三江線関連の小ネタ

平成29年6月20日の中国新聞朝刊に載っていた記事です。広島県安芸高田市にある歴史民俗博物館が三江線の企画展を計画しているが、手持ちの資料が少ないので 貸してくださいとのお願い記事です。

平成29年6月20日 中国新聞朝刊

同館は毛利元就の居城 吉田郡山城のふもとにあります。ところが吉田町は鉄道によるアクセスが悪く、芸備線向原駅、吉田口駅、甲立駅が最寄り駅ではありますが、クルマでないと行きにくい場所です。

資料を借りたいとは言いながら、持参して来館できる人に限るということですから そんな枠をはめると どれだけの資料が集まるか疑問ですね。もし万一「貸してもいいよ」というお宝があれば 私宛にお送り頂ければ 私が飛脚となって吉田郡山城麓まで届けることは やぶさかではありません。

凍える大地への旅 2016年 Part17 青春18きっぷの旅 旭川⇒音威子府 ラッセルを撮る

第10日目 12月18日 その4

音威子府行きのキハ54-504に荷物を置いてからホーム先頭へ行き、午後2時頃には来るであろうラッセルを待ちました。

▲ 14:02 予想通り旭川に到着したラッセル車のDE15-2515号機編成です。南稚内からやってきてこれから折り返すようです。
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48年前(1969年頃)に多分同じところから眺めてみると

 wakuhiroさんが「加島近況」として投稿されましたが、48年前の同じところから同じ方向を眺めた写真があります。ちょっと構図が違いますが、背景の高層ビル群がなく、走っている電車が583系の昼間特急が大阪へ走って行く写真です。高い建物としては「大阪タワー」が見えます。その近くの高いビルとしては「ホテルプラザ」でしょうか。

 

wakuhiroさんの写真と見比べると線路の築堤はそのままですが、走る列車や背景が変わったことがわかります。

 

加島 近況

先日の福知山線ハイキングでは久しぶりに多くの方と会うことが出来て、参加して本当に良かったと思っています。何事も継続が大事ということで出来る限り参加して行きたいと考えています。その時、時間と体力があれば帰りに貨物列車を写そうと思っていたのですが「登山」のお蔭で体力・気力とも削がれてそれどころではありませんでした。加島は大阪梅田のビル群を望む有名な撮影地で以前にも行った事があります。今回は午後遅くの2列車です。最初は77列車EF210-303、次は75列車EF652083です。

雑誌等でよく出てくる場所ですが、ビル群を背景にした貨物列車もいいものだと思います。

凍える大地への旅 2016年 Part16 札幌→旭川 青春18きっぷの旅 その1

今回の旅の締めくくりは稚内行きです。初めて訪問したのは18歳の夏で約50年も前のことでした。サハリンへと渡る航路の乗換えのために日本では見られないドームがある乗換駅が設置されていました。また訪問したいと思っていましたが行けずじまいとなって昨今はJR北海道から「JR単独では維持困難な線区」と、宗谷本線(名寄~稚内)がノミネートされてしまいました。
このまま無視していたら知らぬ間に廃線になってしまうかもしれない。折角札幌まで来ているこの機会に乗りに行くべきと思いました。ついでに宗谷本線に走るラッセルカーも撮ってみたいと欲張りも出ましたので、これに合わせることにしました。
ただ、ラッセルカーは毎日走行しているようなのですが、今冬の運行ダイヤがネットからは調べても分かりません。昨年のダイヤは分ったので多少は変更があっても同じぐらいだろうと挑戦することにしました。
乗車は勿論鈍行列車、今日は途中の名寄までの乗車です。運賃は4,320円になりますのでお得な青春18きっぷ(1日単価2,370円)を利用です。
▲ 10:01 札幌駅10番線で発車を待つ721系電車の155M。ラッシュもすぎたのでガラガラの車内でした。
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「阪急・能勢P5」上梓

《阪急P-5こと10形は新京阪鉄道が製造した11m級小型木造車。P-4 ・P-5A・P-5B形の各形を総称してP-5(デロ10形)と呼ばれ-中略-すでに「のせでん」での引退から50年が経過したが、本書は阪急及び能勢電で活躍したP- 4・P-5 木造車の活躍の記録である。》巻頭より

