第7回写真展 レイル誌 掲載

「今月発売のレイル誌に第7回クローバー会写真展での作品が掲載されます。」

そのような連絡を頂いたのはおよそ2週間前のこと。
鉄道書籍の誌上をクローバー会写真展の作品が飾ることになるとは考えても見ませんでした。

“どのような構成になっているのだろうか”など、気になりながら過ごして数日、手元に書籍が届きました。 続きを読む

客車廃車体訪問記 北海道編28

【北見市常呂町 虫夢ところ昆虫の家】

スヤ42 4  43.971915, 143.883677  2017年7月16日撮影
◆スハ43 579(1954年新製 日立)→(1975年改造 旭川車セ)スハ43 504→(1976年改番)スハ43 704→(1981年改造 旭川車セ)スヤ42 4→1986年廃車。
「NPO法人自然体験村 虫夢(むーむー)ところ昆虫の家」は、子どもが自然の中で色々な体験ができる、ボランティアが運営している施設である。近くに人家は皆無である。
画面右のスヤ42 4は旭川局の保健車であった。北海道には保健車が多かったので、救援車同様、保健車の廃車体も多い。画面左の建物のさらに左にキハ27 113が置いてある。駐車している車は小生が借りたレンタカー。滞在時間は9時から約15分間だったが、人気が全くなかった。

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愛知こどもの国へ行ってきました

第1日目 2017年12月16日

今回もお誘いは神谷さんです。奈良にお住いのW田さんから一緒に行こうと連絡がありましたので自宅でお待ちしました。車を私の家に置いて荷物を移し替えて出発です。目的は愛知こどもの国修善寺虹の郷に走るナローゲージの蒸気機関車の撮影です。一泊二日の予定で、午前8時過ぎに自宅を出発、まずは愛知こどもの国へと向かいました。
▲ 行程は新名神から東名阪を経由しての178㌔、予想所要時間は2時間40分です。
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流線形車両-2-

阪急200系、山陽電鉄200形を用意した。これにこのシリーズの発端となった関先生の名鉄3400系、850系を再度登場させ流線形車両の顔を中心とした比較をしていただきたい。

阪急200系は焼けた木造車25、55を1937年(昭和12年)に鋼体化した阪急唯一の流線形車両で千里山線で長く活躍していた。我々の時代は嵐山線に移っており撮られた方も多いと思う。251は新京阪時代は600形601であったが1956年(昭和31年)に251に改番された。15mの短い車両ながら車幅が広かったのが特徴である。

1968.11.20 上桂-松尾 251+201 ▼ 続きを読む

客車廃車体訪問記 北海道編27

【北見市常盤町 私有地】

スユ15 2033  43.798881, 143.892664  2017年7月15日撮影
◆スユ15 2033(1982年新製 近車)→1986年廃車。
郵政省所有の護送便専用郵便車スユ15は希少である。というより郵便車の廃車体自体が希少である。
個人が私有地で保存しているらしい。他にDD14やキハ27,雪掻き車、車掌車が置いてある。また、すぐ近くの三治公園には、D50 25が保存されている。

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はにかみの国ミャンマー鉄道の旅2017年 Part14 帰国へ

第10日目 12月12日

① ヤンゴン12:55 (FD256)⇒14:40バンコク(BMK)
② バンコク(BKK)23:25(JL718)⇒07:15成田
③ 成田9:45(JL6109)⇒11:20関空

今日はタイミャンマーの旅を終えて帰国の途につきます。千住のヤスベイさんはヤンゴンから成田へ直行するANAの深夜便で帰られますが、旅費とJALにこだわった私はバンコクに飛んで乗換えて成田、そして関空へと向かいます。自由人ですので時間には左右されませんが、乗換えは面倒ですね。
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散歩道で見つけました4

今回でお借りした写真はいったん終わります。先ほど藤田さんにアルバムをお返しに上がったときに、あの写真で会員諸氏から反響が返っていましたと言いましたところ、パソコンが無いから見られないと残念がっておられました。なんとかしてご覧に入れたいと考えております。

今回は阪急です。
取られた場所は例によって分かりません。皆様のご判断にゆだねます。

阪急100系P-6

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流線形車両-1-

辞書を見ると流線形とは先端が丸く後端がとがり全体としては細長い形とある。そして流れの中に置くと後方に渦をつくらず流体から受ける抵抗が非常に小さく魚の体がその例になるとの記述もある。飛行機や新幹線が流線形の典型ではないかと思うが、ここでは関先生のシリーズで最近取り上げられた昭和10年頃から流行した戦前の流線形車両の私なりの記録である。スカートをつけた姿など颯爽と見えるが実際はあの頃の速度では効果もなく一時的な流行に終わったが個性的なスタイルは非常に記憶に残り歴史的な意義もあって保存された車両もある。

流線形電車(流電)と言えばまずこの電車。鉄道省で昭和11(1936年)~昭和12(1937年)にかけて関西の急行電車用に製造されたモハ52でその後阪和線でも使用されたが我々の時代は飯田線が活躍舞台であった。

モハ52は1次は狭窓であった。1978.09.16 (新城駅と思われるがメモ紛失なので同行していただいたクモハ73106東ウラさん確認願います) ▼ 続きを読む

はにかみの国ミャンマー鉄道の旅2017年 Part13 バゴーへ乗り鉄旅

第9日目 12月11日

今日はばけぺんさんが帰国されます。千住のヤスベイさんと私はバゴー行きますのでご一緒しませんかとお誘いはしましたが、前回来られた時にバゴーには行かれたそうです。そして列車の乗心地は上下左右に激しく振られるミャンマー国鉄名物のジャンピングトレインだったそうで、不快で下車後にも気分が悪くなった。2度と乗りたくないとお断りでした。

