1954年3月北陸から長野、三重 その2


DD503+504牽引急行「北陸」小松西方で

福井を簡単に終え、本日(1954年3月24日)のメインイヴェントたる尾小屋鉄道に見参するため小松で下車。すぐ上りのDD50牽引急行「北陸」が行き過ぎた。この区間には他に「日本海」しかない急行で、週末に準急「ゆのくに」が加わるのみ。

新小松の本社を訪ね、撮影だけでなく、留置客車の移動許可?までもらった。先方は「いいけど怪我するな。ちゃんと元へ戻しておくんだぞ」。歓声を上げた大供3人は、早速ポイントを切り替え、ハンドブレーキを緩め、エイサ、ホイサとホハフ1を背中で押し、目的地に移動させるとブレーキを締める。


尾小屋鉄道ホハフ1 ←三重交通サ331←三重鉄道ホハ7←三重軌道ホハ1 日車1912年製

「いちぶんのいち」とは、はるか後年鉄道模型雑誌での実物情報欄タイトルで、87/87なる表現もあったが、要するにいくら小さくとも、実物車両での入換遊びが、いきなり訪ねた若者3人に許可されたのだから、有難い時代ではあった。若くとも人品骨柄卑しからざるを察知したと見るのが順当ではあろうが。


大日本軌道1917年製12トンCタンク

尾小屋といえばおなじみ5号機 立山重工業1947年製15トン

蒸気機関車も後々まで残った5号機(立山重工業)のほか、大日本軌道1917年12月製2号機もいた。客車はこの時点オリジナルのハフ1~3と三重交通から購入したホハフ1のみだが、2軸客車3両では根本的に不足した戦時中、有蓋貨車ワフ1改造した代用客車ハフ4がまだ残存していた。ハフ1~3は木製車だが、車体外部には鋼板を張っている。


名古屋電車製作所1918年製オリジナル木製客車ハフ1 車体外部に鋼板を貼り付けているが台枠も全木製である

同型ハフ3 原型の窓は当然下降式だが下段上昇の二段式に

有蓋貨車に座席を設けた代用客車ハフ4

内燃動車も2両いるのだが、生まれながらのディーゼルカーであるキハ2のみ撮影できた。日立製作所製戦前唯一の内燃動車だが、田舎くさいのは両荷台の柵が低く、かつ固定式で、扉・戸袋の裾下がりが深いから。この時点すでにオリジナルの日立430ROから民生KD3という、やたら背高の対向ピストン3シリンダエンジンに換装されていたはずである。ユンカースのライセンス生産品で、戦時中は海軍重機に使われていた。のちUD3に換装され、しかも東大OBメンバーにより現在も保存され健在である。


日立戦前唯一の内燃動車かつディーゼルカー キハ2 製造は1938年

尾小屋鉱山は盛業中で、無蓋貨車ガズラリと並び、何やらわからん鉱産物を運搬していた。要するに、山が元気=鉄道も元気=鉄道従業員もおおらかだったのは、その4年後北海道の炭鉱鉄道をほっつき歩いた経験に重なる。事務所に戻って乗車券の廃札を所望したら、どっさり入った傍の屑篭を指し、欲しいだけ持っていけ。後日手紙に返送用切手を同封し、竣功図を希望したら、一式送ってもくれた。小生はけして「昔はよかった」とばかりは思わないが、おおらかだったのは事実である。


鉱石運搬のト1とト10

ここで心底堪能した3人は、隣接する北陸鉄道小松線には大した関心を払わず、たまたまいたボギー客車と2軸単車を取っただけで満足し、金沢に向かった。このちっぽけな一連のボギー客車にカンカンになる日が訪れようなどとは考えもしなかった。旧簸上鉄道(買収後木次線の一部=宍道-木次)の客車で、台車は野上式3号型(一見オイルダンパーの如きボルスタースプリング)。頸城鉄道のボギー客車全車がおなじものを装着=それがオリジナルではなかったのが判明したのは、つい先頃である。


北陸鉄道小松線モハ501←白山電気鉄道デ1 新潟鐵工所1928年製

北陸鉄道小松線サハ511 ←ハ12←金石鉄道ハ12←省コハ2470←簸上鉄道ホハ4 日車1916年7月製 台車は野上式3号型 ブレーキも野上式

2009年 秋の中国一人旅 Part3 調兵山へ

今日、10月3日は、中国では、旧暦8月15日の中秋節を迎えています。この満月の祭りは、9~10世紀頃から始まったと言われています。古代中国の皇帝が、秋の季節にお月見を祭る礼から由来します。

