【6079】銚子電鉄速報

8月12日の【4060】「銚子電鉄を訪ねて(Ⅰ)」で、今年度中に伊予鉄道よりモハ820形+クハ850形2編成を購入することをお伝えしたが、10月30日松山を出港し、11月4日午前中に銚子港に陸揚げされ深夜に搬入された。車号はモハ822+クハ852、モハ823+クハ853である。その後の状況が気になり、12月28日現地に確認に行ったので、その時の状況をお知らせする。

銚子までは、通常は我孫子から成田線経由で行くが、今回は千葉以遠の総武本線、成田線、内房線、外房線、東金線で使用されている113系と211系を千葉駅で撮影するため、新松戸から武蔵野線西船橋経由にした。113系は元京浜東北線の209系との置換えが進行中で、211系も置換えの対象になっている。千葉駅で暫く撮影後、211系5連の9時4分発佐倉行(1335M)に乗車して、終点佐倉で乗ってきた電車を撮影後、後続の211系5連の銚子行(337M)に乗継ぎ、銚子には11時11分に到着した。千葉~銚子間81.3㌔が普通で2時間、特急でも1時間半かかるのはお世辞にも早いとは言えない。

銚子電鉄は元地下鉄銀座線のデハ1001が停車していた。年末のため観光客らしき乗客はわずかで、殆どが地元客で座席が半分位埋まる程度であった。取りあえずフリー切符を購入して外川まで行き、撮影しながら戻ることにした。次の仲ノ町では、元伊予鉄道モハ822+クハ852がグリーンに塗り替えられているのが確認できた。笠上黒生ではモハ823+クハ853が伊予鉄道時代のままで留置されていた。終点外川では特にみるべきものが無かったので、直ぐに折り返して犬吠で降り、昼食と駅周辺で撮影した。笠上黒生では交換風景と留置中のモハ823+クハ853を撮影。仲ノ町で降りて車庫の中に入ると、モハ822+クハ852はMGが稼動して車内照明が点灯しており試運転間近を思わせた。

帰りは久留里線のキハ37を撮影するため、成東から東金線で大網、外房線で蘇我と乗換えて木更津へ、目的のキハ37は1002が比較的良い位置に停まっていたが、すっかり日が暮れてしまい、結果は今一であった。

一連の改造工事がほぼ完了したと思われるモハ822+クハ852

 

MGが唸り車内照明が点灯。この日の深夜に外川に移動したと思われる。

笠上黒生に留置中のモハ823+クハ853

 

間もなく改造工事が始まると思われる。

笠上黒生駅

 

ローカル私鉄の時刻表としては標準的なものであったが今では珍しくなってきた。

塗装が変更されたデキ3

 

一部の雑誌には旧塗装に戻されたように記述されているが、全くの新塗装である。

デハ702

 

元近江鉄道のモハ52で、多客時の増結用となっている。ワンマン運転の設備を持たないため、早目に廃車されるかもしれない。

昨日「銚子電鉄を救えwiki」というHPを見ると、29日にモハ822+クハ852が外川駅で目撃されている。恐らく一連の改造工事が完了したので28日の終電後に移動したのであろう。年明けからは、笠上黒生に留置中のモハ823+クハ853の改造工事が始まり、次の「18シーズン」には2編成揃って稼動しているものと思われる。

 

 


【6049】厳寒の大地へ Part4 調兵山 3日目

北京からも、成都の宿泊するホテルに依頼しても、購入出来なかった復路、成都→北京西の特快T8夜行寝台列車の軟座寝台の切符ですが、最後の手段として、芭石鉄道を案内してくれる現地旅行社に打診しました。

すると、『後、数枚しか残っていない。しかし、手数料が、200元必要です。航空券なら充分に席はあるが、どちらにしますか。』と、返事が返ってきました。中国鉄路では、切符の約85%が旅行社を通じて購入されています。

日本と違って、上乗せで手数料が必要ですが、北京からの往路は、手数料30元でした。今までも、切符売場に並んで購入する時間がなかったりすると、旅行社に依頼していましたが、せいぜい30~60元が相場です。1枚200元とは、ぼったくり以外ありません。

