WANTED 皆さん、僕たちの組立式レイアウト、どうしたでしょうね。

 西村さんが模型の話題を投稿されていましたが、私も西村さんのように車両を本格的に製作することもあまりありません。そこで少し気になっていた「そんなん、口笛を吹きもってできるやん!」と言って枕木を1万4千本(一説には2万本?)を作っという人たちの超人的な活躍で出来上がった組立式レイアウトの写真がありました。その組立式レイアウトは現在、放浪の旅に出ているようで、どうも、どこでどうしているやら行方不明なのであります。その発見の手がかりになればと、どこで開催したかわからない運転会とEVEの時に撮った写真を公開手配写真として見ていただきます。EVEの写真は1971年11月27日に、そして運転会は1972年10月5日の木曽森林鉄道に行った時に少しフィルムが余っていたので撮ったものです。青信号29号の活動報告によると1972年10月14日、15日に枚方で模型運転会を行っています。どうも、この時のようです。それではEVEの時の写真からですが、室内なので暗く、手持ち撮影、フィルムはネオパンSSですので状態はかなり悪いものです。しかし、スキャンしてデジタル化すると最近の画像処理ソフトは優れているので、まあ何とか見れるようになりました。

Sw-MN02201-DRFC EVE

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芸備線100年 番外編

連載記事は終了したのですが 今朝の朝刊にまた関連記事が掲載されたのでご紹介します。

H27-5-31 中国新聞朝刊

H27-5-31 中国新聞朝刊

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記事の中に出てくる乗客の苦言に「今も昔も殆ど所要時間が変わらん」というのがあります。私の手元にある古い時刻表は54年前 昭和36年6月号しかないので これで比較をしてみました。広島⇒三次の所要時間は

54年前 606D急行ちどり号                    1時間9分                          現在  5856D快速みよしライナー(上記写真の列車)    1時間22分

54年前 324レ 広島発姫路行き各停              1時間53分   現在  1854D 広島発三次行き各停              1時間41分

となりました。急行ちどり号の途中停車駅が吉田口、甲立の2駅であるのに対して、快速三次ライナーは下深川までの各駅と志和口、向原、甲立の8駅というハンディはありますので それは考慮するとしても 大差なしと考えて良いでしょう。昔の方が速いのです。一方普通列車はどうかというと、多分C58が牽く客レに対して 54年経っても12分しか速くなっていません。駅の数は同じです。そう考えると 扇風機がエアコンに替り、黄害がなくなり、機関士、機関助士、車掌の3人がワンマンになったのが半世紀の進歩ということですね。芸備鉄道と比べるとまた何か見えてくるかも。

全く余談ですが 上記324レは芸備線全線を走破し 新見から姫新線全線を走って姫路に向かう列車です。広島発10:16、姫路着23:15 13時間の長旅です。三次で7分、備後落合で41分、新見で1時間26分、津山で35分停車です。今こんな列車があれば絶対に乗りに行きたいですね。

芸備線100年 追憶シリーズ その7(おわり)

もっと続くのかと期待していましたが、連載はこれで終わりのようです。

H27-5-30 中国新聞朝刊

H27-5-30 中国新聞朝刊

当時のスキー列車の風景として 龍ケ森やあるいは江若鉄道でも同様の光景が記録されていますね。この備後落合の写真のように、何気ない日常の、生活感あふれる あるいはその場の喧騒が聞こえてきそうな写真が 今となっては実に貴重な記録となることを教えてくれているようです。先に発売されて大好評の 特派員氏の京都市電の本を見ていても同じように感じます。なぜもっと早くそのことに気付かなかったのかと悔やんでみても もう時すでに遅しですが。また そうとわかっていてもそんな写真が撮れないのは感性の問題だろうとあきらめていますが。

京王(帝都)電鉄6000系5扉車

京王6000系は京王初の20メートル車、ワンハンドル車、そして最後の鋼製車として1972年から1991年にかけて304両つくられた。5扉車は6000系としては最終新製となる1991年に5両編成4本(6000の21から24の4編成)計20両が製造され、今となっては異端車である。使用目的や運用などは概ね関先生の説明のとおりであるので私からは現役時代の姿を数枚紹介するが本来の目的の通勤時対策として10両編成の中間に使用された写真は撮っておらず邪魔者扱いされた晩年の姿であることをお許し願いたい。

 

<相模原線内各停用に6両化された6021の編成>

2006.3.21 若葉台~稲城間を行く各停調布行き6721 ▼ s-06.3.21若葉台~稲城6721

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芸備線100年 追憶シリーズ その5、その6

2つまとめて紹介します。平成3年にJR四国の車両で試運転をしたとは知りませんでした。仮に高速化を実現していたとしても 結局高速バスに軍配が上り 短命に終わったことでしょう。

