紅葉の赤沢森林鉄道 2017年 Part1 中央西線を撮る

小竹先生と中国鉄ちゃん仲間との写真展に行った折に見学に来られていた神谷武志さんから赤沢森林鉄道のボールドウィン号の夜撮をするので参加しないかとお誘いを受けました。実は以前にざっくりした計画のお誘いメールを受け取ってはいたのですがその後に詳細が来なかったため、問い合わせもしないでいました。
紅葉の鉄道写真は11月になったら撮りに行こうと思っていましたが、赤沢ならそろそろ紅葉を迎えている頃です。同じメンバーのW田さんも奈良から来られるという事なので一緒に車に乗って行くことにしました。

赤沢森林鉄道は2000年の5月15日の新緑の季節に行きましたので7年ぶりの訪問です。次回は紅葉時に訪問したいと思っていましたので望みどおりです。
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ある日の京阪電車 2017

お世話になっております。1988年度生のこぱんだの保護者こと山本 晃司です。

通勤、通学でも使った京阪電車。「まあいつでも撮れるか」といいつつ、案外撮っていないものです。
というわけで、9月~10月に撮ったものいろいろです。
ご笑覧賜ればと思います。

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広島からいろいろと

ここのところデジ青への新規投稿が途絶え気味のようですが、そのつなぎに いつものように新聞記事で話題提供致します。まずは三江線から。

平成29年10月26日 中国新聞朝刊より

代替バスルートも決まって、沿線各地で住民説明会が始まっているようです。小型ワゴン車で積み残しが出ないかという心配の声も。

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「怪しい写真を発掘する」に寄せて

米手さんや浄福寺さんから「怪しい写真」が紹介されている中に、キハニ5000が1枚あります。この写真の場所はどこだろうと興味がわきました。以前デジ青上で 糸崎にも一時期キハニ5000がいたことを話題にした際に、自分なりに作っていたキハニ5000の配置表をもう一度見てみました。

キハニ5000配置表

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白棚(はくほう)鉄道跡を訪ねて

今年6月に佐竹大先輩が企画された三陸鉄道の旅に参加した際、気仙沼から盛までのJR気仙沼線BRTに乗りました。気仙沼線BRTとは東日本大震災で寸断されてしまった気仙沼線の代行バス(バス高速輸送システム)のことで、舗装された線路跡をバスで盛に向かいました。この気仙沼BRTに乗っていて思い出したのが、白棚鉄道のことでした。かつて東北本線の白河と水郡線の棚倉を結んでいた鉄道で、国有化された挙句に廃線となり、国鉄バス白棚高速線として生き残った異色の線区です。学生時代に東北本線は北海道への往き帰りなどで何度も乗っていますが、殆どは夜行列車での通過が多く、ましてや水郡線は関西人にはなじみが薄い路線で、私にとって白河や棚倉あたりは永年空白地帯となっていました。そこでこの空白エリアを埋めるべく、小旅行をしてきました。とは言え家内との鉄分少な目の旅であることと、雨に降られっぱなしでしたが、知らない土地を訪ねるのは新鮮で、充実した旅を楽しみました。

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1956年11月2日京都駅

米手作市氏から「あやしい秘蔵写真の出どころに関して」とのアップがあった。それによると1956年11月3日梅小路区での御召列車スタッフの記念写真を、コロナ写真館が出張撮影されたとあるではないか。その前日、確かにC59108牽引のお召列車が京都駅に到着し、それを若かりし日のこの老人が、なぜか撮影していたのである。

C59108
1956年11月19日東海道本線は全線電化されたから、これはその17日前―東海道本線としては、最後の蒸機牽引御召列車ということになるのであろう。
小生は元来お召列車とか、豪華列車などにはトンと興味も関心もないまま今日に至っているが、この時だけはなぜか京都駅に行き、2番線からお召列車を撮っている。恐らく東海道本線最後の蒸機牽引―C59108の御召列車だから撮る気になったのだと思う。1番線は特定の者しか停留できなかった。 続きを読む

あやしい秘蔵写真の出どころに関して

まずご報告です。
壊れたパソコンが先ほど復旧しました!慣れないノートパソコンでのやりとりではミスばかりで困りましたがホッとしてます。

さて、先日来の写真に関しましてお問い合わせや出所を怪しむ怪文書などを頂きましたので、正直にお話しします。

前回も書きました(此方のミスで消えてしまいました)が、父は戦前に千日前で写真館を開いていましたが、戦災で全てをなくし京都で写真館を再建しました。場所は七条大宮角です。ツテのなかった父は西本願寺の撮影を受けて生活を安定させましたが、目的は千日前での再興でした。でもそれは京都での事業が成功したためやがてあきらめたようです。生活が安定した原因の一つが国鉄との取引です。近くにあった梅小路機関区の諸行事での記念撮影や、西大路駅の近くにあった国鉄バスの工場での展示会などは、通販やショッピングセンターがなかったので大繁盛でした。
そんな中でこれらの写真が撮られたのだと考えております。当時は父を含めて数人のカメラマンがいましたが、だれも鉄道ファンではありません。小さかった私のためにと残してくれたのでもありません。多分、機関区から資料写真の複製を頼まれて予備を作ったものが残っていたのだろうと考えられます。従って持ち込まれたものは写真か資料写真だと思います。昭和三十年代初め頃まで写真館では乾板を使っていました。引伸機を改造した複写機に乾板を入れたり、表で太陽光線を当てて撮影していたのを覚えています。版権は撮影者にありますので七条写真館が乾板を持っていたはずです。割れたり棄てたりで残ったのは写真だけです。これが棄てられなかったのは奇跡的です。鉄道好きになった息子を知って父が残してくれたのかもしれません。
梅小路機関区とのお付き合いはデジカメが出て、職員が撮るようになるまで続きました。記憶ではB20が復元された時の記録写真が最後だったとおもいます。

