【20696】2012年春の中国鉄路の旅       Part17  ロシア国境の町、满洲里(満州里)その3と、扎赉诺尔(ジャライノール)

第20日目 5月8日  满洲里2日目 ジャライノール(扎赉诺尔)へ

2009年9月に露天掘り炭鉱が閉鎖されて1904年からの歴史を閉じたジャライノール露天掘り炭鉱には、数10両もの蒸気機関車が活躍しました。樺南林鉄訪問後に满洲里に向かうとO氏に言いますと、まだ 地上部分には走っているはずですと、詳しい地図を描いてくださいました。今日はこれを持って、蒸気機関車を追いかけるつもりです。


▲ 8:30、運転手君ホテルのロビーでお待ちでした。满洲里から ジャライノールまでは約30キロです。街中を通過、一直線に向かいます。
9:07 ジャライノール西駅に到着、始めて見ましたがローカルにしては大きな駅です。售票処は2つの窓口が開いていましたが、営業時間は決まっているようです。丁度、海拉尔行きの4188次の改札が始まりました。


▲ 9:27、運転手君次は任せてと、路地を抜けると鉄路が見えました。今度はコンクリート枕木の柵ですが、またも隙間まで連れて行ってくれます。中に入りますと直ぐに4188次が、警笛を鳴らしてやって来ました。13両編成です。先を見ると、線路を跨ぐ跨線橋が見えました。撮るなら、ここでも良かったですね。
発電所へ行きたいと申しますと、鉄路との道口(踏切)へと連れて行きました。O氏が蒸気機関車が走行してだろうと言われた発電所への路線でしたが、牽引して来たのは、新しいDLでした。


▲ 9:45、蒸気機関車を撮るのは難しいかもと、炭鉱記念公園に参りました。
ここからは、ジャライノール露天鉱が一望できます。1900年代にロシア東進により採炭が始まりました。石碑には、「1938年日本占領により露天鉱の本格的は掘削が開始され、石炭資源を略奪した。その後、地下が水没して掘削は停止した。1960年5月、掘削は再開されて・・・。」 と、記載されています。100年近くの歴史を持っていますが、途中採炭が停止していた時期があったようです。
詳しくお知りになりたい方は、左の写真をクリックしてください。但し、中文です。



▲ 眺めていますと、露天鉱左上彼方に動く煙が見えます。蒸気機関車に違いないと、車を走らせましたが途中で見失いました。すると運転手君分かったと、道を代えて凸凹道を進みます。
10:20、いました、5両のお皿貨車を牽引して止まっていました。珍しいデフ付きの上遊型SY1618号機です。3人の機関士たちは、降りて賭けトランプを始めています。運転手君は友人だと言います。機関車に乗っても良いよと申しますので、上がらせていただきました。年季は入っていますが、よく整備された運転台でした。
走行写真を撮りたいので、次はいつ走るのかを聞きましたら、連絡待ちだが当分は休憩だとの返答です。まだ見たい所もありますので、後にしました。


▲ 10:45、ジャライノール駅に来ました。構内には、ロシアからの木材を積んだ貨車が並びます。ヤードは広いですが、ホームは1本だけで、駅舎は列車が発着するまで閉まっていました。


▲ 浜洲線(哈尔滨~满洲里)の列車をもう少し撮ってみたいので、ジャライノール市内を出て、哈尔滨寄りに進みますと丁度いい所に道路高架橋がありましたので上がってみました。地平線をバックに来る列車を狙ったのですが、この日はあいにくと霞んでいて見えません。
11:27、海拉尔(ハイラル)発满洲里行きの4185次17両編成が来ました。牽引はDF4D-0364です。


▲ 11:52、反対側から满洲里発丹東行きの2690次14両編成がやって来ました。霞んでいますが、後方はジャライノールの市内です。
▲ 高架橋下には、1軒の建物がありました。かつてあった踏切番小屋です。冬には、零下30℃以下にもなるこの地です。寒さ対策のためにしっかりとした小屋になっています。

