【11065】秋の中国一人旅2010年 Part16 帰国

前回投稿してから随分と経ってしまいました。1年間動き回ったので全身点検に行きましたら、即日入庫を命じられ軟禁状態となりました。加えて、車庫内感染で約40度の高熱を発症し絶対安静です。今年は最後までいろいろと予期せぬ遭遇にあいます。とうとう開放は、年末となってしまいました。勿論こんな半月以上におよぶ入庫は初めての経験です。今日は朝から雪の降る1日でした。総本家青信号特派員のようにカメラを持って出かけたいところですが、自由の身となってもこれからの予定を考慮すると、年末年始だけでもおとなしくせざるを得なく残念です。


第15日目 11月4日
①上海虹橋空港13:05(JL082)→16:30羽田国際空港
②羽田 16:53(京急)→品川(JR)→17:46池袋
第16日目 11月5日
①池袋(JR)9:40→ 10:15大宮_鉄道博物館
② 大宮14:20(JR)→浜松町(モノレール)→羽田
③羽田16:30(JL127)→17:40伊丹
④伊丹(モノレール)→南茨木(阪急)→長岡天神→帰宅

11月3日夜は宿泊先のホテルに長期滞在されている日本人の方のお薦め按摩に行き、溜まった疲れを2時間念入りにほぐしてもらいました。おかげでゆっくり安眠できましたが、起きて時計を見ると何と11時です。今日の飛行機は13:05発です。2時間しかありません。さすが慌てました。スーツケースに荷物を詰め込みチェックアウトすると、もう1時間半もありません。

地鉄乗車だとたっぷり1時間はかかり間に合いません。フロントでTaxiだと何分で行けるか聞くと、多分30分以内との答えが返ってきましたので、Taxiを捕まえて上海虹橋空港へと向かいました。車中でJALに電話をしてギリギリまで待ってくれるように連絡して、出国審査場までの優先誘導も依頼しました。運転手にはフライト時間を告げて無理はしないが早く着くように頼みました。
今まで早くに起きる事はあってもこんなに熟睡したのは久しぶりです。昨夜の按摩が効き過ぎました。途中で、電話をしておいたJAL担当者からも心配の電話が入りましたが、結局空港には余裕の到着で安堵しました。

帰国後は、池袋駅近くの居酒屋で準特急先輩と来年の中国SL撮影計画の打合せを行い、翌日は初めて鉄道博物館を見学して、往路と同じく羽田、伊丹圣由で帰宅しました。無事に15泊16日間の2010年中国一人旅を終えました。




以上が、今回の行程表、乗車した列車の時間・距離と運賃明細と現地旅費費用の明細です。旅費は前回と違って、天津で日本料理屋に行きましたので、日本で飲食するのと同じくらいかかりましたが、地方に行くと10分の1以下ですみます。列車も新幹線や高い電車寝台に乗車しています。現地移動では時間の有効利用のためにTaxiを利用しましたので結構かかりましたが、日本とj比べると格安です。

人民元の切り上げが実施されれば旅費も高騰しますので、それまでには出来るだけたくさん行こうと思っております。次世代新幹線車両のCRH380A乗車ご案内、地方に残るSL撮影、満鉄客車の視察引率もお引き受けしております。中国版新幹線は来年も続々と延伸を続けます。待望の上海~北京間も開業します。遅れていた地铁の開業も相次ぎます。 来年も頑張って大地に向かいたいと思っております。
それには、何よりも健康な身体が必要不可欠です。今回の年末騒動にならないように、大好きな米ジュースや麦ジュースですが、少し控えめにしなければと思いました。皆様方も健康にはご注意下さい。そして、来年もよろしくお願いします。


【11066】36年前 大晦日の京急羽田空港駅


36年前の京急羽田空港駅/飛行機に乗るためには、ここから更にバスに乗り継がなければならなかった。

一昔前の写真を整理していたところ、昭和50年の大晦日に京急羽田空港駅を訪れていた。ちなみに特派員さんも一緒であった。勿論地上駅で現在の天空橋駅の海老取川を隔てた手前にあり、飛行機に乗るには羽田空港行の路線バス(狭隘区間を通過するためマイクロバス)に乗り継ぐ必要があった。蒲田~羽田空港間には路線バスが頻繁に運行されていたため、このルートを利用する人は極めて少なかった。

 
羽田空港駅に進入するデハ257他3連

 
停車中のデハ256他3連

 
デハ276/行先板に注目、現在は「京急蒲田」であるが、当時は「京浜蒲田」であった。

当日の行動を振返ると、京都駅朝1番の6時19分発「ひかり302号」で出発した。名古屋で「こだま204号」に乗換え三島で下車して、東洋レーヨン三島工場の片ボギーのDLと伊豆箱根鉄道の電車を撮影。9時9分発の三島始発東京行に乗り湯河原で下車して、ホームで直ぐ後から来る「みずほ」を撮影。その後、駅の外に出て熱海よりに戻り、上下線が広く空いているところの中央から撮影した。今頃こんなところで撮影していたら、間違いなく逮捕されるであろう。小田原で大雄山線の電車を撮影後、川崎で京浜東北線に乗換え、蒲田で下車。駅の大森寄りで撮影後、京浜蒲田駅まで歩き、羽田空港駅まで乗車した。その後、上野駅で夜行列車を撮影し、八甲田55号で盛岡に行った。
湯河原に行くのにわざわざ三島で下車したのは、東レの片ボギーDLを撮影するためであったと思われる。私にとっては、湯河原でのブルトレはついで撮影で、本命は157系「あまぎ」であった。京浜急行の羽田空港駅はデハ230形を撮影が目的であった。

 


