保存蒸機とその現役時代(3)

東海道本線や京浜東北の電車に乗り東京に向かう時に大森駅の少し手前進行右側にC5766が保存されているのが見える。東京には案外多くの保存蒸機があるが、電車から直接見ることができるのはここと新橋のC11292くらいではなかろうか。場所は大森駅から蒲田より徒歩7分くらいのところにある入新井西児童公園という小さな公園である。66号機は1938年川崎製で門司港、大分、宮崎等九州で活躍した機関車であり、縁のない東京に保存されているのは不思議である。スタイルは標準的で九州の機関車に多い門鉄デフ装備ではない。C5766は思い出のある機関車なので一度撮ってやろうと思いながら結局実現したのは今年(2013年)1月9日のことであった。↓

s-13.1.9入新井西児童公園C5766

その思い出というのは1972年4月末から5月初旬にかけてKAWANAKAさんのスカイラインでロギング太郎さんと3人で九州旅行をした時、最も多く撮影したのがC57であり、中でもこのC5766は接した時間が一番長い機関車であったからである。撮影したのは5月2日でまず国分付近の貨物列車を牽引する66号機を併走して8ミリで撮影した。残念ながらその後湿気でアウトになってしまった。次に霧島神宮駅に休息中の姿をコダックのネガカラーで撮影したがかろうじて色が残っていたのでそれを現役時代の姿とした。それにしても凄い色の煙である。下2枚がそれである。↓

s-72.5.2C5766

s-72.5.2C5766横

霧島越えというのがあるのかどうか知らないが、国分~霧島神宮間をあえぎながら登る上り貨物列車牽引中のC5766[宮崎]↓

s-72.5.2国分C5766

 

 

 

2013年 春の中国鉄路の旅 Part15 北朝鮮国境沿いの鉄路 その9 国境の橋「琿春図們橋」、またも来ました北朝鮮の列車!客車型電動車を見る!

第14日目 5月14日 その2

南陽図們橋を撮った後琿春図們橋へと向かいました。主要国道ですが重量トラックやダンプカーが通っていますので、舗装は剥がれ穴ぼこだらけで雨が降ったのでぬかるむ悪路です。穴ぼこを避けて右左にハンドルを切りながら最徐行で進みます。

車中で崔さんにどうして北朝鮮の列車が来るのが分かったのかと質問をしますと、以前に携帯で撮られた動画を見せてくださいました。「聞いてください。なんか壊れて走っている音でしょう。中国の列車とは音が違っています。だから来るのが分かりました。」と申されます。
確かにガタンゴトンではなくカタンコトン、シャカシャカと不調和音に聞こえる気がします。恐ろしや音で北朝鮮の列車の走行音を聞き分けるガイドさんでした。ご尊敬申し上げます。
10_レールカー4向かう途中で小竹先生はアッと言われて止まるように指示されました。そして車を降りて後方へと行かれます。何かあるのかと思いましたら並行する鉄路に保線工事用のレールカーが見えました。 盛り土の軌道に上がって見ますと、ワゴン車にレールを走行できる車輪を付けた、というよりレール台車にワゴン車を乗っけたような車両です。ワゴン車はTOYOTAのライトエースです。 10_レールカー3 10_レールカー210_レールカー1▲ ウン、中々よくできています。トラック改造は見かけますが、ワゴン車は初めて見ました。

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『雨も撮る』に寄せて-加太、大井川編-

今年の梅雨は空梅雨でしょうか。梅雨入り宣言を聞いた途端、晴れの日が続いています。
総本家青信号編集特派員さんによる、この時期ぴったしの記事『雨も撮る』に刺激を受け、真似しで、加太会などの写真を引っ張り出しました。題名を拝借して寄稿します。

地形の関係からか、曇りや雨の日が多かったのが加太です。快晴の記憶や青空の写真はほとんど残っていません。以下の記事も1966年夏から秋にかけて3回連続で雨の中、『恒例加太会』催行の一部です。

