京都市電 余話 その2

稲荷線の開業年の謎
前回(その1)で、新聞社とのやり取りで議論になったことがある。市電稲荷線(勧進橋~稲荷)の開業年が二通りあると言う。鉄道線の開業年は、創設年や廃止年は、明確に記されており、原稿作成に当たっても複数の資料から裏付けを取るようにしているが、その後の新規開業や短区間の開業などについては、私自身もあまり意識せずに、原稿作成でも漫然と書籍・雑誌から転載しているだけだった。とくに稲荷線は、京都電鉄から市営に継承された路線だけに、京都電鉄時代の原資料はほとんどなく、勢い二次資料、三次資料を頼らざるを得ない。
IMG_20160115_0003記事掲載に当たって、新聞社も手持ち資料を当たってみたが、開業年に答えが見出せず、試しに、私も手持ちの資料を調べて見たが、確かに違う。 ひとつは明治37(1904)年8月4日
さらに、明治38(1905)年8月4日もある。
月日は合致している。年だけが、一年だけ違うが、気にはなってくる。

 

伏見・稲荷線の廃止に当たって、交通局では廃止パンフを大量に配布した。当局が廃止のパンフ゜を作成したのも、これが最後だった。これには、明治38年と記載されているが

続きを読む

遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part8 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その4

DSC_6086052石炭満載の運炭列車をチャーターしてのフォトラン開始です。牽引機は約6,000両も製造されたDR52形の33-504号機、正面の煙室扉が平面で真ん中にハンドル設置がないので美しさに欠けますが、戦時設計とあれば仕方ないですね。力強さでは負けません。よく現役で生き残ったものです。
続きを読む

 京都市電 余話 その1

遅まきながら今年初めての投稿となりました。またもや京都市電ネタから始めることにしました。話は、昨年末の一本の電話から始まります。

稲荷線にあった踏切の協力者を探る

その電話主は、地元の新聞社からだった。新春の紙面で、昭和時代を生きてきた市井の人たちのその後を追ったシリーズ企画があり、市電伏見・稲荷線の廃止時のお別れ式で表彰された民間人3組みのうちの一人を探している、と言うものだった。その人は、15年に渡って稲荷線の踏切の遮断機を守り続けていたと言う。極めて局所的な問い掛けで、ほとんど記憶になかったものの、確かに伏見・稲荷線の最終日、昭和45年3月31日の深夜、京都駅前で、当時の京都市長、交通局長も列席して、お別れ式が行なわれたことは覚えているし、私も居合わせて写真も撮っている。かすかな記憶をたどっていくと、当時の新聞の切り抜きと、乙訓老人からもらった交通局の「軌道事業略史」に手掛かりが見つかった。これにより、「遮断機がクルマなどで破損するたびに無料修理を15年間引き受けてきた」こと、そして、踏切は「師団踏切」であることが分かった。
IMG_20160114_0008sy        ▲「あの日の京都へ Back to 1970」の記事 (クリックして拡大)

続きを読む

遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part7 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その3 Lukavac駅

DSC_5904025▲ 9:45 DosoiTuzlaのハイライト、現役蒸気機関車と現役腕木式信号機のコラボです。
Class 33型(DR 52)大型蒸気機関車は、約6,000両も製造された名機です。門デフの元祖ヴィッテ式デフレクターを装着していますが、こちらはドームを包むようにカーブしています。この列車、前から撮っていますので分かりませんが33-504号機+33-503号機の重連です。

続きを読む

ついに登場 三江線乗車ツアー

廃止が取り沙汰され 急に注目されているJR三江線ですが、三江線乗車を前面に押し出したツアーの広告を初めて見ました。今日の中国新聞朝刊です。広島発着の日帰りツアーで、AコースからFコースまでの6パターンがあります。驚いたのはA,Bコースは貸切列車で全線を乗り通すプランだという点です。最少催行人数は20名、最大40名ですから 貸切列車はキハの単行でしょう。2月20日のAコースは江津から三次への下り列車、3月27日のBコースは三次から江津への上り列車です。いずれの貸切列車も片道運行であり片道は回送するのか等 どのような運用になるのか興味深いところです。Aコースは早朝の422D江津行きに回送車を併結、Bコースは423D三次行きに回送車を併結するのかもしれませんね。