撮影後は、昼食を食べにジャライノール市内に戻りました。食堂に入る前にもし何人かと聞かれても日本人とは言わないで欲しい。韓国人と言うように忠告されました。それほど反日感情の強い所とは思えませんが、現地人の言うことですから一応忠告は守りました。
運転手君、食事後次はどこに行くかと尋ねてから、「当初の予定外の場所を走ってきたので、料金(350元=約4,600円)の割り増しをして欲しい。」と申し出ます。17時までチャーターしていますが、走り回ると細かい場所の指定はしていませんでした。値切っていたので、ちょっと可哀想かなと了解しましたが、その後 「町から遠いが鉄北炭鉱と言う所に10台前後の蒸気機関車がまだ走っている。行って見ますか?」 と、とんでもない事を言い出しました。O氏からはこんな事は聞いていません。もうジャライノールでは、さっき見た場所以外には、蒸気機関車は走っていないと返答しましたが、運転手君は自信たっぷりです。しかし、突然に蒸気機関車が復活して走行する事があるのも、たまに聞く話です。本当かなと疑心暗鬼ですが、まあ騙されたと思って案内するように言いました。

13:20町から約30分弱で鉄北炭鉱に着きました。立派な広い炭鉱です。蒸気機関車がいても不思議ではありませんが、運転手くんが門番と入場交渉している間、外の引込み線からDLが単機で走って行くのが見えました。期待感は消えました。

門番との交渉が終って運転手君戻ってきましたが、やはり現在は炭鉱内では走っていなかったと言います。じゃあ蒸気機関車のいた場所に戻りたいと申しますと、ちょっと待ってと言って、炭鉱から出てきた人に何やら聞いています。
そして、「蒸気機関車が50台ほど置いてある場所がある。ただ軍管理区なので入れるかは分からないが行ってみるか?」 と、問います。ここまで来ましたので、ダメもとで見てみるかと炭鉱から出てきた人を案内人にして向かいました。
13:35、荒野を走って着いた所には、確かに廃車された蒸気機関車が無数にあるのが見えました。
運転手君は事務所に頼んでくると言って途中で買ってあったタバコを持って行きましたが、そのまま帰って来ました。「300元(約4,000円)要求された。どうしますか?」です。高額です。外から見ているだけでも良いかなと一瞬思いましたが、ここまで来たら後には引けない気弱な性格です。断りきれず渡しました。
入場後は、「日本人と分からないように、この場所や
入場した事は言わないように、軍施設は撮らないように、見学は1時間まで。」 と、注意事項を申しますが、帰国後撮影した写真のGPSを見ますと、グーグルアースには、はっきりと場所が出ていました。これでは何も隠す必要はありませんね。

▲ グーグルアースの衛星写真です。拡大していただきますとお分かりのように50台ほどの蒸気機関車やジャライノール露天鉱で使用された車両がはっきりと見えます。

▲ 放置してあった廃車群です。数は数えていませんが、50台はあったかも、300元も出したので何かお宝写真でも撮れるのかと期待しましたが、何もありません。全くの無駄金でしたが、香典代と思って割り切る事にしました。

次はどこに行くと言われましたので、O氏作成の手書き地図を見せながら、国鉄線をくぐって行く露天鉱とは反対側の炭鉱を指先ましたが、連れて行かれたのは、满洲里駅に近い切り通し上にある道路橋でした。途中で睡魔が襲ってしまったので気がつきませんでした。仕方ありません。降りて列車が来るのを待ちました。
※ 帰国後に現地では見られなかった鉄北炭鉱が、指示した炭鉱と分かりました。道理で運転手君が既に行ったと言った事が理解できました。(中国現地では、炭鉱や鉄鋼所等の生産現場の衛星写真は、百度地図は勿論、グーグルアースでも隠しが入れてあって見ることができません。)

▲  15:58、满洲里方向から、北京圣由で内モンゴルの呼和浩特(フフホト)に向かうK278次(13両編成)がやって来ました。满洲里も同じ内モングルです。この列車は、U字型に回って再び内モンゴルに戻ります。2,532キロを41時間4分(2泊3日)をかけて走る中国鉄路でも乗車時間の長い列車の一つです。

次はどこへと問いかけがありましたが、今からジャライノールに戻ってもチャーター時間をオーバーします。この国では、Taxiは2交代制が多いので、運転手交代時間の午後5時になりますとこちらが降りなければなりません。今日は初めての訪問でしたので失敗もあり、多くを望むのは無理です。諦めて、ホテルに戻ることにしました。