私も以前にマンダレーからヤンゴンまで夜行寝台列車に乗りましたが、すさまじいジャンピングに一睡もできず2度と乗らないと決めました。しかし今回は初めてジャンピングトレインに挑戦される千住のヤスベイさんがおられます。タイにご一緒した時にウドンターニからバンコクまで9時間50分の乗り鉄旅をご一緒しましたので旅の相棒にならなくてはと、リベンジを決めました。
▲ 目的地のバゴー(Bago)は、ヤンゴンから北東へ約80㌔です。所要時間は約2時間と短いのでちょっと長距離列車を乗るには手ごろなのと、ジャンピングトレインの恐怖を多少は我慢できるだろうと思いました。

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客車廃車体訪問記 北海道編26

【津別町 21世紀の森キャンプ場】

オロネ10 502  スハネ16 510 43.697711, 144.034960  2017年7月16日撮影 津別21世紀の森キャンプ場
◆オロネ10 502(1962年新製 日立)→1984年廃車。
◆スロハ31583(1940年新製 日車)→(1941年改番)スロハ32 34→(1966年改造 土崎工)オハネ17 510→(1968年改造 旭川工)スハネ16 510→1984年廃車。
津別町は北見市の東南、美幌町の南に位置し、まずまず大きな町である。21世紀の森キャンプ場は芝生のキャンプ場が広がり、あたり一帯を自然運動公園と称していて、その入口の看板に「鉄路ハウス」と書かれている。移動機の横にも「ふれあい広場  鉄路ハウス」の札が下がっている。
スハネ16の廃車体は貴重である。以前は現役時そのままの設備(なんと冷房も)で宿泊できたらしいが、車内を覗くととても宿泊出来そうな状態ではなかった。車体にゴテゴテ書いているが、上屋があり、車内外ともに現役時代に近い姿をとどめるこの2両を末永く保全してほしい。

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うごくシリーズ 鞆の「それなりヘッツイもど機」と「九条山のアルピニスト」がうごいたよ!

 動画を投稿できるようになったので、それに調子に乗って今年の最初の投稿は動画を投稿することにしました。動画の題材は模型です。最初は以前に投稿した鞆のヘッツイ機です。

これは準ヘッツイ機でサドルタンク機です。あり合わせの材料の紙製ですので軽く、走らせてみたが具合が悪かったので長い間お蔵入りでした。

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散歩道で見つけました3

藤田さんは呉線にも足を伸ばされています。
ただ、あまり歩き回る方では無いようで写真は駅周りで撮られた物が多いです。
これらは呉線広駅で撮った写真です。

当時の呉線は山陽線より旅客大型蒸機が多かった

西村さんの地元ですから解説はお任せしますが、通勤列車がC59、C62などが牽く贅沢な物でした。C59大好き!の準特急さんなど垂涎の的でしょうな。

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散歩道で見つけました2

さっそく菱屋・藤田光一さんの次の作品をご紹介します。
なお、写真にはデータが付いておりません。撮影時期や場所は皆様の知識にお任せしますのでおわかりの方は投稿してお知らせください。

今回は国電です。藤田さんによると「飯田線へ行ったときに撮った物」だそうです。時期は聞いておりませんので塗装や風景で判断してください。

プリントが退色しているがほとんど補正はしていない 湘南色

↑ これは河様のご解説にお任せしますが豊橋でしょうか?新城行きです。

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客車廃車体訪問記 北海道編25

【旧北見相生駅跡】

スハフ42 502  43.545072, 143.980904  2017年7月16日撮影
◆スハフ42 111(1952年新製 近車)→1965年近代化改造 小倉工→(1974年改造 旭川車セ)スハフ42 502→1984年廃車。
相生線終点旧北見相生駅跡は、西側に隣接して「道の駅あいおい」があり、同一の施設のように一体化していて、観光バスやマイカーで道の駅に来た人が、カフェを営業している駅にも自然に来られるようになっている。
相生線は、1972年に来たことがある。北見相生駅舎は、その時撮った写真と比べると、入口ドアと窓サッシを取り替えて煙突が撤去された位で、当時の閑散線区の標準的な駅舎がよく保存されている。

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散歩道で見つけました

毎日散歩をしています。
その途中にいつも気になるお店があります。うっかりすると見過ごすようなお店ですが、島原の大門の前にある明治19年創業のおかきや「菱屋」さんです。
このお店には、かつて近くにあった旧丹波口駅で撮った列車の写真がいつも貼ってあります。そこでおかきを買うために入ってみました。さて、ここのおかき・”うすばね”は絶品です!いつも家内が他家へのお土産に買っているのですが、私が買うのは初めてです。

老舗・菱屋さんの外観 左端のガラス戸に写真が貼ってある

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はにかみの国ミャンマー鉄道の旅2017年 Part12 広電を見る、ヤンゴン近郊線を撮る

第8日目 12月10日 その2

10:55 ダニンゴン駅からはチャーターTaxiに乗って広電が走っていた海岸線の車庫に向かいました。
▲ ダニンゴンからのルートです。距離は20.3㌔、予想所要時間は41分です。
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