本年もよろしくお願いします

頑張ろう2012年。甦らそう日本!
本年もよろしくお願い致します。

山陽電鉄2012号他3連。1963年1月3日、須磨浦公園近くにて。

1962年7月1日、プレス公開、電鉄姫路にて。2012+2505+2013。

本邦最初のオールアルミカー。山陽の3扉車モデルの先駆車。性能比較の為同時に、ステンレス車2014+2506+2015を製造し運用、その後のアルミカー採用の先駆車ともなった車両。

2010年以来、山陽電車と共に新年のご挨拶をして来まして早や3年目。しかも、2013、2014、2015と用意が出来ていますので、これからもまだまだ続きます。お楽しみに。

マレー国鉄に少しだけ乗ってきました。

昨年、12月9日から12日まで、会社の職場旅行で、マレーシアのペナン島へ行ってまいりました。

一日、自由行動があり、何をしようか迷っていたところ、対岸のBUTTERWORTHまで渡ると、鉄道があることがわかり、早速、海にも入らず「鉄」してきました。

12月10日、ホテルを出て、午前中は、世界遺産にも登録されているジョージタウンを散策。昼過ぎに、対岸に渡るフェリーターミナルへ移動。ターミナル内で、BUTTERWORTH1400発の11列車SINARAN UTARAの切符を購入。行先は、1445着Nibong Tebaiです。プレミアシート(1等)で14マレーシアリンギット(約366円)です。帰りの切符も予約しようとしましたが、すぐ折り返すような行動が理解されず、どうしても売ってくれませんでした。

フェリーで渡ること、約15分。対岸のバタワースに到着。フェリー乗り場近くの駅に移動しますが、駅前には、SLとDLが展示されています。

駅自体は、プレハブの仮設駅です。

ここバタワースからは、クアラルンプールまで、一日2往復(昼行・夜行)。クアラルンプールを経由して、シンガポール近くのウットランズまで1往復(昼行)。バンコクまで1往復(夜行)の列車が発着しています。ここで、無事帰りのNibong Tebai1516発10列車SINARAN UTARAの切符を購入。BUTTERWORTHは、1615着の予定です。帰りは、スーペリアクラスで11マレーシアリンギット(約286円)です。

乗車するBUTTERWORTH1400発の11列車SINARAN UTARAは、機関車26110+ASC2216+ASC2155+ASC2151+ASC2201+AFC1413+ADNS2616+ADNS2640+ADNS2617+ADNA2604+PCC212の8両編成で、ASCは、スーペリア(二等車)。AFCは、プレミア(1等車)。ADNSは、寝台車(開放型二段寝台でオロネ24のような感じです。PCCは、電源車です。車両番号は、車体に書かれておらず、車体中央の水タンクか空気溜めのようなものに書かれており、ほとんどが韓国HUNDAI製です。一日二往復ですので、夜行でクアラルンプールから来たものが、昼行で、クアラルンプールへ折り返すのだと思います。

運転士に身振り手ぶりで、「ジャパンの鉄」であることを伝え、26110機関車運転室に乗り込むことに成功。

最高速度は、120キロのようです。ただ、この機関車の長さが異様に長く、客車と同じくらいの長さです。線路に下りての撮影も、こころよくOKをもらいました。

そののちに、プレミアシートに移動。革張りのシートで一列と二列の配置で、なかなかのものです。

車中では、パン(フジパン製のアンパンかココナッツパン)とミネラルウォーターの配られました。小一時間の旅で、Nibong Tebaiで到着。途中、長大編成のコンテナ列車と何度かすれ違いました。また、、現在は、非電化ですが、電化工事と路盤改良工事たけなわでした。Nibong Tebaiは、一面の駅でこちらも仮設駅で、駅舎は、プレハブです。隣で高架駅の工事がたけなわです。ただ、一日に往復しかない旅客列車のためにこのような工事が必要なのか?甚だ疑問です。

