古写真から見た昭和京都の生活~市電の音が聞こえる風景~

表題の展示会が開かれるのでご案内いたします。

当会の方の中にもご存じの方もおられると思いますが、好軌会会員で京福や市電の研究家の中村進一氏からご案内を頂きました。
会場は「ひと・まち交流館」河原町五條下ル東側1F
期間 2/22~2/24

ぜひ、ご覧下さい。

 N電 夜の梅小路を走る

先ごろ京都・梅小路公園のライトアップイベント「京都・冬の光宴2017」が行われ、その一環として、通常は昼間のみ公園内を走っているN電27号が、特別に夜間も運転されました。鉄鈍爺さんの極寒撮影ほどではありませんでしたが、時おり雪も降るなか、寒さ対策バッチリで写しに行ってきました。

N電が夜間運転されたのはイベント期間中の土曜日の2日間のみ、20時まで約30分ヘッドで運転された。吹きさらしの運転台はさすがに寒そう。

続きを読む

2016年 西方見聞録 Part33 ウイーン国鉄近郊電車、ウイーンのメトロに乗る、撮る

▲ 撮影地 シュピッテラウ(Spittelau)駅はÖBBのS40バーンとMTRのU4・6バーンが交わり、またTramも乗り換えられるターミナル駅です。
Tramが走る上の高架軌道を通過するのはU6バーンのTramと同サイズの電車です。U6号線はU4号線と同じく、かつて建設されたウイーン都市鉄道(シュタットバーン )をMTRにリノベーションした路線です。ほぼ造り直されたU4号線に比べてそのまま活用できたU6号線は高架区間が多くなっています。

続きを読む

東海道の電車を楽しむ-その6-

Wikimediaでは東海道の中間点を28宿見付と29宿浜松の中間(247,75Km)としている。それに合わせると現在のJR線では、東京~京都間513.6Kmの中間点256.8Kmは浜松257.1Kmが該当する。図らずも江戸と京都の中間点が良く似た位置にある事が分かった。その中間点から5宿離れた34宿吉田からの東海道は北に経路を取り西に向かっている。明治維新後建設された東海道線は浜辺(常滑)を辿り宮宿(熱田神宮)に向かった。後発の名古屋鉄道は旧東海道のルートを追うようにして名古屋から延伸してきた。そのため両線が肩を並べる熱田神宮前では国鉄線の経路80.7Kmに対し名鉄線62.2Kmとなり、その差は18.5Kmとなる。さて現在、JRと名鉄は豊橋~名古屋間で熾烈な速度競争をしているが本稿では取り上げない。

続きを読む

闇鉄「淡い冠雪」

関東の友人から「闇鉄」との撮り鉄の中での小分野名(渾名?)を頂きましたので、今後それで行きます。(笑)
京都駅の辺りで雪が積もるのは年に数回です。従って今年は2度目の出動となります。満月が優しく照らしていました。

サンライズ瀬戸・出雲、258系、5031M

サンライズ瀬戸・出雲、258系、5031M

続きを読む

近鉄大阪線の雪

この週末は各地で雪の被害が出ており大変な思いをされていると思いますが、奈良から伊賀に掛けては比較的雪が少なく交通機関への大きな影響も無かったと思います。このような中ですが、昨日(2/11)は少しは雪の中の写真を撮ろうと近場に出かけてきました。結果として思ったほど雪は多くなく地肌が見える状態でした。赤目口と三本松の様子です。 続きを読む

2016年 西方見聞録 Part32 ウイーン国鉄近郊電車、ウイーンのトラムに乗る、撮る

▲ 撮影地 Google座標; 48.202250, 16.369829
1869年5月25日に竣工したウィーン国立歌劇場の前をウィーン・リングトラムが行きます。ウィーン・リングトラムは、ウィーンが誇る美しいリング通りや国立オペラ座、ホーフブルク王宮、国会議事堂、市庁舎など壮麗な建物の数々を車窓から楽しむために30分間隔で運行されている観光トラムです。

【 ウイーンのトラム 】
ウイーンのトラムはこの国立歌劇場ができる4年前の1865年に1435mmゲージの馬車鉄道として開業しました。1883年蒸気トラムが入り、1897年にはDC600Vに電化されています。2013年現在で176.9㌔の路線があり、これは世界5番目の長さです。29路線での輸送量は年間2億9,360万人(1日平均約80万人)の利用客です。
この日は朝から雨が続きましたが今回の旅、最後の撮影日ですので頑張って乗って撮っての1日を過ごしました。
続きを読む

