会員インタビュー記事の紹介

1900先輩より教えていただきましたが、当会会員’88年度生志水仁さんのインタビュー記事が8月28日付け「乗り物ニュース」に掲載されましたのでご紹介します。
志水さんは1992年3月商学部を卒業され、同年4月日本貨物鉄道株式会社に入社、吹田機関区助役、広島機関区長などを歴任され、現在はJR貨物鉄道ロジステック本部運輸部副部長の要職につかれています。
2012年のホームカミングデー集会には「震災輸送に携わって」という表題で講演していただき、東日本大震災被災地向けの石油輸送についての苦労話などをお聞きしました。

今回のインタビューは札幌-福岡間を走る長距離貨物列車の話で、運用を中心に興味深いお話をされています。詳しくは http://trafficnews.jp/post/56503/ をご覧ください。

八月だ、もっと熱くなろう!2016年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part5 ジャカルタからソロへ乗り鉄旅①

DSC_5448_100第3日目 8月4日 その1

今日はガンビアから「アルゴ・ドゥイパンガ」(Argo Dwipangga)に乗ってソロへと向かいます。楽しみのインドネシア鉄道の乗り鉄旅です。
6:15 コアから早めに発って途中駅で駅撮りをしながら行こうと向かいました。国電の発車するホームの東の空から丁度、日の出が見えました。
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三江線 最終段階へ

カープにマジックナンバーが点灯し歓喜の日も夢ではなくなって、盛り上がる広島ですが、一方で県北では三江線の命運も決まろうとしています。

平成28年8月31日 中国新聞朝刊

平成28年8月31日 中国新聞朝刊

予定通り明日 全線廃止の正式表明がなされます。9月2日の朝刊には大きく採り上げられるでしょうから、明後日にまたご紹介します。

芸備線、福塩北線の9月の臨時列車について

5月21日 71996で福塩線の通学列車の様子をご紹介しました。あれからしばらく足が遠のいていましたが、そろそろ学校の夏休みも終わり、9月に入れば通学列車も走るだろうし、田んぼの稲穂も垂れてくるので初秋の福塩北線や芸備線に行く計画を立てようとしました。しかし臨時列車の運行日がわかりません。ネットで検索してもわからないので 三次駅に電話して 9月の運転日を確認しました。

福塩線(府中・三次間)臨8726D、8727Dの運転日は9/10、17、24、25  芸備線(三次・備後落合間)臨8354D、8357Dは9/20、21、23、24

だそうです。数年前には「三次鉄道部」がネットで公表していたのですが、現在ではネット上での告知もありません。JR発行の時刻表には掲載されていますが(9月の運転日のみ)、JTB発行の時刻表には出ていません。JR西の「おでかけネット」でこれらの運転日を指定して検索しても 駅時刻表には反映されていません。電話口の社員に「運転日は都度電話で確かめないといけないの?」と聞くと、「沿線の駅には掲示してあるのでそれを見てください」との返事。沿線の人はともかく、「遠方からのお客は駅に見に行けないが どうすればいいの?」と聞きましたが、明快な答えはありませんでした。

貸切の臨時列車ならともかく、通学生を主眼にした臨時列車とは言え一般客も乗車できる列車が「知る人ぞ知る」列車になっているのです。これは一種のミステリー列車ですね。要は一人でも多く乗ってもらおうという商売っ気が全く感じられません。いつも空気を運ぶことに慣れてしまった閑散線区はこれでは立ち行きません。ある意味定期通学生は前払いの空気扱いかもしれません。

もうひとつ不思議なことがあります。芸備線の臨8354Dは広島から来た「快速みよしライナー」に2分の乗り継ぎで11:24に三次を発車し、12:40に備後落合に着きます。そして12:59発の「奥出雲おろち号」にベストの接続になっています。要は広島を10:00に発てば、最短で「おろち号」に乗れるわけです。また逆に出雲から「おろち号」で来た乗客は 落合発12:48の臨8357Dに乗れば 三次で3分の乗り換えで15:48には広島に到着します。ということでこの臨8354D、臨8357Dは通学列車の性格もありますが むしろ「おろち号」の広島との連絡列車なのではないのかと思っていました。ところが9月の運転日を聞き、「おろち号」の運転日と突き合わせてみると 9月の「おろち号」運転日と重なるのは2日間だけで、残りの13日間は「おろち号」は芸備線の接続列車のない落合駅で ただ折り返してゆくだけだということがわかりました。通学列車がたまたま「おろち号」とうまく接続していただけだったようです。「おろち号」は米子支社木次鉄道部の管理、芸備・福塩線は広島支社三次鉄道部の管理ということですが、「おろち号」は夏休み中の8月は運休なく31日間すべて運転、9月は15日間、紅葉が始まる10月は20日間運転予定で、日祝は出雲市始発というダイヤで 出雲大社方面からの集客も意識し がんばっている意図が伺えます。一方広島方面からの集客はあきらめているのか、木次と三次の連携は全く感じられません。