多分、1本しかない列車なので、どこかの旅行社が裏から手を回して、買い占めているのは、容易に想像できます。分っていて買うのは、しゃくですが、行程が決まっている以上、仕方ありません。OKを出しました。

日本の約45年前あたりと同様に、旅客輸送力が需要に付いていっていないので、こういった事が当たり前に横行しているのが、現状です。気分はよくありませんが、取り合えず、帰路は確定しました。

12月2日 第11日目
足は、完全回復しましたが、願いは通じず、今日も白い世界です。白銀の世界だったら最高ですが、こればっかりはどうしようもありません。出発は、8時30分にずらして、その間に調兵山駅2階の旅行社に行って、今日のSL運行を問い合わせてもらいました。調兵山~大明間は、DL運行です。天候回復の願いをこめて、SL列車を追いました。

9:01 三家子~調兵山の無名駅から、出発する、大青からの308次

樹氷の木々は、綺麗ですが、青空が欲しいのです。今日の天気予報は、雪だそうです。

10:13 橋南→暁明への206次 刈り取られたトウモロコシ畑をゆっくりと行きます。

10:30 暁明は、スイッチバックの駅です。進行方向に連結を変えます。


午前中の撮影は完了です。しばし、部屋で休憩してから出かけました。

13:25 再び暁明へと戻り、大築堤での撮影ですが、折角の煙が空と一体になってしまいます。

その後も、小青周辺、また暁明周辺へと、ダイヤを見ながら、追いますが、途中トウモロコシを道路一杯に満載した馬車と遭遇したりで、またも動けず、イメージどおりの光景には、会えませんでした。 
 12月3日 第12日目
朝から、沈阳の鉄道博物館に行こうと探しました。パシナや多くの満鉄車両が展示されています。しかし、見つかりません。駅員に教えていただいた場所は、移設したあとでした。気を取り直して、電話までして、向かった場所も違っています。いったいどこにあるのか? 時間と、タクシー代の浪費で終わってしまいました。次回に、もう一度、リベンジをします。

12月4日~8日 第13~17日目

いったん、天津でゆっくりした後、天津→北京西→武漢CRH3、CRH5の昼間ルートで、武漢に入りました。そろそろ、広州~武漢の新幹線が、開通するだろう。出来れば、北京空港リニア地鉄のように、1番列車に乗ってやろうと、思って行きましたが、現地に入っても情報はありません。武昌駅漢口駅の駅員に聞いても、知らないのか、知っていても口を割ってくれません。何で、日本人がそんな事を知っているのかの質問詰めです。

長江大橋で、撮影に挑みましたが、またも天候に邪魔されました。
復路の武漢からの特快夜行寝台は、ガラガラでした。綺麗になって、充電式観光路面電車が走るようになった前門街を散策後、北京空港に向かいました。16泊17日の長い旅でしたが、残念ながら収穫が少ない旅でした。この悔しさをバネにして、次回は頑張ります。帰国後、インターネットで中国鉄路の記事を探していたら、11日になって、ようやく26日開業予定が、分りました。ここも、諦めずリベンジします。     

 

 

 

 

出来れば、CRH2-300、『はやて』の350km/h、3時間連続運転を、是非に体験してみたいと思っています。2010年の春節は、2月14日です。10日間続きます。街中、爆竹と花火の世界です。ご興味ある方は、いらっしゃいませんか?

 

 


