クローバー会EVE写真展 終わる

同志社大学今出川キャンパスで行われていた第138回EVEも、昨日28日(木)で3日間の日程を終えました。良心館105号教室を会場とした鉄道同好会の展示も、多くの入場者を迎えました。クローバー会で協力した写真展「京都市電で偲ぶ 昭和の同志社」も、現役学生にとっては生まれる以前の話だけに、果たして興味を持ってくれるかと思いながら展示に掛かりましたが、その心配は杞憂でした。作業を始めた途端、“これは500形じゃないですか。大好きなんです”と現役会員から、鋭い質問が飛んで来ます。展示中、会場を訪れた一般の学生も、現在の場所と対比しながら、その変貌ぶりには興味津々の様子でした。“写真のチカラ”を感じた一瞬でした。

この展示も、限られた日程のため実際に見ることができたメンバーも少数でした。展示写真をみんなで共有できないかと、約1名の方からリクエストがありました。そこで、本掲示板で、次回から連載することにしました。お楽しみにお待ちください。

P1010853sy            写真を前に当時を回顧する会員たち

2013年 続 秋の北陸路一人旅 Part4 富山地方鉄道 ダブルデッカー&アルプスエキスプレスを撮る

第4日目 11月2日

01昨夜の宿営地は、立山駅駐車場でした。
7:00 朝は、昨日の立山砂防軌道撮影大成功の余韻に浸りながらゆっくりと起き上がりました。

砂防軌道は、国土交通省の管轄だけあって土日祝はお休みです。車庫を覗いてみましたがシャッターは閉まったままでひっそりとしていました。

今日は土曜日でアルプスエキスプレスが走ります。ダブルデッカーエキスプレスと合わせて前回とは違った撮影地で撮る予定です
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2013年 続 秋の北陸路一人旅 Part3 紅葉の立山砂防軌道

第3日目 11月1日

02_立山駅6:30 標高476mの立山駅前の駐車場で寒い朝を迎えました。ここの駐車場は立山アルペンルートに向かわれる観光客のためにマイカーが置けるようになっていますので、広いスペースがとってあります。2週間前に来た時はまだまだだった紅葉もかなり色付いていました。

寒いので朝食は湯を沸かせて、カップラーメンにしました。食べていますと、レンタカーに乗ってKさんがやって来られました。
01_地図砂防軌道の列車は7:30頃に作業現場へと相次いでの続行運行でここから登っていきます。
1番列車はパトロールカー(モーターカー)が線路状況確認のために発車して行きました。10分後の2番列車はDL+客車3両です。3番列車は2分後、DL+客車2両+貨車1両、4番列車は3分後、DL+貨車4両、5番列車は2分後、4番列車と同じ編成で行きました。
10数回も訪れておられるKさんは、昔は乗って行けやと声をかけてくださった時代もあった。至福の乗車だったと懐かしげに良き時代の話をしてくださいましたが今は、乗車はおろか線路ぎわを歩くことさえできません。

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40年前の内灘駅

ぶんしゅう殿の北陸一人旅シリーズを楽しく拝見しております。北鉄浅野川線内灘駅のカットを見て、40年前を思い出しました。昭和48年7月23日にDRFCのメンバーと尾小屋鉄道、東洋活性白土を訪ねた際に立ち寄っています。誰と一緒だったかが判然としませんが・・・。

内灘駅全景

内灘駅全景

ぶんしゅう殿の写真では右手奥にホームがあるようですが、この時は手前にホーム、奥に留置線でした。左手にもう1線分岐していますが、この線路が昭和49年8月に廃止された 粟ケ崎海岸まで行っていた線路です。正式な廃止は昭和49年ですが、訪れたこの時点でも線路上に木が生い茂る廃線状態でした。

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呉線急行-音戸、ななうら、安芸など

呉線区間列車に続き、呉線通しの急行・普通・貨物列車です。
1966年5月3日の夜は坂駅でステーションホテル。翌5月4日。空がまだ明けやらぬ内から、坂駅で撮影開始。先ず音戸が通過。
▼(左)下り301レ急行『音戸』、機C6215【広転】 5:34頃。(右)上り622レ     12728
12728