▲ ジャライノールの地図は現地では見られないだろうと思い、日本で見て頭の中には入れておいたつもりでしたが、広大な大地の前では真っ白けになりまして、どこがどこやらさっぱりと分かりません。印刷して持っていけばと思っても後の祭りです。
また行く機会があれば、同じ過ちを犯さないように気をつけようと思った一日でした。


【20372】2012年春の中国鉄路の旅          Part10 興阜炭鉱のナローゲージと、阜新煤礦鉄路その3

第13日目 5月1日 興阜炭鉱のナローゲーと阜新煤礦鉄路 その3

今日は、阜新炭鉱撮影の3日目で最終日ですが、2人とも満足いく収穫がなく、ちょっと焦り気味です。天候は、昨日とは違っての快晴です。気合十分なO氏は、今日も朝5:30にはホテルを出て行かれました。一方の私は、まだ長い旅の中盤にも差し掛かっていません。ここで、エネルギー爆発では、身体が持ちませんので、ゆっくりとホテルで朝食を取ってから、谷さんを待ちました。

以前に訪問された中国鉄路に残る蒸気機関車探索にかけては達人の倉重さんは、阜新訪問時に興阜炭鉱のナローゲージにも、お立ち寄りでした。その訪問記によると、高徳駅の裏山奥に興阜炭鉱があるようです。
▲ 8時過ぎに、谷さんの愛車に乗って、ホテルを出発しました。五龙炭鉱のような大きな炭鉱とは違って、個人経営の小さな炭鉱が点在する中の山道を走りながら探します。迷走もありましたが、途中で谷さんが、ズリ捨て山に上がる1本の長いインクラインを見つけました。


▲ ご覧のように、数100m以上もあり、先が見えません。止まって
、反対方向のインクラインの起点を塀越しに見ますと、五龙炭鉱で見たと 同じ凸型の小型電気機関車が走っているのが見えました。ここです。間違いありませんが、炭鉱内にどうやって入れるかが問題です。

炭鉱には正門と裏門があるはずです。正規の入場許可は、直ぐには取れないと分っています。そして、良くないのはこれも分ってはいますが、倉重さん流に、こっそり裏門から入らせてもらって、撮影することにしました。
塀の周囲を走ると、直ぐに裏門は見つかりました。ただ、ここにも門衛がいます。警備は厳重なようですので、まず私が行って、にっこり笑顔で門衛に頼み込むことにしました。
いつもの調子で、自己紹介をして門衛を口説きにかかりましたが、融通が利かない頑固な爺さんです。タバコを出そうかとしましたが、ダメの一言です。追っ払われました。後からサポートに谷さんが行く予定にしていましたが、これでは取りつくスキがありません。作戦変更です。ダメもとで正門からの入場を目指しました。

五龙炭鉱同様の立派な門構えと綺麗な炭鉱内が見えました。正門事務所では、立派な制服を着た警備員が目を光らしています。
谷さん、コネはありませんが、地元の強みで、遠く日本から見学に来ているので、少しの時間で良いから見せてやって欲しいと嘆願します。私も横に付いて手を合わせますと、管理セクションに電話をしてくれましたが、許可は出ません。
▲ 谷さんにも意地があります。車に戻ってカバンの中から1冊の本を持ってきて、開けて説明をやりだしました。本は、ご覧のように「レイル」です。これには、倉重さんの訪問記と谷さんが撮られた写真も掲載されています。警備員3人が集まって来て、食い入るように見て、説明を聞きだしました。

谷さんの作戦、大成功です。私達が、スパイ等の怪しげな者ではなく、純粋に炭鉱内を走る機関車を撮りたい事が理解されました。警備員は、黙って私に付いて来てくださいと言ってくれました。
勿論、撮影は厳禁ですので、大きな一眼レフは車に置いて、コンデジ2台をポケットに忍ばせて、撮影をしました。多分、この中に入っての撮影は誰もできていないと思いますので、ご覧ください。