▼1966年5月22日、朝から雨です。それでも早朝の列車を撮るべく、朝食前に村田屋から駅まで片道20分を歩き、撮影しました。時刻は7時44分、722レ、機C57145【亀】。雨に洗われて機関車と客車の埃や汚れが洗い落とされたせいか、そして『カラスの濡れ羽色』か黒色が綺麗に見え、雨の日の特典に預かります。肉眼では木々の緑も鮮やかに感じます。一方、後方の山々は低い雲に隠されてしまいます。 撮影機は二眼レフのリコーフレックスでした。普段でも撮影し難い二眼レフをしかも雨の日に。13001▼その二眼レフで、雨中に722レを見送りました。この列車、草津を6時10分に出発。柘植・亀山・多気経由和歌山着21時34分。延々15時間24分の長距離列車。1966年3月25日の時刻改正から登場しました。わざわざこの列車に乗り込み、車内で撮影した写真を、しかも2枚も第1回のDRFC写真展『鉄路輝く』に出展した御仁がいました。タイトルは『普通列車』と『無題』です。早朝から一日同じ車内で、見知らぬ乗客の姿を窺っていたようです。当HPの、クローバー会/リンク/クローバー会写真展から、第1回写真展画像をご覧ください。なお現在、第2回目までの出品作がweb展示されています。13005

▼村田屋に戻り朝食後も、話が弾み雨を口実に誰も外出しません。邪魔草そうに村田屋の2階、物干し台からやっと一枚、電柱や電線があろうがお構いなし。。煙は高く上がらず列車にまとわりつきます。風向き次第では絵にならないこともあります。13007 続きを読む

2013年 春の中国鉄路の旅 Part14 北朝鮮国境沿いの鉄路 その8 国境の橋「南陽図們橋」、撮りました北朝鮮の列車!

第14日目 5月14日

今日も中国と北朝鮮との国境の橋「南陽図們橋」「琿春図門橋」を訪問します。

01_朝食目覚めて外を見ますと、昨日までの好天とは打って変わって朝から雨が降り出しています。撮影には最悪のコンディションです。

泊まっています境浦酒店での朝食です。ここでは何とルームサービスで運ばれてきました。ご覧のように朝鮮式で品数もボリュームも満点です。味も良し、中国式は飽きあきしていましたので美味しくいただきました。これで20元(約350円)でした。お得です。

朝食後、図們へはバスで向かい、ここで道を熟知している地元Taxiをチャーターしようと決めていました。バスターミナルまではTaxiを探しますが、ラッシュ時と雨のために空車が全く通りません。困っていると、ガイドの崔さんから「良かったら、会社の車を出しましょうか。運転手は道も良く知っています。チャーター料はTaxiと同じでいいですよ。」と、助け舟がきました。条件が同じならここから乗った方が便利です。OKを出しました。

今日の撮影地は雨が降ると泥濘となりますので、延吉の町を出る前に大きな傘と長靴を買いました。予想は当たり、大変役に立ちました。どちらも使い捨てで傘は崔さんに、長靴は必需品となりましたので、最後まで持ち歩いていました。
02_図們までの田舎道103_江陽1雨が降る中を図們に向かいますが、崔さんは町はずれから本道を左折して細い地道を行くように運転手に命じます。どうしたのと聞くと、本道では検問があって身分証の確認と車内の荷物検査等があるので面倒です。逆に時間もかかると申されます。
そういえば我々も前回検問に会いました。あの時は後ろから路線バスが来たので途中で我々の検査は止めて、公安は後ろに行きましたので面倒にはなりませんでした。
崔さんはこれを回避するために裏道を行くようにと指示したのですね。ウン、日本のマスコミを案内するぐらいですから実力のほどが分かりました。中々のガイドです。

山越えをして図們手前で本道に戻りました。豆満江を挟んだ対岸には北朝鮮鉄路が見えます。駅がありましたので止まって撮りました。川岸には監視台が設置されています。
03_江陽2▲ 9:55、将軍様の写真が掲げられて、何やらスローガンが書かれた駅舎です。駅名はハングルですので読めませんが多分図们の対岸「南陽」の1つ手前の駅と思われますので「江陽」でしょうね。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part13 北朝鮮国境沿いの鉄路 その7 国境の駅「開山屯」と国境の橋「三峰橋」

