘルシンキとストックホルムを約16時間で結んでいます。この船がまた豪華船で、レストラン、バー、免税店はもちろんカジノまであります。今回はC2タイプの船室で2ベッドのシングル使いですが€111と安く、ゆっくりと船旅を楽しむことができました。
 ↑ 船内のプロムナード、レストランやショップが並んでいる。

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【89185】阪和線EF52

先日、阪和線が諸先輩の間で話題となっていました。私にとっては遠い記憶となりますが思い出しつつ捜してみました。多少年代は新しくなりますが例によって「こんなんもありました」でご覧ください。1972年1月9日の日根野付近のEF527です。それと今になってあらためて気が付いたのですがEF524が補機(?)となっています。撮影当時全く意識していなくて今頃になって驚いています。当時は補機が付いていたのですね?それとも回送でしょうか? 記事の続きを読む