山崎を走った夏の臨時列車 -4-

「ムーンライト」の数々

「ムーンライト」とは、春・夏・年末年始に運転される臨時夜行快速の愛称である。初めて愛称として使われたのは、国鉄時代、昭和61年の新宿~新潟の団体快速と言われる。その翌年からは「ムーンライト」の愛称で定期の快速列車となり、のちに「ムーンライトえちご」となった。以後、臨時夜行快速の愛称として「ムーンライト」は各地で設定され、とくに京都・大阪から中国、九州、四国へ向かう「ムーンライト」が多数設定された。
平成8年には、“大垣夜行”と呼ばれていた東京~大垣の夜行普通列車に指定席を設けることになり、マルスで列車識別の必要性から「ムーンライトながら」の愛称となった。その後も、中央東線に「ムーンライト信州」、「ムーンライト仙台・ムーンライト東京」などの新しい列車も設定された。
しかし現在では、JR西日本に発着する「ムーンライト」はなく、設定日が年々短縮された「ムーンライトながら」「ムーンライトえちご」が辛うじて走るのみとなり、指定券だけで乗れる青春18きっぷ御用達列車もずいぶん寂しい状況となった。臨時列車 (7)ムーン九州H2山崎を走った「ムーンライト」の代表、「ムーンライト九州」、EF65PFがリゾート用14系座席車を牽く(平成2年8月)。平成元年の「ふるさとライナー九州」運転がルーツで、翌2年には、京都~博多の「ムーンライト九州」(年末年始のみ「ふるさとライナー九州」で残る)となり、おもに青春18きっぷ有効期間に合わて運転された。客車は14系座席車で、夏のみスキー臨用のシュプール色が使われ、それ以外は14系一般車、波動の大きい年末年始は12系も動員された。平成14年には年末年始も含めて「ムーンライト九州」に統一された。

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関東勢の一掃と関西の特急車両が続々と!

老人が大井川鐡道に目をつけ、年に一度は顔出しするようになったのは白井昭さんから「お宅の3000が新金谷に近日入りますよ」と、1994年春の彼岸の日に声を掛けられた事に起因している。それを前に澤村君から白井さんとのやり取りの一端を耳にしており、関西ではあまり話題にならない大井川鐡道に喰らい付いてみよう、との気持ちが沸いたのであった。この年5月に東京出張があり、その帰路に金屋口に顔出し1回目があった。その時の光景の一端を紹介しょう。

回送された時の姿をこれより1年近く保持された。

回送された時の姿はこれより1年近く保持された。

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 山崎を走った夏の臨時列車 -3-

短期間で終わったリゾート列車

避暑・登山などの臨時列車「リゾート」は、同じ夏臨の「ビーチ・マリン」に比べると、その歴史は浅い。大阪・京都発で見ると、国鉄時代に避暑・登山の専用臨はなく、JR化以降、昭和63年の白馬・信越方面へ直通列車「リゾート白馬」「リゾート信越」が運転されたのが初めてだった。その後、軽井沢方面へ余剰気味の583系を使用した夜行「シャレー軽井沢」、485系の昼行「スーパー雷鳥 信越」などが運転され、拡大を見せる。平成に入ってからは、平成2年に富山地方鉄道乗り入れの「リゾート立山」「リゾート宇奈月」を新設。「シャレー軽井沢」も二段寝台化されるなど、平成4年度は「リゾート」利用者数が最高の4万人を記録したと言う。しかし、その後の景気減退や阪神大震災の影響もあって、需要の微減が続く。平成7年には、女性専用の寝台車を連結した「リゾート白馬」を新設したが、運転直前に大糸線が豪雨で不通になり、一回も運転されないまま全面運休になる不運も重なった。結局、平成10年までに、JR西日本の「リゾート」はほぼ消滅してしまった。臨時列車 (19)スパ雷・立山・信越

定期の特急「スーパー雷鳥(サンダーバード)1号」を夏季に区間延長してリゾート地へ向かう臨時列車を運転した。これは、クロ481-2001先頭の「スーパー雷鳥 立山・信越(サンダーバード)」と長ったらしい愛称。平成元年の「スーパー雷鳥 信越(サンダーバード)」が始まりで、富山行きの「スーパー雷鳥(サンダーバード)1号」を延長運転する形で、信越線経由の長野行きとして運転された。この撮影時の平成4年には、付属編成を富山地方鉄道乗り入れの立山行き「スーパー雷鳥 立山(サンダーバード)」として運転・併結したため、この愛称の誕生となった(平成4年8月)。

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