第13日目 5月13日 その2

小竹先生と私が訪れております日本統治下時代の満州と日本(朝鮮)の国境の橋の位置図を作成しました。ご覧ください。
国境沿いには白頭山(中国名:長白山)を源に発しての鴨緑江と豆満江が流れていて、それぞれ黄海と日本海に注いでいます。この2つの川が国境線となっていました。川に面した2つの国を結ぶ鉄道橋はそれぞれ3つが建設されています。軍事物資や生活物資輸送の他、旅客輸送も行われていました。今日の午後からは前回も訪問しました三峰橋を訪ねます。00_日満間国境の橋110_南坪~延吉▲ 国境の町「南坪」を訪ねた後は、殆ど車の走っていない道を龍井に向かって快走しました。

道中でガイドの崔さんは、若い頃に日本に留学していた。大学は京都工業繊維大学で宇治に住んでいましたと申されます。
中国の方とは結構面識がありますが、京都の大学は珍しく工繊大と聞くのは初めてです。私も京都の同志社ですと名刺を渡すと、崔さんも喜ばれたようで、打ち解けて京都の話で盛り上がりました。

今日はさわやかな春の青空が広がっています。Taxiは、殆ど車の走っていない道を龍井に向かって快走しました。町の中でまずは腹ごしらえです。

11_昼食11_昼食2▲ 12:40、ガイドの崔さんが案内してくださったのは朝鮮料理のお店です。
石焼ビビンバを注文しました。久しぶりの丼ものは、やはり口に合います。とっても美味しく、全部平らげました。これで18元(約300円)は、とても安いです。
この値段、この味で日本で出せたらお客殺到でしょうね、

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保存蒸機とその現役時代(2)

前回の保存蒸機とその現役時代(1)のD51重連2両目のD51201も保存対象機であった。高山から中津川に転属して中央西線で最後の活躍をした山国育ちの機関車であるが今は海辺に保存されている。場所はJR・名鉄蒲郡駅から海に向かいやや南西方向へ10分程歩いた蒲郡市博物館でオハフ332424とともに展示されている。2012.12.26↓s-12.12.26蒲郡市博物館D51201

D51は民間会社のほか国鉄工場でも228両(大宮30、浜松70、鷹取58、小倉30、長野9、土崎9、郡山10、苗穂12)製造された。D51201は鉄道省濱松工場昭和13年製造とある。↓

s-12.12.26蒲郡D51201No

前回と同じ贄川付近を単機で上るD51201[中津川]。1973.1.15↓

s-73.1.15贄川D51201

東京にも以前撮ったD51272が保存されていた。場所は東急田園都市線三軒茶屋駅と同東横線祐天寺駅の中間にある世田谷公園で徒歩30分くらいかかる。こD51272は昭和14年度川崎車両製で門鉄デフを装備しているので九州育ちである。2012.11.28↓

s-12.11.28世田谷公園D51272

1963.3.28 熊本駅および同機関区周辺で大型旅客用蒸機C59、C60、C61等を撮影中、駅の博多よりからD51の貨物列車が入ってきた。よく見ると門鉄デフで貴重品を撮れたような気がして嬉しかったことを覚えている。高校生のピンボケ写真をお許し願いたい。↓

s-63.3.28熊本D51272

 

 

大阪市電が走る?

6月8日は阪堺【路面電車の日】であった。どですかでん氏と阪堺電車我孫子道にある車庫で15時に待ち合わせる事になった。その理由は彼が語るとして、2年前の手術後、総本家氏が阪堺沿線で撮影会をするから参加しないかとの誘いがあった。それに乗って久しぶりに車庫に出向いた。今回はどですかでん氏の情報に乗り、まず浜寺公園駅へと、恵美須町から352号で懐かしいモ101型のモーター磁気騒音に耳を傾けた。我孫子道を出て工場建屋横から大和川橋梁への勾配に向け全力を挙げた時、ふと留置線を見ると大阪市電3001型の装いをまとった顔が見えた。

浜寺に向ったのは2年前、駅高架化の工事予告が掲示されていたからで、その後の進展は如何なりやと、確認のためであった。しかし、折り返し車庫に戻る事にした。大阪市電が留置されている、何事ぞ!と思ったからである。車庫に到着するや日本路面電車同好会関西支部のテントに向った。久しぶりの顔があった。「大阪市電色が見えたがどないしたんや?、まさか大阪市長がスポンサーになったんとちゃうやろなぁー?」。返ってきた返事は351型が走り出した50年記念で、大阪市交通局の協力を得て外部塗色を復元したのだとか。留置位置には354号が懐かしい装いとなっていた。

