宇都家氏の記事を大変なつかしく拝見しました。明知線と明知鉄道には何度か訪ねていますが、岩村の思い出を少しだけご紹介します。まずは国鉄時代。
月別アーカイブ: 2017年12月
客車廃車体訪問記 北海道編5
日高本線沿線3題を紹介する。
【富内鉄道資料館】
オハフ33 1568(左) スハ45 26(右) 42.782898, 142.219105 1998年9月13日撮影 穂別町 富内鉄道資料館
旧富内駅を活用した施設で、最近は「富内銀河ステーション」と称しているらしい。
旧貨物側線に留置されている客車の用途は、ライダーハウスだったらしいが、車内にはタイヤチューブが積まれていた。なにしろ駅舎は閉まっていて、周りに誰一人いなかったのでわからない。塗装は綺麗である。
ここは 明智、岩村、、、
国鉄明知線にも明知鉄道にも乗ったことはありませんが、明智(線名と字が違うようです)には6年前に行ったことがあります。明智は古い街並みを活かし、「大正村」として観光地となっています。施設のうちの一つのおもちゃ資料館には古い電車やSLの魅力的なブリキのおもちゃが展示されていました。北原氏ならこれらの素性もたちどころに鑑定されるのでしょうか?
地図を携えて線路端を歩いた日々 -16-
応募してみてはいかがですか
三江線関連の新聞記事が少しずつ増えてきたような感じがします。こんな記事がありました。
船佐駅から宇都井駅までの間で撮った写真との制限はありますが、結構長い区間ですから 足繁く三江線を訪ねておられる方ならきっと良い写真を撮っておられることでしょう。ぶんしゅう殿はじめ三江線応援団の皆さんは応募されてはいかがですか。さてこんな記事もありました。 続きを読む
半世紀前の阪急神戸線(2)芦屋川-御影間、併せて今昔対比
芦屋川駅です。前回同様、青信号4号、高橋正雄先輩記述『京阪神急行神戸・宝塚線』を参考文献(*)として引用させて頂きました。
▼芦屋川駅、上り4連普通車最後部 1961年3月11日撮影
【920型920-924(M)、950型950-954】951は戦災復旧車で、以前より平シルであったが、車体は終戦直後の復旧であり完全な出来栄えでなく、更新工事で面目を一新した。通風器はガーランド式で中央一列。Tc車のパンタ取付台は撤去された。台車はこの920型のみ汽車会社のL-17(920型)、L-15(950型)である(*)。
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客車廃車体訪問記 北海道編4
半世紀前の阪急神戸線(1)西宮北口-夙川間、併せて今昔対比
恐ろしく長いタイトルです。お待たせ致しました。阪急920型など1961(昭和36)年の画像が中心です。 また今回、車両解説に使用しました参考文献は、我らが青信号4号1959(昭和34)年12月発行、高橋正雄 『京阪神急行 神戸宝塚線 使用車両の現状について』です。(*)で示します
▼西宮北口-夙川間 925型4連 上り三宮発梅田行き普通車 1961年3月11日撮影
【920型の解説】一般に920型と呼ばれる一連の神戸線車両のうち920~924、950~954はその最も初期に製造されたもので、いずれもMTc恒久連結車である。昭和33年から34年にかけて全10両が提起更新を完了したが、二段シルやリベットは撤去され、雨樋も新しい形のものになっている。(中略)通風器はガーランド式で中央一列、Tc車のパンタ取付台は撤去された。
【925型925-928(M)、955型955-958(Tc) 】 通風器がガーランド式2列になっている事とM車の台車が川崎-16である他は920型と大差ない。現在920,950型に続き更新工事実施中である。(*) ということから、画像は更新後の姿の様です。 続きを読む
カラーで振り返る 昭和の気動車 -6-
知多鉄道910形のちの返り咲きの姿
三江線の話題ほか
芸備線沿線の安芸高田市歴史民俗博物館で開かれていた企画展「さよなら三江線」が明日(12月10日)に最終日を迎えます。開催期間中に会場で図録が販売されているのが普通だと思っていましたが、私が訪ねた10月27日には図録は製作中ということで購入申し込みをして帰りました。そしてようやく図録が送られてきました。
だるまさん いろいろ
井原殿の廃客車探索旅を驚きとともに楽しませて頂いています。さて客車の廃車体に比べてワムやワラのだるまさんは我が家近くの田んぼのなかで結構見かけますし、ワムやワラにカメラを向けることはまずありませんが、時にはこんなものに出くわすとついカメラを向けてしまいます。
