北陸新幹線ニュース

今日もなぜかダブルデッカーエキスプレスが通る側で美味しいお水を飲んでいます。今晩は熱燗でなくストレートです。先ほど20時と21時台に上下の元京阪3000系が通って行きましたが客は誰も乗っていません。先日この鉄道を舞台にした「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」を改めて鑑賞したが、こんなに閑散としているようでは出演者も泣いていますね。

今日のこの地の第1面を飾った新聞を紹介させていただきます。
北國新聞北陸新幹線のニュースが1面に取り上げられています。それにしても北陸用の車両が仙台に荷上げされたとは驚きました。

これから関東方面からの観光客が大いに見込まれて地元は盛り上がっていますが、開業すれば金沢以北は第3セクターとなります。青春18きっぷを利用して新潟方面には行けません。サンダーバードは金沢止まりとなりますので、わずかな区間・時間短縮のために関西・名古屋方面からの客は面倒な乗換を余儀なくされます。そして高額な運賃が必要となります。これで良いんでしょうかね。また関西方面へのルートが決まっていませんがどうなるんでしょうね。いろいろと審議されていますが決め手がありません。
まあ全線開業時にはこの世にいないと思いますので考えるだけ無駄なようです。それより明日のリベンジが上手くいくかの方が心配な夜を迎えております。

近鉄モ6301+サ6471+ク6501+モニ6251

子供の頃、父親が「ダイキに乗って・・・」と言っているのを聞いて、何に乗るのかな?と思ったことがあります。当時は京都に近鉄は届いて無く、まだ奈良電の時代です。遙か後年になってから「ダイキ」が大軌のことで、現在の近鉄だと知ったことでした。
今回のお話を読んで、大軌や関急を懐かしく思い出します。近鉄モ6301他_NEW 近鉄モ6301他(文)_NEW

保存蒸機とその現役時代(19)

西村雅幸さんに地元で撮っていただいた保存蒸機D51860とその現役時代である。D51860は1943年11月に鷹取工場で製造(製番18)された戦時設計の機関車で説明板によると山陽、山陰で活躍とある。福知山時代が結構長かったようで最終的には1972年9月新見区で廃車となり翌年福山市に貸与されて同市曙4丁目の曙公園にワム88035とともに保存されている。保存場所は福山駅から南東方向約4~5kmくらい離れた海に近い場所である。車でないとアクセスは厳しいようだ。

2013.8.27 福山市曙4丁目曙公園に保存のD51860+ワム88035▼

s-13.8.27福山51860西村氏

この位置から見ると戦時設計の角型ドームがよくわかる。▼

s-D13.8.27福山51860後方西村氏

高校生の頃、自宅から自転車に乗り、報徳学園の前の武庫川沿いを甲武橋をめざし、橋を渡って西国街道を伊丹に向かった。伊丹駅は織田信長に攻め落とされた荒木村重の伊丹城の一部を使っているという。当時は勿論単線のローカル線であったが、今は頻繁に電車が行き交う複線の重要路線となり車窓から眺めても付近の景色は様変わりして昔日の面影はない。

1962年11月18日 福知山線伊丹駅に停車中の上り貨物D51860[福知山]        保存機と異なりシールドビームの前照灯に集煙装置と重油併燃装置付き▼

s-67.10.18伊丹D51860_

 

2013年 秋の北陸路一人旅 Part5 富山地方鉄道その1

第5日目 10月16日

いよいよ立山砂防軌道乗車が明日へと迫りました。ところが昨日に降り始めた雨は夕刻には豪雨となってきました。早くに道の駅ウェーブパークなめりかわにて就寝しましたが、午前3時過ぎにはぶんしゅう7号に振り付ける雨と風の音に起こされました。
窓を開けて付近を見てみますと並木が激しく横に揺られています。台風26号は日本の南海上を通過していますが、はるかに離れた北陸でもすさまじい風と雨です。ぶんしゅう7号も振られています。今までになかった経験です。これはまずいと駐車している場所を風の影響が少ない建物横に移動せざるを得ませんでした。

昨日から今回の立山砂防軌道訪問のリーダー、Kさんからの連絡が相次ぎます。「もし悪天候が続けば主催者の富山県・(公財)立山カルデラ砂防博物館から危険防止のために体験学習会は中止される。」といった内容でした。天気予報では、今日の午後からは雨も上がり明日は晴天となるだろうとの予報ですが、今回の台風は日本全体に豪雨をもたらせています。ただでさえ崩れやすい立山カルデラです。台風が去って雨が上がっても軌道に土砂崩れ発生やその恐れがあった場合は中止になるのは容易に推測できます。

