【3395】レトロ横濱撮影記

昨日、関東在住のDRFCクローバー会の3名、レトロ横濱を撮影してまいりましたので、ご報告いたします。

前日の土曜日の天気予報では、曇りの予報でした。

当日9時に、東海道線川崎駅下りホーム神戸方先端に集合したのは、準特急さん・新所沢都民さん・小生 デカンショまつり号の3名です。

品川から横浜への回送がまだということで、一旦、東海道線で横浜へ、横浜から京浜急行で一駅品川側の神奈川に戻り、思い思いの場所で、回送を待つこと30分強。いよいよEF641001+旧型客車7両+EF65501の回送が来ました。(一枚目の写真)

その後、京急神奈川駅で、再集合。残り少なくなった京急OLD1000系で上大岡へ、そこから京急自慢の2100系快特で金沢文庫。こんどは、800系の普通に乗換え、次の撮影地の最寄り駅安針塚へ。安針塚へ着いたには、小雨が降り出していました。傘をお忘れの準特急さんは、駅近くスーパーで、ビニール傘をご購入。糧食を補給の上、帝国海軍 横須賀鎮守府がおかれた横須賀軍港時代は、要塞地帯ということで到底、撮影が許されなかったであろう場所で、レトロ横濱1号を待つこと小一時間。この頃には、雨はすっかり本降りに・・・・この雨の中、雨に煙る横須賀軍港を背景に、EF65501をおしりにつけたレトロ横濱1号がやってきました。(二枚目の写真)

さらに、待つことしばし、隣の横須賀で折り返しのEF65501を先頭にしたレトロ横浜2号を撮影。(三枚目の写真)  元来、EF16などを置き換えるために生まれ、イベント用に茶色に塗られたEF641001より、特急専用機として生を受けたEF65501のほうが、いいと思うのは、私だけでしょうか?

ずぶぬれになったあと、安針塚に戻り、再度、京急利用。今度は、600系と、毎回乗車する車が違いました。一駅乗った後、逸見で下車。横須賀のどぶ板通りならぬシャッター通りを通って、雨の中、横須賀駅へ。

この後の撮影も躊躇するくらいの雨でしたので、3・4号は、安置欲に駅撮りすることに一同異議なし!上り横須賀線の車中の人になり、ロケハンしながら大船へ。長時間停車する大船は、既に大勢の鉄に占拠されていました。再度、流浪の民となり、東逗子に戻り、ここで、3・4号を迎え撃つことにしました。

雨の中、東逗子駅久里浜側先端でレトロ横濱3号を待ちました。四枚目は、帽子をかぶった準特急さんとEF641001のツーショットです。私の本命は、EF65501のお尻でした。準特急さんすみません。

今度は、東京方に移動し、レトロ横濱4号を待ちます。駅員の方から親切にも、ちょうど15時10分の通過時刻は、下りの電車とかぶるよというアドバイスをいただきましたが、もうここまで来たら動けません。運を天に任せて、レトロ横濱4号を待ちました。運よく横須賀発が1分の延。かぶられず撮影することができました。五枚目・六枚目。

撮影終了した頃、同じくクローバー会の逗子在住のシグマ太郎さんが長靴姿でご登場。しばしの逢瀬を楽しみました。

以上、レトロ横濱撮影記でした。

 


【3363】1953年高校生東京へ その6


さて今回以降は私鉄電車の写真をご高覧に供するが、後輩諸氏がヨイショしてはくださるものの、珍しい写真などあるはずもない。予備知識も、確たる信念もなく、ただ聞きかじった車庫へ出かけた、というだけである。翌年からはそれなりに、撮影対象には個性が出てくる(と自分では思っている)のだが。