電車になった気動車、気動車になった電車

デジ青2017年1月26日[81165]東海道の電車を楽しむ-その5-を投稿された乙訓の老人さんはコメントの中で豊橋鉄道渥美線について訪問した時期が1962年と1993年で1993年の訪問時には気動車改造のトレーラーは廃車後で寂しい思いをされたとある。「待てよ!その車両撮ったことがあるかもしれない」と探し回ってみたら整理のできていないフィルム箱の中に見つけることができたので報告させていただく。ついでと言っては恐縮であるが気動車→電車、電車→気動車の改造車について私の記録したものも併せて紹介させていただく。ただ撮ったというだけで特に詳しい説明ができないのでその点はご容赦願いたい。

 

①気動車→電車    1978年9月16日 豊橋鉄道高師 ク2402

この車両は元は神中鉄道の発注で1938(昭和13)年に日本車両東京支店で生まれた流線形気動車キハ40形である。ここでややこしいのは神中鉄道というのは現在の相模鉄道(通称そうてつ)のことで神中鉄道と同じ1917(大正6)年創立で茅ヶ崎-橋本間を結ぶ現在のJR相模線の前身相模鉄道(旧)という会社もあった。1943(昭和18)年に神中鉄道は相模鉄道(旧)に吸収合併されたがその後直ぐの1944(昭和19)年に相模鉄道(旧)の相模線は国鉄に買収され、残った神中線部分は東急の傘下に入った。部分的に支援の電化等を経て1947年(昭和22)年に新生相模鉄道として独立し現在は大手15社の一角を担っている。1965年夏に相鉄を始めて見た時は神中鉄道時代の面影が駅舎や木造のラッチ等に残っておりローカルな感じがしたことを覚えている。この神中キハ40形はその後客車化されたり電車化(制御車)されたりした後1956年8月に相鉄から豊鉄に譲渡された。この間改番もなされてきたが最終的には1968年にク2400形のク2402となった。廃車は1982(昭和57)年である。 ▼

この時の主目的は戦前の関西国電の雄モハ52の撮影でクモハ73106東ウラさんと織田・徳川連合軍対武田軍合戦場近くの長篠で泊まりその翌日に豊鉄を訪問した。

続きを読む

 地図を携えて 線路端を歩いた日々 -2-

皆さんからのコメントを拝見して、地図一枚にも、一人ひとりの思いが詰まっていることを痛感しました。では、これから五万分の一の地図を手に各地を巡った撮影記を続けます。なお国土地理院発行の「五万分の一」は正しくは「地形図」ですが、馴染みのある「地図」で通すことにしました。
第1回は筑豊本線折尾~中間です。非電化の複々線上を、都市間の電車ダイヤ並みに10~15分に一本は蒸機列車が通る、まさに“煙の聖地”でした。

続きを読む

「地図を携えて線路端を歩いた日々」に期待する

総本家青信号特派員氏が投稿された記事を読んで全く同感で こうして投稿しました。私は彼ほどの枚数は無いものの 50枚以上の地図を捨てられずに持っています。私は高校時代「地学部」でハンマー片手に化石採集をしていて、近江鉄道多賀線の奥、西濃鉄道沿線、北恵那鉄道沿線、有田鉄道沿線などの山の中を歩いていたこともあって その時に買った地図もあります。DRFC時代には特派員氏と同様に旅行前には小林地図専門店を訪ねるのが常でした。ガラガラとガラス戸を開けて入る古い町屋造りのお店だったように思います。

国土地理院発行 地図一覧図

この一覧図で予め欲しい地図に当たりをつけておいてお店に行くのですが、出してもらうと線路は端の方に少しだけかかっているだけで わざわざ買うほどのものでは無かったりで 何度も出したり入れたりしてもらいながら選んだものでした。1色刷りが1枚80円でしたが、長い旅になると1枚では済まないので 財布との相談で どうしても必要なものに絞り込んで買ったものでした。

続きを読む

 地図を携えて 線路端を歩いた日々 -1- 

この齢になってくると、残された時間も考えて趣味活動するようになりました。活動が、今後に有効な成果をもたらすものかを、つねに考えます。資料・蔵書関係の整理も同様です。今までは、集める一方の拡大路線でしたが、一度立ち止まって、今後も有効なのかを熟慮して、時には“縮小”も視野に入れて進めています。かつて撮影時の必携アイテム必需品だった五万分の一の地図を代表とする、国土地理院発行の地図も同様です。
初めての撮影地は、列車の窓から首を出して地図で地形を確認、好適地を見つけると地図に印を付けて、つぎの駅で下車して、目的地へ向かったものでした。当時の鉄道雑誌にも「撮影地ガイド」はありましたが、アバウトなもので、信頼が置けず、やはりちゃんとした地図を購入しました。でも現地に着くと、地図から思い描いた風景とは違ったり、撮影に適したカーブも、五万分の一の地図では表現しきれないこともあり、撮影適地を発見できないまま、ガッカリして帰ったことも多々あります。 昭和40年ごろから、撮影用に購入したり、また出版社から取材で使った地図を大量に譲り受けたりして、約300枚の国土地理院の地図が残りました。
 しかし、いまは多様な地図アプリがあって、鉄道撮影に紙の地図を持参するのは、もはや化石人間以外の何物でもないでしょう。残された時間のなかで、有効に使うことはないと判断し、何枚かの思い出に残る地図や、京都周辺のものを除いて、すべて廃棄することにしました。