南霞町駅から東へ徒歩三分、じゃんじゃん横丁入口、パチンコ屋の地下、居酒屋【大吉】が2次会会場である。ここで知ったのはその354号を貸し切り電車に仕立てると言う。その日は6月15日(土)午後だとのこと。以前256(元京都市電)号、125(元大阪市電)号を有志で借切って、お別れ運転をした。今回は駄目だ。ボランティア先の年次総会当日で、老人はそこで【サヨナラ挨拶】をすることになっている。今回のオーナーである工藤さんから当日の計画を知らされた。それでは回送で我孫子道14:00頃出庫、浜寺駅前14:30頃着、折り返し貸切(乗車)となり我孫子道15:10頃着。入庫して撮影会の後、我孫子道15:50頃貸切で発、恵美須町16:10頃着。折り返し16:20頃発、我孫子道16:40頃着、入庫。我孫子道17:00発、浜寺着17:30頃着で下車となり、これで貸切運行は終わる。参加費は3000円を目途にしているとの事。詳しくは工藤さんに直接メールでkudoh-miyanoshita@flute.ocn.ne.jp問い合わせると分かる。電話は090 5969 1058です。残念ながら上町筋には今回出てこない。

90周年記念で1993年7月31日、緑木車庫で

90周年記念で1993年7月31日、緑木車庫で

2013年 春の中国鉄路の旅 Part12 北朝鮮国境沿いの鉄路 その6 国境の駅「南坪」、

第13日目 5月13日
① 丹東 前日14:42(K7378次)→10:29和龍
② 和龍(Taxi)→南坪→開山屯→延吉

今日は、終点までは乗らず手前の和龍で下車して国境を目指します。緊張地帯を行きますので何かあった時のために朝鮮語もできるガイドを延吉から呼んであります。
日本を出発する前に小竹先生から若い美人ぞろいの写真入りの候補者リストをいただきました。一応私好みはお伝えしてありますが、誰にお決めになったのか聞いていません。会ってからの楽しみにしておりました

丹東の「虎山長城」で会った喜び組のような美貌のガイドさんが来られれば旅も楽しくなります。1駅1駅、列車が和龍に近づく度にワクワクと期待感は高まります。

01_K7378次走行図_105_サボ05_切符1▲ 乗車したK7378次は、丹東~和龍 1,015キロ(これは、東京から鹿児島本線八代~水俣の中間点あたりに相当)を19時間47分をかけて走破します。長距離列車が多い中国鉄路では一般的な乗車距離、乗車時間です。1等寝台下段で247.5元(約4,100円)ですから乗り鉄にはこたえきれない安さです。
04_車窓204_車窓0
5:30、久しぶりの列車内での目覚めです。先日訪れた通化を午前3時に出た列車は快調に走行し、この地で暮らす人々が聖地と崇める長白山山系へと入っていました。
町のバックに見えるのが長白山です。
まだ冠雪が残っていました02_朝食

8:05、朝食をとりたいのですが車内販売のおばちゃまが回ってきません。隣の食堂車に行くと、お客は誰もいませんが「ここで用意できるよ」と、コックさんが申されますので、久しぶりに食堂車内で食べる事にしました。
定番の朝のお粥定食です。これで15元(約250円)、昨夜の弁当と同じ値段です。
見てのとおり大して美味しくはないのですが、山河を越えて走る車窓を見ながら食べるとなぜかご馳走にもなります。
貧しかった学生時代には食堂車には入れなかった跳ね返しでもありました。

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保存蒸機とその現役時代(1)