【6040】C59乱写の頃

 機関車の好みは人それぞれである。小生は東海道線の蒸機時代に毎年名古屋の従兄弟を訪問していた関係からかC59が最も好みであった。特に戦後製のC59は大きな船底型テンダーと相俟って21.575mの国鉄蒸機最長のスレンダーなスタイルは当時、非常にかっこいいと思った。多分、C59を推す人が多いと思い、同好会OBで数々の名作を発表されている先輩にうかがったところ、意外にも好きなのはD52の戦時設計スタイルでその次はD50と言われた。また、内燃車両で右に出る者はいない先輩はコッペルと言われ、唖然とする。このような中で電車には目が無い先輩はC59、特に戦後製の長いのがええと言われた時は内心ほっとした。世間ではC57の貴婦人が定着しているが、経歴から言ってもC59と思う。軸重の重さ故に他線転用がきかず、早期に引退した美人薄命のC59はC57が貴婦人などと騒がれる頃にはこの世から消えていた。さて、そのC59を意識して撮った最初は電化が進んだ岡山で、1961年7月の瀬戸内海臨海学校の帰りであった。小郡行き牽引のC59164で現在も梅小路に保存されている呉線C59最後の残党3両のうちの1両である。よく趣味誌上でも見られるのでここでは割愛して、今回は、その後、必死に乱写したものを披露したい。乱写と言っても今のデジタルのようなものではなく、フィルムが勿体なく感じる時代で、それでもできるだけ多くの番号を稼ごうと機関区巡りや幹線の線路際で来る列車来る列車全部を何でも撮影したと言う意味である。

①1963年3月、始めての宿泊を伴う撮影で九州を選んだ。途中、朝の下関で降りて連続して到着する九州行きの優等列車牽引のC62、C59を撮影。元祖青信号特派員氏がデジ青に掲載された下関駅の思い出にコメントさせていただいたが、下関の午前中の優等客車列車の最後は同駅南側の架線の無い所に到着した寝台専用急行301レ「音戸」であった。

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②関門トンネルを抜けて、折尾でC59109[鳥栖]を撮影後、筑豊本線C51281[若松]牽引の列車で原田に向かう。乗り継いだキハ55の準急「くまがわ」は上熊本で特急「みずほ」8レと交換。C59唯一の門鉄デフC59124は旧型客車を従えて夕陽を背に大きな汽笛を残して東京に向かって行った。

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③翌日、熊本機関区を訪問。扇形庫も無く、狭苦しく窮屈で大型機の撮影には不向きであった。

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④1964年4月には山陰線C51、木次線C56、山口線D60を求めて機関区巡りを行う。その後、再度九州入り。鳥栖は鹿児島本線、長崎本線が分岐するのでここで両線の大型蒸機を狙う。この日、下り「みずほ」は事故でもあったのか、相当遅れてC59129がバック運転で通過。上りは夕刻C59のトップナンバーが旧型客車4両牽引して到着。目の前で停まってしまった。煙が真上にゆっくりと上がっていることで停車していることがわかる。それでもヘッドマーク付きの1番である。この機関車は後年、小倉工場で撮影したことがある。

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⑤鳥栖から夜行列車で当時の撮影名所大畠で下車。連続する九州行き優等列車を撮る。道路は舗装されておらず、左には大島が見える。列車は332レ小郡発広島行きでC59190が牽引。架線が邪魔で非常に残念に思っていた。この年の夏に己斐(現西広島)付近で撮影のため、夜を明かした時は電蒸運転が始まり、特急は一部EF60500+C62であった。80系電車も試運転していた。

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⑥東北本線でもC59は昭和30年代に福島や白河あたりにいたが、最終的には90、176の2両が仙台に残っていた。写真は塩釜の築堤を行く176号機牽引の128レ一ノ関発宇都宮行き。東北独特のシールドビームの補助灯とデフレクター下部の点検用切り取り等により原型スタイルは崩れているが、戦後製の長いテンダーや全体のスマートさは充分感じられると思う。最近このあたりを通ったが、開発されて家が立ち並びこのような風景は過去のものとなってしまった。

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⑦C59は173両製造され、ラストナンバーは196である。途中、133~155の23両は製造されず、欠番である。さて、そのラストナンバー196は下関で撮影したが、その後直ぐに糸崎に転属。これはあまりにも有名になった急行「安芸」を牽引して広島を出発する姿。

1965.4.4 山陽本線広島を出発する呉線経由東京行き寝台専用24レ急行「安芸」 C59196[糸崎]


【6013】東京メトロスマイルフェスタ‘09inAYASE

12月5日(土曜日)東京メトロ綾瀬車両基地で「東京メトロスマイルフェスタ‘09inAYASE」が開催された。綾瀬車両基地は北綾瀬駅から徒歩10分の場所にあり、千代田線の他に有楽町線、副都心線、南北線と埼玉高速鉄道の車両の検査を担当している。ちなみに自宅からは自転車で20分程のところである。