▲ かなり広いいヤードには、可愛い小型ELが、走り回っていました。ほんの数10分の間でしたが、楽しめました。ナローゲージファンには、こたえきれないでしょうね。

倉重さんの訪問記によると、このバローゲージは、この辺りを縦横に路線があったそうです。付近を見て見ることにしました。

▲ 裏門と反対方向に出ますと、塀の外を走る線路が見えました。レールは錆びてはいましたが、所々の轍には、車輪が残した痕跡がはっきりと、あります。毎日でないにしろ、走ってはいるんだと、線路を辿りますと、修理工場まで伸びていました。施錠された門から中を見ましたが、何もいないようです。他の路線の痕跡は、辺りが開発により掘り起こされていますので、当時の姿を見ることはできません。ここで探索は終わりです。

▲ 路線跡は、海州露天鉱の山側にありました。煙が上がっているので見ますと、大型ダンプで運んできたFAを投棄した爆煙です。上に発電所が見えます。ここでもやっているのですね。この爆煙は、ズリ捨て山からも見えました。


▲ 11時過ぎに、O氏が待たれる外側線にビールと食い物を持って合流しました。O氏から、「朝6時半過ぎにフライアッシュ1号が上がってきたが、またドスンで終わった。」 と、残念そうに言われます。露天鉱のFA投棄を申し上げますと、投棄場所が変わったのかなと、また残念そうなお顔でした。
11:40、抜けるような青空の下、ズリ捨て列車が上がってきました。


▲ 12:01、フライアッシュ2号が上がって来ましたが、またこんもり山です。

▲ 予測通り、粉塵は上がらず、5本の跡を残すだけでした。今日のフライアッシュ号を撮れるのはは、これで終わりでしょう。

▲ 14:14、次のズリ捨て列車は、同じ内側線に入ってきました。そして、FAの痕跡を消してくれました。 次のズリ捨て列車は、 14:40に外側線に入りました。谷さんは、これを撮ってから、朋友が来たので一緒に宴会だと言って引き揚げられました。私たちは、次は順番からいって、内側線です。その頃には、陽も傾いてくるだろうと推測して、内側線へと移動しました。

▲ 17:21、推測どおりにズリ捨て列車がやってきました。ただ、抜けるところを探したのですが、夕陽とカメラ目線が合う直角位置に蒸気機関車が来る場所で、正面バックとも障害物がない所を探すのに苦労しました。あるにはあったのですが、線路に近すぎました。もう少し、夕日が落ちてくれたら良かったのですが・・・。狙っても中々撮れないのが、夕日をバックにしたカットです。これから後では、陽が暮れて、歩行が困難になります。17:40の折り返しを撮った後、線路沿いを歩き、引き上げることにしました。


▲ 18:43、信号所を過ぎた辺りで、次の列車が上がって来ました。夕日は沈んで、空が染まってきましたので、何とか撮りましたが、今一の感です。

阜新に来て3日間もあれば、フライアッシュの爆煙を何回かは見られるだろう。その中で1枚ぐらいは、望んだカットをものにできるだろうと思っていましたが、1本も爆煙は見られませんでした。残念ながら、全敗です。
小竹さんから、阿里河森林鉄道の撮影が困難になってきているとの連絡がすでに入っていました。もしもの場合は、阜新か樺南になるかもとの事でしたので、ここの状況をお知らせしました。O氏は、阜新になるのなら、来ないと固くおっしゃられます。朝の蒸気機関車牽引の通勤列車、そしてフライアッシュの爆煙もないとあれば、私も同感です。
樺南林業鉄道であれば、以前に計画をしていましたが、ウヤが1ケ月以上も続いて、断念せざるを得ませんでした。昨年も新緑の頃に行く予定でしたが、ウヤが続き、そのまま廃線となってしましました。今回は、線路撤去のための作業列車が走り始めたそうです。できれば、こちらの方が良いのに決まっています。

夜はまた私達お気に入りのスッポン鍋を食した後、小竹さんに電話をしますと、 阿里河森林鉄道訪問は、向こうの都合で完全にダメになった。詳しくはお会いした時にお話ししますが、代替案として 樺南林業鉄道に行く事にしましたとの返事です。O氏は何と、9回目の訪問になるそうです。とても気に入られていた中国蒸気機関車の撮影地で、最後を見届けるのも良いかなと、半分は納得されました。