少し明るくなってきて、622レの出発。
▼上り622レ、5:36発糸崎行き、機C6214【糸】                   12730
12730

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2013年 続 秋の北陸路一人旅 Part2 福井鉄道その2、北陸鉄道浅野川線

第2日目 10月31日

今日は、福井鉄道の市内併用軌道線に旧型車を追います。午後からは金沢に移動して初めて北陸鉄道浅野川線を訪ねます。

016:30 朝霧がうっすらと立ち込める道の駅パークイン丹生ケ丘で寒い朝を迎えました。すぐに支度をして福井市内へと向かいます。

7:37 朝の通勤ラッシュが始まっていました。込み合う約18キロを、約50分をかけて市役所前停留所に到着しました。 近くに小学校があるのでしょうね。横断歩道を渡っての子供たちの通学光景がありました。 0604 04_1
市役所前停留所
は、えちぜん鉄道と共有する田原町駅へと向かう本線(福武線)から福井駅前へと分岐する通称駅前線とのスイッチバック駅でもあります。

珍しく停留所で駅員さんがおられて、利用客に切符を売っておられていました。
お聞きしますと、朝夕のラッシュ時には利用客の便宜を図るためにおられるそうです。

冬場は雪も多い福井です。真冬の朝夕は過酷な業務ですね。

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保存蒸機とその現役時代(24)

48640 1921年(大正10年) 汽車 製番519

2012.6.25 弘南鉄道弘南線新里駅構内 ▼

s-12.6.25弘南鉄道新崎48640

1969.3.31 川部駅 クモハ73106東ウラ氏撮影 ▼

s-48640 S44.3.31 川部

C5096 1929年(昭和4年) 日車 製番240

2013.1.5 静岡県焼津市小石川公園 ▼

s-130105焼津C5096

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都電ニュース

25-11-22
      飛鳥山/ (25-11-22)

7000形のトップナンバー7001号車が、黄色に赤帯の昭和40年代をイメージした塗装に変更されて、11月10日から運行されている。

7001の車歴は下記の通りである。
昭和30年12月日本車輌で7055として新製。
53年3月アルナ工機で車体を新製して7001に改番。
平成2年2月アルナ工機で冷房改造。

7000形は現在の黄色に青帯の7022、それ以外の標準色と3種類の塗装が揃ったが、標準色車の約半数はラッピングが施されている。

町屋駅前/ (25-11-22)

7001町屋

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広島 クリスマス電車

広電恒例のクリスマス電車が今年も運行されます。今日の中国新聞記事と広電ホームページから作った運行表をご紹介します。使用車両は冬場しか走らないハノーバー電車238号です。親子イベント電車と駅プレゼント電車にはサンタさんやトナカイに扮した乗務員が乗り込みますが、団体貸切電車にはサンタさんは乗りません。

H25-11-26 中国新聞朝刊

H25-11-26 中国新聞朝刊

 

年末 広島にお越しの方は日によって運行区間が異なりますのでご注意下さい。もし夜間コースを申し込んだ団体があれば、上記以外の運行もあり得ます。

準備完了! クローバー会EVE写真展

明日26日(火)に迫った第138回EVE、クローバー会から参加する写真展の準備を、今晩行いました。米手作市会長とともに、会員から寄せられた、同志社をめぐる京都市電の貴重な写真を、手際よく貼り付け、準備万端整い、明日の開場を待つばかりとなりました。なんとなく、数十年前に体験した、EVE前日の緊張感・高揚感を覚えた感じでした。P1100249

現役会員にとっては、生まれる前の写真ですが、興味津々で見つめる現役会員が印象的でした。会場は、良心館105教室。真新しい、きれいな教室です。現役の模型運転会、写真展、各種展示も、見逃したら一生の損、これは必見の内容です。会期は11月26日(火)~28日(木)の3日間、明日26日午後には、“みんなでEVEを見学する会 ”も開かれます。