昨年までは、最寄り北綾瀬駅が狭いこと、綾瀬~北綾瀬間の電車が3両編成のため輸送力が小さいこと等により混乱を避けるため、事前応募による抽選で参加者数を制限していたが、今年は一部のイベント以外は自由参加であった。

イベント内容でファン向けのものとしては、南北線9000系第5次車、千代田線06系、副都心線10000系の並びの撮影会、日比谷線3000系保存車の車内見学、6000系の車体吊上げ実演、鉄道部品販売等があった。その他にも事前応募制で車両洗浄乗車体験、7000系運転台見学、保守車両運転台見学があった。以下当日の模様を画像で紹介する。

南北線9000系第5次車、千代田線06系、副都心線10000系の並び

 

副都心線10134編成

 

撮影場所は30分間隔で前方の記念撮影用と少し後の3本並び撮影用に別けられていた。

日比谷線3000+3002保存車

 

3002の運転室

 

3001の台車

日比谷線の3000系は廃車後一部の車両が長野電鉄に譲渡さたが、元東急の8500形との置換えにより非冷房車が廃車となり、3001+3002が保存のため里帰りした。保存車とはいえ、MGが稼動し、車内灯は勿論、暖房がよく効き、完全に生きていた。

運転台見学(事前応募制)に使用 副都心線7128

 

運転台見学は募集40名と少なかったため、高倍率となった。

架線保守用軌道モーターカー

 

保守車両運転台見学は募集80名であった。

工場内の6000系

 

上から簡易運転台付の6616、6716、6316、車体吊上げ実演に使用された6016

6000系第1次量産車

 

イベントの対象にはなっていなかったが、6000系第1次量産車、6103と6106を撮影することできた。第1次量産車(02~13編成)は昭和46年に新製され、間もなく車齢40年を迎える。6106は車体更新時に6106は1枚下降窓に、6103は2段窓のままであるが窓構造を変更している。

6000系は綾瀬~北綾瀬間で使用中の第1次試作車3両編成1本、第2次試作車01編成、第1次量産車から平成2年製の第7次量産車まで(02~35編成)計358両が在籍し、千代田線の主力として日夜活躍しているが、第2次試作車のみ車両限界の関係で小田急線への乗り入れができないが、量産車編成は常磐線取手から小田急多摩線唐木田まで走行している。JR車は小田急線への乗り入れが、小田急車はJR線への乗り入れが不可能であるが、現在実施されている金町駅周辺の工場跡地の再開発により、大規模マンションの建設と東京理科大学の移転が計画されており、完成の暁には輸送力の不足が懸念されている。その解決には小田急車のJR線への乗り入れが不可欠となるため、最近の新車、JRのE233系2000番台と小田急の4000系は僅かな改造により3社乗り入れが可能となるように製作されていると言われている。

ここにきて、東京メトロより平成22年秋から6000系の代替として16000系16編成(160両)の投入が発表された。新車の投入は楽しみであるが、代替で廃車されるのはどの編成なるのか気になるところである。


【6003】中国鉄路 第2の新幹線 『武広線』 昨日26日開業!

【5904】で、報告されていただきました中国鉄路としては、第2の新幹線『武広線』が、予定通り12月26日に開業しました。

高速鉄道として世界一長い全線1.069kmを、最高速度350km/hの世界一の高速で、走行します。所要時間は、当初4時間を書きましたが、約3時間になったそうです。平均速度は、何と350km/h近く、全線を、ほぼ全速力行運転すると言うことになります。当初の運転本数は、21往復です。今までの約11時間が、8時間も短縮しています。驚嘆の短縮時間です。

東海道・山陽新幹線と比較すれば、新横浜~小倉間1078.9kmに匹敵します。のぞみ99号では、4時間22分かかりますので、『武広線』のスピードがお分かりと思います。

そして、使用される車両は、シーメンス社技術援助のCRH3と書きましたが、川重とJR東日本糖が技術供与した『はやて』も併用使用されるとの報道です。また、ひと悶着ありそうですね。

問題の運賃は、1等が780元(約10,000円)、2等が490元(約6,500円)で、今までの約3倍と、予想通りですが、春節前の帰省には、珍しさもあって、利用殺到になりそうです。