【20336】2012年春の中国鉄路の旅          Part9 阜新煤礦鉄路 その2

第12日目 4月30日  阜新煤礦鉄路 その2

朝5時半、待ち合わせの時間通り、谷満春さんは愛車に乗って、迎えに来てくださいました。既に連絡をいただいていましたが、朝の上遊型蒸気機関車牽引の通勤列車だけでなく、昼間のDL牽引の列車も2週間前になくなり、今日現在も復活していないとのことです。もしかしてと少し期待感があっただけに残念ですが、仕方ありません。各地の炭鉱で走っていた通勤列車は、突然にこのようにして、なくなっていったのでしょうね。

▲  今日は足があるので楽です。早々に五龙炭鉱ズリ捨て線へと向かいました。迂回道路は、昨日私たちが乗った白タクのルートでよく分っています。途中で谷さんは、車を止めて、内側線の様子を見ています。何とズリ満載の貨車5両が置き去りにされています。これでは、次の列車は内側線には、入線不可です。 昨日同様の外側線に行くしかありません。

▲ 6:06、今日撮影の1番列車は、早々にフライアッシュ号です。昨夜のスッポンが良かったのでしょうか。朝から縁が良いですが、おいおい、またドスンで終わりです。また、がっくりです。 これには、谷さんも「え~、こんな事は初めてです。どうして?」 と、信じられない表情です。今日は、全車のお皿を傾けてのFA排出でした。 そして、今日は天候がよくありません。暑い雲に覆われて、風も強く、時折小雨が舞ってきます。

当分、フライアッシュ号は来ませんので、興阜炭鉱に走るナローゲージ撮影にしましたが、谷さん何を勘違いしたのか、3月に行って入れなかった五龙炭鉱内へと案内します。希望した場所は、ここではないと言いますが、すでに炭鉱内の職員とコネをつくってしまっています。困りましたが、仕方なく付いていくことにしました。原因は、谷さん地元鉄ちゃんなのに、興阜炭鉱に走るナローゲージを知らなかった事のようです。


▲ 炭鉱内は、外の周囲の光景とは一転して、とても綺麗です。O氏も 「随分と違うなあ、周りはどんなに汚く汚れていても、自分たちの働き場所だけは、綺麗にするのは、いかにも中国的だなあ。」 と、感心しておられました。私も、駐在時代に中国人の家庭に招待されましたが、ボロボロに近いマンション?でも、一旦部屋に入ると、随分と金をかけて、綺麗に豪華にしているのを見て、びっくりしましたので、このアンバランスは、よく分ります。
ヤードには、ナローゲージには珍しいクレーン車がいました。屋根に乗って、パンタの補修をやってますが、まさか通電していないでしょうね。小型凸型電気も初めて見ました。



▲  坑道用のバッテリーカーと
トロッコ達です。木材は坑道に使用されます。一応踏切もあります。注意マークは、汽車と違って凸型電気です。
炭鉱内では、カメラは厳禁です。 リーダーに見つかると処分されるので、決してみんなのいる所では見せないように注意を受けての撮影でした。

▲ 次のフライアッシュ号はいつ来るかです。谷さんは、FAを搬出する発電所に行ってみようと向かいますが、高徳駅から分岐した線路沿いに道路はなく、発電所正門からの出入りは部外者禁止です。
9:56、平安ヤード方面から推進運転で、ズリ捨て列車がやってきましたが、ここで機回しをして正向きに付け替えて、新邸方面へと向かって行きました。どこに行くのでしょうか?


▲ 谷さんの愛車はマツダファミリアですが、大きい割に1600㏄で非力です。それでも頑張って、ぬかるみあり、泥水の溜った穴ぼこだらけ、急坂ありの凸凹道を一生懸命のハンドルさばきで切り抜けましたが、夕刻には朝の美形が台無しになるほど、泥だらけになっていました。
12:50に朝からの場所に戻りますと、内側線に置かれていた列車は、ありませんでした。代わりに保線区員が大勢来て保守工事をやっていました。
12:57には、ズリ捨て列車が上がってきましたが、1両には何やら異質な物が満載されています。お皿が傾くと落ちてきたのは、ゴミばかりです。斜面が汚くなってしまいました。これでは、撮影に差支えます。ゴミ捨て列車は御免です。