またしても「老人の戯言」になってしまいましたが、10月の「秋の乗り放題切符」で中国山地をさまよってみようと思われているご仁は 事前に三次駅(0824-62-2445)に臨時列車の運行日をお確かめ下さい。臨時列車のあるなしでガラッとプランが変わってしまいます。余談ながら10月、11月には岡山管内でも「姫新線開業80周年記念号」、「みまさかスローライフ号」などが姫新線や津山線を走る日があります。以上苦言交じりの乗り鉄、撮り鉄の皆さまへのお知らせでした。

八月だ、もっと熱くなろう!2016年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part4 インドネシア国電に乗る

第2日目 8月3日 その2

11:00 明朝ジャカルタのコアからソロへ、そして明後日に本隊と合流するソロからスラビアまでのきっぷが手に入りましたので、これでツアー本隊と合流できると一安心です。インドネシア国電の乗り鉄旅をすることができます。前回乗っていないタンジュン・プリオクボゴールまでを乗り鉄することにしました。

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面白山トンネルを潜り、仙台12時半に到着

山形での2線の車庫訪問は歓待を受け目的を全うすることが出来た。山形駅改札を18時30分ごろに出て付近を見渡すと上品なオバサンに声を掛けられた。「お宿ですか?今夜は空いております。1泊2食6百円で如何でしょうか?」。これに飛びついたのは正解で、8畳の間でゆっくりした風呂、銚子2本で50円の追加で終わった。作並機関区のことは古いデジ青で紹介したので一挙に仙台駅に飛ぶが、仙台市2008年発行の【文集「仙台市電」市民が綴る50年の軌跡】に投稿したら採用された。それを「引用箇所は【】で包む」しながら話を進めことにしよう。

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八月だ、もっと熱くなろう!2016年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part3 難解なインドネシア鉄道のきっぷ購入②

第2日目 8月3日 その1

何とかなるかと思い昨日は、8月4日からの鉄道移動のきっぷを買おうとコタ駅、ガンビア駅に参りましたがダメでした。なぜに買えないのかの事情が理解できていませんので今日行って買えるかどうか分りません。
しかし行かなければ買えませんので今日も行って頑張ってみることにしました。もしだめなら長距離バスか飛行機の手配をかけなければツアー本隊に合流できません。着いて早々ですが不安が一杯になっていました。

DSCN5989043▲ 7:05 宿泊したツインズホテルで朝食バイキングです。部屋もそうでしたが格安だけあって満足するのを期待する方が悪かったようです。軽く口に入れて出発です。
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八月だ、もっと熱くなろう!2016年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part2 難解なインドネシア鉄道のきっぷ購入①

第1日目 8月2日 その2

17:35 一抹の不安感があった空港でのSIMカード購入がスムーズにいきましたので、予約してあるホテルへと向かうことにしましたいます。
01_Map100▲ ホテルは、国電撮影を考慮してコタ駅近くの税サ込1泊Rp  3,750(2,950円)の格安ツインズホテルを予約しました。空港からは高速道路を経由して約22.7㌔、1時間はかかりません。

【 タクシー代、ぼられる 】
当初はバスで向かうつもりでしたが、飛行機が遅延したため辺りは日暮れを迎えています。着く頃に暗闇となればホテル探しは難しくなると思い、タクシーに切り替えましたが、ジャカルタ空港からのタクシーは、ぼったくりが多いので要注意です。到着ロビーにあったタクシーチケット売り場であらかじめチケットを買っておくべきだったのですが、バスターミナルに向かっていたので通りすぎていました。
DSCN5914_10017:43 タクシー乗り場に行くと市内までの相場料金の”Rp150,000(約1,180円)”との掛け声をかけています。これなら問題ないと思い乗車しました。
18:25 名物の渋滞もなく快調に走りホテル前に到着。支払おうとすると、”Rp250,000(約1,968円)”と吹っかけてきました。乗る前の料金とは違うじゃないかと揉めていますとホテル前から住民らしき人間がやってきて、あろうことか運転手に応援します。とんでもない輩です。
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八月だ、もっと熱くなろう!2016年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part1 旅立ち