ちなみに、新横浜~小倉間のぞみ号利用では、運賃+普通席定席で、21,370円です。

読売新聞等に、掲載されていますので、HPもご覧ください。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091226-00000794-yom-int
http://www2.explore.ne.jp/news/articles/13537.html?r=sh
http://www.asahi.com/international/jinmin/TKY200911250305.html

近々には、初乗車に行くつもりです。


【5985】厳寒の大地へ Part3 調兵山 2日目

年始・年末の芭石鉄道への旅ですが、北京西→成都への切符は購入できていますが、今日発売の成都→北京西の切符が売り切れと、現地から連絡がありました。やはり、出発駅でないと、買えないようです。また、困りました。でも、よくある事なので、何とかしようと、対応におおわらわです。しかし、どうなるのでしょうか。

12月1日 第10日目

昨夜、夕食を食べに街に出かけた際に、凍結した路面に滑ってしまいました。そのまま、転べばまだ良かったのですが、右足で踏ん張った拍子に、ぎくっと音がしました。ちょっと、まずいなと思いましたが、普通に歩けたので、ホテルに帰ってから、ゆったりと風呂に浸かってから、寝ました。

しかし、朝起きると、右足が曲がりません。何とか立ち上がって、歩こうとすると、痛みが出ます。特に階段は、手摺りにしがみつかないと降りられず、激痛です。かなり、マズそうです。

昔、野球をやっていた頃に、膝のじん帯を伸ばした時の症状と似ています。それでも、王千駅着7:52の列車を撮りたいと、運転手の王さんと約束していたので、患部にホカロンを何枚も貼って、出かけました。

濃霧なので、王千の山頂からの撮影は諦めました。写真は。王千行きの201次です。延着で撮影時間は8:00。木々は、樹氷状態です。

外は、昨日にも増しての白い霧の世界です。目的地付近の視界は、せいぜい100m程度で、どうにもなりません。おまけに牽引は、DLでがっかりです。

陽が昇りだすと、青空も見えて、霧が晴れてきました。期待しましたが、撮影ポイントに着くと、またも霧に包まれていきました。



8:56 大青から到着した1722牽引の308次

9:02 三家子駅を、調兵山駅に向けて出発する308次

移動をしますが、すれ違うのは、馬車や、ロバ車ばかりです。ここでの主要な交通手段です。

三井→大明間 103次 撮影時間10:36 晴れていれば、バックにボタ山があり、SLが驀進する絶好の撮影ポイントです。

場所を移動しますが、霧が晴れそうになる頃には、列車通過時刻と合わず、来る頃には、また深い霧の世界です。大明駅付近では、痛む足を引きずりながら30分も歩きましたが、またしてもDL牽引でした。

昼からは、昨日のように、少しでも晴れればと願いましたが、霧は晴れることなく、思った写真は、終日撮ることは、叶いませんでした。足の具合も、ますます悪くなり、王さんに抱えてもらわないと、静止して撮る事が、できない状態になりました。

ご覧のように、霧に阻まれて、写真にはなりません。残念な1日でした。

ホテルに帰ってから直ぐに、フロントで相談しましたら、按摩のお姉さんがやってきました。従業員の見守る中、マッサージを始めてもらいましたが、10分もすると、これはダメだと言って、男性の整体師を呼びました。

40歳ぐらいの整体師は、全身を触診した後、右足を持つや否や、エイヤーの連続技です。激痛に悲鳴を上げてもがくと、他の2人に押さえつけられました。治療は、10~15分間でしたが、私には、30分以上に思えました。

治療が終わると、整体師は、『これで、歩けますよ。歩いてみて下さい』と、言います。ベットから立ち上がり、恐る恐る歩いてみますと、あれほどきつかった痛みは、消えています。エッ、どうして治ったの。”???”の世界です。恐るべし、中国整体師です。

身体の節々に痛みをお持ちの皆様、騙されたと思って、一度訪中して、治療を受けてみませんか。一時は、緊急帰国を考えていたのですが、この治療以降は、何の痛みもなく、無事に旅を続けられました。