【17667】奈良電デハボ1200登場!

懐かしの奈良電!

思い出せば紀元節が復活した年に柏原神宮まで乗ったのが最初でした。奈良電はよく乗りましたが、久津川にいた友人の家を訪ねるためで、特急に乗ることは無く、奈良電らしからぬ明るい社内とクロスシートにかかった白いカバーに感激したものでした。

もっともこれは近鉄になってからで、この絵にある奈良電色ではありませんでした。近鉄特急の色でありながら車体幅やキハ20のような窓に旧型車の匂いがして特急料金を取られるのが不服ではありました。

 


【17659】とほほ! 寝台特急日本海 運休

2月中旬からの長期の中国鉄路の旅準備のために体力温存に努めておりましたが、そろそろ我慢できなくなり、それではと厳寒撮影の予行演習も兼ねて、3月時刻改正でなくなる寝台特急日本海急行きたぐにの乗車をやっておこうと思いたちました。

同行者を探したところ伏見の山の手住宅街に住むDRFC-OBのT君から、是非共との快諾を得ました。私には珍しく2度の打合せを行い、津軽鉄道ストーブ列車と、T君が愛した五能線を乗車して、沿線の有名な不老ふ死温泉に連泊をして、撮影後きたぐにで帰るとのプランが出来上がりました。宿泊・レンタカー手配、切符の購入等々を済まして、本日自宅を出発しました。

T君とは、高槻駅で新快速で落ち合い、大阪駅到着後は阪神百貨店で美味しそうな弁当を物色して、少し早いが入線光景でも撮ろうと改札口を入りますと、電光掲示板に発車番線表示がありません。 改札口の可愛いお嬢さんに聞きに行きますと、「申し訳ありません。秋田付近の豪雪で今日は運休になりました。ここで払い戻しをさせていただきます。」との思いもかけない返答です。
崩れ落ちました。

どうして良いのか分かりません。買った弁当を持って、ホームにベンチのある11番線でビールを飲みながらの夕食を食しました。
食後、ホテルと弁当のキャンセルをして、取り合えず入線して来たサンダーバードに乗りました。車中で、カレチに聞きますと、「このまま終着駅の魚津までご乗車していただいても結構です。しかし、そこから先は私には分かりませんので、京都駅で下車して聞いていただいたほうが良いかと思います。」と、申されます。

実は、約40数年前に同じような経験をしていました。その時の原因は覚えていませんが、日本海圣由の急行寝台で青森、そして北海道までの切符を持っていましたが乗れなくなりました。駅員と相談すると、追加料金なしでのその切符だけで、新幹線に乗せてもらって東京まで行き、上野から急行寝台で青森まで乗車しました。寝台は空いている席にカレチが案内してくださりました。そして、当初予定の青函連絡船に乗船できました。しかし今は、別会社の路線です。こんな融通が利くわけありません。

私はどうせ暇なので、カレチの言葉を聞いて、このまま乗車していっても面白いかなと色気が出てきましたが、T君は今回は仕方がない、縁がなかったと諦めましょうと申します。二人で計画した旅ですので、一人で行っても楽しくありません。京都でおりました。
長岡京駅で、大阪までの切符代を含めて全額の払い戻しを受けましたが、数日間、五能線、津軽鉄道のダイヤグラムを作成したり、撮影地の選定等々の苦労は消えました。皆様方も、さよなら乗車を目指されると思いますがこの時期には、こういったことが発生しますので、くれぐれもお気を付けて下さい。


【17656】浜大津ターミナル復元(その3)

大津公会堂、江若浜大津駅本屋に続いて 京阪浜大津東駅の背景となる幸福相互銀行と商工中金の2棟が竣工しました。幸福相互銀行は改装されて日本政策金融公庫やクリニックが入ったビルとして現存しています。屋上の広告塔は看板が外されて骨組みだけが当時のまま残っています。一方の商工中金は建て替えられて現存せず、今は大津商中日生ビルという高層ビルになっています。例によって外観の色は判らず、創作です。この2棟が出来たので 次はすぐ隣の京阪大津支社を作れば 浜大津交差点の東南ブロックが一応出来上がることになります。幸福相互も商工中金も単純な箱型なので楽だったのですが、京阪大津支社は瓦屋根のL型の建物なので手間取りそうです。大きい建物ばかりを作ってきたので ちょっと息抜きにかわいい浜大津交番も作ってみました。京阪浜大津駅に隣接していたものです。以前買ったままで出番の無かった赤のLEDを交番のアクセントとして組み込んで点灯するようにしました。建築模型もなかなか楽しいものですヨ。