左に見えるのが、高架化した新しい駅です。

帰りの列車は、クアラルンプールを0845に出た列車ですが、約35分遅れて、NibongI Tebaiに到着しました。帰りは、スーぺリアクラスは、二列・二列で、パンなどの配布もありませんでした。パン代だけでも3マレーシアリンギットは、しますので、絶対プレミアがお得です。その上、このスーペリアには、人の他、赤アリが巣を作っているくらい大量に乗車しており、一緒に行った後輩は、うとうとしているうちにTシャツの中にアリが入り込み、体中に刺されておりました。

ということで、少しだけ、マレー国鉄に乗車してきました。

ペナン島に行く機会がありましたら、是非、お勧めします。

白銀、三道嶺、雅満蘇 失業者二人の旅日記  初冬の大地へ      Part15 総集編 

今回は、O氏と2人の初冬の大地への失業者二人の旅になりました。一人旅は訪れる地での出会いがあったりでそれなりに楽しいのですが、道連れがあるのは話も弾み楽しく旅をすごせます。特に老人となった今は、ボケることが多くなり注意力が散漫になりますので、何よりも安心感がありました。

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失業者二人の旅日記 初冬の大地へ Part14 帰路

第14・15日目 12月13・14日

① (T76次) →9:16 鄭州 19:43(K284次)→翌6:55上海(18分早点)
②  14日 上海浦東13:10(JL894)→16:15関空
③ 14日 関空(JR)→新大阪→長岡京

▲ 兰州始発の北京西行きのT95次に乗車して郑州で下りました。切符をご覧のように快適な高級軟座寝台(二人1室)です。当日でも空席のある切符ですので、站の切符売場に並んで購入予定でしたが、時間がもったいないとトウさん圣由で依頼しました。手数料は50元と朋友料金で、良心的に対応してくださりました。
O氏は、いつもは時間優先でのんびりと長距離夜行寝台列車には乗っておられなかったので、高級軟臥は初めての経験だそうです。軟臥4人分のスペースを二人で使用しますので、料金も2倍(軟臥下鋪で740元=約9,250円)しますが、トイレ洗面所がついていますので非常に快適です。兰州局の看板列車だけあって、列車乗務員も若くて美女揃いです。兰州から郑州までは、1,187キロ、14時間9分の快適な乗り鉄旅でした。

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失業者二人の旅日記 初冬の大地へ Part13 白銀 その4

第13日目 12月12日  白銀4日目

① 白銀 15:30(チャーター車)→蘭州
② 蘭州1 9:07(T76次) →翌 9:16 鄭州

今日は、
359次撮影後に兰州に向かい夜行列車に乗車して翌日郑州下車、鄭州鉄道日記さんとお会いしてからO氏は北京へ、私は彼と一緒に上海へと向かいます。ご一緒に帰国したいのですが、JAL北京線は関空への直行便はありません。東京圣由だと、午後便では翌日のトランジットとなりますので、上海からの直行便としました。


▲ 今日は土日運休だった三冶錬往復の客車列車が走りますので、両方撮ることにしましたが、7:53三治錬行きの355次は暗くて、ISO3200でも開放で、シャッタースピードは80分の1しか切れません。初めて前照灯を点けて来ました。
357次は、場所を三冶錬よりに変えましたが、こちらも 8:19と日の出前の薄明るい状態で、ISO400の開放で160分の1です。

折り返しも撮った後、貨物は入るのか、SY牽引ではないかと情報収集のために踏切番小屋に行きますと、今日はDL牽引で今ヤードで待機中との連絡が入りました。私はDLでも一応撮っておきたいと近くの丘に向かうことにしましたが、O氏は蒸気以外に興味がないと動かれません。
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失業者二人の旅日記 初冬の大地へ Part12 白銀 その3

第12日目 12月11日 白銀3日目


8:22、朝日が顔を見せる頃に来る1470号機牽引の357次をお立ち台で、9:14の折り返しをDongchanggou站で撮りました。
山間に陽があたるようになりましたので、時間は分からないがいつもは、DL貨物列車が上ってくる事があるので、暇ついでに11時までは待って撮ろうかと、O氏と意見が一致しました。
11時近くになり、そろそろ引き上げようかと話をしていると、踏切番小屋に行っていたトウさんが来られて、昨日DLが故障したので蒸気機関車が来るようですと、思いもかけぬ知らせを持ってきてくださりました。