Kさんはじめ参加される方は18名とお聞きしています。関西だけでなく東京から来られる方もあるそうで、こちらに来られることができるのかさえ案じられます。TVを見ていますと、今日の午前中のサンダーバードは上下とも運休と決定しています。高速道路も通行止めになっています。明日の立山カルデラ砂防体験学習会の開催については午前中の会議で検討され、結論が出るそうですが早くも黄色信号です。
この天候では、じっくりとの撮影は不可能です。ここでじっと待っていても仕方がないので立山カルデラ砂防博物館へと向かうことにしました。
02▲ 9:24 立山カルデラ砂防博物館へと向かう途中でキャッチした有峰口~千垣の常願寺鉄橋を渡る立山発、電鉄富山行きのダブルデッカーエキスプレス311普通です。降雨の中、屋根替わりに車の後ろドアを開けて雨を避けての撮影でした。

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2013年 秋の北陸路一人旅 Part4 氷見線、万葉線、富山ライトレイル

第4日目 10月15日

5:30 「道の駅 氷見」で、夜明けとともに目覚めました。今日も寒い朝です。港に隣接した宿泊地だっただけになおさらです。2泊目からは、シュラフを2枚重ねにしましたので寝ている間の寒さは防げましたが、車外に出ると身が引き締まります。
今日は、氷見線をちょっと撮影後、海岸線に沿って万葉線、そして新しくできた新湊大橋を渡って富山ライトレイルへと参ります。

0102コーヒーを沸かせて、ゆっくりと朝のひと時を過ごした後は、漁港をブラブラ散歩です。
漁港には続々と朝の漁を終えた漁船が戻ってきます。

6時からはセリが行われているそうで見学に行ってみました。

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2013年 秋の北陸路一人旅 Part3 北陸鉄道石川線、475系国鉄色編成その2

第3日目 10月14日

今日は鉄道記念日、各地でイベントが実施されています。北陸路ではJR北陸本線全線開業を記念しての475系国鉄色編成が昨日の敦賀から糸魚川まで走行しました。今日はこの折り返しが走行されます。
総本家青信号さんが撮影に参られますので、一緒に撮ろうと金沢駅に13時に合流することになっています。それまでは、宿泊地の山中温泉に近い北陸鉄道に初乗車、初の撮り鉄をすることにしました。

今日も5:30には目覚めました。宿泊地の「道の駅 山中温泉ゆけむり健康村」を散歩していますと、かつて北陸鉄道加南線を走行していた6010系「しらさぎ」が展示されているのが見えました。
説明書きには日本初のアルミ車体電車と記載されていますが、公式的には山陽電鉄2012の編成が最初ですよね。藤本先輩的には越後交通のモハ210だったと思いますが、どうして間違った表示になったのでしょうか。
0101_2▲ 平成17年(2006年)8月に大井川鉄道から里帰りしましたが、約8年経っての保存状態はまずまず良好です。廃車解体されていく車両にあってこういった保存がされているのは幸せものですね。いつまでも北陸路を走った栄光の姿を残してください。

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2013年 秋の北陸路一人旅 Part2 475系国鉄色編成、福井鉄道その2

第2日目 10月13日

095:30、「道の駅 パークイン丹生ヶ丘」で朝を迎えました。昨日は日中30℃近くあり、Tシャツでも汗が出るくらいの暑さでしたが、夜中はグ~ンと冷えて、10℃以下です。ぶんしゅう7号は屋根上にテント小屋ができる造りですので、風雨は防げても寒さは直接影響します。同時期に北海道で経験した寒さほどではありませんが、3シーズン用のシェラフでは朝方は厳しく、寒さで起き上がりました。

026:34、まずは朝日が昇りだした福井鉄道神明駅に立ち寄りました。
誰もおられないのでホームに向かうと駅員のおばさんがやってきて切符を見せてと迫られます。ちょっと写真を撮りたいと申しますと入場券を買ってちょうだいとの返答です。
昨日もそうでしたが、福井鉄道では入場に関してはとても厳しいようですね。