列車が下って、しばらくの間は、外側線にも保線区員がやって来て、線路保守をちょっとやって帰っていきました。O氏は、「ここに来るのが仕事であって、保守はやってやらなくても関係ないんだろう。」 と、言われます。確かにその通りと相槌を打ちました。
外側線の撮影に丁度良い所からは、埋設されてしまった石炭が燃えて、いくつもの煙が出ています。そばによると、下からの熱気が伝わってもきます。やかんを置けば、湯が沸きます。
▲ 16:22、やっとフライアッシュ2号のご到来です。今度はこんもり山がありません。期待できます。
しかし、周囲の状況は刻々と悪化して、強風と巻き上げられたFA等々で、
視界は、さらに悪化してきました。

まず1両目が始まりましたが、少し巻き上がっただけでした。
4両目だけが舞い上がりましたが、3月に見たのは、こんなちゃちなもんではありません。まだ、FAが湿っているようです。
この頃から、カメラの調子が悪くなって、ピントが合わずシャッターボタンが押しても切れません。シャッターが切れても、ピンボケ状態ですので、オートフォーカスを手動に切り替えての撮影にしました。

こんな天候では、夕焼けもありません。今日は、フライアッシュ号も来ませんので、今日は、撮影終了です。 谷さんが薦める羊肉しゃぶしゃぶ屋へと向かいました。

▲ 阜新には、美食を求めてきたわけではありませんが、美味しい羊肉しゃぶしゃぶは、日本ではめったに食べられませんので、2人とも大満足です。

明日の予定ですが、谷さん今日の汚名挽回に 、自分も行った事がない、
興阜炭鉱に走るナローゲージを一緒に探しに行くと言ってくれました。O氏は走行する蒸気機関車撮影に一辺倒ですので、明日午前中は、別行動としました。


【20322】2012年春の中国鉄路の旅          Part8 阜新煤礦鉄路 その1

書き洩らしましたが、昨夜から泊まっているホテルでも問題を抱えていました。O氏と一緒ですので、訪中前にホテル予約を済ましておかねばと、一般的な海外ホテル予約サイトにアクセスしましたが、中小都市ですので、扱いがありません。それではと、現地で日本語対応が出来て、中小都市でも検索できる楽旅中国に紹介依頼メールを出しました。宿泊時に問題が出た場合、直ぐの苦情対応ができますので、最近よく利用しています。
すると、1軒だけ、キングベットで紹介してきました。いや、紹介ではなく部屋が取れましたとの確定です。いかにも、中国のサイトです。おいおい、いろいろと星等級別の各ホテル・部屋の料金を聞きたいのだ。まだ確定ではない。それに、宿泊は1人ではない、男2人だからツインでないと困ると、返信しました。しかし、労働節連休で他のホテルとも満室で、この部屋しか空いていませんとの連絡です。交渉の結果、4泊のうち2泊はツインになりましたが、後はホテルに着いてからの対応を余儀なくされました。O氏も貞操の危機だと心配しておられます。

チェックイン時に、その旨をフロントいる若いお姉さんにに伝えると、「分りました。大丈夫です。4泊とも同じツインの部屋でお泊りできます。」との日本語の返事が返ってきました。ほっとしたと同時に 「え~」 と、2人ともびっくりです。北京や上海等の日系ホテルとは違って、ここは普通の日本人なら名前も知らない東北の田舎町です。国際ホテルとは名乗っていても、日本語対応が出来るフロントマンがいるとは、考えられません。
聞けば、1年間日本にいましたと言われます。 どこにおられたのですかと問いますと、何とシシャモで有名な北海道の鵡川で、ジャガイモの芋掘りをしていたと返答で、納得です。所謂、海外からの農業実習研修生として、働きに来ていた中国人だと分りました。

チェックイン後にも部屋まで案内してくださり、食事をしている間も気を使ってくれていました。ありがとうございました。

第11日目 4月29日  阜新煤礦鉄路 その1

今日から、阜新炭鉱撮影開始です。3日間を予定しています。内、30日だけは、朝の蒸気機関車が牽引する通勤列車を追っかけ撮影と、前回連れて行かれなかった興阜炭鉱に走るナローゲージも撮りたかったので、前回の案内人、阜新地元鉄ちゃんの谷満春さんに一日案内をお願いしました。