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失業者二人の旅日記 初冬の大地へ Part11 白銀 その2

第11日目 12月10日  白銀2日目

今日も夜明け前に目覚めて、いつものように朝食を仕入れて出発しました。7:50白銀新站を出る357次を撮影するには、日の出の関係上、昨日行った深部銅鉱手前の丘に登らなければなりません。


8:19、朝焼けの中、白煙を吹き上げながら1470号機牽引の357次がやって来ました。白銀のハイライトです。撮り終わった後も余韻に痺れました。 続きを読む

失業者二人の旅日記  初冬の大地へ      Part10 白銀 その1

第10日目 12月9日

哈密21:04(T296次)→12:10蘭州(20分晩点)
② 蘭州12:21(チャーター車)→13:46白銀

兰州站からはトウさんがチャーターした車に乗って、高速道路を白銀に向かいました。約100キロの道のりです。中国鉄路も通ってはいますが、本線上の白銀西站は、約7キロ離れた街外れにあり、上下各7本だけが停車しています。市内には支線の白銀市站がありますが、朝に上り1本、下りは夕方に1本しか旅客列車は走っていません。所要時間も約3時間と、利用できません。


▲ 兰州は中国全土に知れた牛肉麺発祥の地で、前回に準特急先輩と美味しい麺をいただきました。左のこってりした新疆拌麺とは違って、コクがあるのに透き通ったスープは、日本人好みでもあります。麺の種類は選べますので、平麺を注文しました。トッピングは、焼き豚ならぬ焼き牛肉です

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謹賀新年/竜ヶ崎線



年の初めは辰(=竜)年に因んで、昨年開業111周年を迎えた関東鉄道竜ヶ崎線の近況等をお伝えしたい。
竜ヶ崎線は常磐線佐貫駅と竜ヶ崎市の中心部を結ぶ僅か4.5㎞の路線で、ほぼ中間地点に入地駅(棒線のため交換不能)がある。全線の所要時間は7分で朝夕のラッシュ時間帯は約20分、それ以外は約30分間隔で運行されている。一列車の往復運行のため、20分間隔の時は両端駅での折返し時間が3分しかなく極めて慌ただしい。
配置車両はキハ532、2001、2002の3両で、ラッシュ時2連、それ以外の時間帯は単行でワンマン運転を実施している。
龍ヶ崎市内に大規模団地や大学が出来たため人口は増加しているが、竜ヶ崎駅から離れているため乗客の増加には繋がっていない。竜ヶ崎~取手間にはバスが運行されており、常磐線の本数が少なかった時代は、バスで取手に出て本数が多く確実に座れる国電に乗り換える人が多かった。常磐線交流区間の運転本数が増加して佐貫駅に停車する電車が増えると竜ヶ崎線の乗客も増加し、バスは1~2時間に1本程度にまで減少している。

歴史は古く明治33年8月14日に762㎜の龍崎鉄道として開業し、大正4年7月に1067㎜に改軌、戦時中の昭和19年5月13日鹿島参宮鉄道に移譲、昭和40年7月1日鹿島参宮鉄道と常総筑波鉄道が合併して関東鉄道となり同社竜ヶ崎線となった。
昭和46年8月1日よりワンマン運転を開始したが、普通鉄道としては日本初と言われている。

竜ヶ崎駅の看板 
(H23-11-23)


竜ヶ崎駅(H23-11-23)

〔現有車両〕
キハ532(キハ532形)
旧国鉄キハ20の台車、機関、主要機器を流用して昭和56年新潟鐵工所製で新製した。キハ2000形が登場するまでは主力として活躍した。現在は予備車的な存在となったが原則として第1、第3土曜日と第2、第4日曜日の9時~14時頃まで定期運用に入っている。キハ2001と2002のいずれかが検査に入ると朝夕ラッシュ時にキハ2000形と2連で走る。