2010年8月26日、残暑厳しい木曽福島でホーム横にD51775が保存されているのを見て1枚だけシャッターを切ったのがこれ。あとで調べてみると現役時代の同機を撮影していることがわかった。その後いろいろ調べてみると全国各地で結構な数の蒸気機関車が解体されずに保存されていることを知った。皆さんも旅の途中どこかの駅前、公園、学校等に保存されている姿を目にしたことが一度や二度ではないと思う。それなら全国で保存されているのを片っ端から撮ってやろうと思い、最近撮影を始めた。こういう鉄道趣味のジャンルでは元大洋、巨人で俊足好打で鳴らした屋鋪要選手が有名であるが、私の場合は特に現役時代に撮ったものと比較掲載をしてみたい。D51775号は1942年度汽車製造会社製である。

D51は大きく分けてナメクジドームの初期形、標準形、戦時形に分けられ、標準形が圧倒的に多い。この775号機も標準形であるが、煙突がやや短い。C57にも煙突の短いのを見かけたが、多分、下3枚の現役時代の写真に見られる集煙装置をつけた影響ではないかと思う。

2010.8.26 中央本線木曽福島 D51775ゆかりの地の保存である↓

s-10 08 26木曽福島D51775

 

糸魚川時代のD51775

DRFC同期生のSさん、Tさんに見送られ夜行で北陸・信州に向かった。翌朝、筒石で下車。この時の日誌には「D50、C57を期待したが、C57は1回来ただけ、D50は休車状態。殆んどがD51でうんざりした。雪も期待したが冬の日本海の冷たい風に悩まされ早々と切り上げる。」とある。1966.2.12北陸本線筒石付近 直江津8時16分発236列車米原行き20分遅れで通過。因みにこの列車の米原到着予定時刻は18時14分である。↓

s-66.2.12筒石D51775

 

中央本線(西線)重連仕業

1973.1.21中央本線贄川付近を下るD51775[木曽福島]+D51201[中津川]↓

s-73.1.21贄川D51775横_edited-1

1973.1.21 中央西線贄川付近を上る上り貨物D51775[木曽福島]+D51201[中津川]  この日は大糸線の旧型国電を撮った後現地入り。既に客車列車はDD51が牽引し、蒸機も晩年の姿であった。直ぐ上の写真と同じカマなので塩尻で折り返してきたのだろうか。冬は日が暮れるのが早く、駅に向かう途中で撮ったものと思われる。2台目の機関車は斜め光線を受けてつぶれている。↓

s-73.1.21贄川D51775斜前

 

 

2013年 春の中国鉄路の旅 Part11 北朝鮮国境沿いの鉄路 その5 国境の町「丹東」、鴨綠江大橋を渡る国際列車と虎山長城

01_チョゴリ▲ 万里の長城の東端 丹東「虎山長城」で朝鮮の民族衣装チョゴリを着て記念写真を撮っておられたお嬢さん。真っ赤な衣装に白い顔がとっても印象的でした。聞けば、籐先生の大学の生徒さんで、観光にきておられていました。 一瞬、すぐそこの国境を越えて来られた「喜び組」の方かと思える美貌の持ち主でした。

 

第12日目 5月12日
 丹東14:42(K7378次)→翌10:29和龍

今日は、小竹先生と一緒に午後の列車で丹東を離れ、次の国境の町へと向かいます。
2日間厚かましくもお世話になりましたOさんの奥様、ご両親やご家族の皆様にお礼を申し上げて出発しました。まず目指すのは、朝に北京から到着して北朝鮮平壌へと向かう国際列車が北朝鮮へと渡る中朝友誼の橋です。撮影場所は前回北朝鮮に残る蒸気機関車?を撮影した中朝友誼の橋、すぐ近くの丹東中聯大酒店の屋上お立ち台です。

02_鴨緑江大橋1▲ 9:35、お立ち台から見た、日本統治下時代の1911年10月に竣工された鴨緑江大橋(中朝友誼の橋)です。全長は944.2m、幅は11m。併用軌道ではありませんが、片側を道路、もう片側を鉄道の両方で使用されています。道路は狭いために一方通行で、時間を区切って両方からの走行です。中国側から北朝鮮に向かうのはこれでもかと積載されたトラックですが、復路は空で戻ってきます。
03_丹東駅303_丹東駅5
今日はどうかなと見ますと、トラックは相も変わらずイミグレ前からの行列ですが、イミグレの様子が前回と変わっています。
前回見た日帰り北朝鮮ツアーの観光バスやチャーター車がいません。従って観光客も居なくガランとしています。
昨日に籐先生が北朝鮮の緊張感が高まり、今年の4月から中国人も北朝鮮に行かれなくなったよと話されていた通りです。