大学構内には、巨大なクリスマスツリーが飾られ、出店のテント準備も終わったEVE前夜のムードを盛り上げてくれる。

P1100252sy会場では、クローバー会の準備の向こうでは、現役の準媚が続く。我々の時代なら、徹夜の準備が当然だったが、最近は諸般の情勢により、午後10時以降は構内に立ち入りが出来ないため必死の作業だった。米手会長は、めっきり老化の始まった身体に鞭打って両面テープを貼り付け、“弘風館カーテン火災事件”など、EVEの秘められた歴史を語り明かしていた。

 

芝山鉄道

25-10-31芝山千代田駅

10月31日、乙訓の長老が上京され、芝山鉄道を訪れた時の様子は、【40870】「関東便り(私鉄乗りつぶし)で鉄鈍爺様からの報告の通りである。
芝山鉄道は、関東地区在住の方以外は馴染みがないと思われるので紹介する。

〔沿革〕
成田空港開港時に、地元対策として東成田~芝山千代田間、2.2kmを開業した鉄道で、会社の設立は昭和56年5月1日、開業は平成14年10月27日である。

資本金は1億円で、主要株主は成田国際空港が68.39%、千葉県が14.59%を出資している。
当初は小型電車により線内折返し運行を予定していたが、京成電鉄との直通運行に変更された。

〔運行〕
平日64本、休日58本運行され、昼間の運転間隔は40分である。
昼間の運行は芝山千代田~成田間であるが、平日朝のラッシュ時に普通上野行3本、快速特急西馬込行、通勤特急上野行が各1本、夜間普通上野行3本が運行されている。また下りは、夕方のラッシュ時に西馬込発快速特急2本、羽田空港発通勤特急2本、上野発快速3本、上野発普通4本、朝方上野発普通3本が運行されている。
運行は京成電鉄に委託しており、京成の乗務員が芝山千代田まで乗務する。

〔運賃〕
自社線内の運賃は190円である。京成線内東成田~成田間の運賃は加算運賃適用で250円のため、芝山千代田~成田間は440円である。今回乗車した成田空港~成田~芝山千代田間は410円で、乗車距離が長いのに30円安く、成田空港周辺の運賃計算の複雑さを表している。尚、芝山千代田~上野間は1120円でそれほど割高感はない。

〔車両〕
自社所有の車両はなく、京成電鉄からリースしている。
開業から25年3月31日まで3600形8両編成1本を、4月1日からは3500形4両編成1本をリースしているが、京成電鉄の車両と共通運用のため、自社線を走行する機会は少ない。

25年3月31日までのリース車両
3611-3612-3613-3606-3607-3616-3617-3618
3600形は昭和57年から平成元年にかけて6両編成×9本=54両新製された車両で、平成9年から11年にかけて編成替えが行われ、8両編成×6本と6両編成×1本になった。
窓下の帯をグリーンに、正面に社紋、扉横に「芝山鉄道」のステッカーを貼り付けていた。

京成電鉄返却後は、窓下のクリーンの帯はそのままで、アクセス特急以外の8連運用に就いているが、両端がTcのため京浜急行には乗入れしない。

都営地下鉄西馬込検車区公開イベントで北総9001との並び/ (22-11-5)
3611 23-11-5
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今年のクローバー会EVE展示は “京都市電と同志社”

同志社最大の学生イベント、EVEが明後日26日(火)から3日間開かれます。今年も現役の鉄道同好会では、多彩な展示・発表を行いますが、クローバー会でも、さまざまな形で協力しています。今年のEVEでは、「市電で偲ぶ 昭和の同志社」と題して、同志社をめぐる京都市電の写真を展示します。

同志社の前を走っていた京都市電が消えてから、もう37年が経ちました。現役の会員諸君にとっては、生まれるずっと前の昭和の時代です。背後に同志社や付近の街並みの入った写真を、多くの会員協力で展示することが出来ました。すっかり新しくなったキャンパス・校舎で、昭和の時代には、こんな風景が展開されていたことを偲ぶのも、また意義のあることでしょう。

    第138回同志社EVE 

    11月26日(火)~28日(木)10:30~20:30

    鉄道同好会会場/良心館105号教室

みんなでEVEを見学する会/EVE初日の26日(火)午後1時ごろから夕方まで、良心館105号教室で、クローバー会有志による見学会を行います。平日ですが、暇を持て余している皆さん、ぜひ良心館へお越しください。

