【29411】微笑みの国、タイ王国鉄道の旅 Part12 ART(エアポート・レール・リンク)、BTS(スカイトレイン)とSRT(タイ国鉄)の撮影) 帰国

第11、12日目 12月12日、13日
① 18:33(APL)→バンコク空港00:40(JL728)→翌日07;50関空

② 関空(南海)→難波(地下鉄)→梅田/大阪→長岡京

今日は、タイ滞在最終日です。Y崎さんは14:50のフライトで成田へ、私は翌日になりますが、00:40のフライトで関空へと別れての帰国となります。
早朝に起床、まだY崎さんはお休みでしたので一人で、ホテル下のSRT線路上へと朝食前の散歩撮影に出かけてみました。
01_バタヤイ07_満員の372列車▲ 8:02、通勤用客車4両を中に挟んだ9両編成の満員の通勤列車がやってきました。牽引機は、1980製Alsthom製の4223号機です。121.78キロ離れた中部にあるプラーチーンブリー(Prachin Buri)からの372列車です。定刻より約10分遅れの運行でした。

03_支度

▲ 線路脇では、明るい顔をしたお兄さんが、売りに行く食材の支度を始めておられました。まずはお米の炊き出しです。
11_卵売りのおばあさん▲ こちらはリヤカーで卵を売りに行くおばあさん。左側のピンク色の卵は、タイ名物のカイ・イアウ・マー(ピータン)です。直訳すると「馬のおしっこ卵」という意味で、美味しそうな名前ではありませんが、殻を剥いてから、お粥やサラダに入れたり、勿論単品でも食べられていて、大変美味しいと私的には思います。
原産地は中国で、タイではなぜか見た目が良いピンク色になりました。アヒルの卵を強いアルカリ性の条件で熟成させてつくります。その際にピンク色に着色していますが、中身は普通のピータンです。
08_元気そうなお母さん08_元気そうな親子▲ バッチリと決めて、元気に出かけるヤンママのお母さん。
それに引き替えて、元気をお母さんに取られたのか、うつむき加減で歩くまだ朝ボケの子供さん、今日は学校に行くのがイヤなのかな。

04_保線車両

▲ 8:17、一般列車が走らない片側線を、笛を鳴らしながら保線用のモーターカーがやってきました。一応この路線は複線化されているのですが、なぜか単線のみの使用になっています。遅延助長の要因の一つになっているのでは・・・。
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【29434】緊急メンテナンスのお知らせ

クローバー会 各位

ただ今、デジタル青信号は投稿プログラムに支障を生じたためにメンテナンス作業中です。
作業完了するまで、新規投稿をSTOPしてください。
完了して確認でき次第に、また通知を入れさせていただきます。
よろしくお願い申し上げます。

1/30 20:20追記

先ほどサーバー管理元より連絡があり、ひとまず投稿プログラム関連の問題とデータ消失から復旧いたしました。今現在動作確認中ですので、完全復旧まで今しばらくお待ちください。

1/30 22:40追記

サーバー管理元によると、掲示板の記事は30日17時45頃のバックアップから復元されたとのこと。17時45分以降に投稿された記事・コメントは反映されていませんが、その他は問題ありません。引き続き記事の新規投稿やコメント投稿をお楽しみください。


【29294】微笑みの国、タイ王国鉄道の旅 Part11 ART(エアポート・レール・リンク)と、SRT(タイ国鉄)の撮影

第10日目 12月11日
① ラーチャプラロップ11:50(ARL)→13:04バンタップチャーン

② バンタップチャーン13:28(SRT)→ヨムマラート
③ ファランボーン駅近く17:05(トゥクトゥク)→ホテル
④ ホテル(BTS)→CalyPso(トゥクトゥク)→ホテル

38_鳥37_鳥▲ Y崎さんと撮影に励んでいますと、線路脇からお兄さんが綺麗な白い鳥を手に止まらせて我々の方に来られました。手乗り文鳥やインコ等はよく聞きますが、これほどの大きさの鳥を見るのは初めてでした。いったい何という鳥なのでしょうか?
お兄さんは、犬のように後ろを付いていく様子も紹介してくださいました。手乗り鳥マニアには、応えきれないでしょうね。

00_▲ 駅というより停車場で、下校帰りの列車を待っていた女学生のお嬢さんたち。カメラを向けると、元気な笑顔のピースサインで答えてくれました。
00-0▲ こちらの女学生のお嬢さんは、列車のデッキからの微笑みをいただきました。純粋な笑顔がとっても素敵に感じました。
タイ鉄道の旅では、お会いした皆さんからたくさんの微笑みをいただきました。おかげでとても楽しい毎日をおくれました。微笑みに会える事が一番幸せをも感じられる時だと分かりました。ありがとうございました。

