【88929】加太電鉄デニホ10号・51号

私鉄、特に南海の電車には疎いので加太線が加太電鉄なる私鉄であったとは知りませんでした。こんな電車は飯田線にもいたような気がしますがよく分かりません。河様ならご存じかもしれませんが客車担当の私には全く・・・


【88894】昔々のことー京都市電②

「家人からの終活圧力」にお悩みの須磨の大兄にもおとらず、小生も「訪問介護士」の執拗な圧力に苦しんでいます。
最初は親切ごかしに「いかがですか?  最初は少し詰めて投稿して慣れないと、やり方を忘れてしまいます。 どんな話題でも練習だと割り切って投稿して下さい。」と優しいメールでしたが、黙殺していると段々口調が厳しくなり、「わざわざ教えに行ったんたやから、サッサとやらんかい!」的な脅迫口調になってきました。
(奨学金の返済をサボっていたころ、最初は手紙で「次代の後輩のためにちゃんと返しましょうね」的なものが、それでもサボっていると段々エスカレートして、最後の最後は「法的手段に訴えるぞ」になっていったのとそっくりです。最終的に私は全部返済しましたよ!為念)

その圧力をかわすため、不本意ながら(あまりにも小生の写真のレベルが低すぎるのに気づいて投稿を躊躇していました)京都市電の②をご笑覧ください。

京都駅前(烏丸線、河原町線、東山線のターミナル)、西を向いて。
左手奥は中央郵便局、真ん中奥は下京区役所 記事の続きを読む


【88891】犬見鉱山での加悦C160

限りなく薄れゆく記憶だが、高校1年の時、3人で京都-舞鶴-敦賀-米原-京都と一周したことがある。1953年1月7日=天気が極めて悪く、おまけに当時写真で売っている得体のしれない35mmフイルム(太秦の映画会社カメラマンが半端に残った「残尺」を写真屋に売って飲み代にする)だったので、散々だが、1人はセミ版カメラで、彼がこの写真を撮っていたのを想い出した。紛れもなく加悦鉄道C160である。ここは高井薫平『小型蒸気機関車全記録』にも掲載がない。今回の総本家青信号特派員氏の投稿で、俄かに64年前の記憶が蘇った次第である。一昨日の夕食のオカズ(というより晩酌のアテ)は思い出せないが。


【88872】 夏の思い出 2017-4  ある駅を訪ねる

8月もあと1日で終わります。私も、夏の思い出づくりに、ささやかな旅をして来ました。
以前、デジ青で海水浴の話題がありました。米手さんのコメント「満員の列車に揺られて、若狭・丹後へ海水浴に行ったもんや」で、思い出したことがありました。小学生の3、4年、昭和33、34年です。家族で海水浴へ行きました。米手さんのように乗った列車は超満員でした。小学校高学年になると臨海学校が開かれますが、その学年に達する前の齢で、初めての泊りがけの海水浴でした。泳ぎ疲れた夕方、民宿の開け放した窓の向こうを、DC列車が紫煙を上げて通り過ぎるのを、ぼんやり見ていました。
米手さんのコメントで、なぜか“その場所へ行ってみたい”と言う思いに駆られました。 そう思う理由は、もうひとつありました。その近くに、鉱山へ向かう専用線があって今も廃線跡が残っていると聞きます。二つの理由から、ある日、ある駅に降り立ちました。

          ▲ある駅に近づいて来た。

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【88851】 ◆ た~ちゃんの電車めぐり ③和歌山電気軌道

本シリーズ、前回は和歌山電気軌道の和歌山市内線をご覧いただきました。た~ちゃんが訪れた当時、和歌山電気軌道には、もうひとつ東和歌山(当時)~貴志の鉄道線がありました。昭和36年には、南海貴志川線となり、いまの“たま駅長”、“いちご電車”の和歌山電鐵です。
た~ちゃんの述懐を続けますと、最初に和歌山へ行ったのは、昭和27年、14歳の時で、関西急電の華モハ52に乗りたい一心で、一人でカメラも持たずに東和歌山へ日帰りで行ったそうです、構内にいた4輪車が琴参電鉄から来た電車とは全く知らず、次いで昭和32年には、今回発表する訪問となりました。その時には琴参電車は解体後で、あとで高橋弘さんから、もと琴参車の写真をいただいた感動が忘れられないとのこと、それを使って「関西の鉄道」で貴志川線の琴参電車を紹介したところ、編集長に召し上げられたと思い出しておられます。
△ 東和歌山から和歌山電気軌道の鉄道線に乗り、伊太祁曾の車庫を訪問しての帰りに、岡崎前で801+202と交換した。801は、もとガソリンカーで、ほかにも阪急・東急から来た中古車両ばかりで、新造した電車が1両もないことは、いまも変わらない。

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