IMG_0003 (2)提供された写真の中で、最古参は、やはり乙訓老人のものだった。昭和34年の烏丸今出川を曲がる15系統の1000形だが、右に見える、オート三輪、ボンネット市バス、左の信号塔、電話ボックス、パチンコ屋などが続く家並みなど、市電を取り巻く風景が、その時代を雄弁に語りかけている。

2013年 続 秋の北陸路一人旅 Part1 福井鉄道

第1日目 10月30日

北陸路から戻って、立山砂防軌道ツアーを企画していただきましたKさんとお礼等々のやり取りをしていましたら、「立山砂防軌道乗車の翌日に対岸の山道から俯瞰の写真を撮ったが芳しくなかった。3年ぶりに訪れた山道の荒廃が進んでいて驚いた。撮影ポイントまで行けるのも、今年限りか!と痛感しました。紅葉の進む11月1日に急遽、再訪するつもりですが、1人では心細い所ですし、良かったら、ご一緒にいかがですか?」とのお誘いを受けました。
私も期待した紅葉が、今年は随分と遅れていてさほどではなかったとの印象を持っていましたので再訪を考えていました。2つ返事でご一緒させていただくことを決めました。

01_地図_自宅~敦賀例によってゆっくりとした旅が好きです。前々日にぶんしゅう7号を相棒に出発しました。

自宅からのルートは、前回は名神・北陸高速道を走りましたが、JRでもお分かりのように湖西線が強風の際は特急サンダーバードは米原を迂回して走ります。ただ走行距離が長くなるために所要時間は、約30分の延着を余儀なくします。
道路をナビで確認しますと、湖西ルートだと敦賀まで約107キロと湖東を走る高速道路ルートよりも2/3と短くなります。実際の走行は一般道のために渋滞や信号で時間的にはかかるかもしれませんが、西大津バイパスが延伸されて近江舞子辺りまでは準高速道路です。高島~マキノもバイパスになっています。問題はマキノ~敦賀の山越えですが、ここを乗り切れば、湖東ルートと比べてもそれほど時間差はないだろうし、高速代もかからずです。今回は湖西ルートを節約のために選択して、高速道路は一切使わずに行くことにしました。

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保存蒸機とその現役時代(23)

D51146 1938年(昭和13年)日車 製番670

2013.9.10 静岡市城北公園 ▼

130910静岡D51146

1969.6.18 室蘭本線洞爺~豊浦 上り貨物 D51146+D52 ▼

s-690618洞爺D51146

 

D51428 1940年(昭和15年) 日車 製番803

2013.1.9 大田区東調布公園 ▼

s-13.01.09東調布D51428

1965.9.4 常磐線浜吉田 下り貨物 D51428[長町] ▼

s-650904浜吉田D51428

 

東武鉄道クハユ299号

昭和43年ごろ東京にいましたが、休日には疲れ果てて乗り回しにも行っていませんでした。いま考えると残念至極。それより以前の中学生時代に特急「はつかり」と「あさかぜ」を撮るために親戚の家に泊まって見に行ったことがあります。そのとき東武の西新井まで行ったらしいのです。なんで東武に乗ったのか、なんで西新井なのか、さっぱり思い出しませんが写真を撮っているので間違いありません。それが唯一の東武の写真です。寒い2月のどんよりした日でした。

東武クハユ290型_NEW 東武クハユ290型(文)_NEW s-FH000013 s-FH000014

呉線-蒸機牽引区間列車

呉線の蒸気機関車牽引の写真は、これまでに湯口先輩、青信号特派員さん、その他沢山の方が投稿されています。モノクロやカラーで美しい瀬戸内の風景も同時に見せて戴きました。筆者も人並みに、呉線を訪れていましたが、海岸線を行く画像は二番煎じ、出涸らし茶ですので、少し変わった画像を紹介しましょう。夕刻から早朝にかけ多数運転された、広島-広間(糸崎-竹原、竹原-広島間も含む)の、蒸機牽引区間列車です。