竜ヶ崎駅進入
(H9-5-5)

竜ヶ崎駅進入/2両目はキハ2002 
(H23-11-23)

キハ532+キハ2002/竜ヶ崎~入地 
(H23-11-23)

キハ532+キハ2002/佐貫~入地 
(H23-11-23)
竜ヶ崎に向かって左側/後ろのキハ2002には乗務員室扉が無い。

車内は新京成の800形と似ている。蛍光灯は30
Wの短いものが間隔を空けて設置されている。

 キハ2001、2002(形式キハ2000形)
平成9年新潟鐵工所製の新製車である。竜ヶ崎線はホームが竜ヶ崎に向かってすべて右側のため、竜ヶ崎寄りの運転台が右側にあり、左側には常務員用扉がない。朝夕2連、昼間単行で主力として活躍しているが、前述のようにいずれかが検査に入るとキハ532との混色編成が登場する。

キハ2001/竜ヶ崎 
(H23-11-23)

 
キハ2002+キハ532/竜ヶ崎~入地 
(H23-11-23)


〔過去の車両〕
自分で撮影した車両のみ紹介する。
4号機関車
大正14年川崎造船所製のC形機関車で、現在は龍ヶ崎市歴史民俗資料館に保存、展示されている。

竜ヶ崎 
(S50-1-3)

DC201
常総筑波鉄道時代に昭和28年新三菱重工三原製作所製のL形機である。常総線で貨物列車を牽引していたが、昭和43年竜ヶ崎線に転属した。47年貨物列車廃止後は保線工事列車に使用されていたが49年に廃車となった。

佐貫 
(S45-3-15)

キハ305
昭和10年日本車輌で常総鉄道キホハ61として新製、窓が小さく幕板の広いスタイルはお世辞にもスマートとは言えない。昭和30年に筑波線に転属、31年にキハ305に改番、昭和40年に竜ヶ崎線に転属した。
湯口先輩の「内燃動車発達史/上巻」のP72に新製時の写真が掲載されているのでご覧頂きたい。



竜ヶ崎 
(S41-3-12)

キハ40202
昭和6年日本車輌製で、牟岐線の中田~羽ノ浦間の前身阿南鉄道キハ201として新製、昭和11年7月1日鉄道省に買収されてキハ40510に、更に改番でキハ40307となった。昭和23年鹿島参宮鉄道に売却されてホハフ402となり鉾田線で使用、昭和27年気動車に復活して竜ヶ崎線に転属した。
「内燃動車発達史/上巻」のP279に湯口先輩が昭和30年に竜ヶ崎駅で撮影された写真が掲載されているのでご覧頂きたい。


竜ヶ崎 (S45-3-15)

キハ41302
昭和9年川崎車輌で鉄道省キハ41070として新製、昭和27年エンジンを日野DA55に換装してキハ41599に、昭和30年DMF13に換装してキハ41355に、昭和32年4月の称号改正でキハ0436となった。昭和35年4月25日付け武蔵五日市支区で廃車になり、同年12月に鹿島参宮鉄道が譲受け、竜ヶ崎線に配置された。
昭和46年8月のワンマン化の際も改造され昭和57年1月まで在籍した。

竜ヶ崎 
(S41-3-12)

竜ヶ崎駅進入 
(S41-3-12)

竜ヶ崎 
(S50-1-3)

キサハ41801
昭和8年日本車輌製で鉄道省キハ41070として新製、昭和27年エンジンを日野DA55に換装してキハ41502に、昭和29年DMF13に換装してキハ41322に、昭和32年4月の称号改正でキハ0423となった。昭和37年3月31日付勝浦機関区で廃車になり、昭和39年に鹿島参宮鉄道が譲受け、エンジンを撤去の上竜ヶ崎線に配置された。昭和45年に常総線に、その後筑波線に転属して昭和54年3月に廃車になった。

竜ヶ崎 
(S41-3-12)/塗装は黄色一色であった。

筑波線転属後/真鍋
(S49-8-26)

