【2884】行ってみるしかあらしません

阪急河原町・嵐山間に直通臨時列車が5/2~5/6間、運転されます。発車時刻は次のとおり.

河原町発 10:42、11:02、11:22、11:42、15:42、16:02、16:22、17:02、17:22、        所要時分23~24分

嵐 山発 10:09、10:29、10:49、11:09、11:29、15:10、15:29、15:49、16:09、16:  29、16:49、17:09
所要時分22~23分 使用車両は一般車6連、6300系ではありません。HMについては不明

*5/16、5/17、5/23、5/24、には天下茶屋~嵐山間に臨時列車が、1往復運転されます。

(往路)天下茶屋10:19-地下線は普通-天六10:35-桂11:14-上桂11:18-松尾11:21-嵐山着11:24 他は発

(復路)嵐山16:32-松尾16:35-上桂16:37-桂16:43-天六17:19-地下線は普通-天下茶屋着17:36 他は発
使用車両は一般車6連。2300系で運転されることはありません。以上お知らせします。


【2865】2009年青春18きっぷの旅Ⅳ-Ⅴ Part2 予土線

初めて乗車した予土線の印象は、忘れられません。山の多い日本では、近くの保津峡をはじめとして、山の渓谷に沿って、蛇行しながら走る路線は、たくさんありますが、いずれも狭い。一方、四万十川は、渓谷でありながら、広くてゆったりと、流れているように感じられました。
その感じを、ファインダーから見たいと、第1回目に乗車した時に、ロケハンしておいた撮影地を訪れました。

4月3日、宇和島駅前でレンタカーを借り、予土線沿いの道路を走りました。北宇和島駅~務田間6.3キロが、最初の撮影地です。車窓からは、最高30‰もある勾配の連続を走る様子は、圧巻でした。今回は、山桜も満開です。

しかし、撮影地に行き着くまでには、難行しました。道路との交差がなく、線路へ上がる土手は、急坂すぎて老力では、登れません。それでも、空き地を見つけて車を止め、滑りながらも、よじ登りました。若い頃なら、何でもなかったでしょうが、足腰が弱ってくると、撮影地に行くにも、時間と苦労が必要となります。列車3本の撮影を予定していましたが、1本は、足が進まず、撮影目的地に着けずで、撮り逃がしてしまいました。

次の撮影地は、四万十川の支流の吉野川沿いを、並行して走る真土駅~江川崎駅間です。トロッコ列車を狙いました。1日1本の列車です。撮り逃がすわけには、いけません。時間がありましたので、前もって撮影場所を確認しました。そして、通過時間を読むと、何回は、追い越しての撮影が可能と、分かりました。山間の道路ですが、通過車両も殆どなく、列車が駅に止まる時間中に高速移動で、シャッターチャンスを掴みました。

今回の撮影時は、途中から曇りだし、雲が厚くなってきました。日光が当たらないので、折角の山桜や新緑が、ぼやけてきて、ファインダー内から見る、写真の奥行きが、消えてしまいましたので、山間での撮影を中止して、夕焼けの下灘に向かいました。

3回目の撮影時は、それから6日後の4月9日となりましたので、山桜は、散りだし、葉桜模様でした。春霞ながら、晴天に恵まれての撮影ができましたが、絶好の撮影場所なのに、山間での撮影に適したわずかな時間には、列車の運行がなく、残念な思いをしました。自然の中での鉄道撮影は、何度撮っても難しいものです。SL時代は、温度と風に、大きく左右されました。驀進するSLの煙の出具合が、違ったからです。

煙がなくなったとは言え、同じ場所で撮っても、季節、時間、天候、特に撮影条件に不可欠なライティングは、自然任せです。シャッターチャンスや、撮影角度は、その人のセンスとなって、味付けとなりますが、センス不足の小生には、運しか良い写真を撮れる要素は、ありません。運を掴むには、1回や2回の挑戦では、とても無理な話です。下灘と、同様に来春のリベンジを誓いました。


【2853】1953年3月高校生東京へ2

先回(2643)でとんだミスというより、致命的に拙老の(遅進行性らしいのがせめてもの救い?)アルツハイマーぶりを露出する大ポカがあった。なにしろ1年間違えたのである。すなわち、1954年3月ではなく、1953年3月、高校1年から2年になる春休みであった。従ってタイトルも変更を余儀なくされた。歳はとりたくない。