本日、関三平先生から「阪急・能勢P5」という素晴らしい本が出るとのお知らせを頂きました。
同時に本を一冊、クローバー会に贈呈頂きました。
中には当時としては貴重なカラー写真や、P5の全ての系譜が掲載されています。もちろん、関先生の写真やイラスト、原稿「愛しのデロ」もご覧下さい。

この本は事務局長にお渡ししますのでどなたでもご覧頂けますが、是非とも書店でお求め下さい。

車両アルバム.27
発行:レイルロード
定価:2500円+税

 「トレランス8号」 三陸鉄道を走る 〈下〉

釜石から戻りとなる「トレランス8号」は釜石18時10分発、移りゆく車窓は、次第に夕闇に包まれようとしていた。

往きの「トレランス8号」は15時25分に終点の釜石に到着しました。釜石と言えば、駅前に新日鉄釜石製鉄所があり、巨大な煙突から煙を吐き出していた40年前の印象が忘れられません。その後、高炉もなくなり、今では線材を生産するだけの一部門になり、工場は大幅に縮小されています。釜石駅周辺も津波被害がありましたが、ほとんど感じられないほどに復旧していました。この釜石駅ホームで本日のもう一つのイベントが行われようとしていました。

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トレランスのあとは釜石から秋田へ

総本家青信号特派員氏より「トレランス8号三陸鉄道を走る」が紹介されました。記事にもありますように、私もこのイベントに参加し、大船渡線BRTと三陸鉄道に初乗りするとともに、震災後6年が経とうとしている気仙沼・陸前高田・大船渡・釜石・大槌の様子を駆け足ながら実見してきました。ここでは被災地レポートではなく、イベント終了後 釜石から盛岡、八幡平を経て秋田までの旅の中で出会った鉄道を紹介したいと思います。

製鉄で栄えた釜石ですが、現在高炉はなくなり 製鉄所は発電事業や鋼線製造に特化し、加えて津波被害もあって 釜石にはかつての活気は感じられませんでした。新橋・横浜、京都・神戸間の鉄道開通に続き 明治13年に釜石鉱山から釜石港まで 我が国3番目の鉄道として工部省釜石鉄道が開通しています。その後いろいろな変遷をたどりながら、昭和40年3月末まで富士製鉄の762mm軌間専用線として 蒸気機関車による貨物輸送が行われていました。その専用線で最後まで活躍していた蒸気機関車が保存されていますので、訪ねてみました。

富士製鉄釜石 209号機 平成29年6月12日 鉄の歴史館前にて

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異形式連結電車ー6-

小田急、京王のステンレス車両とアイボリー、白色の車両(鋼製車)の連結10両編成に興味を持ったのでデジ青に投稿してみたが、その後それがいろいろな形で発展してとてもついて行けなくなってきたのでこのあたりで閉店させていただく。

阪急京都線の2300と2800はその詳細はマルーンさんがお詳しいが、3扉ロングシートと2扉クロスシートの違いはあるが性能的には同じ電車ではないかと思う。しかし、営業で混結した姿を見たことが無い。これは回送と思われるがメモに記載がなく定かではない。1967.11.7阪急京都線大山崎-長岡天神 2309・2359+2801・2851▼

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 「トレランス8号」 三陸鉄道を走る 〈上〉

三陸鉄道南リアス線の恋し浜駅に停車する、佐竹さん貸切列車「トレランス8号」、レトロ調車両36-R形が充当された。時間を掛けた、ゆっくり旅で、まさにトレランス精神あふれる列車となった。
佐竹保雄さんの貸切列車「トレランス8号」が、6月11日に三陸鉄道南リアス線盛~釜石で運転されました。「トレランス」号は佐竹さんが皆さんを招待し展望車を連結した京都発京都行きの特別列車で、1989年に運転を開始して、ほぼ一年ごとに運転され、1996年の7号で完結を見ました。
その後、佐竹さんは、震災復興を願って毎年「東北展」を開催され、三陸鉄道の南リアス線全線開通時にも、自ら撮影に出掛けられるなど、とくに三陸鉄道とは強い絆が生まれ、20年ぶりに場所を変えて「トレランス号」の復活運転となったものです。クローバー会でも参加者を募ったところ、私と、西村さんご夫妻の計3名が参加することになり、本隊の約30名と現地で合流して乗車を果たしました。車中では、“震災の語り部”から当時の様子を聞いたり、そのあとはバスに乗り換えて、佐竹さん思い出の地や震災遺構を見学したりと、震災後6年目を迎えた現地でその思いを新たにしました。

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こんなモンもありまっせ!