一枚一枚に思い出が詰まった五万分の一地図、一部を除いて廃棄することに

続きを読む

画像サイズの投稿ありがとうございました。

掲示板管理人さまより投稿画像の寸法についての記事が、阿吽の呼吸でありました。1月26日に48年前の画像を投稿しましたが、初めてスキャン経験で適当に縮小した画像を挿入しました。画像が小さすぎてお見苦しい記事となりました。鉱石ラヂオを組み立て、エナメル線の接触不良を紙ヤスリで磨いていたアナログ爺さまにはネットの仕組みは解りません。見かねての御教示、このOB会は誠にありがたい集団です。さっそく細工をして再掲とさせていただきます。

投稿後しばらくして米手作市さんよりDVDが届きました。EF58150とマイテ492展望車の同志社大学鉄道同好会三十周年記念列車の映像が収録されたものです。あまりの時機の良さに思わず投稿のご褒美かと思いました。

展望車の三軸台車の走行音を聞いて懐かしんでいると、一畑電鉄の古いクハ111が三軸台車だったとの投稿がこれまた米手作市さんよりあって吃驚仰天。1962年に一浪の末に同志社大学に合格。大阪からの通学は当初は国鉄を使っていました。その頃の快速は80系湘南電車で、京都交通博物館にある三枚窓の正面を持つクハ86も現役でした。京都駅の留置線には三軸台車の格下げ客車マハ29を見ることができました。まだ客車の普通列車が残っていて京都姫路間の増結用に使われていたので、下校時に乗ることもあり、独特のジョイント音をがらんとした車内で聞いたものです。京都長崎の夜汽車急行「玄海」の食堂車は三軸台車のマシ29だったのを見たように思います。

この掲示板をご覧の方はたくさん居られるとのことですが、案ずるよりするが易し一度投稿いかがですか。失敗しても教えてもらえます。身近な情報や珍しい画像があればお見せください。コメント投稿ならもっと簡単ですよ。

2016年 西方見聞録 Part31 ウクライナからウイーンへ

▲ ウクライナのリヴィウからウイーンへと向かう機内で満面の笑みを浮かべて働くCAさんです。大した機内食は出ませんでしたがCAさんの笑みはそれにも増しての機内サービスでした。日系JAL/ANAのおもてなし機内サービスは世界中から賞賛を受けています素晴らしいものがありますが、自然と出るこういった温かさも格別のサービスですね。
続きを読む

 50年前の撮影地を歩く -14-

留萠鉄道 幌新駅

北海道ならどこにでもありそうな駅にも、クローバー会の皆さんの思い出が詰まっていること、前出の「恵比島」でも痛感しました。調子に乗って、もうひとつ駅を紹介します。恵比島から分岐していた留萠鉄道は、前記のように昭和44年に休止されましたが、目玉は、終点・昭和駅の奥にあった明治鉱業昭和炭鉱で働いていたクラウス社製のBタンク機15・17号機でした。
炭鉱閉山後の同機2両は、直後に開催の大阪万博でも展示されたあとは、流転の歴史で、各地へ転売・転属を繰り返しましたが、15号機は、留萌鉄道の中間駅でもあった幌新駅近くの温泉施設の公園に安住の地を見つけて、大事に保存されています。
昭和炭鉱のクラウス17号機、この可愛らしい姿を見るのが、留萠鉄道乗車の目的だった。この17号機は、栃木県那須烏山市にある那珂川清流鉄道保存会で保存公開されている。

続きを読む

デジ青の写真投稿について

デジ青投稿時における写真のサイズについての問い合わせをいただきましたのでルールと注意事項について申し上げます。そんなに難しい事ではありませんのでサラッと見ていただければと思います。

【ルール】
1、投稿できる写真サイズは、画像解像度72dpi設定で、200KB前後が最適です。
dpiは「Dot Per Inch」の略称で「1インチの中にどれだけのドット(点)を敷き詰めるか」という意味です。印刷する場合はできるだけ細かいデータがあった方が綺麗になりますが、PCのディスプレイは表現できる解像度が大きくはありませんので不必要です。
デジ青では写真投稿時に最大2MBまでの容量はありますが、大きすぎています。サーバーに負担をかけ、アクセスにも時間を要することがありますので、72dpi(=72pixel/inch)、200KB前後に縮小してください。新聞原稿、地図や写真の細部を表現したい時には300~500KBのサイズまで必要とする時がありますが、一般の写真では不必要です。