H28-1-12 中国新聞朝刊

H28-1-12 中国新聞朝刊

続きを読む

新聞・雑誌等のスキャン投稿のご案内

デジ青ご投稿者の皆様方、いつも貴重な記事の投稿をいただきましてありがとうございます。
ただ、新聞・雑誌等の印刷物を投稿される際にご苦労されているのが多いように見受けられます。折角の記事ですので読み手側からみて見やすい基本的な投稿方法についてご案内させていただきます。

【例・新聞記事】
① 適当な新聞を用意しました。これはデジカメで撮った画像です。
DSCN4380_100▲ 撮った元の写真は300pixel/incの解像度です。コンデジで撮ったこの写真のサイズは4608×3456KB、5.6MBもありますので大きすぎてHPにはアップロードできません。画像ソフトを使ってサイズを横420㎜に、解像度は72pixel/incに指定して縮小して保存時には200300KBに圧縮しています。私の場合、画像ソフトはプロデザイナーの多くが使うAdobe社の廉価版ソフト、Photshop Elementsを使っていますが、他の画像ソフトでも問題ありません。
この画像をソフトを使って加工・現像処理するのも方法の1つですが、ご覧のとおり歪んでいますので今回はスキャナーを使ってより見やすくします。
続きを読む

撮影地今昔 生瀬・道場間(1)に寄せて

tsurukame氏の廃線跡レポートを拝見して思い出した記事をご紹介します。1968年(昭和43年)11月発行の「鉄道模型趣味 No.245」に掲載された坂本衛氏著「忽川の工臨」という記事です。廃線跡レポートの起点である生瀬駅と一つ手前の宝塚駅の間にあった忽川貨物駅の現地レポート記事です。      最近では砂利を敷かないスラブ軌道という方式もありますが、線路には砂利がつきもので、各地に砂利採り線や砂利積込み設備がありました。川砂利採取が禁止され、砂利採り線は姿を消し、採石場に隣接した砂利積込み設備も殆ど見ることはできなくなりました。この記事は当時各地で見られた光景や工臨列車を詳しく記録された貴重な記事だと思っています。坂本氏や機芸出版社には無断で恐縮ながら、全文をご紹介することに致します。

TMS No.245から引用

TMS No.245から引用

続きを読む

ミャンマーで広電 走り始める

平成27年7月に広電からミャンマーに輸出された 旧西鉄福岡市内線の電車がヤンゴンで走り始めたそうです。塗装は現地で塗り替えられています。

平成28年1月11日 中国新聞朝刊

港湾地域のワーダン貨物駅への引込線を電化した路線だそうで、決して輸送人員が多い路線ではないようです。むしろ初めての電車の運行や保守を訓練するためのようにも思えます。今回ミャンマー入りした電車は 昭和30年代後半の製造年であり 丁寧に使われてきたとは言え半世紀も前の電車です。同時に現地入りしている旧大阪市電1801型も然りです。どうしてこんな古い電車をと思いますが、いきなり最新式の何億円もする電車は買えないでしょうから、まずは釣掛け式の電車を勉強することから始めるのでしょう。ひょっとしたら京都市電1900型も海を渡るかもしれませんね。そうなれば 「ヤンゴンで京都市電に乗ろう」ツアーを考えねば!

