【14742】2011年春から夏への中国鉄路の旅 Part18   天津軽軌(津滨轻轨)、地铁9号線 十一経路まで延伸

13日目 530日 中山門(天津地下鉄9号線) →十一経路

久しぶりでの天津での一日は、激変を続ける街をと比べながらゆっくりと散策することにしました。駐在時には片手で数えるほどだった高層ビルは、数え切れないほどに増えて街並みは全く変ってしまいました。都市中心部の交通機関は、北京に続いて1984年に中国2番目の地下鉄が開通して、他の都市と比べても進んだ街との印象がありましたが、中途半端な路線であったため利用者は少なく、リニューアル化して2006年に再オープンしました。しかし、その後の新たな開業はなく、後から開業した都市に大きく遅れてしまいました。また遅れるばかりだけでなく、開業予定日が住んでいても全く分からないので市民は計画そのものを信用していません。むしろ市民は呆れています。

そんな訳で今回も軽軌が5月1日に延伸開業(中山門~天津駅間7.35キロは地铁9号線)したらしいが、知人達は誰も乗っていないので、疑心暗鬼で既に開業していた中山門駅までTaxiで向かいました。



▲ 中山門駅の路線図には、今まで記載のなかった天津駅までの駅名が掲載されていました。十一経路駅までは労働節までに延伸開業できたようです。この駅がどこにあるのかわかりませんので、乗ってみました。


▲ 10:45、中山門駅を出ると高架軌道から地下に入ります。ラッシュは過ぎているのに乗客はまあまあいますが、終点の十一経路駅で降りた客はわずかでした。駅構内の路線図等には未開通区間の表示はなく、いかにも中国的です。地上に上がってみますと、中心地の小白楼から約1キロの地点です。これなら地铁開通まで徒歩でも行けます。十一経路駅はこちらです。

天津駅まではいつ頃に開通するのでしょうか? 天津は海抜3mの河口の街です。少しの豪雨でもいつも道が冠水して人も車も通行できなくなります。水を大量に含む軟弱な地盤状態もあって、工事が予定通りに進まないのでしょうか。同じような条件の上海では、瞬く間に地下鉄網が出来上がっていきました。上海と比べると雲泥の差があるのは、財力の違いかも・・・。都市の発展に必要不可欠な交通インフラは、中国版新幹線のような早すぎる手抜き工事は困りますが、もう少しスムーズには行ってもらいたいものです。


【14743】モロハ50?

関三平先生が(?)マークをつけているので正式な車番では無いのかも知れません。クモロハ50となるのでしょうか。戦後の占領期には白帯のついた車両が多く走っていました。客車の優等車はすべてGHQに差し押さえられて将軍の名前をつけて東海道を上下していました。「戦争に負けたんや」と身に染み込まされた、とは父親の思い出話でした。たしか、湯口さんがいつだったかこの掲示板に客車の写真を出されていたように記憶しています。当時の列車を実際に見ておられるのは、佐竹さん、湯口さん、沖中さんしかおられません。皆さん、今度会ったら詳しく聞いておくことをおすすめします。


【14702】2011年春から夏への中国鉄路の旅 Part17   中国鉄道博物館正陽門館(正阳门馆)

第12日目 5月29日
① 阜新19:00(2106次)→10:17北京北
② 西直門(地铁)→前門
③ 前門(地铁)→北京南(京津高速)→天津

北京北站に隣接する西直門站から地铁に乗って前門に着きました。3月に準特急先輩と行きました時は、なぜか直前で休館となっていた中国鉄道博物館正阳门馆は今回開館しているのを往路で確認済みです。館内にはどんな展示がされているのかとワクワクしながら入場券を買って入ってみました。(※ 前回の様子は、こちらをご覧ください。)

▲ 入場券は、20元(約240日本円)、開館時間は9:00~17:00で月曜日休館です。鉄道ファンの方がゆっくりと見学するには、 約2~3時間は必要です。

入館して最初に聞くことは、館内の展示物やパネル撮影が許可されているかどうかです。日本と違って、中国の一般の博物館の殆どは撮影OKですが、かつて日本人として初めて入場した瀋陽鉄道博物館では、展示パネルは撮影禁止でした。 (※ その時の様子はこちらをご覧ください。)
警備員に質問しますと、すべてOKとの返事です、安心しました。


中国鉄道博物館正陽門館中国鉄路博物馆正阳门馆)は、私がかつての現地に勤務時代していた1990年代には、この館内に北京鉄道分局関係の事務所があって、北京に業務で来る度に訪れていました。分局関係者からは、日本軍が侵略占領時に建造した北京の中心駅でラストエンペラーが紫禁城を追われる際にも乗車をしたのだと聞かされていました。ホームやレールが撤去された館内にかつての駅舎としての面影を残すものは切符売場ぐらいでした。
その後館内は商城(百貨店)に改装されて使われていましたが、オリンピック前には閉鎖されて、北京市と鉄道部が共同で中国鉄道博物館として準備が進められました。オープンは2010年10月23日ですが、上記のように一旦閉鎖されて、再オープンしました。
しかしこの建物は、展示されている建設当時の写真と比べると、なぜか時計台の位置が左右逆転しています。経緯は分かりませんが、大躍進時代に改装または壊されて再建築されたと思われます。興味を惹かれましたので、少し調べてみました。