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「JRおおみや鉄道ふれあいフェア」と「神奈川臨海鉄道/創立50周年記念イベント」

P1000609
C56139の牽く本物の貨物列車のように見える。

5月25日(土曜日)に大宮総合車両センターで「JRおおみや鉄道ふれあいフェア」が、翌26日(日曜日)に神奈川臨海鉄道横浜本牧駅で「創立50周年記念イベント」が開催され、両方を覗いてみたので報告する。

「JRおおみや鉄道ふれあいフェア」
当初行く予定はなかったが、午前中時間が空いていたのと、2度と見られないと思っていた107系0番代が展示されるので急遽出掛けた。

展示車両はEF5893、EF8036、EF81133、EF651115、EF60510、DE101539、クモハ107-4+クハ106-4、その他検査中の真岡鉄道C11325を見ることができた。展示状況は写真の通りである。

EF5893/かつては大人気であったEF58も時代の流れとともに凋落した。EF58の現役時代を知る人口が減ったからであろう。今回は架線のない場所に展示され、他の展示電機とは明らかに差を付けられていた。
EF5896

EF8036/かつての常磐線の主力機関車である。この機関車は昭和37年日立製作所製である。61年までに全機廃車になったためJRに引継がれた車両はないが36と碓氷峠鉄道文化村に63が保存されている。
EF8036
EF81133/田端運転所には80、81、95、97、98、133の5両が配置されているが定期運用はない。133は昭和51年9月日立製作所製で、新製後38年経過している。
EF81133

EF651115/田端運転所には1102~1107、1115、1118の8両が配置されているが定期運用はない。133は昭和53年8月川崎重工製で、新製後36年経過している。
EF651115-2

EF60510/昭和38年11月川崎重工製、61年2月高崎第2機関区で廃車後、大宮工場で保存。パンタを上げての展示は嬉しかった。
以前は機関車を適当に並べているだけの感があったが、最近はある程度撮影者にも配慮しているようである。
EF60510
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大阪市電3001形

44-3-31 3014 3008
3014と3008/市電最終日(昭和44年3月31日) 都島車庫前

湯口先輩、今出川浄福寺氏が述べておられる通り、故Y先輩を抜きにして大阪市電3001形は語れない。
Y先輩ご逝去後発刊された著書「第二すかたん列車」(昭和62年12月日本経済評論社発刊)の「大阪すかたん電車/3001形バンザイ」で「乗り心地のよいこと、静かなことは天下一品で、海外で何度も乗ったPCC、DUWAG、LRV等の高性能の市電よりも勝っていると感じるのは決してヒイキ目で見ているわけではなく、厳然たる事実である。20年前(現在に直すと58年前)にすでにこんなすばらしい電車が出来ていたのに、その後、我が国では市電を冷遇してしまったのでアカンようになった。近頃、軽快電車が脚光を浴びて登場したが、『今頃、何を言うとおんねん』ということになる。」
と記されておられるが、全くその通りである。
都電の最新鋭8800形も決して悪くはないが、3001形の滑るような走りと比べるとツーランクくらい落ちる。

また、他の都市では縮小過程の中で、高性能車は保守に手間がかかるという理由で、早々と姿を消したところが多かったが、市電最終日(昭和44年3月31日)まで活躍したことも特筆される。

イラストのZパンタを「?」と思ったが、3001~3005は登場時の僅かな期間装備していたことが判明した。
米手作市氏が書かれている米国旗と日章旗の件について、Zパンタと共に気なったので調べてみたところ、昭和32年10月7日大阪市とサンフランシスコ市が姉妹都市協定を締結しており、それを記念して両国の国旗が掲げられたのであろう。そういえば「交通科学館」にサンフランシスコ市が大阪市に寄贈されたケーブルカーがあった(今もあるかも)ことを覚えておられる方も多いと思う。

ラストナンバーの3050が、緑木町検車区内の市電保存館に保存され、特定日に一般公開されている。
3004/ (41-3-17)  長柄橋
41-3-17 3004高麗橋