撮影地今昔-旧・福知山線・生瀬-道場間(2)

4.廃線跡・生瀬-武田尾間(2)
廃線跡を武田尾目指して北上します。
map02▼溝滝尾トンネル 1899年1月竣工、1961年落石防護のため生瀬方8mと武田尾方3.4m延長、全長150m、1986年廃止。
生瀬方杭門、北山第二トンネル杭門同様コンクリート製の味気ない姿。
mizotakio01 続きを読む

撮影地今昔-旧・福知山線・生瀬-道場間(1)

1.はじめに
健康第一、並びに足腰の弱りを先延ばしにするべく、歩くことに力をいれ始めて5年が経ちました。この間の歩行距離は稚内から鹿児島まで日本列島の背骨を通る距離に達したようですが、もう少し続けねばならないようです。

なんとなく歩くには、面白くないし長続きしませんので、カメラ片手に風景やら何やらを撮りながらです。山手幹線を尼崎から三宮までとか、国道2号線を梅新から下関(計画のみ、実際は西宮えびす迄)とかですが、都会の風景は兎角面白味がない。そこで近所の庄下川や神埼川を河口から源流まで遡上することにし、写真ブログに掲載を続けました。

次は武庫川です。2013年11月河口から西宮市生瀬まで10回くらいに分けて遡上しました。で行き止まりました。生瀬から先は道路が川から遠く離れ、通るとなれば福知山線廃線跡しかありません。その内に行こうが1年経ち、漸く2015年12月に通過、現在は三田市相野まで遡上しています。

2.福知山線廃線跡通過
1986年に廃止されて、現存する廃線跡を通過するなら、少量ですが半世紀前の画像と今昔対比です。これらの画像は、準特急さんが企画し発刊された、レイルNo.82『武庫川を巡る鉄道風景』に掲載されており、重複するものもありますがその他の画像をも含めて対比します。

『対比』、『今昔』ですが、廃線になってしまい線路そのものがありませんので、【昔】の列車走行風景と【今】に残る建造物などを6回に分けて紹介します。また第3回、武田尾近くで、筆者登場の現地からの映像報告もあります。

3..廃線跡・生瀬-武田尾間(1)
▼❶現・生瀬駅 ❷現在線の高架下から、その北側に旧線の橋台跡が見られ、その先国道176号線・西宝橋南詰め角を曲がると、❸すぐに、水路を跨ぐ橋。手前・整層切石積みが旧線、奥・コンクリート製が現在線 ❹城山トンネル、62.7m、1899年建設。封鎖されて通行できない。次の当田トンネルも封鎖されていて通行できない。
001 続きを読む

遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part6 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その2

DSC_5669008降りしきる雨の中、標準軌とナローゲージとの路線が混在するバノヴィチ駅ヤードで19-12号機82-119号機が揃っての並走シーンを見せてくれました。チャーターするからこそできるシーンです。
続きを読む

阪急2800系

2800が登場したのは大学に入った年でした。
高三の昨年、四条河原町延長工事が完成して、大宮から河原町まで特急が京都の中心部を文字通り貫通したのでした。明るい近代的な河原町駅に2800系の特急と、2300系の急行が止まっている様は梅田駅にもまけない堂々たる駅で満足したのを思い出します。
阪急2800_NEW

見納めの”三江線”の桜を見に行こうツアー 第二次申込み受付開始!

見納めの”三江線”の桜を見に行こうツアーにつきましては、10名の皆様方の参加申込みをいただきました。大変ありがとうございます。
12月30日に第一次申込みを締め切りましたが、、まだ若干の受け入れが可能です。第二次だからと言って宴会の献立が減ったり、お酒が燗冷ましになったり、部屋が布団部屋になったりといった差別は決して行いませんのでご安心してお申込みください。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

【 ツアー行程概要】
旅行日 2016年4月2日(土)~3日(日)
・集合場所・時間 三次駅 三江線ホーム16:56発の列車、ホテルへ直行も可
・基本行程  4月2日(土曜日) 三次16:56⇒18:19潮 着後旅館に直行、宴会
     4月3日(日曜日) 各自自由行動

(潮駅周辺は桜並木が続き、旅館付近で6時台1本、7時台2本の撮影が可能です)
・参加費用 13,000円を予定 (お酒を飲まない方は10,000円)
・宿泊ホテル 潮温泉 大和荘 http://daiwasou.jp/