東レ三島工場の片ボギーDL

 
伊豆箱根鉄道モハ62/元モハ31024の復旧車

 
伊豆箱根鉄道クハ76/元西武クハ1450、更にその前があり、元国鉄モハ41001の復旧車

 
特急みずほ

 
特急さくら

 
特急あまぎ


急行東海

 
クモユニ74併結の普通電車

 
EF6098の引く貨物列車

 
113系普通電車

 
京浜東北線103系

 
クモニ13007

 
EF574の引く八甲田52号


【11061】撮り納めは、雪の八瀬で

今年最後の日、京都は朝から雪が降り続き、数年ぶりの積雪となりました。
雪を見ると、居ても立ってもいられないのは、この歳になっても変わりません。はやる心を抑えながら、午後から叡山電鉄の八瀬比叡山口まで出かけました。約20センチ、しばらく経験したことがないような積雪です。
八瀬比叡山口駅では、四季を通じて狙ってきたシーンがあります。
ホームから電車の入構を見ると、カーブした大屋根の向こうに、四季の光景が額絵のように広がます。桜、新緑、紅葉と、四季のテーマをとらえることができたものの、雪だけは、何回行っても空振りに終わっていましたが、今日ようやく、それが叶いました。

大屋根の向こうは白銀の世界だった。こんな時は、原色のエンジ・クリームの車両が似合うが、今やラッシュ用で、車庫に休んでいた。

の一年、まぁ、よく出掛けて写しました。好き勝手に行けるのも、心身ともに健康であるからこそ、この環境に感謝しながら、来たる年の飛躍を誓うのでした。
皆さま、よき年をお迎えください。


【11056】鉄道ファン昭和41年6月号

淡路交通の記事が出ていると言うことで川畑君に見せてもらったことはすでに書いたが、同号にはさらに驚くべき記事が出ていたのだ!

目次を見ると隔世の感だ。総武線複々線化工事とか、大分交通国東線廃止とか、クモユニ82登場とか、走れ!C62などの記事の中に「実現近い神戸市の高架市電」という荒唐無稽な記事が出ていた。これだけでも驚きだが記事の出元を見てさらに驚いた。なんと「同志社大学鉄道同好会」とあるではないか!!

記事を読むと建設進む阪神高速神戸線と同じような高架線にして二両連結の市電を走らせよう、でも国鉄線をオーバークロスするのが難しい、などと言っている。なにやらこうしたいという希望記事かと思ったが、この構想に対して市民からは騒音が心配との投書があるとか、累積赤字が10年で返済されると交通局が言っていると書いてあるので本当にあった話であろう。41年度予算で2000万円がついたとあるので与太記事ではないらしい。こんな高架市電は実現していないからよかったが、もしできていたらあの震災で大被害が起きていただろうと推察できる。

ところでこの記事は誰が書いたのか、41年と言えば3年生だったので会長職を拝命していたときである。なのに全く記憶にない。神戸だから阪急会かサロン・ド・阪神が怪しい。村尾、津村、藤田、早川などの諸君が想像できるがわからない。川畑君の手帳に書いてあればわかるのだが・・・。当事者からの自供を待つ。


【11015】淡路鉄道→淡路交通

佐渡ヶ島には長岡鉄道が免許を有しており(両津-相川町、762mm、1926年5月1日免許)、1067mm線に我国最初のディーゼルカーを注文して舞い上がった長岡鉄道は、納品(1928年12月)もされていない1928年2月23日、「佐渡線起業目論見書記載事項中動力蒸気ヲ重油ニ変更」を申請し、4月9日認可。しかしこの線は結局着手に至らず失効した。

従って我国で旅客貨物営業の「島の鉄道」は、沖縄を別にすれば淡路島が唯一になる。淡路鉄道は1912年10月25日免許、開業は宇山-市村1922年11月26日、市村-賀集1923年11月22日、洲本-宇山1925年5月1日、賀集-福良1925年6月1日で、全線23.1km。勿論動力蒸気、軌間1067mmである。

機関車はコッペルC、13tが3両、鉄道省1047(ポーターC、18t、形式1045←長州鉄道)、客車は播州、揖斐鉄道のお古で2軸車ばかり。元をただせば南海やら山陽やら。孤立した鉄道だから、連結器が螺旋連環のままで自連換装も必要なかった。明治村の蒸気動車(現在JR東海が自前博物館展示のため引き揚げて整備中)が装着していた螺旋連環連結器は、展示復元に当って名古屋鉄道が淡路交通から貰い受けたものである。

ガソリンカーは1931年以降。川崎と日車のボギー車が計6両いた。敗戦後燃料入手難と高騰に困窮し、600V電化したのが1948年2月11日である。ガソリンカーの機関に換えモーターを装着し、プロペラ軸で駆動したのが知られている。他に南海から古色蒼然たる電車の供出提供を受けており、米手作市氏紹介の丸妻5枚窓電車がこれである。

お後は乙訓の爺様の受け持ちじゃろ。ハイさいなら。よいお年を。


【11007】知らなかった”淡路交通”

関さんのシリーズもかなりマニアックになってきて、浅学非才の私にはついて行けなくなりました。

お恥ずかしい限りですが、そもそも淡路島に電車が走っていたことを知ったのは大学を卒業してからはるか後のことでした。

京都へ淡路交通という観光バスが走っていたのをよく見かけましたが、あれが私鉄のバスだったとは気がつかなかったのです。

今回の記事はぜひとも「その筋」の方に詳しく説明をお願いしなければなりません。当該車両だけではなく、鉄道の生い立ちまで教えて下さい。

お願いします!地元“須磨の大人”、脳内の血管を複線電化したい“乙訓の長老”、永遠の電車小僧・藤本先生!