撮影地今昔-旧・福知山線・生瀬-道場間(6)

7.武田尾-道場間(2)
武田尾から廃線跡を辿り、大茂山トンネルの対岸×印のところで道が途絶えました。そこで道場側から回り込み、旧線の対岸を○の地点まで引き戻りました。×~○間、距離にして凡そ1kmほどは通過できずとなりました。尤も道場までのこの区間は、廃線の対岸で道路のあるところだけを通りましたので、廃線軌道敷き跡を歩いていません。
▼大茂山トンネル-道場間地図
601252それで、大茂山トンネルの道場方坑口と、野田尾トンネル武田尾方坑口は見れずじまいでした。せめて野田尾トンネルの道場方坑口をと探しましたが、草木が覆い茂り、なかなか容易に見つかりませんでしたが、石積み箇所をようやく見つけ、坑口も判りました。
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関三平先生からお手紙が・・・

先日、奈良の駅名研究家氏からメールで、「大学のBOX宛で関三平先生から米手先輩に封書が来ています」と連絡が来ました。ついに来るものが来たか!と召集令状を受け取ったような感慨を持ちました。
関先生の新聞に連載されている「昭和の電車」シリーズをデジ青に掲載していることを知られた先生から「著作権の侵害だ!」とお叱りを受けるものと覚悟をして手紙の転送を待ちました。

現会長は米手作市なる人物が誰かを知らず、尋ね廻った様子で、手元につくまで二週間を要したことになります。また、文面を拝見したら昨年にも送られたそうなのですが、昨年は私には連絡が無く、一年の延着となってしまいました。重ね重ねの失礼をしていたわけです。

さてお手紙を恐る恐る開けて拝見しますと、なんと関先生は当初よりデジ青の記事をご存じで、乙訓の長老や藤本氏などの投稿を詳しく読んでおられたようなのです。
「昭和の電車をデジ青で取り上げて頂き、”その筋の権威”の方達の解説・・・コラムに書く前に知っておきたかった事が一杯・・・京阪を採り上げる時には怒られへんやろかとビクビクしつつ・・」などと書いて頂いていました。(下記原文参照)
つまり抗議のお手紙では無かったのです。
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2016台湾の旅(後編)

 打狗鉄道故事館はMRT橘線終点の西子湾駅の2番出口を上がったすぐのところにあり、旧高雄港駅で、開業時は打狗駅と言う名前であった事から打狗鉄道故事館と呼ばれています。一昨年ぶんしゅう様が行かれた後、2014年4月19日に新しくDL2台、貨車1台が展示されました。
IMG_4538k▲林口発電所で使っていた1970年日立製HG60BB型ディーゼル機関車、動態保存なのか訪れた時はエンジンがかかっていて、2人の係員が何やら触っている。広いヤード跡は緑地になっていてこの日は何かのイベントかタコがたくさん上がっていた。

翌10日は早起きして太麻里に向かいました。太麻里駅で金崙温泉で宿泊して先行されているデカンショまつり号さんに電話して、場所をお聞きし、駅から約30分坂道を歩くと上の方からブギウギさんの呼ぶ声がして、無事に合流することができました。 続きを読む

鞆鉄道の「へっつい」をつくる。 その1 まず試作機から

 パラパラと「自転車に追い抜かれたコッペルたち」を見ていると、今まで見たこともない背の低い小さい蒸気機関車の写真があった。「へっつい」という機関車らしい。「へっつい」とは懐かしい言葉である。よく祖母が「へっついさん」と言っていたのを思い出す。ご飯を炊くカマドのことである。とにかく珍奇な機関車である。湯口先輩の「『へっつい』の系譜 -低重心超小型機関車の一族-」を見つけて購入して読んでみると「へっつい」と言われるようになったのは志賀直哉の「真鶴にて」にある一節からであると書かれてあった。

 ところで、カマドをなぜ「へっつい」というのであろうか。手持ちの辞典などで調べてみると広辞苑で「へ」を調べると「『へ』竈 かまど。」とあった。また、大阪ことば辞典では「へっつい」は「へつい」が変化していったものとある。そしてこれについて大言海という辞典には「へつい」はカマドの神のことで、それがカマドを意味することとなったと書かれてある。カマドは「くど」ともいう。この言葉は主に京都で使われていて、ていねいに言うと「おくどさん」である。「くど」というのはいろいろな説があり「火床」や「火処」からといわれたり、カマドのうしろにある煙道を「曲突(クドと読む)」ということからカマド全体を「くど」ということなどがある。以前に投稿した「年の初めは信貴電の不思議」にカマドの神様を祭ってある久度神社について書いたのであるが、カマドの神様といわれている「久度神」からカマドを「くど」というのでなく、カマドを「くど」ということから後に、久度神がカマドの神様ということのようだ。