今日はこれから南今庄駅に向かい475系リバイバルの撮影です。通過するのは10時25分過ぎと推定できます。鉄ちゃん多数が来ていると思われますので早めに現地到着するようぶんしゅう7号を走らせました。ここからの距離は約30キロ、所要時間は一般道利用で約50分の予定です。
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ことでん デカ1の走り

秋の讃岐路 青空の下でことでん仏生山工場の主 デカ1の走行するのを見かけました。
何度か訪れましたがデカ1はいつも停まっていて走りを見ることがありませんでした。
10月21日午後お墓参りに行った後 片原町から一の宮行に乗り仏生山に到着後、奥の留置線に1000形120号が入ってきました。
pict-ことでん1
いつもの留置線に行くと 先ほどの120号が停まっていました。
この車両は大正15年汽車製造株式会社製で長く琴平線で活躍後1972年から志度線、1994年から長尾線で2007年まで定期運用され現在動態保存車となっています。

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京王2600系

京阪500型は人気者であったが、京王2600系は人気者(?)であったかどうか。デジ青[14402]「元京王電車」2011年7月27日のコメントにでんかんしょまつり号さんから京王2600系は好きな電車なので公開せよと言われた。何れ、迷図作家関先生より紹介があるからその時に公開しようと思っていたが、どうも不人気なのか出てこないので今回発表することにした。私はこの電車は米手作市さん流の言い方をするなら不細工な電車と思っている。乙訓の老人さんは京阪500型は戦時中他の車両がへたった時に頑張った功労車と言われたが、京王2600系も功労車である。軌道イメージの強かった戦前の京王線14メートル車から脱皮するべく、新生京王帝都電鉄(1948年6月1日東急から分離独立)最初の新造車両として1950年に日立製110KW×4のデハ2601~2610の10両、翌年日立、日車製サハ2651~2655の5両計15両がつくられた。1950年生まれということは阪急京都線複電圧クロスシート車(一部ロングシート車あり)710系と同じ生まれ年である。710系はナニワ工機製全金19メートル車170KW×4(一部150KW×4あり)のMT編成で大阪~京都間ノンストップ特急に使われていた。この電車はスタイルがよく歌劇特急にも使われたことで京都線のプリマドンナとも言われた。一方、京王2600系は大型新造車とは言え、長さは半鋼製16.8メートル車で幅も2640ミリと狭く、車内は木製床で見劣りがした。正面非貫通3枚窓は湘南電車初期型に似るという人もいるが、ノーシル、ノーヘッダーに京王独特の前照燈2基(当初1基)の姿は不細工に感じた。台車も日立KBD-102という見慣れないウィングバネであった。阪急京都線710系は神宝線810系と共に阪急標準車両となり、特に810系は宝塚線の車両限界拡大に寄与したが、京王2600系も当時の京王線車両の大型標準化に寄与した車両と言える。しかし、両者は横綱と平幕か十両くらいの差に感じた。

1968年8月18日 まだ相模原線がない頃の京王多摩川支線からの2606他4連(回送?)が調布駅に進入するところ。この風景は昨年8月の調布駅付近の地下化により消滅した。▼

s-1968.8.18調布2606

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駅を旅する〈番外編〉/飯田線沢渡駅

駅舎
正2年12月27日伊那電気鉄道として開業時の駅舎が、手が加えられながらもそのまま使用されている。現在も看板が変わったくらいで健在である。  (50-11-24)

特派員さんが11回に亘り、九州の主要駅を紹介されたが、次は何処が登場するのか楽しみにしている。
思い出深い駅や印象に残った駅は数多くあるが、どうしても車両に目が向いてしまい、駅舎の撮影までは至らなかったケースが多い。

ED19、旧形国電が健在であった昭和50年11月24日に訪れた沢渡駅を取り上げた。同駅に降りたのは、この日1度だけで、目的は次の赤木駅との間に存在する40‰の急勾配、専用線のKATOのDL、同駅止まり電車の撮影であった。

開業は大正2年12月27日前身の伊那電気鉄道時代である。平成8年3月末まで、駅の豊橋寄りに秩父セメントの専用線があり、日本通運所有の加藤製作所製のDLが1両存在した。また、一般貨物は46年11月30日まで取扱っていた。
かつて運行されていた急行列車は通過していたが、今年の3月末まで駅員が配置されており「みどりの窓口」も設置され、それなりに重要な駅であった。