客車廃車体訪問記 北海道編3
八雲町、せたな町2題を紹介する。
【八雲町の3扉車 他】
オハ51 5(左) オハ51 41(右) 2017年5月4日撮影
函館本線八雲駅からせたな町へ抜ける道路沿いの、なんと個人の住宅として使用されている。3扉が特徴のオハ51 41と、2両のオハ51をそれぞれ半分よりやや長く切断した車体が分散して置いてある。切断した方が運搬費用が安いからであるが、41は搬入後再接合したが、残り2両は切断して長い方だけ搬入したと思われる。
知多鉄道デハ910号
客車廃車体訪問記 北海道編2
第1回に続き、道南いさりび鉄道(旧江差線)沿線2題を紹介する。
【ペンション宵の明星 2両】
スハフ44 9(左) オエ61 50(右) 1997年8月10日撮影 41.746343, 140.601257(Googleマップから取得した緯度・経度の座標である。Googleマップで検索するとピンポイントで位置を特定できる。)
ここはどこですか
年賀状の季節となりました。さて古い年賀状を調べていると、今は亡きO君からの蒸気機関車がワフを一両牽引している写真の年賀状がありました。文面に問いかけの文で「・・・ここはどこですか・・・」とあって小さく「答・・・、長崎(本当は京都)」とあります。しかし、長崎でも京都でもないと思うのですが。機関車はC12で昭和48年の消印です。いったい、O君はどこで撮ったのでしょうか。どなたか教えてください。
コメントで撮影場所が明智線か高森線かで盛り上がっていますが、やはり機関車のナンバープレートがポイントなりそうなので拡大してスキャンしました。
地図を携えて線路端を歩いた日々 -15-
飯田線⑥ 各駅で交換列車を撮る
▲飯田線は、私鉄が出自のため駅は多いが、交換不能な棒線駅もある。そこで、飯田線唯一の信号場、大沢信号場が、昭和41年、伊那田島~高遠原に設けられた。一線スルーを右側通行して行くED194の牽く下り貨物(昭和45年8月)。
こんなもんが
展望ロマンスカーの本家本流7000形そろそろ引退か
2018年3月に小田急は代々木上原までの複々線を完成させダイヤの大幅改正が行われる。新型ロマンスカー70000形も発表され、1963年(昭和38年)製造の展望席付きロマンスカー3100形NSEの後継車として1980年(昭和55年)に登場した7000形LSEもそろそろ引退のうわさが出ている。関西を始め各地からこの本家本流を記録に留めたいと最近はファンも多い様だ。名鉄パノラマカーの引退の頃には特急運用から離脱して急行や各駅停車運用がほとんであったが、この7000形は特急ロマンスカーのまま最後を迎えると思われる。そこで私自身の最近の記録と撮影地として沿線の印象を述べてみたい。
新松田の西、酒匂川橋梁は小田急沿線では富士山を無難に入れることができる。10両急行編成全体が入るので以前異形式連結の時にも投稿した場所である。開成や渋沢付近でも富士山を入れて撮ることができる。
新松田-渋沢間は山間部の雄大な風景や山に登っての俯瞰撮影も可能であるが駅間距離が6.2kmもあるので徒歩では少し厳しい。小田急ではトップクラスの撮影地である。
東海大前から秦野に向かう大カーブで見上げる形になるが足回りがよく見えて流し撮りにも最適。この色は今は見られない。丹沢山系も見えていい撮影地で車でも行きやすいが俯瞰ができないのが残念である。
2011.01.22 はこね15号 7804 ▼
伊勢原の愛甲石田よりは比較的開けており丹沢山系も入れられる。ここも編成全体が見渡せるが意外と電線等が邪魔になるのでうまく処理したい。
2015.12.08 はこね15号 7804 ▼
開けた所では流し撮りも試みた。 なかなか腕が上がらない
これも以前5000系で投稿した場所で鶴巻温泉-伊勢原間の踏切で撮影。朝の早い時期に勝負すること。
桜の時期に特徴ある先頭車だけをねらってみた。有名桜名所だが年々撮り難くなっている。
2014.04.02 座間-相武台前 7003 はこね6号 ▼
時間があまりない場合編成だけを狙うならここ。 お昼に来るはこね19号は確実に撮れるが複々線のため遅れると被ることがある。
これも下手な流し撮り。和光大学のあたりは緑も多いが編成全体を入れるには工夫が必要。
2010.12.10 鶴川-玉川学園前 7801 はこね15号▼
初代展望ロマンスカー3100形の晩年の姿でこの日は雨だった