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 50年前の撮影地を歩く -9-

初めての雪中撮影で米原へ<その1>

50年前の数年間、冬になると決まって訪れたのが、北陸本線米原~坂田~田村の交直接続区間でした。この区間の魅力を知ったのも、シリーズ前回の加太と同じ「鉄道ファン」の撮影地ガイドでした。この区間の魅力は、時代によって様ざまな交直接続機が見られたこと、湖西線は開業前で、大阪、名古屋方面からの優等列車も、ボトルネックのように通ったこと、そして、冬季は、もっとも手近に本格的な雪中撮影が出来ることでした。当時の米原は近くて遠い駅、もうすっかり雪国の気分を味わえるところでした。
160118 014sy雪煙を巻き上げて、高速で走り去る「しらさぎ」。米原駅から国道を歩いて1キロ余り先の撮影地に着いた。この区間は、前年8月に初めて訪れているが、夏とはまったく違った様相を見せていた(撮影日すべて昭和41年1月23日)。

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遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part14 帰路

04_Map1_100いよいよ帰路となりました。今日はボスニア・ヘルツェゴビナのトゥズラのホテルから陸路をセルビアのベオグラードへ、ここで飛行機に搭乗してドーハ経由にて帰国します。ただドーハに着くのは深夜で空港に一泊、翌日の午前便で羽田に向かいますがここでも深夜着で空港近くの平和島温泉に宿泊しての帰宅となります。何と2泊3日もかかります。
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遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part13 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その9 バノヴィチ炭鉱

DSC_6892021▲午前18時24分今回最後の撮影は最初の日に訪れたバノヴィチ炭鉱鉄道のヤードでの2回目の夜撮です。83-158号機と前回(25-30号機)と違って55-99号機が用意され、55-99号機は1段上の路線に停められました。
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台湾の旅2016<前編>

1月8日~13日まで台湾に行ってまいりました。鉄道関係のイベントはないのですが、この時期特に南部は天候が安定し、丁度過ごしやすい気温で我々老体とっては行動しやすいため、ここ数年同じ時期に訪台しています。今回の第一の目的は昨年ぶんしゅう様がレポートされていた高雄のトラムが昨年12月25日より一般乗車できる試乗会が始まったとのことで、この乗車、台湾鉄道で取り残していた部分に乗車し、完乗する。また、今回台湾通のブギウギさんとデカンショ祭り号さんが太麻里に行かれるということで、御一緒して初めての太麻里を案内していただきました。

桃園空港に到着するとまず、バスで高鉄桃園へ、バスは頻発していて、15分ほどで高鉄桃園に到着します。桃園空港では空港アクセスのための捷運が建設中で台北-桃園空港-高鉄桃園-環北間が昨年末に開通との報道がありましたが、延期され、現在では3月末の予定で、一部の話では7月になるのではと言われています。高鉄桃園から乗車、10分あまりで高鉄新竹に到着しました。新竹は新幹線開通当時、台鉄との接続がなかったのですが、2011年に従来の内湾線を改良し、内湾線竹中駅から六家駅まで3.1kmを新設して高鉄新竹と台鉄新竹が接続されました。
IMG_4450k▲竹中駅より高鉄側を見る。後に見えるのが高鉄の高架で六家を発車した列車は高鉄に並行して走り、右に90度曲がって竹中の駅に到着します。 続きを読む

遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part12 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その8 Rudnik Šikulje炭鉱

DSC_6679021▲ 33-503号機33-504号機が重連で牽引する重量運炭列車です。撮りたいと願っていた列車ですが、最後の日に用意されていました。
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撮影地今昔-旧・福知山線・生瀬-道場間(4)

6.廃線跡・武田尾駅今昔
廃線跡を歩き、武田尾駅跡に到着しました。2014、2013両年の台風と大雨でこの付近の武庫川と僧川(ぼうさんがわ)が大きな被害に遭いました。今その大改修が行われていて、4、5年前まで元の駅舎付近にあった店屋、建物がすべて無くなり、面影が一変しました。
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撮影地今昔-旧・福知山線・生瀬-道場間(3)

5.生瀬-武田尾間(3)
もうすぐ武田尾です。
▼長尾山第二トンネル 1899年1月竣工、全長149mの直線。延長工事はない。
生瀬方杭門周辺は野石乱積み、内部の側壁部、アーチ部は共にレンガ積み。トンネル前に付近の土砂が流込み、道床が高さ10cmほど埋まった。
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遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part11 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その7