駅の豊橋寄りで、藤沢川という小さな川が天竜川に合流しており、長野県や静岡県の山岳地帯では川の合流点を「渡(ど)」と呼び、藤沢川と天竜川の合流点で「沢渡」という地名が付けられ、駅名もそれに従った。

尚、飯田線は3月末に大幅な駅の無人化を進め、長野県内のJR東海の駅員配置駅は、天竜峡、飯田、伊那市だけになり、伊那松島、駒ケ根、飯島、伊那大島、市田の各駅は、市や町の委託駅となった。
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2013年 秋の北陸路一人旅 Part1 福井鉄道

5月に興隆森林鉄道に行った折にご一緒させていただきましたKさんから立山砂防軌道(国土交通省立山砂防工事専用軌道 )の立山カルデラ砂防体験学習会に応募したところ運良く当選しました。興味ありますかと、思わぬお誘いを受けました。
この砂防軌道の乗車応募者は多く、中々当選できるものではありません。二つ返事で是非に参加をお願いしたいと申し上げました。
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体験学習会は10月17日。折角行くのだから久しぶりに北陸路を回ってみようかと思い立ちました。インドネシアのシュガートレイン撮影後は、家内の実家の墓参りついでに広島電鉄乗り鉄、撮り鉄旅をちょっと楽しんだくらいで鉄分不足が続いています。行くからには、いつものように予定を決めず無期限の気ままなぶらり旅にしました。今回の相棒は久しぶりにぶんしゅう7号です。これなら宿の心配もなく、宿泊料も必要ありません。
出発は、準特急先輩が上洛されて北川鉄橋撮影にご同行させいただく翌日の12日に決めました。

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保存蒸機とその現役時代C56110追加

クモハ73106東ウラさんより[保存蒸機とその現役時代(18)]のC56110について最後の浜田時代の写真(1971年3月17日撮影)が送付されたので追加の形で発表する。浜田機関区はレンガ調の庫で私も1964年3月31日の木次機関区訪問の後、浜田に向かった。福知山線時代にカメラにおさめることができなかったC54の撮影が最大の目的であったが、丁度廃車された後であり、残っていたC57やD51では納得できず苦い思い出のあった場所である。

s-71.3.17浜田C56110-1

My beautiful picture

保存蒸機とその現役時代(18)

木次機関区で撮影したC56110は思いも寄らぬ場所に保存されていた。東武伊勢崎線(今はスカイツリー線?)草加駅から西側5分の所にある氷川中公園というこじんまりとした公園が保存場所で、草加神社の参道脇のため松の木等もあり、雰囲気は悪くない。悪いのは機関車で保存状態は最悪に近い。前照灯が大きいのがついていたのがせめてもの慰めであるが、全体がぼろぼろで見るに忍びなく、やや離れて撮影の1枚のみ掲載する。

C56110は1937年三菱製造、製番210で新製後米子局、神戸局等に配置とされているようであるが、はっきりしない。記録に残る最も長く配属されていた場所は木次機関区で木次線の客貨に使用されていた。最後は浜田機関区で三江北線(江津~浜原)と入換えに使われて1972年12月に廃車されたと説明板にある。

2013.10.21 草加市氷川中公園保存のC56110▼

s-2013.10.21草加保存C56110

 

訪問当日のC56110は木次機関区で無火状態であった。1964.3.31▼

s-1964.3.31木次C56110

やむ無く正面から撮ったもので前照灯はシールドビーム▼

s-1964.3.31木次区C56110

 

京阪500型の思い出

関先生の500型を見て なつかしく当時を思い出しました。とは言え250型はすでになく、晩年の500型しか知りません。当時ぷるぷるさんと同じく墨染駅の各停利用者でしたので宇治行きの500型にはよく乗ったものです。1500型を間にはさんだMTMの時代と、両側貫通に改造された550型、580型の登場で4連になった時代にお世話になりました。ぷるぷるさんと一緒に家から歩いて国鉄奈良線の蒸機と京阪宇治線をよく写しに行ったものです。

昭和44年8月16日 丹波橋駅にて 宇治行急行 1500をはさんだ3連

昭和44年8月16日 丹波橋駅にて 宇治行急行 1500をはさんだ3連
宇治急は本線内中書島まで急行、宇治線内は各停だった?

