広島の外廻り鉄

KAWANAKAです。

本当に久し振りの投稿をさせていただきます。最近はシルバー世代であるに拘らず副業に追われており中々、出掛けるチャンスがありません。

そんなとき、偶々、福山に副業に行くことになったので、西村氏の広島へ来んさい、の記事に誘われて副業のついでに外廻り鐵をしたということです。内容的には何も大したことはありません。イベントがあるわけでなし、お目当ての車両が走るわけでもないのですが、モタモタしていると広島地区の鉄道が様変わりしそうなので、この機会を逃す手はないと思い、西村氏に声を掛けた次第です。折角ロケするのだからデジ青に投稿して皆さん広島に来てください、と言うてくれ(かどうか忘れましたが)とのことで、貴重な電子データを借用する次第です。

さて多忙な中、暑いのでとの配慮からマイカーでロケに行きましょうと氏の居を構える本郷からスタートしました。特に何を撮ろうというのではなく、来たものを撮りつつ広島で旧車と新車を取り混ぜて撮っておこう位の気持ちで出とこ勝負、気楽に出かけました。ガツガツするのももう歳ですし、来たら眺め蘊蓄を傾けるというのも良いでしょう。という訳で、本郷を出て間もなく郷原信号場跡に車を止め路肩の広い空き地を利用して2,3構えることにしました。信号所の跡の研究ではなく、広島空港行の高速道路の橋を入れて撮ろうということになっただけのことです。

P1830281
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2014年 ドイツ、メルヘン鉄道の旅 Part20 モリー鉄道へ その1

04▲ 6:33 朝日を浴びて目覚めようとしている99-7243号機。また会いにきますと約束してハルツ狭軌鉄道と別れました。

今日はローカル列車の乗継で蒸気機関車がトラムのように街中を走るモリー鉄道へと向かいます。

第11日目 6月4日 その1
① ヴェルニゲローデ 7:38(HEX80223)→8:44マクデブルク Magdeburg
② マクデブルク Magdeburg 9:08(RB17812)→10:37 ヴィッテンベルク Wittenberge
③ ヴィッテンベルク Wittenberge10:50(RE83959)→12:21 ヴィスマール Wismar
④ ヴィスマール Wismar12:42(RE13123)→13:29 バート・ドベラーン Bad Doberan
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保存蒸機とその現役時代(31)

今回も保存機の数ナンバーワンのD51である。

D51849  1943年 浜松工場 製番82

新製後稲沢、中津川、多治見等その生涯のほとんどを国鉄名古屋鉄道管理局管内で過ごし、1972年6月に廃車された。

2012.12.26 豊田市交通公園(愛知環状鉄道愛環梅坪駅から約1kmの坂道を20分)閉園跡の姿を望遠レンズで遠巻きに撮影したD51849▼s-12.12.26豊田D51849

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2014年 ドイツ、メルヘン鉄道の旅 Part19 ハルツ狭軌鉄道 その5

01第10日目 6月3日 その3

20_113:20 ヴェルニゲローデ駅前に戻ってチャーターするTaxiの料金交渉です。
案内所があっておばちゃまが仕切っておられるようですが大津の86さんが流暢に挑まれます。おばちゃまは客待ちの運転手を呼んで双方の料金提示を聞いての仲介をしていただきました。

乗って目指すはブロッケンノルトハウゼンへの路線が分岐するドライ・アンネン・ホーネ手前のカーブです。

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 湖西線 開業40周年 -2-

湖西線初乗りの日

西大津で発車式を撮ったあと、10時57分発の新快速3628Mに乗った。湖西線の新快速は、すべて堅田行きだが、シーズン中は近江今津まで延長運転されており、初日からさっそく実施されていた。ただ、新快速は153系6両の時代で、車内は満員、各列車とも次第に遅延してきた。比良で降りて、普通列車に乗り換え、北小松へ向かう。現在、新快速は近江舞子以北は各駅停車で、北小松にも停車するが、当時、新快速は北小松は通過していた。北小松にすべての新快速が停車するのは、平成8年の改正からだ。syuIMG_0009sy思い出の北小松に降り立つ。江若の北小松駅跡はまん前にあった。江若廃止後も駅舎などはしばらく残っていたが、いまは跡形もなく、道路の広場と化していた。5年前の同志社北小松学舎での宿泊合宿を思い出しながら、近江高島方面へ歩き、ヘッドマークつきの113系を待った。電車もさることながら、真新しい軌道が印象的だった。全線高架、踏切ゼロが謳い文句の湖西線だが、柵も何もなく、難なく線路端へ到達できた。