【北京城と正阳门站】
中世の世界中の都市がそうであったように中国でも多くの都市が、敵に攻められた場合を想定して、街の周囲を頑丈な城壁で守った城壁都市が多くありました。明時代からの北京も、高さ12m以上の城壁で守られた都市で、皇城(故宮)のある周囲約23キロの内城と多くの庶民が暮らす外城の2つに分けられていました。内城は北京城と呼ばれ、城外への往来には城門が設置されていました。城門を撮影した貴重な映像がYouTubeにあります。こちらをクリックしてご覧ください。約8分強あります。

鉄道線は内城を囲むように敷設され、皇城の正面玄関である正陽門を挟むように東站・西站と2つの正阳门站が建築されました。東駅は京奉線(北京~天津・奉天)、西駅は京漢線(北京~石家口、漢口)の列車が発着していました。中国鉄道博物館正陽門館は、正阳门東站でした。

現在、環城線と東便門站~正阳门站~京漢線の城壁内線路は撤去され痕跡もありませんが、正阳门東站、路面電車、当時の市民生活を撮影した1930年の貴重な映像がYouTubeにあります。こちらをクリックしてご覧ください。約8分強あります。
▲ 青線が路面電車です。現在観光用として一部の区間を復元され走行しています。

文化的に貴重な人類の歴史的遺産である城壁、城門でしたが、中華人民共和国が建国された1950年代に始まった大躍進時代に次々に破壊撤去されていきましたが、なぜに誰が推し進めていったのか、中国の歴史では触れられていません。しかし、これだけの重大事を決定できるのは、一人しかいないのを人民も良く知っています。現存するのは、正陽門、天安門等わずかです。
城壁跡には、環状線道路(2環)と地下鉄2号線が建設されました。

中国鉄道博物館正阳门馆 展示内容】



▲ 3ツ折のパンフレット
館内は①1876~1911年、最初の鉄道建設、②1911-~1949年、紆余曲折の歩み、③1949~1978年、進む鉄路延伸、④1978~2002年、著しい発展の鉄路、⑤2002年~ 技術開発の鉄路 と、5ブロックに分けられて、清朝末期から今日に至るまでの発展の過程が展示されています。

詳しくは、中国鉄道博物館の公式HP;http://www.china-rail.org/

中国鉄路の開業は、1871年に開業した日本に5年遅れることの1876年に呉淞鉄道(上海〜呉淞間14.5キロ)が最初でしたが、無許可であったため撤去されました。これにつきましては、上海鉄路博物館訪問記をご覧ください。リンク先はこちらです。
正式開業は1881年の唐胥鉄道(唐山〜胥各庄間9.2キロ)となります。

唐胥鉄道路線図と使用された中国製第1号蒸気機関車。当初の営業用はラバ牽引でしたので、工事用に使用されたと思われます。レールは15kg、軌道は1435mmでした。

▲ 1年後の1882年には英国製が輸入されて、初めて蒸気機関車が営業用としての運用されました。1887年には芦台までが開業し営業45キロとなり、以後は諸外国主導のもとに延伸が続けられて行きました。

上海の鉄道博物館では、上海を中心とした歴史が展示されていましたが、ここ北京では全国レベルでの鉄路発展の歴史を写真やパネルで見ることが出来ます。一方、空港近くにある中国鐡道博物館ではかつて活躍した機関車、車両が50台以上も実車展示されています。北京に来られましたら是非にご覧ください。


【14723】再び近鉄、でも木造車 モ1型

この電車に乗ったような気がします。叔父が生駒に住んでいてよく遊びに行ったときです。たぶん鋼製化されてからでしょうが・・

ところで今夜澤村君のお通夜に行ってきました。多くの会員にお線香をあげてもらい、写真の顔がすこし煙って見えました。焼香台の横に彼が最後まで作り続けたD50(この掲示板に製作記がでていました)の完成品とEF58が並んでいます。明日葬儀に行かれた方は必ず見てあげてください。奥様と息子さんたちが選んでくれたそうです。


【14715】訃報  澤村達也氏(’67年度生)、ご逝去

当会会員の澤村達也(’67年度)さんが、8月23日01時17分にご逝去されました。
ここ数年来、ご病気のためにご療養を続けられておられましたが、 残念ながら完治かなわず帰らぬ人となられました。