2、写真の大きさは縦横の最大サイズが1200pixel、または42cm程度にすると画面にキッチリと入ります。また、ボアアップ(写真拡大)した時にもディスプレイにキッチリと収まります。これ以上大きくしますとボアアップした時にディスプレイの画面からはみ出てしまいます。

3、添付ファイルの表示設定については、配置位置⇒中央、設定⇒フルサイズを指定ください。

4、数枚の写真を並べて掲載したい時は、メディアを追加⇒ギャラリーの作成⇒写真を選んでから⇒ギャラリーの設定⇒カラムは1~9までを選び⇒ギャラリーの挿入、以上です。

【写真画像の縮小】
1、写真画像を縮小するには編集ソフトが必要になります。有料になりますがプロも使うAdobe 社のPhotoshop Elements(12,890円)がお薦めです。数十枚以上の画像を一括で自動編集できますので重宝しています。安い廉価版もあります。
またカメラ会社からはそれぞれ無料のソフトが提供されていてHPからダウンロードできます。私はNikonユーザーですのでViewNX2とCapterNXを使っていますが、1枚1枚を丁寧に画像現像する時にはこちらを使っています。かなり優秀ですが昨年違った製品にバージョンアップされました。使用されている各カメラ会社のHPをご覧いただければ、分ると思います。また他社のカメラでも使用できるようになっていますので、自分で使いやすいソフトはどれが良いのか試してみるのも良いでしょう。
全ての編集ソフトにはデジタル写真のJpg、RawやスキャンしたPDFデータからのJpgへの変換・編集機能がありますので簡単に縮小が出来ます。
各カメラ会社の編集ソフトのダウンロードは下記をクリックしてください。
Nikon Canon Casio Olympus  Sony Panasonic Ricoh   富士フイルム

2、もし2MB以下の画像でしたらHPにアップロードしてからでも画像編集ができます。画面右上の「添付ファイルの詳細」⇒「画像を編集」を選びクリックしますとサイズを聞いてきますので数字を打ち込んでやれば縮小できます。

以上、よろしくお願い申し上げます。

2016年 西方見聞録 Part30 ウクライナの蒸気機関車を撮る⑤

▲ 撮影が終わってボロフタ(Bopoxta)駅からホテルに戻る途中でお会いした土地っ子のお姉さん、気軽に撮影に応じてくださいました。英語が通じませんのでタブレット翻訳でのコンタクトです。落ち着いた微笑みはモナリザのようでもありました。
続きを読む

一畑電鉄クハ111号

最近整理をしていたら、昭和62年に走ったDRFC30周年記念列車・マイテ492の8mmビデが出てきました。早速DVDへダビングして改めて見ましたが、EF58150牽くオハなどの旧型客車の快走やマイテの中在家信号所でのスイッチバックなど貴重な記録映像が入っていました。中でも三軸ボギーの走行音がすばらしい!
おそらく一畑電鉄クハ111号もそんな走行音を宍道湖畔に響かせて快走していたのでしょう。もう聞きたくても聞けない音の一つです。

 50年前の撮影地を歩く -13-

 

ふたつの駅名がある駅

留萌線の残存区間から留萌、峠下の今昔を紹介しましたが、もうひとつ恵比島駅の今昔も紹介しましょう。恵比島駅も、無人の棒線駅、一日乗車人員1人台と、典型的な北海道の駅ですが、かつて留萌鉄道が分岐していて、石炭輸送の中継駅として賑わいを見せていました。訪れてみると、当時の姿は、すべて草木のなかに埋もれてしまい、面影は全くありません。ところが、NHK朝ドラのロケ地となったことを契機に、ふたつの駅名を持つことになり、ロケセットも観光資源として残され、流行りの聖地巡りか、時おり、観光客もクルマで訪ねて来るという駅になっています。
「えびしま」?「あしもい」? 駅名標もふたつ

続きを読む

2016年 西方見聞録 Part29 ウクライナの蒸気機関車を撮る④

 今回はいつもある嬢さんの写真がないのはなぜかとのご意見をいただきました。街や駅を歩くたびに素敵な被写体の方はおられないかと探してはいたのですが若い年齢層に出会うことは少なく、撮りたくとも機会に恵まれませんでした。
今回はもう撮れないかなと思っていましたら今日初めて乗車したウクライナ鉄道の客車列車の中で元気な土地っ子お嬢さんに会えました。撮らせてくださいと申し出ましたらニッコリ笑顔のピースサインで答えてくださいました。
お嬢さんが座っておられるのは寝台車の昼間運用時の座席です。中々凝った作りになっていますので後ほど紹介させていただきます。
続きを読む