中秋節は、自宅で、月餅を食べたり、名月を楽しんだりして、家族円満を祝う日です。中国人にとっては、家族の親睦や民族の団結、国家の統一を祈念する願いの日でもあります。中国の新年(春節)に次いで重要な年中行事です。今回の旅先でも、これでもかというほどの月餅が、街中で売られていました。値段は、1個1元前後の庶民用から、100元もする高級贈答品まで、さまざまです。飲食店では、年間の売上利益の大半を稼ぐそうです。

これが、日本に伝わり、月見団子になったのでしょうね。今夜は、晴れて満月です。皆様方は、どんな名月の夜を楽しんで、おられますでしょうか。

第4日目 9月20日

約36時間余りの夜行寝台列車の旅を満喫して、瀋陽駅に降り立ちました。瀋陽駅、中文では沈阳站(シャンヤンジャン)は、南満州鉄道時代の1910年に奉天駅として、完成しました。沈阳市は、遼寧省の省都であり、人口約740万人と、中国東北部の最大都市です。 続きを読む

京成電鉄 創立100周年記念列車 (Ⅲ)

既報の通り、京成電鉄は創立100周年記念行事の一環として、3300形の「上野 3356-3355-3354-3353」を6月30日より青電塗装に、「上野 3324-3323-3346-3345」を8月25日より赤電塗装に変更して運行しているが、第3弾として9月19日(土曜日)より昭和55年から平成5年まで使用されていた、ファイヤーオレンジ塗装車「上野 3312-3311-3310-3309」が運行を開始した。今回も「赤電」の時と同様イベントはなかった。

運行初日の9月19日(土曜日)は出勤であったが、午前中少し時間が有り、金町駅と柴又駅で見ていたが、金町線には入って来なかったので津田沼まで見に行こうと思ったが時間切れでアウト。翌日20日から22日までは家族で八ケ岳登山。連休最終日の23日、昼前に金町へ買い物に行ったついでに京成金町駅を覗くと、ファイヤーオレンジ編成が71運用(夕方まで金町線折返し)に入っていた。昼食後再度金町に行き、自転車を駐輪場に入れ、撮影しながら徒歩で柴又まで行き、撮影後電車で金町に戻り、金町~柴又~高砂間を自転車で撮影した。

9月29日(火曜日)はフレックス出社でいつもより2時間遅く家を出て金町駅に行くと、常磐緩行線は日比谷駅で電線から煙が出たとかで運転見合わせ。振替乗車票を貰い京成金町駅に行くと、ファイヤーオレンジ編成が71運用に入っていたがカメラは無し。高砂駅で都営5300系の西馬込行に乗り換え、東日本橋駅に到着すると、押上方面行のホームに北総7260系(京成3300形のリース車)が停車していた。この時間帯に運用に就いていたということは、終日運用に入っていたものと思われる。

上から ①3312+3311+3310+3309  ②3311   ③3310     柴又

 

 

金町駅(ホームの直ぐ横が通行人が多い踏切のため4両以上は入線できない)

柴又~金町間(前身の帝釈人車軌道の軌道敷を利用している。人車時代は複線であった)

 

100週年記念のロゴ

車内のポスター

金町線に入った赤電 (3324+3323+3346+3345)      9月12日

2009年 秋の中国鉄路一人旅 Part2 瀋陽へT186

『慶祝 新中国誕生60周年』
今日は、10月1日、中華人民共和国の国慶節です。特に今年は、建国60周年を迎えると言うことで、連日これでもかと、祝日に備えての準備等の様子を、TV放映していました。ホテル、商店、食堂は勿論、街路灯にも赤い国旗が、掲げられています。パトカーも多く、街中、公安官だらけで、警備も厳重です。日本人の私には、関係ないわと思っていたら、後日えらい目に会いました。

第2~4日目 9月18日~20日

深圳20:18発、瀋陽行きのT186列車発車まで、十分な時間があります。今後の予定は、切符が買えてからで良いと思っていたので、瀋陽のホテルをインターネット予約したりで、疲れない程度に街をウロウロしました。
乗車前の1時間前までに駅に行けば良いと、夕食を裏町で食べて、ゆっくりとしていたら、タクシーが拾えません。そうだ、深圳の夕方からは、道路が渋滞するので、空車が拾えないのを、すっかり忘れていました。ドジの始まりでした。重いスーツケースを持って、遠い地鉄駅まで向かいました。

それでも、地鉄に乗ってしまえば、わずか1駅3分です。発車40分前には待合室に入れました。夜行列車は、大体30分前に改札が始まります。まだ、家族連れは少なく、学生らしい若者が多数です。にぎわう様子を撮っていたら、早速、公安官の撮影禁止の声が聞こえました。

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