DSCN3744_100朝1番で着いたのは昨夜、夜撮を行った留置・検査場です。33-504号機はここで一泊したようで、留め置かれていました。昨夜降った雨がヤードにも水たまりを作り、黒い車体を写していました。
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お引き取り頂ける方はいらっしゃいませんか

湯口も相応の年齢に達し、余命を片手で数えることになり、身辺の整理が必要になりました。ついては本の整理から始めますが、手始めに次のものをお引き取り下さいませんでしょうか。勿論無償ですが、年金生活=かなり生活困窮中ですので「宅急便着払い」でお願いしたいのです。

ネコ社2004~2007年刊、寺田祐一著『消えた轍1~4』1=北海道、2=東北・関東、3=甲信越・東海・北陸、4=近畿・中国・四国・九州

同2010~2011年刊、寺田祐一著『新・消えた轍1~10』1=北海道、2=北海道・北東北、3=東北、4=関東、5=上信越、6=中部、7=北陸、8=近畿、9=中国、10=九州・四国

以上14冊ひとまとめでお願いしたいのですが。

もう1件は交通公社時刻表で、A4版になった最初の1967年から1978年までの各10月号。この12冊もひとまとめでお引き取り下さる方はいらっしゃいませんか。やはり「着払い」でお願いします。

 京都市電 余話 その4

市電蹴上線の痕跡を見る

前項で紹介した岡崎地域に、現在は鉄道は走っていない(地下鉄は、地域をかすめるように走ってはいるが)。しかし鉄道遺産と呼べるものがいくつか残っている。昨年夏にクローバー会の行事として、炎天下を全員で歩き通した京阪京津線の開業時の廃線跡もその一つ(遺構と呼べるものは無かったが)、そして平安神宮の神苑にはN電も保存公開されている。
058syさらに戦前まで岡崎地域を走っていたのが市電蹴上線で、その名残りとして、今でも架線柱跡が見られるのは、あまり知られていない。蹴上交差点から、仁王門通りに沿う琵琶湖疏水のインクラインの擁壁に、コンクリート製の台座が4基が見られる。これが、市電蹴上線の架線柱の台座の跡だ。市電蹴上線は昭和20年2月に廃止され、レール・架線柱などは、延長工事中の梅津線(右京区)に転用するために撤去されたが、台座のみが残された。
さて、蹴上線の由来だが、京都電鉄木屋町・鴨東線が、内国勧業博覧会への乗客輸送を目的に明治28年4月に開業している。木屋町通、二条通、冷泉通を経て、蹴上水利事務所前(南禅寺前)まで開通、のち明治40年に蹴上まで延長している。大正7年、市営電車が京電を買収、この鴨東線も市営に編入された。市では、大正15年、仁王門通(東山仁王門)~岡崎円勝寺町、約200mを新たに敷設、その際に、岡崎円勝寺町以西の京電路線を廃止、岡崎円勝寺町以東、終点の蹴上までは、広軌に改軌して、市電蹴上線とした。しかし、蹴上線は、前記のように、昭和20年2月に不要不急路線として休止となり、資材は延長工事中の梅津線に転用された。
琵琶湖疏水インクラインで保存されている台車の前に、1基目の台座跡がある
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遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part10 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その6

DSC_6363003今日は真っ直ぐにホテルへ帰ることなく発電所横の側線にあるヤードでの夜撮です。33-504号機が回送されてきて、ライトアップされました。

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 京都市電 余話 その3

岡崎公園にも京都市電

少し旧聞になったが、昨年12月に京都市左京区の岡崎公園内に、京都市電1800形1860号を改装した観光案内所「岡崎・市電コンシェルジュ」がオープンしたので、本日、午後から見学に行って来た。岡崎地域には、文化・芸術施設や寺社など観光地が集積しているが、今まで観光案内所がなく、情報発信ができていなかった。市電の案内所では、観光客に多くの施設を巡ってもらうためモデルコースなどを提示して、地域内の周遊性を高めようと言うもの。
152sy陽が落ちて、車内灯が洩れると、なかなかのムードになってくる。同志社前あたりで、御所をバックに発車待ちをしているようにも見えてくる。

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遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part9 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その5 Banovici駅

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▲ Banovici駅で迎えてくれたのは、1948年製の19-12号機です。思いっきり爆煙を吐いてくれました。Class33と違って煙室扉はお椀形でハンドルも付いています。この方がしまった顔に見えます。

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