2010年11月7日 DRFC-OBクローバー会開催

2010年カミングデーにおいて、DRFC-OBクローバー会も開催されました。各自の近況報告や現役生も参加しての活動報告も行われ、親交を深めました。 来年度は、東京にて写真展を開催する予定で、現在場所探しをしている状況だそうです。決定しましたら、またHPにてお知らせがありますので、ふるっての参加をお願い申し上げます。




1957年5月/1958年7月北陸鉄道その6


能登鉄道ホハ 藤浦哲夫撮影 UF12類似台枠を篤と覧あれ この時点まだ赤帯の跡が残っている

先回投稿につき、早速藤本哲男氏から暖かいサポートがあり、老人は感激し「その6」を続けることにする。

能登鉄道ホハ1、2の台枠がUF12類似であること、台車もTR11の短軸化であることは先回記した。比較のため、能登鉄道時代、北陸鉄道統合、石川線転出後のサハ611をお目にかけておく。これがオリジナルの姿なのである。


北陸鉄道サハ611←能登鉄道ホハ1 高橋 弘撮影

さらに石川線では、モハ541の挿入を忘れていた。後期高齢者まであと10か月という老人性痴呆の寸前にほかならない。情けないがどうしようもない。


北陸鉄道石川線モハ541 元能美電気鉄道デ1 

なお金沢市内線も何枚か撮っているので、事のついでにご披露を。

金沢市内線308

金沢市内線2001

金沢市内線2004

江若鉄道三井寺下駅再現(その6)

平成18年に大津市歴史博物館で開催された企画展「ありし日の江若鉄道」の資料を藤本先輩からお借りして 三井寺下付近の航空写真を虫メガネで見ながら建物の配置などを割り出しはじめましたが、先に作った設計図に間違いが多いことが判明。適当に妥協することにして 工事を進めることにします。建設工事は足踏み状態ですが、またしても浮気の産物として ホハ100型客車3両がほぼ出来上がりました。これで 時代考証的に SL1118やC111に牽かせる相手が出来ました。今回も湯口先輩の「丹波の煙 伊勢の径」の写真があったればこそ 製作意欲も湧き 再現できたと思います。ところで このホハ100の色は 後年のナハやオハと同じく緑色で良いのでしょうか?仮に違っていたとしても まだ緑色のマッハの塗料がたくさん残っているので 緑色に塗装するつもりですが・・・。さて 車輌製作は一時休止にして これからはレイアウトの方に励むことにしましょう。

1118牽くホハ3両(旧関西鉄道)

1118牽くホハ3両(旧関西鉄道)

洛西たより

以前、阪急京都線洛西口駅周辺の東側で複線工事をしているのを見つけた摂津の御仁が、「あれ洛西NTの新線か?」と質問され、「いや、府道中山稲荷線との立体交差工事だ。」と答えた。下り(梅田行)線は9月11日深夜から早朝にかけて仮線に移動した。上り線は12月11日早朝切り替え予定である。これで工事は本格化するが、仮線とは言え高速で洛西口駅を通過するから「阪急もJR並や!」と言っている人もいる。3年後には高架線、駅が竣工する予定である。

さて今秋の紅葉は期待できると新聞発表があった。それを前に阪急は「紅葉の嵐山へ一直線」と、一大キャンペーンを張っている。11月の土日祝日は4ケ所から快速特急、直通特急が嵐山に向う。桂発を列記すると快特梅10:12、同じ10:32、快特河10:43、同梅10:52、同河11:03、直特宝11:12、直特神11:32、快特河11:43、同じ12:03、となる。この9列車を巡り4、5番線の上り方で場所取り合戦が始まっているようだ。11月7日、それに参入後のホームカミングディ?としたら怒られるやろうな……。阪急もでっかいテルテル坊主を新装成った嵐山駅に吊るしていかがであろうか!

1957年5月/1958年7月北陸鉄道その5

西金沢(のち白菊町)-鶴来-神社前は旧金沢電気軌道、新寺井-鶴来は能美電気鉄道が前身で、北陸鉄道に統合後は両者合わせ石川線。さらに神社前-白山下の非電化線であった旧金名鉄道→金名線を含め石川総線とも称されていた。神社前とは加賀一ノ宮である白山比め(しらやまひめ。「め」は口偏に羊)神社を指す。なお金名鉄道は1日2往復列車(ガソリンカー)が神社前まで乗り入れていた。電化は敗戦後の1949年12月6日である。

さらに金名とは、以前にも書いた記憶があるが、金沢と名古屋の頭文字で、熊延鉄道(熊本、延岡)や大社宮島鉄道(出雲大社、宮島)などと同類の、大風呂敷・大法螺吹き社名。世の中上には上があるもので、日露支通運電鉄なんて会社設立を謳い、詐欺そのもの?の計画もあった。


2軸単車の59 市内線のお古か ビューゲルとポール両方装着は庫内入換用であろう

モハ1502 汽車会社1925年製のオリジナル半鋼車デホニ102の荷物室・扉撤去

モハ3103 伊那電気鉄道買収車 伊那デ122→国鉄モハ1922→北陸

モハ3104 上と同じく伊那デ123→買収モハ1923→北陸
サハ611 能登鉄道ホハ1が前身とは「真っ赤な嘘」

小生は電車なんぞどうでもよく、このサハ611、612だけを撮りに来たのである。これは能登鉄道開業(1925年3月3日、羽咋-能登高浜)時2両購入した日車製の中型並の木製ボギー客車だが、製造が新しいだけあって、台枠はUF12並、台車もTR11を短軸にしたようなものである。北陸統合でホハ1201、1202に改番、さらに石川線に移ってサハ611、622に。蛇足ながら大正末~昭和にかけ、かような省型木製ボギー客車を開業時新製投入した鉄道には、能登のほか、弘南、北海道拓殖鉄道がある。

ところが、である。このサハ611を、目をこすってよっくとご覧あれ。やったらめたらと古い客車であることがお分かりになろう。台枠はUF11、台車に至っては1911年(明治44年)か1912年(45年)の代物である。すなわち、これは能登鉄道のオリジナル客車ではなく、鉄道院形式ホハ6810(→形式ホハ12000)の、最も古いかその直後―明治製の客車に相違ない。高橋 弘氏が1949年に撮られた写真は、オリジナルそのものである。

即ち、北陸鉄道では国鉄で廃車になったホハ12000形式を、恐らく1955年以降に購入し、振り替えたとしか考えようがない。それにしても振替とは、一般により新しい車両とするものであろうが、14年も古い車両との振替なんぞ、聞いたことがない。事故か何かで損傷したのに廃車手続を避けたのか。それとも新しい方の台枠を新製電車に流用した?可能性もあるかもしれない。電車屋さんよ、何ぞご託宣を。

北陸鉄道の車両紹介は極めて少なく、かつて鉄道ピクトリアル215~220号の「私鉄車両めぐり」も、執筆者には大変申し訳ないが、いまいち分かりづらく、内容にも欲求不満がつのった。このサハ611の項でも、正式の経歴が記されているだけで、挿入写真は明白に振替後なのに、失礼ながら全くお気づきになっていない。