ン千円を上野駅個室の「奈落」に落とし、意気阻喪して一人京都に帰った相棒と別れ、当方も一人で上野駅で23時発夜行各停直江津行327レを待つ。大分後まで、大阪や上野駅では夜行列車を待つ客のため、鉄道弘済会が風呂用みたいな木製の小さな椅子を10円で貸出し、改札の大分前に回収するシステムが存在した。10円も惜しい高校生は勿論拾った新聞に腰を下ろした。横では絶え間なく手小荷物を満載したカートを何両も連結した牽引車が忙しく往来し続ける。

小諸着は4時24分、震えながら待った小海線初発は5時51分の2レ。この時点では列車番号にディーゼルカーを表すDは付いていないが、キハ41310であった。東小諸のみ通過し、小海着7時05分。ここで113レ(C56128)や6レを撮ったが天気は悪い。小海9時52分発162レ(C56100)に乗車して、憧れの小海線走破を目指した。


キハ41310 (←キハ41210←キハ41088) のちキハ0411 天然ガス車から勾配線区のためDMF13装着に改造し300台に 最終倉敷市交通局キハ311→水島臨海鉄道キハ311

C56128牽引113レ 客車はすべて木製中型車で、小海から2両が増結された

116レ 同じ列車が小海を堺に列車番号が113レに変わる

C56132牽引貨物列車
期待の野辺山―清里―甲斐大泉間は、致命的な睡眠およびカロリー不足で、扉を開けたデッキで頑張ったがともかく寒く、意気は上がらず、上野で挫折した相棒の跡を追いそうだった。人影などあるはずのない荒漠たる野辺山原野には、ただただ溜息ばかり。明治期警官隊に追われ、襲撃された群馬県自由民権派の一団がこの地で壊滅したとは、はるか後になって知ったのだが。


小淵沢到着の162レ


ホハ12238←ホハ7108 妻面に窓のあるタイプ

重苦しい鉛色の空の下、ともかく小海線を走破して、甲府、身延線を経由して、今晩は富士でステーションホテル(略してステホ=駅待合室で一夜を過す)予定である。


【2844】京阪のポスター???

京阪電車に乗るとき、こんなポスターに目が行きました。これってなんか変ではないですか?

快速急行・通勤快急共に3000系の三扉車で運用していますからこのポスターの言いたいことは「足下の黄色の△(8000系二扉位置)とみどりの△(特急に三扉車を使ったときの中央扉位置)でお待ち下さい」です。

「または」を使うと「どちらか」の意味になり混乱するのでは?と思いましたが皆様はいかがでしょうか?

この場合は「足下の黄色及びみどりの△位置でお並び下さい」でいいのではないでしょうか。


【2760】2009年青春18きっぷの旅Ⅳ-Ⅴ Part1 祝時刻表1000号&下灘

祝時刻表1000号!
今日朝のTVを見ていると、4月20日発行の時刻表は、発行されて84年、1000号になったと、特集をしていました。見られておられない方のために、知られていないエピソードとして、

① 間違えが、あってはならない書籍なので、校正が大変ですが、未だ、間違えはない。
② 時刻情報は、増える一方だが、重さは、変わっていない。これは、第3種郵便としての認可範囲の1kgを超えないためです。
③ また、超えないための苦労として、紙の厚みを薄くしている。
④ そして、紙を薄くすると、透けるといった新たな問題が生じる。このために、両面印刷の際に、表裏の印刷をダブらせて揃える事で、見えにくくなるのを、防止する対策をした。お手元にある時刻表を、透かせて見てください。確かに、外枠が、裏表とも揃っています。
⑤ 表紙のデザインは、日本の鉄道を続けているが、ただ、ソウルオリンピックの1回のみ韓国の鉄道を題材とした。

今では、インターネットで検索する事が、多くなったので、発行部数も最盛期の250万部から15万部へと減少した等々、以上の事を放映していました。 私も。以前は毎月買っていた時もありましたが、会社でも買っているのと、だんだんと高くなったので、今では、3月の時刻改正と、青春18きっぷ利用時しか、買うことがなくなりました。 しかし、旅に出る際には、パソコン、デジタルカメラと同等の重さになる時刻表は、ずしりと重く、老体にはこたえます。