この電車は是非見たかった。はるか後年高松琴平にも流れたが。京浜234=品川

このシリーズも「供出」で高松琴平で見た。車体は木骨鋼板張りのニセスチール 京浜156=金沢文庫

京浜314=金沢文庫

京浜316+307+311=金沢文庫

横浜市電1520=横浜駅前

京王帝都1204=永福町

京王帝都1713+1701+1201=永福町

京王帝都1712=永福町

この時のカメラは、親父が日中戦争(日華事変と称し、日本は戦争ではないと言い張っていた)に技術軍属で従軍した際、上海で購入してきたローライコードU型。テッサーではなく3枚玉のトリオター、シャッターはコンパーだが1/100の次は1/300しかない。フイルム装填はまず赤窓(が分かる人手を挙げて)で1を出し、あとは自動巻き止めになる。シャッターは単一レバー(勿論手動)で、これは中々便利だった。但し戦時中約半年名古屋は大曽根の防空壕で過したため、レンズにはカビが生え、ただでさえ軟らか気味のレンズが、軟焦点とまでは行かないが、シャキッとは参らなかった。しかし自宅にカメラがあるというだけで、どれだけのハンディであったかは想像もつくまい。

6×6の2眼レフだから、当然12枚撮りである。しかし1枚でも余計に撮りたいから、フィルムのリーダーペーパーで何度もテストし、フイルムカウンターに白点を書き込み、各コマ間に隙間のないように、かつ前後の余白もフルに使って計15枚撮れるように自分で改造した。

大体うまく行ったが、時折前後のコマが重なる。我々の場合ほとんどが横構図だから、若干重なっても支障はないのだが、偶に縦構図だと、ガックリという事態も起る。意地悪い事に、そんなケースは大事な写真の場合に起りやすいのである。今回でも、1コマわざと(水平直し以外)修正せず、ご覧に入れている。

京王帝都1257=永福町 天部に隣のコマとの部分ダブリが

玉村卓也氏はセミ版スプリングカメラの裏ブタにドリルで圧板もろとも穴を開け、赤いセルロイドを張った赤窓を増設。焦点面はセミ版を更に半分にした「セミ・セミ版」に改造し、「車輌判」と称していた。すなわち60×45mmがセミ判だが、60×22.5mmという細長判で、車輌を横勝ちに撮るのに好適とうそぶいていた。要するに高いフイルムから如何に多数の写真が撮れるか=1コマいくらになるか、が勝負?である。

ニコンには24×36mmのライカ判(パーフォレーション8個)だけでなく、ゴールデンカット判と称したパーフォレーション7個で1コマ、という代物すらあった。1コマでパーフォレーション1個分節約すれば、1本の正規フイルムで5~6コマ余計に撮れるのである。カラーフイルムの場合マウントしてくれず、長巻で返却されるとあって、大得意の米兵からクレームがつき、長続きはしなかったが、今時こんな希少カメラをコレクションしていたら相当な「お宝」ではあろう。


【3343】JRおおみや鉄道ふれあいフェア

5月23日(土曜日)、恒例の「JRおおみや鉄道ふれあいフェア」が開催された。事前予告では、今年の車両の展示は、EF65535、EF5893、107系(日光線新デザイン車両)、251系、183系で、試乗会は201系「四季彩」となっていた。EF65535、EF5893は昨年も展示されているので目新しさはないが、日光線新デザインの107系と、近々引退が噂されている201系「四季彩」は、可能ならば見てみたいと思っていた。ロギング太郎さん、デカンショまつり号さん、曙太郎さん親子他何名かの方が見学に行かれ、関東連絡網にレポートされておられるが、私も短時間であるが覗いてみた。但し、ロギング太郎さんはじめ他の方とは時間帯の相違等によりお会いしていない。

私事であるが、5月の連休明けから6月上旬まで仕事の超繁忙期で、例年土曜日はほぼ出勤、どうかすると日曜日も出勤ということになる。当日も出勤していたが107系と「四季彩」が気になり、11時頃職場を抜け出して会場に向かった。限られた時間内で効率よく見学するため、JR貨物(ED6217、EF651116)→EF65535、EF5893→四季彩→107系の順番で手短に見学し、午後2時には職場に戻った。