キハ521、キハ522
元江若鉄道キハ18→キハ5121→キハ521、キハ19→キハ5122→キハ522の車体乗せ替え後。車歴等は11月25日付【16203】「今でも気になる江若鉄道」をご覧いただきたい。

キハ521/竜ヶ崎 
(S63-5-18)

キハ522/竜ヶ崎 
(S63-5-18)

キハ522/竜ヶ崎 
(H9-5-5)
この時は前面に貫通幌が付いており3連運用があったのかも知れない。

キハ531
元江若鉄道キニ6→キハ5123→キハ531の車体乗せ替え後。

竜ヶ崎 
(S63-5-18)

キハ531の銘板

車体乗せ替え後も「昭和6年川崎車輌」の銘板が残っていた。

〔「竜ヶ崎」と「龍ヶ崎」〕
「竜」と「龍」の使い分けを考察すると極めて曖昧であることが判る。市名は「龍ヶ崎市」で「龍」を使用しており、市立の小学校は「龍ヶ崎小学校」と「龍」を使用しているが、県立高校は「竜ヶ崎第一高校」と「竜」を使用している。私立の幼稚園、保育園は「龍」と「竜」が入り乱れている。警察は「竜ヶ崎警察署」JAは「JA竜ヶ崎市」、都市再生機構(元日本住宅公団)は「竜ヶ崎ニュータウン」で、その中に「龍ケ岡」と「北竜台」と2つの地域があり、「龍」と「竜」が入り乱れている。

更に最も不可解なのが竜ケ崎駅の看板で、「崎」をよく見ると「﨑」を使用している。古い切符を見ると「龍ヶ崎」となっており、いつのまにか「龍」の字が複雑なため簡単な「竜」にしたというのが真相ではないだろうか。駅の看板の「﨑」を不思議に思う人はいないのだろうか。

〔竜ヶ崎ニュータウンのバス〕
竜ケ崎ニュータウン行のバスは佐貫駅から出ており、「竜」のイラストのバスが使用されている。但し専用車ではないため標準色のバスが使用されたり、「竜」のバスが他の路線に使用されることもある。
元々関東鉄道と茨城観光自動車の共同運行であったが、茨城観光自動車が平成13年6月に廃業したため関東鉄道の単独運行になった。関東鉄道は「いすゞ」茨城観光は「日野」を使用していたが塗装は共通で、茨城観光廃業後は関東鉄道が車両を引き取った。

土浦22か1711/関東鉄道赤竜/7
式U-LV324K(
H8-1-15) 佐貫

土浦22か1710/関東鉄道青竜/7年式U-LV324K
(H8-1 -15) 佐貫

土浦22か1715/茨城観光自動車赤竜
/7年式U-HT2MMAA(H9-5-5)正直車庫

土浦22か1714/茨城観光自動車青竜
/7年式U-HT2MMAA(H8-1-15) 佐貫

失業者二人の旅日記  初冬の大地へ Part9 雅満蘇(牙曼苏;Yamansu)その3

皆様、明けましておめでとうございます。今年も長文の紀行記を投稿し、お読み疲れ等のご迷惑をおかけいたしておりますが、出来るだけの簡略化を目指しますので、なにとぞご勘弁を賜りたくよろしくお願い申しあげます。

第8日目 12月7日  雅満蘇2日目

もし朝に運行があるのではと7時前には起きました。隣の部屋におられるアイグリさんに昨夜の情報をお聞きしましたが、運行は決まらなかったとの残念な返事です。蒸気機関車の様子を見に行かれたO氏からも止まったままだと確認されました。

それではと、夜間撮影でもするかと三脚を持って、まだ真っ暗闇を出かけました。

夜が明けてからアイグリさんが、事務所に行かれていろいろと聞いていただきましたが、検査員の偉いさんが引き上げるまで運行はないだろうとの返事です。そして、 蒸気機関車の運転手が親しい同じウィグル人です。今日彼は、交代でハミに帰っていくので、その前に単機であれば、フョトランができるように頼んでみますが、がどうでしょうかとの提案がありました。O氏と相談しましたが、もう1日あるので、明日に期待しようとお返事しました。
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