1966年当時区間列車が、広島→広間(上り)の5本、広→広島間(下り、内2本は広→宇品間)の5本がありました。この他、糸崎→竹原、竹原→広島間にも各1本がありました。これらは通勤・通学列車でしょう。早朝と夕刻の運転です。1960年代高度経済成長期時代の呉、海田市、広島、宇品など工業地域への通勤列車でしょう。この他に広島←→糸崎間の通し運転の蒸機列車やDC、区間列車のDCを含めると、たいそうな列車本数の呉線でした。

この内、夕刻の広駅折り返し列車については、広駅にターンテーブルが無い為、上りもしくは下りのいずれかで大型蒸機のバック運転が見られました。呉駅に回送、方向転換の時間的・ダイア上の余裕が無かったためです。蒸機はC59、C62、D51でした。残念ながらC59のバック運転の写真が撮れていませんが。

また、夜間の列車は正位運転で広駅に向かい、到着後機関車を呉駅にバック運転で回送、呉駅のターンテーブルで方向転換し、翌朝再びバック運転で広駅へ。ここで客車を連結、正位で広島に向かうという、手の込んだ方式でした。

▼上り客926レ、広行き、坂駅に到着。機C6218【広島(運)】、1966.05.03    C2710C2710 続きを読む

オロナイン軟膏3個! 今年のホームカミングデー 

乙訓の老人から、先ごろ行われたホームカミングデーの参加記が寄せられましたので、写真とともにご紹介します。なお、タイトルの「オロナイン軟膏」ですが、50年前に新語・流行語大賞があったら、まちがいなく選ばれている古典ギャグです。老いてもなおクローバー会への深い愛情を絶やさない老人ならではのタイトルとしてご理解ください。では。

このところ恒例行事となったホームカミングデー、今年も多彩な内容で、鉄道趣味者として興ryoshinkan味惹かれるものであった。第一部は今出川校地の西北に新築された良心館で「教室での会合」が開催された。

今年のホームカミングデーの会場は、新築の良心館

(1)まず湯口会員の「軌陸車の話」であった。デジ青【40044】2013年9月24日で紹介された「日本の内燃動車」の延長線とも言うべきもので、内燃車の陸上走行から鉄軌道での走行を可能にするため、種々の考案が生み出され試行錯誤を辿った姿が、日本を始め海外の事例をふくめ、スクリーン上で映写しながら紹介された。本件について、このところJR北海道が開発に着手、実用化に向け地域外での試行も報じられているが、通学(通勤は対象外)時の輸送力不足から実用化には問題が生じているとかで目下、頓挫しているようである。

P1100149

レールも道路も走る“軌陸車”について、湯口さんらしい考察と写真が披瀝された

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警告!ネオパンシンドロームはどっこい続く

かまいたち
1950年代のネオパンフイルムのベースが、化学分解し抽出した酢酸が強烈な臭気を発し、次いでフイルムにカビの如き不気味なものが発生し、フイルムベースが縮むだけでなく、他のフイルムにまで伝染し、結局は使い物にならなくなる―猛威を振るったネオパンシンドロームは、1960年の製品までと思われてきた。小生も学生時代の一番脂が乗りきっていた時期の35mmフイルムが100本以上やられてしまい、再起不能である。

ところが、1961年のフイルムもやられ出したことに昨今気付いた。早目に処理すれば表面に発生した「鎌鼬=かまいたち=小生が名付けた現象」をフイルムクリーナーで力任せにこそぎ落とし、デジタル修正で何とかレスキューも可能だが、ある時点を過ぎると見るも無残=救出不能になる。掲載は1961年2月撮影の福島電気鉄道軌道線である。

今回気付いたのは、1960年以前のやられ方と少し違い、フイルムベースがペラペラに薄くなっていること。化学専門の鶴兄によれば、一旦この現象が現れると、元には絶対戻らない由。

諸兄!1961年以降のネオパンを、至急点検し、早めにデジタル化されることをお勧めする。他に対策はない。それにしても日本を代表する大企業の富士フイルムは、一体どこまで「知らぬ顔の半兵衛」を決め込むのか。企業モラルの欠如はJR北海道や諸々の(一流)外食産業だけではない!