3030/ (41-3-17)  日本橋筋3丁目
41-3-17 3030日本橋3

3020/ (43-4-30) 京阪東口
43-4-30 3020京阪東口

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梅雨の晴れ間は 近場で撮る 〈2〉  

早起きしてSRC

夜の明けるのが早くなった。日の出時刻は4時台だ。だからこそ、この時期でしか撮れないものもある。私の近場では、東海道本線の夜行貨物電車「スーパーレールカーゴ(SRC)」(SUPER RAIL CARGO)が、その例だろう。長岡京・山崎付近では、4時55分の通過で、夏至を中心とした約1ヵ月間のみ走行中の撮影が可能だ。

SRCは、M250系16両編成で、東京貨物ターミナル~大阪・安治川口間に運転されるコンテナ輸送専用の貨物電車で、現在は、佐川急便専用の貸切輸送として運転されている。モーダルシフトの推進を目的として、2002年に登場した。130523_009sy朝は3時30分に起床、真っ暗ななかペダルを漕いで、山崎駅近くの高橋川踏切へ向かう。以前から著名な撮影地だが、少し前にフェンスが増設され、限定1名の撮影地となった。この時期は同じことを考える同業も多いから、一番乗りしないことには撮ることができない。

通過の1時間前に現地着、さすがに誰も来ていない。アウトカーブから正面を撮るから、シャッター速度は低くても大丈夫だが、最近のハイビームの前照灯はまともに露出を拾ってしまうので、オートで撮影はできない。何度も露出を確認し、マニュアルで撮影することにする。SAGAWAのシールを貼り付けたM250は、明けゆく山崎のカーブを高速で通り過ぎた。130603_07sysy別の日は、通称“名神クロス”へ向かった。ここは、キャパが十分にあるから直前でも大丈夫。SRCは、両端に電動車を2両ユニット、中間に付随車12両を連結、専用コンテナは、電動車に1個、付随車に2個積載できる。下りの場合、東京貨物ターミナル23時14分発、大阪・安治川口5時26分着で、所要時間は6時間余りで、かつての特急「こだま」より速い。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part10 北朝鮮国境沿いの鉄路 その4 国境の町「丹東」、新鴨綠江大橋

第11日目 5月11日

昨夜は丹東に住まわれるOさんの奥様のご実家で厚かましくも夕食をご馳走になり、宿泊までさせていただきました。久しぶりの家庭の味は山菜の天ぷらが出ました。天ぷら粉は日本から持ってこられたそうで、ほっと一息大変美味しくいただきました。ありがとうございました。04_花1

06_山菜採り今日は午前中、ご実家の裏にある裏山に登ってみることにしました。山は春を迎えていました。
綺麗な小さな花が咲き、たらの芽、こごみ、ゼンマイ等々の山菜の宝庫で近所の人たちも採りに来ておられました。昨夜のおかずも山で採ってこられたそうです。

01_山

かつて日本軍が要塞を築いていたそうで、登って見ますと塹壕や砲台の残跡が残り、丹東の街並みが見渡せる尾根づたいはハイキングコースになっていました。気温は20℃とさわやかな朝でした。
03_温度

 

05_餃子▲ お昼も奥様とお母様のお手製の山菜入りの焼き餃子です。これも絶品です。恥ずかしながら私の家内は味音痴ですので、こんな美味しい料理は作れません。ちょっとOさんを羨ましく思いましたね。
前回そして昨日も国境の橋を案内していただいた籐先生も来られました。籐先生はこちらの大学の先生です。今日は丹東に建設中の新鴨綠江大橋を見に行きましょうと案内していただきました。

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玉電デハ200型

私事ながら日曜日から家内と九州旅行をしておりました。と言っても格安バスツアーです。まがりなりにも小倉往復はのぞみ指定席で、九州7県を廻って三泊四日朝食・夕食付で3万円とはどこで儲けているのか不思議な業界です。

で、記事のアップが遅くなりました。
40年前、これに乗ってできたばかりの二子玉川の高島屋へ行ったり、三軒茶屋の友人の下宿へ行ったことを思い出します。
玉電デハ200_NEW