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2014年 ドイツ、メルヘン鉄道の旅 Part18 ハルツ狭軌鉄道 その4

12▲ 10:33 撮影地⑤ Google座標;51.832167, 10.780331
ブロッケン山を登る登山鉄道としてハルツ狭軌鉄道は有名ですが、ヴェルニゲローデを出るとしばらくは高低差もなく、ロッジ風な自然の緑に合う家々が並ぶ街中を走ります。道路との平面交差もあって撮影場所には困りません。

 

第10日目 6月3日 その2

9:00 美味しい朝食後は路線バスに乗って、大津の86さんお奨めの最初の撮影地”Wernigerode Hochule Harz”へと向かいました。
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 湖西線 開業40周年 -1-

湖西線初乗りの日

湖西線が開業して40周年を迎えた。江若鉄道が廃止されたのが昭和44年11月、その廃線跡も利用して工事が進み、その5年後の昭和49年7月に山科~近江塩津間74キロが開業するというスピード開業だった。

江若鉄道の廃止は確かに一昔も二昔も前の出来事、という認識が私にはあるが、その5年後の湖西線開業は、今から少し前の出来事という思いがある。それだけ、江若鉄道と湖西線は、同じ湖西地方の鉄道として語れないほど、全線高架・複線電化の超近代的な鉄道の出現だった。

sysy140720_063▲その湖西線開業40周年を祝って、開業日の7月20日に「湖西線開通40周年記念号」が京都~近江今津間にDD51+サロンカー「なにわ」で運転され、さらに近江今津~敦賀間に、同編成で「高島市民号」が走った。私もホント久しぶりにイベント列車の撮影気分を味わった。

さて、話は40年前に戻る。湖西線開業の日、昭和49年7月20日は土曜日だった。私も社会人になって3年目、この年に勤務先ではようやく土曜日が休みになった。喜び勇んで、朝から湖西線の開業の模様を確かめに行った。

京都7時43分発の堅田行き113系8連の458Mに乗り、山科から湖西線で入る。まず通過する長等山トンネルは、トンネル内で下り旅客線と貨物線が合流する珍しい構造であることがよく紹介されていたから、車内から目を凝らして、しっかりと確認した。長等山トンネルを出ると、すぐ西大津。大津でも浜大津でもない、“西大津”という駅名がずいぶん新鮮に聞こえた。

syuIMG_0001▲つぎの唐崎までの間、カーブから乗車列車を写す。車窓からは琵琶湖がきれいに見える。高架からの琵琶湖は、江若では味わうことができなかった新鮮な眺めだった。ちょうど下に直線で走る道路は江若の廃線跡だ。湖西線の開業を見越して、宅地開発がずいぶん進んでいたことが分かる。

syuIMG_0003▲湖西線の普通列車はすべて113系電車となった。寒冷な湖北地方も走ることから、耐雪耐寒設備、ドア半自動化が必要となり、新たな仕様の113系700番代が全車冷房つきで新造された。当時、東海道線を走っていた0番代と比べると、前照灯がシールドビームになったのが、外観上の大きな違いで、おとなしい印象となった。当初は4両編成単位で使用、同番代はその後改番され5700、5750番代となっている。syuIMG_0007syuIMG_0005▲堅田から西大津に戻り、祝賀列車の発車式を待った。祝賀のヘッドマークは、すべての113系電車に取り付けられ、すべて4両2本の8連で運転されていた。

IMG_0006西大津9時42分発の464Mが祝賀列車となった。最初、祝賀列車が発着する下りホームで待っていたが、直前になって、関係者以外は立入禁止と職員から追い出された。やむを得ず上りホームから、発車式を写した。しかし、この写真を見ると、関係者以外も相当いるように思える。

2014年 ドイツ、メルヘン鉄道の旅 Part17 ハルツ狭軌鉄道 その3  ヴェルニゲローデ機関区の朝

また南の島に行ってきました。その間投稿が途絶えてしまい申し訳ございません。1週間ぶりの投稿になりますが、ハルツ狭軌鉄道の続編投稿を続けさせていただきます。

03 第10日目 6月3日 その1
6:30 今日は終日、ハルツ狭軌鉄道の撮り鉄です。まずは朝食前の運動にと、ホテル前のヴェルニゲローデ機関区に行ってみました。
ホームに入線していたのは、7:25始発のディーゼルカー187系017号車の8901列車です。187系は、1999年に4両が投入されています。古そうな外観に比べて室内は近代化され、自動切符販売機が設置され、始発と最終の2往復に運行されていました。
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少し前の近江鉄道

137-3 44-2-9
高宮~多賀間を走行するモハ137 / (44-2-9)