昨年冬から母親の病状悪化のために何かあった場合に備えて連絡のつきにくい外地訪問は封印となっていました。内地だけで鉄ちゃん活動を強いられていましたが、最近になって病状が急激に良くなって、専門家の家内からも「これから相当に長い付き合いに成りそうよ。出かけても大丈夫。」との診断が下りました。
6月、大阪で開催された小竹直人先生との写真展に参加してみますと、会場でいつも海外にご一緒させていただくW田さんより「神谷さんのインドネシアのシュガートレインツアーが今年も開催されます。今募集をしているので聞いてみてあげよう。」と、連絡を入れていただき、即決の参加表明になりました。
Map01_100【 ツアーの内容 】
ツアーは今まで行ったことのないジャワ島東部の製糖工場訪問と、タイのパシナ撮影も含まれていての現地集合・解散の8月6日~8月14日の8泊9日の期間です。すぐにJALのHPから海外航空券の料金を調べると10万円前後で高額ですが、毎日が日曜日族にはツアー開催日を含めて安いフライト日を自由に設定できる強みがあります。インドネシアは3回目の訪問で乗り鉄旅もやってみたいと思ってました。またツアー解散地はバンコクなのでヤンゴンまでフライト時間1時間20分前後で行けます。広電を見に行ける絶好の機会です。これらを含めて行程を練っていきました。

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またしても三江線

米手作市様に教えて頂いて録画しておいた三江線旅番組を先ほど鑑賞しました。録画しておいた方が途中のしつこいCMをジャンプして見れるので効率的ですね。ぶっつけ本番旅には良い面もありますが、宿が無くて太田市に泊まる三江線の旅とはいかがなものかとは思いましたが、マアそれは良しとしましょう。駅前風景やそれなりに走行風景も出てきて楽しめましたが、この手の番組を見ていていつも感じるのは、日本全国どこに行っても突然の来訪者への地元の人たちの親切な対応です。半世紀前のtsurukame氏ご紹介のステホ旅で駅長が官舎の風呂に入れてくれたエピソードがありましたし、私自身も各地で見ず知らずの方にお世話になった多くの思い出があります。半世紀前だけでなく今でもこの良き精神風土が受け継がれていることをうれしく感じた番組でした。

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尾鉄のお宝発見

「尾鉄」と書くと「尾小屋鉄道」と「尾道鉄道」の2つがありますが尾道鉄道の方です。尾鉄は1964年(昭和39年)8月1日に尾道ー石畦(いしぐろ)間が廃止され、バス会社に転身しています。現在の中国バスにあたります。石畦から先の御調(みつぎ)町市まではそれ以前の1957年(昭和32年)2月1日に廃止されています。先に廃止されたこの区間には最急勾配40‰の長い峠越えがあり、私鉄では珍しいスイッチバック駅 諸原(もろはら)駅がありました。今に残る尾鉄の遺構としては4号トンネルが有名ですが、それ以外ではかろうじて諸原駅前後の線路跡が道路として残り、スイッチバック駅であったことが現認できます。2014年にどですかでん氏と現地を訪れたときのスナップです。

2014-10-27 諸原駅跡

2014-10-27 諸原駅跡

左手にまっすぐ伸びる舗装道路が市から諸原駅に入ってくる線路跡です。右手に斜めに登って行き、両側に桜並木があるのが、尾道方面への線路跡です。

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関西駆け足撮影旅行

8月10日(水)

駆け足とは車利用と早朝からの行動の結果である。8月10日は5時起きでクモハ73106東ウラさんの車に総勢5名が乗り込み新東名経由で最初の目的地JR関西線の永和~弥富間に向かった。皆さんDD51の貨物が目的で既に同業者もチラホラ見られた。私自身は架線の下を走るディーゼル機や快速「みえ」、特急「南紀」にはあまり興味がなく一応シャッターを切るのみでむしろ頻繁に来る313系電車を何とかうまくものにしたいと考えていた。