ED6217(JR貨物)

昭和34年6月、ED6118として川崎車輛で新製、甲府区に配置され中央本線で使用、昭和47年1月竜華区に転属、昭和53年10月長野工場でED6217に改造され、飯田線、大糸線で貨物列車に使用、平成4年3月、篠ノ井区で廃車後、JR貨物大宮で保管。昨年は、車体の汚れが目立ち、展示の対象になっていたのかどうか判らなかったが、今年は綺麗に塗り直しされ展示されていた。架線のない所での展示のためパンタが上がっていないのが残念であるが、洗練されたスタイルは古さを感じさせない。

EF651116(JR貨物)

昭和53年8月、川崎重工兵庫工場新製、関東支社に配置され、主に関東地区を中心に活躍、分割民営化時にJR東日本の所属となり、平成15年3月廃車後JR貨物が購入し高崎区に配置された。(現在の車籍の有無は不明)

 

DD511805(JR貨物)検査中

DD51のラストナンバーで昭和53年3月三菱重工三原工場製、佐倉機関区に配置され、分割民営化時にJR貨物の所属となった。

 

EF65535

昭和42年3月、東芝府中工場でEF6577として新製、中部支社に配置。昭和43年7月、浜松工場で特急列車牽引用に改造され現車号に改番。分割民営化時にJR貨物の所属となり高崎線で使用、平成20年3月31日付で廃車となったが、解体を免れ昨年に引き続き展示された。下り側に「瀬戸」、上り側に「出雲」のヘッドマークが取り付けられ、とにかく物凄い人気で撮影するのに一苦労した。

EF5893

昭和36年6月、東芝府中工場で新製、東京局に配置、宮原、浜松、東京と転属し、終始東海道筋で活躍後、最後は新鶴見区で昭和60年7月廃車となり、以降大宮工場で保存されている。現役時代「青大将色」に塗られたことはない。昨年は停められていた場所が悪く、パンタは下りていたが、今年はパンタも上がり、綺麗に撮影できたが、EF65に比べると人気は今一つのようであった。理由は来場者が、EF58の現役時代を知らない世代が多くなったためであろうか。

 

201系「四季彩」

クハ201-134+モハ201-263+モハ200-263+クハ200-134

昭和59年10月近畿車輛で中央線用として新製、武蔵小金井区に配置。中央線用としては最終増備車であった。平成13年7月大井工場で青梅線用の展望電車に改造(車号は変化なし)土、休日に青梅線を中心に定期運行、一般公募により「四季彩」と命名された。平成17年6月現在の塗装に変更されたが、同年10月、JR東日本が中央、青梅、五日市線の201系を新造のE233系と置換えを発表、平成21年6月「さよなら運転」の実施が発表され廃車が決定した。「さよなら運転」の概要は下記の通りであるが、6月中の土、日曜日は青梅線の青梅~奥多摩間を定期ダイヤで終日運転される。時刻は大型時刻表に掲載されている。

7月4日、5日        三鷹→笹子(往路) 大月→三鷹(復路)

7月11日、12日      立川~青梅(往復)

7月18日、19日、20日  立川~奥多摩(往復)

「びゅう旅行商品」として運転され、乗車には同商品のクーポン券が必要で、往復はがきで申込みを受け付け抽選で決定となる。

「さよなら運転」は相当な混雑が予想されるため、撮影される方は6月27日、28日の定期運転をお勧めする。当日は横浜~横須賀間に7両編成の旧型客車が走るので、どちらに行くべきか迷うところである。

 

クハ200-134

モハ201-263

モハ200-263

日光線107系(クハ106-1+クモハ107-1)