【17653】アルミカーについてのつぶやき

暫くおとなしくしていた。その間、福島電鉄、連接車やアルミカーと、参入したい話題が続発したが投稿出来なかった。アルミカーについては、澤村君とこんな会話を交わしたことがある。京阪5000系の事だが、「台枠もアルミと言う話を耳にしたが、本当か?」と尋ねた。暫くして「台枠、正面の工作共にアルミニュームです。」との返事を貰った。続けて「でないと座席昇降装置、付加された4扉分の装置類を含め、T車で自重25頓(補機積載車)の数値をクリアすることなど不可能です。正面の形状、庇があるのはアルミ板工作上から考え出されたことで、意匠上の理由だけではないのです。」と教えられた。前代未聞の座席昇降装置付き5扉車の設計について京阪車両部と川重設計部は、アルミニューム構体製作について知恵を絞り切った事であろう。5000系の竣工は197012月だから、DRFC1967年生の澤村君は入社前で、入社後の彼に老人は質問をぶつけたようだ。

ダブルデッカー試作が宮下社長に認められた頃、「次は5000系の更新です。」と言いだした。第1編成が終わったころ「台枠、大丈夫だったか?」と尋ねてみた。「川重の専門屋が後20年は大丈夫と言ってくれましたのでヤレヤレです。」と晴れやかな顔をしていた。この後、6000系をはじめ新造車は全てアルミカーが続くのだから、当事者は気になって当然の事である。玄人の澤村君と素人で野次馬精神旺盛な老人の間で、京阪5000系について2人が特別に話題にした事であった。

車両構造について、どのように、何を基準として分類すればよいのだろうか。鉄道車両の車体構成材進歩の道筋を追ってみると木材、木材と鋼鉄材の混用、鋼鉄材、金属材等の過程を辿っている。鋼鉄は金属材だが、20世紀前半は金属材の中でも独立した存在であったが、20世紀中期から他の金属材と混用されるようになった。その中でアルミニュームが車両の軽量化で注目を浴びるようになり、今日を迎えている。

車両構造上、最も重要視されているのは台枠である。木造建築で言えば土台である。これの良し悪しが出来栄えに、寿命に大きく影響する。さて栃尾鉄道のモハ210号はどんな構造材と仕上げ材でもって製作されたのだろうか。山陽電鉄のアルミカーは、台枠を始め構造材はすべてアルミニュームだと社員さんから聞いたことがある。日本では戦時体制下、ドイツからアルミ合金であるジュラルミンを輸入して軍用航空機に使用しようとしたが、工作技術伴なわず断念したと兄から聞かされたことがある。それが戦後、鋼板代わりに使用され「ジュラ電」登場となったようだ。

栃尾鉄道はどのようなルートでアルミニューム板を入手したのか、それを車体のどの部材として使用したのか、日本最初のアルミ製電車として相応しい条件を備えていたのか、謎の残る話題である。老人は1959年、東北旅行の帰途に栃尾電鉄に立ち寄っているが、長岡-悠久山間往復を夕方しただけで車庫には寄らず仕舞いであった。こんな先進的な車両があるなら長岡でステーションホテルするのであったと、今になって悔いている。こんな事を思い付いた。新潟、富山県は大河による水力発電国である。阿賀野川水域では忌まわしい産業公害の加害者として昭和電工の名が出てくる。同社は戦前期にアルミニューム精錬に成功したようだ。富山では黒部川、庄川の下流域でアルミ精錬、加工業者の名が認められる。アルミ精錬、加工には莫大な電力を必要とするが、新潟では昭和電工が製品販路開発のため県下の企業である栃尾電鉄に、試験使用を委託したとしたら出来すぎる話となるかな? 想像することは当っても外れても楽しい。