単線で角度によっては名古屋近郊の関西線らしからぬ風景が得られるこの区間。1964年3月にはC57、D50、D51を撮ったことがあるがもう少し永和よりであった。列車はクモハ313-1314先頭の317G四日市行き。▼s-16.8.10永和-弥富317Gクモハ313-1314

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三江線2題

相も変わらずローカルネタです。全線廃止の正式表明まで10日ほどとなりましたが、今朝の中国新聞から2つに記事をご紹介します。

平成28年8月20日 中国新聞朝刊

平成28年8月20日 中国新聞朝刊

遠路三江線に早稲田の学生さんを招いて津軽三味線を聞くという、津軽鉄道で開催されてもおかしくないようなイベントが三江線で行われたようです。連日の猛暑のため三江線でも8月に入ってもうすでに何度かレールの温度上昇で運転見合わせが報じられています。安全第一が大原則であることには異存ないのですが、雨が降れば・・・、雪が積もれば・・・、温度が上昇すれば・・・とリスク回避の度が過ぎていないかと思ってしまいます。せっかくの貸切列車が途中で代行バスにとってかわるようでは 主催者もガッカリされたことでしょう。

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もう一本あった行方不明のネガフィルム

 行方不明になっていた近鉄内部線の6コマ分1本のネガフィルムが見つかったと投稿しましたが、もう一本あったことに気が付いていませんでした。下津井電鉄の写真で6コマ分1本です。その写真はというと

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京津線80型

こと京阪電鉄京津線とあらば、この老人も黙ってはおられない。老人は1970年12月尼崎に引っ越すまで山科に住まいを致し、中学校、高校、予備校(というより映画館と木製客車のいるところ)、ドーヤンに通ったのである。しかしこの80型は卒業後の1971年8月、四ノ宮で見たのが最初。すなわちサラリーマン3か月の初年兵時代である。従って老人がこの電車に毎日のように乗ったわけではない。

関センセのたまうように、確かに京津線には「びわこ」3輌以外、パッとした車輌には乏しかった。55型の回生制動とても、こんな短線区用としても恐らくは歴史にも残るべき代物だったはずだが、お説の通り、車体はお世辞にもスマートとは申しかねた。その後の高床車とて、台車や電気部品はお古ばかりである。

で、突如1971年に、30型以来の新製車としてお目見えした80型だが、これまた確かに釣掛け車には違いないが、勾配をものともしない快速ぶりと、回生制動、裾を丸めたデザイン等々、恐らくは路面電車デザインとしても関西のみならず、日本的にも優れ、ベストテン入りは確実―かどうかはどれだけの人が知っているか、で決まるだろうが―入って然るべき車輌である。
京津81四宮1971.8.13S
京津81四宮S
京阪電鉄京津線81 四ノ宮1971年8月13日 本線並の日鋼式密着自連だが、この時点まだ20型等との連結に備え、ドロ-バーとも繋げるようになっており、まだ単行運転である 後2連貫通式に改造され、クーラーも付いた。そういえば、レトリバーなる代物も今では見ることがあるまい。
こんなに素晴らしい電車で、さして古くもないのに、どうして引き取り手がなかったのか。ひとえに回生制動に恐れをなしたとしか考えられない。

なお四宮車庫は長らく引込線が本線(東海道線)と直角だったが、この時点では並行に敷き直されている。

 

京阪電鉄京津線80型

先回の京福電鉄叡山線デオ300とともに驚いた電車がこれ。
静かさと加速減速のスムーズさは、どちらも場違いな、早く言えば“もったいない”電車でした。あまり乗る機会が無いまま廃車されましたが、ポールの時代からあったのですね。なぜ他の地方鉄道に行かなかったのか不思議に思いました。
京阪電鉄京津線80型_NEW

広島県立歴博の鉄道展

7月21日の73781で福山にある博物館で鉄道展が開かれるとの小ネタを提供致しました。この鉄道展を取り纏められた山本主任学芸員が中国新聞にこの展覧会の目玉を紹介されていますので その記事を引用致します。

平成28年8月16日 中国新聞朝刊

平成28年8月16日 中国新聞朝刊

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