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阪急新形式の試運転に気付く

昨21日、14:59発梅田行きに桂で乗車、ぼんやり窓外を見ていたら1000号先頭の編成が車庫線に入ってきた。末尾は1100号で、共に制御車である。阪急は踏切障害の時に先頭車を重くしておけば脱線する可能性が少ないとして、京都線では5300系以後6300系を除き、一部の増結2両編成以外の先頭車は電動車となっていた。神戸線でも5100系以後はこうした編成が基本である。ところが今回の新造車は神宝、京都線ともに先頭車は制御車となるとの事だ。軽いアルミカーだけに、かぶりつき族の一員である老人の乗車位置変更を考慮せねばならない。窓の間柱が2本となりスッキリした。

ラッピング電車その後

9月21日に吉田先輩のお誘いでラッピングのお手伝いをした京阪石坂線の車両は9月23日より運行しています。ラッピングの元になった“大津ジャズフェスティバル”が今日、明日の2日間行なわれていますので、見物がてらラッピング電車の撮影に行って来ました。浜大津の交差点に行くと丁度ラッピング電車が駅に停まっていて、あわててカメラを取り出し、後追いでしたが全景を収めることができました。CIMG3254k実は一昨日乗った電車がたまたまラッピング電車で、駅でじっくりと眺めてみたところ、幸い剥がれている所も無くきれいな姿を保っていました。この電車が走るのは明日まで、明後日にはもう剥がすそうなので明日が最後のチャンスです。ジャズフェスティバルを見がてらご覧になられたらいかがでしょうか。

浜大津駅広場の様子

    浜大津駅広場の様子

お祭り広場には屋台も並んでいます

   お祭り広場には屋台も並んでいます

尚、ジャズフェスティバル、明日は浜大津一帯の14箇所で、12:00~17:00ころまで開催、お祭り広場では19:00からフィナーレが行なわれます。

阪急京都線西山天王山駅12月21日開業

かねて予告されていた新駅開業日が確定、同時にダイヤ改正が実施される。未だ報道されていないが、以前工事関係者から耳にしていた「洛西口」上り線(京都方面行)の高架化も同時に実施されると思われる。今回の新駅開業の大きな特徴として阪急と京阪の連絡が便利になる事である。新駅と京阪淀駅間に路線バスが平日は朝夕30分毎、昼間60分毎に運転される。これにより大山崎ー淀間の通称「競馬バス」はどうなるのだろうか。以前は昼間もそれなりに運転されていたものが、最近は間引き運転となり運転本数が激減してしまった。愛用者とまではいかないが、競馬開催日には片方利用を時々京阪・阪急連絡便として渋滞覚悟で乗っていた。それが今回、この連絡バスはJR長岡京駅まで延長運転となる。完膚なき迄にJR島本、桂川両駅開業でジャブを食らった阪急であるが、さすがは地域住民サービスの一環として長岡京まで延長運転に合意したものだ。老人はこれで八幡さんへのお参りルートが変わるのである。自宅近くの阪急田舎バス80系統で長岡京へ出た後は、新設系統で京阪沿線に接続となる。少々歩行が困難となり、このところ「乗り鉄」になった近況報告である。

 

C56やまぐち号(続報)

大槌町のうれしいニュースに続いて、C56やまぐち号の運転日が新聞に載りましたのでお知らせします。平成25年10月17日中国新聞朝刊です。

H25-10-17 中国新聞

H25-10-17 中国新聞

11/2,11/3、12/21、1/1~3の計6回です。ただ残念なのは新山口→地福の往路のみという点です。とは言えバック運転での回送はあるはずですから 運転時刻が判れば回送列車のダイヤは想定できそうです。「ダイヤ情報」にも載るのでしょう。「客車3~5など」というのも気になります。プッシュプルを考えているのでしょうか。山口線、山陰線が不通になって 観光でもっている津和野町は大打撃のようです。峠の向こうまで来た山口県内のお客を島根県が費用を負担して無料バスで呼び込もうと企画したり、この状態が続けば正月は閑古鳥が鳴くとわざわざ正月3ケ日に運行日を設定したり、涙ぐましい姿勢が伺えます。津和野-益田間や益田-須佐間の運転再開も近いようですが、地福-津和野間、須佐-奈古間はいまだに目途立たずのようです。三江線も音沙汰なしです。三陸同様一日も早い復旧が望まれます。