6月7日【47699】「西武鉄道モハ241に寄せて」(https://drfc-ob.com/wp/archives/47699)で、昭和45年頃近江鉄道に在籍していた元西武の電車を紹介したが、同時期に在籍した他の電車を紹介する。 昭和45年4月1日の在籍車両は、編成単位では下記の通りである。
←貴生川
モハ1+クハ1213    モハ2+クハ1222    モハ3+クハ1220
モハ4+クハ1219    モハ5+クハ1221    モハ6+クハ1218
モハ7+クハ1205    クハ1206+モハ8    モハ9+クハ1208
クハ1214+モハ131   クハ1215+モハ132  モハ51+クハ1207
モハ52+クハ1212    モハ135+クハ1210
モハ201+サハ101+モハ202(サハ101は連結されないことが多かった)
モハ501+クハ1501
モハ136  モハ137(モハ136、137は単行及び増結用)
モユニ10
上記のうち、モハ7+クハ1205、クハ1206+モハ8、モハ9+クハ1208、モユニ10は元西武の車両で【47699】で解説済であるので、それ以外の車両について解説する。
撮影した車両は、直前、直後に廃車、増車された車両も含めているが、全車両撮影した訳ではないことをお断りしておく。
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 窓から写した駅・列車 -11-

ラッシュ時のローカル駅

ローカル線の旅客輸送を、今と昔を対比すると、昼の時間帯は、それほど乗客数に変化はないように思う。いつの時代も車内は空いていた。近年は編成の短縮化が進んでいるから、実感としては最近の方が混んでいるようにも見える。比較して極端なのは朝夕のラッシュ時だ。ローカル線に限れば、現在、ラッシュ時の乗客は高校生だけと断言しても言い過ぎではない。あれほどいた通勤客が今はごっそり消えてしまった。みんな自動車通勤に転移してしまったのか。車窓から見た交換列車の光景も、それを象徴している。sy140710 (8)▲西鹿児島駅の夕方のラッシュ時、C61のラストナンバーC6133が牽く鹿児島発川内行き226列車が入線して来る。時刻は18時50分、ちょうど退け時とあって、ホームは通勤客であふれている。地方の県庁所在の駅であっても、現在ではまず見られない光景だ。この乗客のほとんどがクルマ通勤に切り替えたのだろうか。考えると、空恐ろしい気がする(昭和45年)。

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2014年 ドイツ、メルヘン鉄道の旅 Part16 ハルツ狭軌鉄道 その2

3433▲ 交換待ちに蒸気機関車運転席を見ていると、お招きをいただきました。

外観はご覧のとおり、どの蒸気機関車も磨かれて黒光りする美しさですが、運転席内もこれでもかと磨き上げられています。ほとんどの機器が新品かと見間違うほどです。

35床に落ちた石炭がらも放置されず清掃されてて、とても蒸気機関車の運転台とは思えません。
ここまでするには、毎日の整備にありったけの時間と手間をかけているのでしょうね。鉄道員、そして機関士としての誇り高いドイツ人気質に感服です。
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山陰本線・山口線復旧、C571故障、両備鉄道

一昨日に引き続いて またも中国新聞の受け売りで失礼します。まずは山陰線と山口線の運休区間が復旧、開通との吉報です。まず8月10日に山陰線が、8月23日に山口線が全通します。

H26-7-17 中国新聞

H26-7-17 中国新聞

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三江線 続報

いつも中国新聞の受け売りで能がありませんが、ご容赦を。19日の全面復旧に向けての試運転の記事です。

H26-7-15 中国新聞

H26-7-15 中国新聞

この種の記事で「キハ120系」と具体的な車両形式が記されるのは珍しいように思いますが、この黒田記者は鉄チャンなのでしょうか?それなら写真の機関車も「奥出雲おろち号に使われるDE152558」と書きそうですが そうでもないところを見ると 単なる気まぐれか?

 

2014年 ドイツ、メルヘン鉄道の旅 Part15 ハルツ狭軌鉄道 その1

04▲ 13:22 発車準備が出来たブロッケン行きの8935列車。8両の客車を牽引するは、HSBの主力機99-7234-0号機です。麓のヴェルニゲローデ(Wernigerode)から山頂のブロッケン( Brocken)までは約34キロ、30‰以上の勾配を上り、標高差891mの標高1,125mまで参ります。
まだ本格的なシーズンに入る前で月曜日の午後とあって乗客は少ないようですが、それでも親子連れや年配者がホームで蒸気機関車の見学をされていました。これから約2時間の山岳鉄道の旅が始まります。

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