【57507】思い出の阪急2300 -1-

2300についての思い出を少し綴ってみたい。と言っても、記憶も記録も断片的なものしか残っていないが。
私が少年だった頃の阪急京都線は、暗くて陰気な印象しか残っていない。まだ京都側の始発が大宮(当時は京都)だった時代で、遠くて駅まで行くのがたいへんな不便を強いられた。やっと着いた大宮駅は、暗くて狭くて暑苦しい地下駅で、乗った電車も地味な色で、しかも特急と言えどもロングシートに当たることも多く、とにかく華のない電車で、国鉄、京阪に比べて全く魅力がなかった。
そんな暗くて陰気な阪急電車を、すっかり変えてしまったのが、2300のデビューであり河原町への延長だった。2300デビューは、実際は昭和38年6月の河原町延長の2年半前だが、京都の少年にとっては、この二つは同じ時期の出現に映った。
IMG_0001sy[1]突如、四条通に現れた地下の河原町駅、大宮と同じ地下駅だが、蛍光灯が燦然と輝き、きれいで明るく広い、しかも歩いて行けるほどに近い。初日に勇躍初乗りしたのが2300だった。ロングシートは残念だが、窓は大きく、車内も明るい。“オートカー”と言って、自動的に速度を定格速度を保つと、新聞は報じていた。“電子頭脳”の惹句が何やら新時代の到来を感じさせた。2300の出現は、阪急のイメージをすっかり変えてしまったのだった。
昭和38年6月、河原町延長の初日、ホームに停車する2300をある方からいただいた写真で再掲載してみた。2301先頭のWヘッドークつき特急、2300デビューの頃の象徴的なシーンだろう。しかし、その座は長くは続かなかった。  50327004sy初めて撮った2300がコレ、約50年前の昭和41年、大山崎で国鉄線と併走しながら河原町へ向かう2300急行。デビュー当時、特急運用に就いた2300も、その後継のクロスシート車2800が昭和39年にデビューし、増備が続くと、早くも特急運用の座を譲り渡すことになる。その間、わずかに4年程度で、そのあとは、京都線のトップランナーになることはなかった。この日の撮影目的も、デビュー間もない2800と、デイ100だった。


【57412】2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part15  CFF Vişeu de Sus(ヴァッサー渓谷森林鉄道)その5 再び山へ

DSCN9058_150▲ 今日の列車の車内には、可愛いルーマニア美人のお嬢さんが乗っておられました。お名前はANA(アンナ)さん。持っておられるのはこの地方の名物、地酒のブルーベリーアフィナタ。家庭でも作られるこのお酒はペンションでも出ました。これはワインと同じく水替わりで、この鉄道の撮影中は毎日飲んでいました。お嬢さんに入れていただくと一段と美味しくなるお酒です。
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【57365】ぐるっと鹿渡  旅の計画と第1日目 君は木道を見たか

 準特急さんの投稿からあれよ、あれよという間に鹿渡で冬季狂化合宿を行うことになった。さて、どのようにして鹿渡に行くか。旅の楽しみは計画を立てることから始まる。まず、デジ青にもあったように上境駅近くのお墓にはお詫びに行かなければならない。鹿渡の先に行くか、それとも鹿渡に泊まってから行くかで変わってくる。考えた末に大阪を長野行の夜行バスに乗り、早朝に長野駅から飯山線で上境へ、そして鹿渡へという計画にした。が、東京在住の会員と親睦を図ろうという話がでて、東京経由で鹿渡へ行くことになった。さて、どのようにして東京へ行くかであるが、ここが最初の思案のしどころであった。どのようなことを考えたかというと・・・

1.できるだけJR以外の鉄道会社路線を使って行く。

2.旧東海道線を通って行く。すなわち、丹那トンネルを通らずに御殿場線を通る。

3.最寄りの王寺駅より西日本ジェイアールバス夜行高速バスのプレミアムシートに乗って行く。

4.徳島まで行き、オーシャン東九フェリーで行く。

などであるが、これらはただ乗るだけであるので意外と東京までの間のところをあまり見ていない。東京までのどこかを見ながら行ってみようと考えた。

ぐるっと鹿渡ルート地図-1w

濃い青色は1日目 黄色は2日目 空色は3日目 赤色は4日目で帰途に

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【57253】2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part14  CFF Vişeu de Sus(ヴァッサー渓谷森林鉄道) その4 奥地から下山

DSC_362521▲ CFF Vişeu de Susで働く仲の良い(きこり)さんご夫婦。斧も背負ってはおられますが木を切るのは今はチェーンソーです。殆どのさんたちは、毎週月曜日から金曜日まで山に上がって働かれますが、私たちのような観光客のためにこちらで住まわれているご家族もおられます。奥さんは我々の食事の支度もされていました。
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【57328】新京成8000系

特派員氏の復帰第一回投稿は“新京阪”ですが、関三平先生は“新京成”です。どうも私は卒業以来東京に住んでいたのですが、元来の客車マニアのため私鉄、それも関東系は興味がなく、乗ることが少なかったのです。とりわけ東の方向へは縁がなく、新京成などは見たこともありませんでした。今回の記事で、千葉の鉄道連隊が起源だと知ったほどです。
藤本さんに怒られてしまいそうですね。

新京成8000系_NEW 新京成8000系(文)_NEW