H27-5-28 中国新聞朝刊

H27-5-28 中国新聞朝刊

H27-5-29 中国新聞朝刊

H27-5-29 中国新聞朝刊

芸備線100年 追憶シリーズ その4

 

H27-5-27 中国新聞朝刊

H27-5-27 中国新聞朝刊

今回は少々重い話題でしたので、軽い話題をオマケします。同日の記事です。

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ドルトムントからやって来た連接車で76号として活躍していました。今は広電本社近くの広電直営のスーパーマーケット前に保存されています。数年前KAWANAKA氏とランチを食べようと行った時には すでに廃業でガッカリした思い出があります。

 

 

芸備線100年 追憶シリーズ その3

その2では諸先輩から「かつぎ屋」についての具体的な解説を寄せて頂きありがとうございました。その3は「ちどり号」です。これもまたいろいろな思い出話が出てくるのを期待しましょう。

H27-5-26 中国新聞朝刊

H27-5-26 中国新聞朝刊

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2015年 西方見聞録 ハンガリー鉄路の旅 Part57 最終日、帰国

01_Map2_100長らく掲載させていただきましたルーマニア・ハンガリー鉄路の旅も今回が最終回となります。ご覧いただきまして大変ありがとうございました。
今回の旅はルーマニアの首都ブカレストのトラム・メトロとの対面から始まりました。そしてルーマニアでは初めて夜行寝台列車に乗って、ウクライナ国境に近いヴァッサー渓谷森林鉄道とモルドヴィツァ森林鉄道を訪問、蒸気機関車ツアーに参加しました。
ツアーが終わってからは一人旅でクルジュ・ナポカ、オラデア、ティミシュアラ、アラドを訪れてのトラム撮影、セルビア国境近くではルーマニア最古の鉄道線に乗車、レシタ鉄道公園訪問にも参りました。最後はハンガリーの首都ブダベストに移動してトラム・メトロに乗っての珍しいラック式や子供たちが運営に参加している鉄道を見て歩きました。どちらの国も鉄路は長く、全線見て行く事は限られた日程では難しく次回に宿題を残しました。また機会を作って老体が元気なうちに訪れてみたいと思っております。また投稿をさせていただきますのでよろしくお願い申し上げます。

それでは今回の最終投稿です。ご覧ください。

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内燃機関車揃い踏み

模型の話題が少ないので あえて拙作を登場させることにしました。以前にこのデジ青でご紹介したものも多いです。備後の非電化零細田舎鉄道では社是として新製または中古機購入するのはDB、DC、DDまでと決まっていまして、DE,DFは入線できません。まず写真1です。

写真1

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右からDD10、DD11、DD12、DD15、DD16です。DD10は以前にも登場済です。我が国電気式DLの先駆けで戦前生まれです。DD11はSANGOのキットを組んだ最新作です。ロッドを忙しく振り回しながら走るのは愛嬌があってよいのですが、全軸駆動にするとモーターパワーが弱いせいか調整が下手なせいかうまく走らないため片台車のみの駆動にしてあります。DD12はホビーモデルのキットを組んだものです。アメリカンスタイルは好みではありませんが、パワトラ装備のため快調です。DD13,DD14を飛ばしてDD15です。これはエンドウのDD13完成品を冬装備のDD15に改造しただけのものです。DD16もキット組で もう1両在籍しています。

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伊賀鉄道

先日、I氏が来られ久しぶりに伊賀鉄道に出掛けました。近鉄形が無くなり東急タイプのみとなっていますがいずれも忍者列車として活躍しています。水田への写りこみは私はいいのが無かったのですが上野城を眺める場所での写真となります。0520上野城

この後古い写真を捜していると、5000形さよなら運転時の写真がありました。伊賀神戸の一つ上野よりの比土と上野市と伊賀上野間の5000形です。
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2015年 西方見聞録 ハンガリー鉄路の旅 Part56 ブダベストのトラムに乗って その13 トラム夜撮③

DSC_8941Szent Gellért tér から47系統のトラムに2駅乗って降りたKálvin tér 電停。メトロ3・4号線が交差しての接続駅ですので乗換客も多く見かけます。後方の教会はカルバンプロテスタント教会(Kálvin téri református templom)です。
47・48・49系統が走る路線は連続5電停ともメトロ接続になっています。利用客が多いのでホーム幅も広く、3連接車が2編成入っても十分なスペースが確保されています。
かつての京都市電四条烏丸のような利用客が車道にはみ出した光景はここではありません

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2015年 西方見聞録 ハンガリー鉄路の旅 Part55 ブダベストのトラムに乗って その12 郊外電車