かつては、キハ55、157系を投入して東武鉄道と熾烈なシェア争いを行った日光線であるが、東武がDRC1720系を投入した時点で、国鉄は勝負を諦めたかに見えた。平成18年3月18日より栗橋駅に新設された渡り線を使用して、JR新宿駅と日光・鬼怒川間を直通する列車がJR東日本と東武鉄道の相互乗入れで運転が開始されると、JR日光線は完全なローカル線化するかに見えた。しかしながら、東北新幹線宇都宮経由で日光に向かう乗客が外国人観光客を中心に少なからず存在することから、日光線の車両、駅の施設を含めて全体をレトロ調にすることになり、同線を走る107系を全車レトロ調に改装することになった。


【3336】慶祝!須磨の人間国宝、島秀雄記念優秀著作賞受賞

この度、我らが大先輩であり鉄道趣味界の至宝である湯口徹先輩が上梓された「日本の蒸気動車」がめでたく鉄道友の会が選定する島秀雄記念優秀著作賞に輝いたとの速報を吉田さんよりお知らせをいただきましたのでここに記載して敬意を表したいと思います。たまたま昨日には交通科学館で写真展の打ち上げでご尊顔を拝したばかりでしたが普段より控えめで柔和なお人柄そのままにこの件について一言もなかったため、直接に御祝い申し上げることができなかったのが残念でした。おめでとうございます。

受賞作品は「日本の蒸気動車 上・下」ネコ・パブリッシング

受賞経緯など詳しくは下記のリンクをご参照下さい。

http://www.jrc.gr.jp/award/cyosaku/cy2009.htm#book2

ウワサでは近々小林宴会部長の音頭で祝賀会が開かれるとの由、その節はぜひともお知らせ下さい。


【3325】写真展「鉄路輝く」滞りなく終了

6月6日から交通科学博物館で開催されていた、当クローバー会の写真展「鉄路輝く」は、本21日を持って終了した。本日は16時から撤収去作業を行ない、梱包作業に全生命を賭けたT会員の陣頭指揮のもと、参加会員の協力で一時間余後にはすっかり片付き、写真展は滞りなく幕を下ろした。このあと、乙訓や須磨、武庫之荘の大老のみが祝杯を上げに弁天町の歓楽街へ繰り出して行ったのであった。

最終日も日曜日とあって、人気のレイアウト運転の終了後は写真展会場も大賑わい。小さな子供が歓声を上げて写真に見入る姿にはすっかり癒されてしまった。もともと鉄道ファンの来場はほとんどなかったが、その代わりとくに目立ったのは熱心な“鉄子”の存在。彼女らは決まって二人以上で訪れ、キャプションの一言一句までも食い入るように見つめていた。漏れ聞こえてくる会話もかなりレベルが高い。

小さな子供たち、あるいは女性などに、写真展を通じて鉄道の魅力を訴えられたとしたら、これはこれで写真展の大きな成果と言えよう。3回、4回と、写真展が永続的に開催されることを期待したい。

今日も大賑わいの会場。若い世代も熱心に鑑賞

“人間国宝”も会場に。会員からの質問に熱心に答える。

“鉄子”参上。話す内容もかなり専門的。

手際よく写真の撤収を行なう会員たち。

20日(土)には打上げが行なわれた。東京、名古屋、富山からも会員が駆け付け、17名が和やかに交歓し、写真展の成功を祝った。


【3320】水泳シーズンに間に合いました

            昨年のスキーシーズンには間に合わなかったオハ27たちがようやく完成し、湖西の水泳客輸送に間に合いました。沖中先輩から頂いたダブルルーフ材をしっかり活用させていただいて完成しました。あとは塗装を残すのみです。高島町駅の製作は建屋関係は完成したものの、ベースの台板製作に未だ手がつかずにおります。ひとつにはポイントマシンをどうするかが決まらないためで 検討に時間がかかりそうです。ところで 結局交通科学館に出かける機会がないまま 会期が終了してしまって残念です。また何かの機会があれば 皆様にお目にかかりたいと思っています。