湯口先輩の『鳥羽快速と参宮線(上・下)』を懐かしく拝読しまして、加太で迎えた鳥羽快速運転最終日の模様を伝えます。時は1965(昭和40)年2月28日(日曜日)でした。
▼曇り空のこの日、柘植を10:18出発の2442レ、C57148【亀】に曳かれ、大築堤を下ってきました。青帯車1両を交え5両編成です。客車最後尾の窓からファンが身を乗り出しています。
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湯口先輩の『鳥羽快速と参宮線(上・下)』を懐かしく拝読しまして、加太で迎えた鳥羽快速運転最終日の模様を伝えます。時は1965(昭和40)年2月28日(日曜日)でした。
▼曇り空のこの日、柘植を10:18出発の2442レ、C57148【亀】に曳かれ、大築堤を下ってきました。青帯車1両を交え5両編成です。客車最後尾の窓からファンが身を乗り出しています。
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行方不明のネガフィルムが一本あって、しかし一本と言っても6コマの一本でネガフィルムです。そのフィルムには近鉄内部線の内部で撮った写真で、その中でも気にいっているものが含まれていました。探すとべた焼きをしたものがあったので、それをスキャンして修正して画像として残すことにしていました。今回、発見出来て良かったと思っています。ただし、どのようないきさつで行方不明になったかわかりません。それはそれとして、この6コマ一本以外は例の酢酸臭がして隔離しています。使用不可になるような深刻な状態ではありませんが、ひどくならないように紙製フィルムホルダーにいれて保管しています。というのは樹脂シートでつくられたフィルムホルダーで保管していた時にフィルムが液状のようなものでべったりと樹脂製ホルダーに付着していたので取りだして以前に使用していた紙製フィルムホルダーに入れ換えました。酢酸臭がしますがそれほど悪くなっていません。今回、見つかった行方不明だったフィルムは紙製ホルダーに入っていて、酢酸臭がほとんどなく正常な状態です。そのフィルムの一コマの写真はというと
1964年12月30日、姫路発鳥羽行快速2442レは無事12時11分鳥羽に定時到着。ここで不思議なのは、鳥羽駅構内だけでなく、三重電気鉄道志摩線の写真も一切ないことである。51年前とあって記憶が全くないのだが、すぐ鳥羽から鳥羽港の入江、鞍部状峠を越えて浜辺浦をバックに、参宮線列車を撮ったとしか考えられない。なお近畿日本鉄道が宇治山田から五十鈴川、さらに鳥羽へと延伸するのは、1969年12月15日/1970年3月1日である。
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沿線の住民説明会が一巡して終了したとのこと。あとは9月1日のJRによる正式廃止表明を待つだけという ゆっくり真綿で首を絞めるようなことをせず、最初からはっきり廃止しますとしたうえで、その代わりにどうするかという議論にもっと時間を割けばよいのにと思います。その議論はこれからの1年間をかけてと言うのでしょうが、そんな悠長なことをしているから 何事も後手に回ってしまうのにとイライラします。アー シンキクサー!
山科大築堤を行く鳥羽快速440レ 本務機C57110 後補機C51101 1956.1.9
右端の古枕木柵は、花山地区住民が京津線御陵駅への日常交通路として、築堤犬走を歩行しているのを遮るためだが、効果は全くなく、すぐ別のバイパス?が作られた。左側直線部には架線支柱が建っている。C57110はC51101共この年10月15日参宮線六軒での大事故で大破するが、C57110はその後復旧した
上の440レ後尾から。直前に投身自殺があり、左側複数の人物はその処理班。当時人身事故での列車ダイヤ乱れは極少=ほぼ即時回復した
姫路-鳥羽間の快速列車1往復は、詳しく調べていないが昭和初期に設定され、列車番号は終始440、441。戦時中は恐らく伊勢神宮参拝客輻輳のため2往復に。戦局不利になった1943年12月15日訂補ダイヤでは、京都-鳥羽2往復になり、何故か宇野-鳥羽1往復がある。1952年9月1日訂補ダイヤでは京都-山田、京都-鳥羽各1往復、1953年11月11日改正では3440、3441レとして姫路-鳥羽1往復が復活している。 続きを読む
倉吉線、木次線、福塩線、三江線と少し前まで賑わったデジ青でしたが、このところご無沙汰です。そうすると西村さんが小ネタで久しぶりに三江線の話題が登場しました。呼び水に誘われるように5月21日(土曜日)に日帰りで行った三江線全線乗車記を・・・
というような書き出しで7月14日から投稿作成を開始したのですが、8月2日に西村さんが投稿された「早ければ2018年春にも」の内容に想定はしていたもののもう少し何とかならないかと思ってしまいます。それは列車本数が少ないから、乗車人数が少ないからということで廃止というのは利益を考えるならばそうなるのは当然と思いますが・・・とにかく、日帰り全線乗車記を
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9月1日に全線廃止を表明するとの報道を受けての地元の反応です。
廃止か存続かで揺れる三江線問題ですが、8月1日 JR西日本が全線廃止へ向けて一歩を踏み出しました。今朝の中国新聞朝刊の記事です。いきなり全線廃止と言うと地元のショックが大きいと思ったのか、「9月1日に全線廃止を表明しますよ」という事前予告です。どうせ廃止ありきで考えていて 考え直す気もないのなら事前予告など不要だと思うのですが。