札幌市電のディーゼルカーの話題に悪のりします。
というのは、この写真を撮った記憶が無いのです。いろいろと忘れてしまう歳になりましたが、この写真に関することだけを忘れるというのもヘンです。従って説明はできません。
と、言うことをご理解の上ご覧下さい。

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私も撮っていました700形

札幌市交通局700形をご覧にいれます。701と702です。
701は東七丁目-東三丁目のサッポロビールの前です。
702は北大正門前-札幌駅前で、国鉄札幌駅桑園方でオーバークロスする所です。すごい所を走っていたのですね。
昭和46年9月の撮影で、山形のKさんとご一緒して幕張博士の会社に押しかけ、そのまま琴似の大四畳半に転がり込み重なって寝た時のものだと思います。

凍える大地への旅 2016年 Part15 札幌市電を撮る その5 車庫前~すすきの

第10日目 12月18日 その2

早朝のササラ電車を撮りたいとの気持ちはあったのですが眼が覚めたのは5時でした。ササラ電車は始発電車が走り出す前にレールの間に詰まった圧雪を弾き飛ばすのが仕事です。始発電車が走ってからでは遅いのですが、外に出ないわけには行きません。滑る氷雪路のために用意しておいた滑り止めを靴に蒔いて出動しました。▲ 5:50 西4丁目から狸小路へと 続きを読む

こんなモンもありまっせ!

久しぶりに投稿します。
この当時は自転車で行ける範囲で撮影していましたが、向日町付近が南限でした。この頃に向日町運転所が出来つつあり、旧型客車や新型電車など撮り放題でした。ついでながら阪急の写真も撮っていたようです。

向日町付近の特急

向日町付近のデイ100

 

いまは懐かし「ひょうきん族食パン電車」

 関三平さんの「国電ひょうきん族」でデジ青コメントが盛り上がっているようですが、富山に居た頃に何回か乗っていました。何やら車内は陰気な電車でした。しかし、わざわざ乗ろうとするような電車でもなく、乗ったからには何とかして楽しみを見つけるしかない電車でした。そんな電車を富山で1枚だけ撮りました。

富山駅から東へ行ったところ 2009年3月撮影

住んでいるところが以前の北陸線の線路際でしたので、ここから富山地鉄の稲荷町にあるスーパーに行くのに線路際を歩いて行くのですが、カメラを持っていることが多く、たまたま撮ったものです。車内に入るといつも暗い、陰気な感じでした。ただし、対面シートの間隔が広いので、前に人が座っていてもゆったりした感じです。この電車のいいところはこれぐらいでしょうか。昼間特急として走っていた頃に名古屋から特急つばめとして岡山の方へ乗ったことがありました。その時は陰気な感じではなかったのですが・・・

札幌市電の保存車

札幌地下鉄 自衛隊前駅の南 高架下に札幌市交通資料館があり市電の保存車が置かれています。高架下のフェンスの中に置かれていますので休館日にも見ることができます。
ぶんしゅうさんの旅日記にも出てきました路面ディーゼルカーも保存されていますので紹介させていただこうと思います。(2017年4月撮影です)

↑ 
親子電車のTc1と連節車A801-A802が並んでいます。
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凍える大地への旅 2016年 Part14 札幌市電を撮る その5 昭和46年当時の札幌市電

第10日目 12月18日 その1

今日は札幌から名寄へと青春18きっぷを使っての乗り鉄旅ですが、札幌発車時刻は10:07で十分に時間があります。朝からもう一度札幌市電の撮影へと出かけることにしました。
▲ 河様からのコメントでお問い合わせ時代の札幌市電の系統別路線図です。7系統が路面ディーゼルカーが走行していた路線と思われます。
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