玉電デハ200(文)_NEW

2013年 春の中国鉄路の旅 Part9 北朝鮮国境沿いの鉄路 その3 集安から丹東へ、水豊ダム

第10日目 5月10日
① 通化BT7:31(Bus)→11:40長甸
② 長甸(マイカー)→水豊ダム→上河口→丹東

今日はホテル横のバスターミナル(汽車站)から丹東行き長距離バスに乗って途中にある長甸にある次の北朝鮮との国境の橋へと向かいます。
鉄路&バス_比較_縮小1▲ 集安から長甸までのルートは鉄路も考えられない事はありませんでしたが、最短距離に鉄道は現在敷設されていなく、上のルート地図のように大きく迂回しなければなりません。3本の列車を乗り換えての所要時間は約24時間とバスの約4時間と比べると雲泥の差がありますのでバスでの移動となった次第です。
バス路線HP用▲ 地形図から見たバス路線です。鴨綠江に沿って走り、途中からは山間を走行します。高速道路はありませんので全線一般道です。
切符はすでに買ってもらいました。今日は天気も良くなさそうですので、ゆっくりとバスの乗り鉄旅です。長甸までの移動距離は約190キロ、所要時間は約4時間です。

01_バス切符▲ バスの切符ですが、保険料(1元=約17円)まで付いてきました。56元+1元=57元(約960円)が運賃になります。
朝起きると外は雨模様でした。1日ずれなくて良かったですね。ホテル食堂で朝飯を食べてからの出発です。
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梅雨の晴れ間は 近場で撮る 〈1〉

効率的に電機を撮影

梅雨に入ったはずなのに、梅雨前線が南に下がったままで、近畿地方は晴れの日が多い。こんな時は、近場の駅でチョイ撮りに限る。

私の場合、近場と言えば、JR京都線長岡京・山崎あたり。以前と比べると、面白味はめっきり薄らいだが、そこは天下の東海道本線、時間帯によっては、興味深い列車も通る。歳を重ねると、長時間の撮影は気力・体力が持続しない。短時間で効率よく撮影したい。以下、実際に5月31日、14時前から1時間30分で撮影した列車を挙げてみた。この間、電機として、EF65・66・81・210・510を撮影、最後には思わぬサプライズもあった。130531_02sy13時58分、長岡京駅。EF510の牽く日本海縦貫線回りの下り貨物が通過。ホームに着いて、ダイヤには載っていない貨物列車が、いきなりの通過、所定10時過ぎ通過の3092レの遅れと思われる。EF510のファーストナンバーだった。130531_07sy14時01分、本命の5087レが定時通過。赤ナンバープレートのEF652063の牽引。EF65PFの原色時代と比べると、地味な塗色になってしまったが、贅沢は言えない。3月の改正で、この区間では、一本になってしまった貴重なEF65PFだ。130531_11sy14時11分、5087レのすぐあと、空車のチキで編成された1881レが通過。これも珍しくなったEF66の0番台牽引だが、飾り帯が撤去され、弁当箱を載せて、なんとも締まりのない顔つきになった。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part8 北朝鮮国境沿いの鉄路 その2 高句麗の都「集安」、北朝鮮の国際列車Ⅱ

第9日目 5月9日

今日も集安にて北朝鮮からの国際列車撮影です。昨日の時間で来るのか教えてもらえないとは分かっていてもまず集安駅へと向かいました。01_集安駅01_集安駅2

01_集安駅4DSC_7123_1▲ 8:20、集安駅に到着。1日1往復しか走っていない駅だけあって、列車が発着しない時間帯は閑散としています。しかし駅前広場の池の前ではおばさんおじさんたちが一緒に朝の体操をしておられました。人けがあるのは、ここだけですね。

01_集安駅3

まずは駅構内を見てみますと、混合列車が止まっています。写真を撮りたかったのですが、監視員にマークされてカメラを出すことさえできませんでした。
しかし、この列車は何時に到着したのでしょうか? 昨日とは運用が違っています。

駅舎内に入ると切符売り場は営業中でしたので王さんに通訳してもらって、この列車はいつ出発するのか聞いてもらいました。10時過ぎとの返事ですが、本当なのかどうかの確認手段はありません。
イミグレは前に車は止まっていますが、動きはありませんので、すぐの発車はないようです。

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