高層ホテルのスイートルームで快適な朝を迎えました。今日の予定は、ARLを撮りたいとのY崎さんの希望と、バンコク市内を走るタイ国鉄線(SRT)を撮りたい私の希望も入れて、両方を回ることにしました。出発は、ARL乗車券が安くなる11時と決まりました。さすが、JTBで海外経験豊富なY崎さん、バンコク情報は精通されておられ、細かい所にも抜かりはありません。頼もしい限りです。それまでは、ゆっくりと部屋からの撮影にしました。
01_朝の国鉄とARL線▲ 7:32、部屋のの窓からは、バンコク市内が一望できます。眼下のSRT線ARL線では、丁度両方の列車のツーショットが見られました。SRTの列車は、5両編成の通勤列車、ARLは、空港直行の4両編成です。
02_ARL各駅電車▲ 7:52、ARLの各駅停車3両編成がきました。何とHISのラッピング電車です。直ぐに「広告料金はいくらかなあ?」と、思いました。と、いいますのも私の現職時代は、鉄道広告を扱う会社に勤めていました。ラッピング製作にかかる費用は莫大で、年間広告料金を含めると日本では、数千万も必要です。日本と比べると、タイでは安いでしょうが、広告出稿については即効果を狙うHISが、イメージ的な広告をするとは意外に思えました。広告対象は、日本から来る観光客はすでに予定を決めていますので、タイで暮らす人々です。現地での営業意欲は相当に強いのでしょうね。
04_ARL▲ 10:00、ようやく高層ビルの影がなくなり遠方も見渡せるようになりました。小さくてお分かりにくいでしょうが、これもラッピング電車です。ARLは、今後この先のチャオプラヤー川を超えて延伸されるそうです。
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【29349】京都市 梅小路公園整備について

本日、町内会長から配布された市民しんぶんの記事です。

蓄電池による給電とは笑止千万。ポール集電であった「N電」の歴史的産業価値を失わせること必定。
他、コメントは差し控えますが、心中穏やかではあろう筈はありません。Kyoto_Shiminnshinnbunn_25_02_01

裏面の写りが甚だしいです。お許し下さい。


【29053】近鉄と合併前後の内部・八王子線

モニ214 40-5-25 内部進入
         内部駅に進入するモ二214他3連

   12月30日【27966】で、どですかでんさんより近鉄内部・八王子線の近況報告があった。年間3億円弱の赤字、車両の代替時期にきているが762㎜の特殊な車両故に多額の資金が必要等の理由から、BRT(バス高速輸送システム)への転換を地元に提案している。一方利用者数は年間360万人1日当り1万人と少ない数字ではない。ちなみに三岐鉄道に移管された北勢線は約1万3千~1万5千人で、1㎞あたりの輸送人員は内部・八王子線の方が多い。にも拘わらず収支が悪いのは、乗客の約半数が割引率の高い通学定期客であることが原因の一つと考えられる。(内部・八王子線の乗客割合は通学定期47%、通勤定期31%、定期外22%、近鉄全体では通学定期22%、通勤定期39%、定期外31%)

地元では、最も影響を受ける沿線の高校が反対しているが、近鉄はBRTに転換することにより、運営費用の半減、車両の冷房化(電車は非冷房)、停留所の増加による利便性の向上、運行本数の増加、バリアフリー化が可能となる等優位性を挙げ、心配されている通学時間帯の輸送力に対しては、連接バスで対応するとしている。現在の3両編成の電車と連接バスを比較すると、電車の方が多少有利であるがバスの増発により解決は可能である。所要時間は現在の並行路線バスは道路混雑のため電車の倍かかっているが、専用道路を走行するため、多少伸びる程度としている。

BRTに転換後の事業主体が近鉄直営になるのか、三重交通になるのか、また運賃は現在の水準が維持されるのか(並行する三重交通バスは電車より高い)、不透明な点が多いが、仮に事業主体は近鉄のままで、運賃は名古屋線、湯の山線の乗り継ぎを含めて現行と同額となれば、あえて反対する理由がなくなり、廃止されてしまう可能性が高い。あくまで鉄道の存続にこだわるならば、四日市市が近鉄から施設を買い取り、民間に委託する「公設民託」になると思われるが、そこまでの熱意は感じられない。また、762mmゲージを逆手に取り、下津井で眠っている「メリーベル号」を譲り受けて観光路線化することも考えられなくはないが、沿線に目玉となる観光施設がなく実現には困難な状況である。
近鉄は四日市市に対し8月までに回答を求めており、今後の市の対応に注目したい。

内部・八王子線は、三重電鉄時代の昭和39年12月20日、近鉄と合併後の40年5月25日、43年4月29日と3回訪れており以降は行っていない。尚、三重電鉄と近鉄の合併は40年4月1日である。(三重電鉄は39年2月1日三重交通の鉄道部門が分社して設立され、翌年4月1日に近鉄に合併されたので1年2カ月しか存在しなかった)
39年と40年は京阪沿線の高校時代で、京都からは決して交通の便の良くない四日市までわざわざ行ったのは余程物好きであったのだろう。当時の状況を写真で振り返ってみた。

近鉄との合併時に引継がれた車両は下記の通りである。(合併後の形式、車号で表示)
モニ210形4両(モニ211~214)、モニ220形2両(モニ228・229)、モ230形1両(モ231)、モ240形1両(モ241)、サニ110形3両(サニ111~113)、サ120形1両(サ121)、サ150形5両(サ158~162)、サ130形2両(サ131・132)の以上M車8両、T車11両である。

モニ210形(モニ221~224)
前身の四日市鉄道時代に昭和3年田中車輌でデ50形(デ51~54)として新製。昭和19年2月11日、神都交通を母体に三重県下の交通企業戦時統合で三重交通となった時の改番でモニ211形となり、近鉄との合併でモニ210形となった。
モニ211 39-12-20 内部
日永を発車したモ二211/最後尾のためパンタが下りている。(39-12-20)

モニ211 43-4-29 内部
内部駅で機回し中/(43-4-29)

モニ211-2 43-4-29 内部
機回し後先頭になったモ二211/(43-4-29)

モニ212-2 39-12-20
内部駅で発車待ちのモ二212/(39-12-20)

モニ213 40-5-25 日永発車
日永駅を発車したモ二213/(40-5-25)

モニ214 43-4-29内部
モニ214/(43-4-29)  内部
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