詳細は、こちらからご覧いただけます。
https://drfc-ob.com/wp/archives/66276

※ 集合時間については、まだ時刻表が公表されていませんので多少変更する事もあります。

遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part5 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その1

DSC_5471006▲ 「容姿の事を言わないでください。齢はとりましたがまだまだ若い者に負けず元気一杯に石炭満載の重量運炭列車を牽引します。」と言っていますClass62-111号機です。
Class62は元々アメリカ生まれで、第2次世界大戦の米国陸軍輸送隊(USATC)で使用されたClass-S100を基本設計としています。62-111号機は、Đuro Đaković of Slavonski Brodで製造されたC形タンクです。
続きを読む

中国地方から謹賀新年

中国新聞 H28-1-5朝刊

昨年末は広島ツアーに各地からお集まり頂き、ありがとうございました。今春には 公式行事ではないにせよ三江線の旅も計画されています。今年も引き続き中国地方の話題を提供してゆこうと思っていますので、よろしくお願い致します。中国新聞は元旦の1面トップに過疎化が進む中国山地のルポ記事を大きく掲載し、毎日連載されています。5日朝刊には三江線の記事が載りましたのでご紹介します。昨年10月にJR西日本が広島・島根両県に対して三江線の廃止検討を通告して以来、三江線問題が大きくクローズアップされています。JRは廃止を決定したわけではないと弁明しつつも、沿線地元では廃止ありきの動きと受け止められています。

三江線ツアーは桜の見頃の4月上旬を予定されているようですが、3月26日にJR西のダイヤ改正がありますので、このダイヤ改正によって更なる減便などがなければ良いがと思っているところです。

高齢化、過疎化が進む沿線の実態を考えれば小手先の対策では存続は難しいのは周知の事実でしょう。「地方創生」などとうわべだけのきれいごとでは解決しない問題が山積していることを改めて感じる年頭です。

遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part4 バノヴィチ炭鉱鉄道 その3

DSC_5407055▲ 今日は前回2014年2月に訪問した時に撮れなかったナロー760㎜ボスニアゲージのバノヴィチ炭鉱鉄道でチャーター列車を仕立てての乗り鉄、撮り鉄を楽しみ最後は夜撮です。
バノヴィチ炭鉱鉄道 は、露天鉱の積込場から標準軌に積替えるまでの間、1947年に開業された10.6㌔の路線です。公式HPはこちらです。
【DATA】 NIKON800E ズーム48㎜、F8、6秒、ISO100

続きを読む

遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part3 バノヴィチ炭鉱鉄道 その2

DSCN3389077▲ 12:10 昼食はボスニア風お好み焼き(サンドイッチかも・・)屋に入りましたが迎えてくださったのは目鼻立ちのはっきり整ったボスビア美人のお姉さんです。
続きを読む

遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part2 バノヴィチ炭鉱鉄道 その1

DSC_4806017

仕業前の点検を行う1949年生まれĐuro Đaković製の83-158号機と、1948年生まれČKD Praha製の25-30号機は、760㎜のボスニアゲージのバノヴィチ炭鉱鉄道(Banovic coal-mine railway)を毎日走る現役蒸気機関車です。83-158号機はナローゲージでは珍しいD形テンダー付き、1968年から1969年のユーゴスラビア前には全土に15路線1,559㌔もの760㎜ボスニアゲージの鉄道網が張り巡らされて多くのClass83形機が走行していました。25-30号機はC形タンクです。ニュースソースはこちらです。 続きを読む

2016年 謹賀新年

2016年賀_200ぶんしゅうは乗り鉄、撮り鉄が大好きな鉄ちゃんです。年々少なくなってきた希少の蒸気機関車やトラムを求めて世界各地へと飛び回ります。今年も海外からの報告が多くなると思いますがよろしくお願い申し上げます。