ところで高橋弘氏が撮られたC59108のお召し列車ですが、生前父に高橋さんを知ってるか?と聞いたことがあります。その時、同業者として名前は知っているが会ったことは無い、と言っていたのであの写真を直接高橋さんから頂いたと言うことは無いと思います。推察ですが、機関区から複写依頼があり一枚余分に焼いたのではと思います。余談ながら昭和31年11月3日に梅小路機関区でこの運転に携わった職員の記念写真を撮っています。

こんなモンもありまっせ!七条写真館の記憶2

出し惜しみをしたら、祟りでろくな死に方をしないとのご指摘を頂きましたので、あわてて投稿をしたら、間違えて消してしまいました。せっかくのご意見も消去してしまい、ご迷惑をかけてしまいました。もしよろしければ今一度書いて下さい。

※先ほど、前里様から情報を頂きましたので写真説明を一部変更いたします。(10/16)

さて、前回は梅小路機関区のC53をご覧頂きましたが、今回はいろいろなものが出てきます。

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こんなモンもありまっせ!七条写真館の記憶1

間違って消してしまいました!
が、どですかでん様の“神の声”で復活しました。

私の父は戦前に大阪・千日前で写真館を開いていました。
大阪大空襲で八尾へ一時疎開して、戦後京都の七条大宮にあった古ビルへ引っ越して写真館を再開したのです。でも、あくまで仮の姿、落ち着いたら大阪へ帰るつもりだった、というのが口癖でしたがかないませんでした。

で、七条大宮というと西本願寺と梅小路機関区が“最大の産業”でした。そのせいか、機関区からの写真撮影を良く頼まれていたようです。その頃の写真の複写らしきものが出てきましたのでご覧に入れます。
型式、撮影日時、撮影場所、撮影者など不明です。なにか分かった方は教えて下さい。

C5366(梅)C548(不明)
梅小路機関区

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西鉄200系(国鉄04と07?)

今朝PCのスイッチを入れたら立ち上がりません!えらいこっちゃ!
画面が真っ暗でポインターマークの矢印だけが光っています。データは外付けハードディスク2台に分散配置していますので助かりますが、設定などはすべてパーです。何度立ち上げてみても一緒なので困っていたら、ヨドバシにDELLのコーナーがあったのを思いだして出かけました。でも頼りない!質問にWikipediaを見て答えているではないか!帰ってきました。とりあえず外出用に買ってあるノートパソコンでこれを書いています。それにスキャナーをインストールしていたらこんな時間になりました。遅くなったのはそのためでした。

さて今週の電車は気動車の形をした電車です。


DELLのサポートからの返事次第ではデスクトップ型のPCを買わねばならないかも・・・

小田急の甲種輸送引き渡しを撮影する

7月に小田急線沿線に引っ越して時間が経ち、生活に慣れてきた頃、小田急の甲種輸送が設定されているとの情報を得たため、撮影に行ってきました。

小田急1000形とEF65(小田急小田原線 新松田駅)

小田急の甲種輸送はJR御殿場線の松田駅から伸びる連絡線を介して引き渡されます。普段は「あさぎり」のみが通過する連絡線をEF65が通過すること、ハンドルを握るのが小田急の運転士であること、営業運転時間内に行われることなど特徴があります。

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半世紀前の神戸市電-併せて街の今昔対比(4) 長田

シリーズ4回目は、長田交差点付近です。神戸市電が山陽電車と平面交差する交差点の直ぐ北側に下の絵ハガキのような赤鳥居があり、商店街が連なります。市電はその前で直角に曲がり、上沢通りを東に進み湊川公園に向かいます。
▼長田神社鳥居前
出展:株式会社くとうてん発行、もふもふ堂 絵ハガキ『市電の走る風景』
vol.3 より『長田神社前商店街』 (株式会社くとうてん様より掲載許可受け済み)▼4系統須磨駅発循環須磨駅行き 700型720号車 実際の市電はこんな風に、直角に曲がっていました。長田交差点を渡って来て、これから湊川公園、下山手に向かい、三ノ宮、元町、中之島、東尻池を経て須磨駅に戻ります。この日は祝日らしく、屋根の日の丸が旗めいています。鳥居を入れて撮ってはいませんが、似た文字の看板があります。絵の時代より写真の方が新しそうでお茶屋の看板は違います。
1967.3.20撮影 14422

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誰でも撮った高倉陸橋

京都駅の高倉陸橋から下にたむろする蒸機を撮った人は多かろう。石炭ホッパーがあるため、機関車は常に数輌いるから、何時行っても、当然誰でも同じような写真が撮れる。東海道線電化の1956年11月19日以降は、C59やC62、C51が消え、奈良線C58に京都入換のC50ぐらいになってしまうが。まあ誰でも撮った写真だが、60年以上前というだけでご勘弁を。キャプションはいらないだろう。

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