DSCN9844_100DSCN9843077「お~い、電車を撮るなら俺も撮ってくれよ。」と、お呼びがかかって撮りました郊外電車の運転手さん。アゴヒゲをはやした中々ダンディなおじさんです。
ブダベストにはトラム・メトロ・ラック式登山電車・子供鉄道の他にも郊外電車と様々な鉄道が走り鉄道ファンにはこたえられません。述べ4日間もあれば回り切れるかなと思っていましたがちょっと甘かったようです。
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芸備線100年 追憶シリーズ その2

本日の朝刊から。

 

H27-5-23 中国新聞朝刊

H27-5-23 中国新聞朝刊

私は子供の頃 家に「米穀通帳」があったことは覚えていますが、闇米運びの光景は知りません。ところで この写真を見ていて変な感じを受けたのですが、デッキの向こうのドアが四隅にRのついた窓なのです。闇米運びがあった頃にHゴムの窓があったとは思えないのですが・・・。これは闇米ではなく 単なる大きな荷物を背負った人、もしくは行商人ではないかと。諸賢のご意見をお聞かせ下さい。

芸備線100年追憶シリーズ その1

芸備線100周年にちなむ中国新聞の連載記事をご紹介します。まずは平成27年5月22日の朝刊から。

H27-5-22 中国新聞朝刊

H27-5-22 中国新聞朝刊

雪国育ちではない私には 冬の大夕張鉄道で96に押されて走るラッセル車が初めて見る除雪列車で 感激したものですが、更に排雪列車となると見たことがありません。道路事情が悪く、まして冬には鉄道だけがライフラインだった地域は数多くあったでしょう。それだけに「列車をとめてなるものか」という鉄道マンの思いは今とは比べものにならないものがあったでしょう。

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2015年 西方見聞録 ハンガリー鉄路の旅 Part54 ブダベストのトラムに乗って その11 ブダベスト西駅、鉄道歴史公園

DSC_872601103_西駅1846年7月15日、ブタベストとVacを結ぶ初めての鉄道が開通しました。この時に建設されたのが初代のブダベスト西駅(Nyugati pályaudvar)です。現在の駅舎は、エッフェル塔で知られるギュスターヴ・エッフェルによって設計され、1877年10月28日に建て替えられました。ご覧のようにガラス窓が大きくとられた鉄パイプ構造は当時、画期的な快挙と言われました。
開業時にはまだトラムが走ってはいなかったようですが、現在の西駅前には6両連結の低床車コンビーノ・プラス(Combino)によるトラム4・6系統が2~3分に運行されて、常時発着しています。
※ 完成時の写真はブタレスト市公式HPからの転載です。
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2015年 西方見聞録 ハンガリー鉄路の旅 Part53 ブダベストのトラムに乗って その10 トラム夜撮②

DSC_8673038_1ブダベスト市内を流れるドナウ川には9本の橋が架かっています。この自由橋は上流からは6番目の橋で、1896年に完成しました。くさり橋を模したガーバートラス橋で、長さは333.6m、幅20.1m、最大スパーンは170.75m、橋脚は4台(川の中2台)で当初からトラムと車の併用橋でした。橋脚の最上部にはハンガリーの建国神話に登場する鳥「トゥルル」が、中央にはハンガリーの国章が掲げられています。完成時、当時のハンガリー王国の国王から「フェレンツ・ヨージェフ橋」(Ferencz József híd )と命名されました。
1945年1月、ドイツ撤退時に爆破されましたが、直ぐの1946年7月に再建されています。老朽化が進み、走るトラムの重みに耐えられなくなった2006年には後世に残すために2年の工期と莫大な費用をかけて補強・修理されました。我々鉄ちゃんとしてもトラムがレトロな鉄橋を走る光景はかけがえのない財産です。いつまでも残して欲しいと願いました。

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2015年 西方見聞録 ハンガリー鉄路の旅 Part52 ブダベストのトラムに乗って その9 トラム夜撮①

DSC_851702217:42 ドナウ川のマルギット橋を渡ってベスト側に着くと、丁度と良い具合に夕暮れの街ムードになってきました。これからライトアップされた国会議事堂を目指します。夜撮開始です。やって来るトラム2系統はガンツKCSV7型です。
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2015年 西方見聞録 ハンガリー鉄路の旅 Part51 ブダベストのトラムに乗って その8 登山鉄道②、トラム

DSCN9520_100まずは家系が重んじられた共産国家ピオネール活動時代とは変わって、望む者は誰もがエントリーできるようになった憧れの子供鉄道の鉄道員、それでも厳しい試験に合格した選ばれた者が実習現場に入れます。車内改札で接客する少年少女たちには誇りに満ちた笑顔がありました。
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