放映で気になったところが、もう1つ。報道関係者には、祝1000号と印刷された、桐箱に入った時刻表が、配布されています。これって、やはり欲しいですね。

前置きが長くなりましたが、四国から帰宅した深夜は、バタンキューでしたが、翌朝起きる頃には、菜の花が咲き並ぶ予讃線、下灘駅での夕陽、四万十川の桜、行かなかった伊予電郊外線の事が、思い浮かび続けます。満開の桜を題材にするには、時間がありません。再度の旅立ちへの用意をしていました。 そして、桜が散るまで、思った写真が取れたと、納得いくまで、2回に渡って、四国参りを繰り返しました。

① 長岡京6:17(快速705M)→6:45大阪 221系6両 平日は、満席です。
② 大阪6:52(新快速)→7:54姫路 223系12両 始発ですが、立ち客もでます。
③ 姫路8:00(1309M)→9:27岡山 115系4両 別ホームです。遅いと、立ち客です。
④ 岡山9:32(快速マリンライナー)10:10坂出 223系6両 ゆっくりで大丈夫。座れます。
⑤ 坂出10:21(125M)→11:13観音寺 121系4両(113系の運用もあります)
⑥ 観音寺11:40(1121M)→12:44伊予西条 7000系2両
⑦ 伊予西条12:52(537M)→15:07松山 7000形1両

⑧ 松山15:35(925D)→19:30宇和島 キハ185系2両  以前の特急車両です。

以上が、基本的なルートで、8列車を乗り継いでの、13時間13分の所要時間です。運賃は通常、7070円ですので、十分に元は取れています。実際は、途中の串駅、松山駅で、一時下車して、下灘駅付近での撮影をしました。

夕陽が見える海に、最も近い駅の下灘駅から見る夕陽

夕陽が見える海に、最も近い駅の下灘駅から見る夕陽

夕陽の駅 『下灘』

夕陽の駅 『下灘』しずむ夕日 下灘駅

下灘駅

下灘駅

串~下灘

串~下灘  4926D

下灘駅に入線する929D

下灘駅に入線する929D下灘駅 

土佐上灘駅に到着する928D
土佐上灘駅に到着する928D
向井原~高野川  4923D

向井原~高野川  4923D

向井原~高野川 919D

向井原~高野川 919D

高野川~向井原 4644D

高野川~向井原 4644D

高野川~伊予上灘 

高野川~伊予上灘 4917D

伊予上灘~下灘 925D

伊予上灘~下灘 925D

2回目の出発は、天気予報を見てから、4月2日の出発としました。車窓からのロケハンでは、実際に現場に行くと、足場が確保できなかったり、電線が邪魔になったりと、撮影に適しているかどうか分かりません。 順光か逆光になるのかも、心配なところです。桜咲く頃の春霞も、大きな問題です。

松山からの列車は、下灘駅の1駅先の串駅で降りました。1986年(昭和61年)に、内子線が開通して以来、優等列車は、全て向井原駅~伊予大洲駅間の短絡ルートに運行変更されました。普通列車のみのローカル線と化したこの区間は、コンクリート枕木もロングレールもありません。 枕木間のピッチは、歩幅にぴったりです。列車時刻を再確認後、久方ぶりの、木製枕木を踏みしめる感触を確かめながら、下灘駅に向けて歩き出しました。

関西では、こんな事は出来ません。時折、山に登って、撮影可能かを探しますが、中々見晴らしが良い場所は、見つかりません。あっても、家々、電線、木々や雑草が遮ります。

綺麗な青い海、海岸線、満開の桜、夕陽と材料は揃っているのですが、車窓から見る絶景をうまくファインダー内に収めるには、非常に難しい場所です。 結局は、下灘駅まで歩いてしまい、また逆行して駅近くで、撮るはめになりましたが、夕陽と列車の露光が、合いません。

翌日は、レンタカーで、予土線撮影後に引き返して挑戦しましたが、天候が予報より悪化して、曇天模様となりました。

喜多灘~串 4926D

喜多灘~串 4926D

串~喜多灘 927D

串~喜多灘 927D

4月7日からの3度目の挑戦では、松山でレンタカーを借りて、機動力での撮影地探しを続けましたが、頭に描いた光景を、実現するに至らずでした。しかし、走り回っての、土地勘も出来ました。この悔しさをバネに、来春は万全の用意を持って、後は好運に恵まれる事を祈って、リベンジを誓いました。