故人は、根っからの鉄道マニアで鉄道模型の達人であり、製作を享受された会員の方も多いと思います。実車も設計され、ご生涯にわたって鉄道発展に尽くされました。会員皆様方には、ご乗車の度に思い出されることと思います。
このホームページ「デジタル青信号」立ち上げでのメンバーでもありました。

つつしんで、故人のご冥福をお祈り申し上げます

【お通夜・告別式】
・お通夜 8月25日(木) 18時~19時

・告別式 8月26日(金) 13時~14時
・喪主 澤村 雅代(まさよ)様(奥様)。 香典はご辞退、供花は受けられます。
・会場 京都市下京区堀川八条下る 西側
「公益社 南ブライトホール」  TEL:075-662-0042

京都駅八条口より徒歩約5分。開式60分前と30分前に八条口発の送迎バス有。


【14195】2011年春から夏への中国鉄路の旅 Part16  阜新から北京へ 2106次乗車

Part15を投稿してから1ヶ月あまり経過してしまった。中国版新幹線の追突事故発生があって控えていたわけではなく、次の旅の準備に追われ、また大の野球好きですので連日好戦の続く高校野球に見入って、単にサボっていました。申し訳ありません。続編を掲載させていただきます。
前回の紀行分Part15はこちらです。

第11日目 5月28日 阜新19:00(2106次)→10:17北京北

阜新の海州露天鉱国家鉱山公園の撮影を終えTaxiに乗って、17:45に阜新站に着きました。
1929キロ先の上海往復の所要時間約25時間を筆頭に上下20本が発着する阜新站の待合室は、1階のみで他の中国鉄路站同様に天井が高く十分な広さがあります。

▲ 改札までの間、お話していた先頭で並ぶ可愛い3人姉妹、親戚の家に遊びに行くといっていました。発車35分前に改札が開始されましたが、春節時期と違って走る人もなくゆっくりの乗車光景でした。

▲ 阜新から北京北までの乗車するのは、DF4Dが牽引する2106次。走行線区が変ると列車番号も2107/2102と変ります。通常は12両編成のようですが、この時期は乗客が少ないようで硬座寝台1両と硬座車1両の連結はなく、10両編成ですが、2号車は列車乗務員用ですので、乗客利用は8両となります。



東風DF4D型 電気式ディーゼル機関車】
1998年から
客車用は最高速度145km/hで580両、貨物用は最高速度100km/hで206両が製造されました。全長21,100mm、車軸配置Co+Co、動輪径1,050mm、重量138㌧、軸重23㌧、最小通過半径145m、エンジンは英国リカルド社からの技術協力を受けた出力4000HP、モーター出力2425kwが搭載されています。

東風DF4D型には、この他に多くの改良型が存在します。
1999年には、エンジン出力4400HP、モーター出力2980kwにアップした最高速度170km/hの準高速DF4DK型が登場し333両が製造されています。車番は3001~3333で塗装が日本の旧国鉄特急色同様のヒゲ付きとなり、現地ファンでは「花老虎」と呼ばれています。同年には、貨物用として最高速度80km/hながらモーター出力3180kwにアップし牽引力重視のSF4DD型(4000番台混在)が226両製造されました。こちらは
ダークブルーのツートンカラーに塗装されています。その他にも試作車等の54両が製造され、総製造数は1399両と無電化区間の主力になっています

2106/7/2次は、阜新→北京北間の772キロを15時間9分、表定速度約52km/hでゆっくりと走行します。
19:10、
変らぬ車窓には飽きて、楽しみの食堂車に出かけましたが、利用客は皆無です。客がいないので、調理人もヤル気を失せたのか注文できるのはわずかでした。

夕食後は疲れも溜まっていたのか快適な軟座寝台で爆睡 翌朝は夜明けの5時には目覚めました。

▲ 列車は、ゆっくりと
錦承線の山間を走行して北京へと向かっていきます。
▲ 通過する途中ローカル駅の駅舎は様々の様式です。

▲ 6:45、食堂車から朝食の車内販売がやってきました。メニューは、お粥定食の1種類のみ。
コンパーメントで同室だったおばあさんは、しばらく会っていない娘さん夫婦に会うのが楽しみだと言われて、北京に近づくにつれて顔をほころばせておられました。

▲ 10:17、定刻に北京北站に到着、おばあさんは、車内まで迎えにこられた娘さんに寄り添って出口に向かわれました。


北京北站には、北京市の2級保護文物に指定されている旧京張鉄道時代(北京~張家口)の旧西直門駅舎、ホーム屋根と跨線橋が保存されています。

旧京張鉄道には今も残る万里の長城の最寄站の八達陵スイッチバックがあります。アメリカから輸入されたマレー機も活躍しました。

今日の泊まりは中国での故郷、天津です。北京南站に向かう途中で今まで行っても閉館だった中国鉄道博物館正阳門館に立ち寄ることにしました。