さて近鉄名古屋線の6531号の写真を1枚見付け出した。ご要望にお応えできるかどうか……。他の車両も高橋弘さんにプリントしてもらったが、どなたかにプレゼントしたので手許にない。再プリント待ちにさせて下さい。ありがたい事にNEOPAN SSはしっかり残っている。

 

近鉄名古屋線クハ6531号、1958.11.03

近鉄名古屋線クハ6531号、1958.11.03


【17641】連接車4

今回は連接車の多い広島電鉄と筑豊電鉄を採り上げてみた。

広島電鉄には皆さんよくご存知の通り京都市の1900形をはじめ各地の路面電車を元の色のままで走らせる等興味深いものがある。最近はヨーロッパスタイルとでも言おうか長い新型連接車も見られ、私のような何でも屋にはとてもその全容を把握するのは無理である。広島県在住の方や路面電車のご専門の方々のコメントをお待ちしたい。尚、新型と表現したが、最近よく使われるLRTなのか軽快電車なのか今一よくわかっていないのであえて使わなかった。新型路面電車の中にはLRTや軽快電車でないものもあるのであろう。

1977.10.8  宮島線井口付近 2505

1961年~66年に製造され後に3100形に改造された。改造されずに廃車されたものもある。この時は荒手車庫で阪急から譲渡された今津線500形、嵐山線210形を撮影することが主目的であった。後方には併走する山陽本線が見られるが、まだEF58や80系が走っていた。

1977.10.8 荒手車庫 西鉄1203

西鉄福岡市内線から譲渡された頃の姿と思われる。後に広島電鉄3000形となった。

2008.9.8 胡町 3007

元西鉄福岡市内線1101、1201、1301形を改造、3007ACBは元西鉄1305A・1207B・1305B

2008.9.8 八丁堀~胡町 3703

 

2008.9.7 紙屋町西 3803

 

2008.9.7  宮島線阿品東 3904

暑い1日だったがこの電車の時は御日様が隠れた。

 

2008.9.7  原爆ドーム前~紙屋町西 3952

この日はセ・リーグで行ったことがなかった広島市民球場で阪神戦を見るのが目的であった。広島城を見学してぶらぶらと球場のあたりを歩いていたら「1番センター赤星」のアナウンス。この日はナイターでなくデイ・ゲームであった。ホテルに戻ってお色直しすることも出来ず、そのまま重いリュックで球場へ行く。この日も阪神は負けた。確か巨人に13ゲーム差をひっくり返された年と思う。

 

2008.9.8  銀山町 5107 

5連接車で何となくヨーロッパで見かけるスタイルである。顔は西武の30000に似ている様な気がする。

 

筑豊電鉄という名前は最近まで知らなかった。西鉄の子会社で1956年3月に開業しているので最近できた電鉄会社ではない。何しろ鉄道趣味という厄介な病にかかった頃は蒸機第一で、筑豊といえば猫もしゃくしもC55やD50を追っかけ、北九州電化にもあまり目を向けなかった。ましてや筑豊電鉄なぞ存在すら知らなかった。1964年10月の交通公社の時刻表が手元にあるが、それによると黒崎~筑豊直方70円、朝夕通勤時は2~3分毎、日中5~10分毎とある。JR直方からかなり離れた遠賀川の畔に高架の筑豊直方駅があった。大きな川に小さな電車では撮影するにも感が狂ってしまう。来る電車来る電車皆連接車でしかも吊り掛け車と聞く。スタイルはカルダン車なのだが。

2010.11.19  筑豊直方~感田 黒崎駅行き2003

西鉄軌道線1000系列を譲り受けて3両連接車に改造したもの。

 

2010.11.19  筑豊直方~感田 筑豊直方行き3005

2000形を車体更新したもの。乗客が少ないのか広電の長編成化とは反対に短編成化されている。

 

 


【17630】浜大津ターミナル復元(その2)

藤本様 江若の貨物列車、貨車の写真ありがとうございます。大津公会堂に続いて、主役である江若浜大津駅本屋が完成しました。藤本様の霧の浜大津駅DD1352写真を再現してみました。第3期工事はナショナル広告塔のあるお土産物屋、パチンコ屋の一角にするか、商工中金・幸福相互銀行にするか、あるいは京阪大津支社にするか思案中です。すべて必要なので要はどの順に手をつけるかだけのことですが・・・。