前回3月に行った時に私は、フライアッシュ捨ての巨大な爆煙を近くから撮れませんでした。O氏も撮るには撮ったが、現場に行きついて、何も分らない状況下でシャッターを切った。落ち着いて、フレーズを決めて、しっかりと撮れたいとの希望です。この爆炎は、阜新以外では見られないものです。
朝4:30に起き上がりました。撮影に絶好の快晴のようです。O氏は、パワー全開ですが、私は、テンションが上がりません。昨日の精神的ショックと長旅の疲れが出だして、体が重く、動くのが辛い状態を感じました。今日は無理しない方が良いだろうと、O氏に後から行くと伝えて、ホテルでゆっくり朝食を食べてから出かけました。

身支度を整えてホテルを出発したのは、9時でした。Taxiを捕まえて五龙炭鉱のズリ捨て山を告げます。普通では行ってくれない未舗装の急坂の悪路を上がりますので、20元(約360円)で交渉成立です。下から1時間もの登山は、今日の体調からは辛いものがありましたので、これで助かったと思っていましたら、五龙炭鉱までの1本道が途中から工事中で、Taxiは通れません。

すると運転手さん、客の乗っているバイクTaxiを捕まえて、身売りです。これ以上は、この車では行けないので、自分は7元(約100円)で良い。バイクTaxiは、五龙炭鉱まで3元(約40円)を支払ってくれと言って、走り去りました。おいおい、ズリ捨て山の上まで行くと言っていた話はどうなったんだいと思っても、これは無理と諦めるしかありません。しかし、道は工事用のダンプカーやブルトーザが作業中なので、どうして行くんだろうと思っていると、直角に曲がって炭住が並ぶ幅1m余りの狭い軒下道を右往左往に走ります。上からも同じバイクTaxiが来ますが、日本と同じ上り優先です。上から来た車は、バックして道を譲ります。

五龙炭鉱に着いて、もう少し上まで上がれないかを聞きましたが、この車のパワーでは無理との答えです。ごもっともです。

約40分をかけて、O氏がお待ちのズリ捨て内側線新線)最高地点まで上がりました。まずは、朝食を食べておられないO氏にお好きなゆで卵のお届です。聞けば、1日1~2回のフライアッシュ号は、まだ未到着のようです。

来ても、問題はどの位置で止まって、捨てるかです。O氏は、前回たまたま自分が構えていた場所近くに来てくれたので、何とか撮れたが、折角走って上がってきた人でも、場所が離れていて6人中3人しか撮れなかった。あらかじめの撮影場所の予測設定が極めて難しいと言われます。これは、でも泣きましたので、ズリ捨て線撮影のネックです。また、ズリ捨て線は内側線(新線)と外側線(215-3線)の2本あって、どちらに来るかが分りません。「ぶんしゅうさんならどうしますか?」と、過去にズリ捨てがあったと思われる場所を、2人で歩きながら確認して、お互い悩みました。ベストポジション選びは、大変困難を極めました。

決定案を出すのは不可能ですので、第1回目は今いる内側線に賭けて、2ケ所の捨て場跡を選び、2人バラバラになって、運の良い人が撮れる事にしました。勿論、朝早くに来られたO氏に最優先で場所を選んでいただきました。下から上がってきて、この辺りに到達するまでは結構時間を要しますので、それからの移動はもう一方の線では無理ですが、同じ線に来れば、アップは無理でも、遠くからの光景は撮れるかも・・・。いずれにしても、今日を入れて3日間あります。最初は余裕のスタートで、中国鉄ちゃん話をしながらも、耳を澄まして待ちました。

12:40、私が来ての最初の列車は、外側線でした。内側線から撮れる位置での撮影です。ここは、空気が澄みきっていれば、バックが綺麗ですが、晴れてはいても、このように霞んでいるとどうしようもありません。

▲ 13:05、続いての列車は、待っている内側線に入ってきましたが、これも普通のズリ捨て列車です。


13:40、前の列車が山を下りた約35分後、3連発目が上がってきました。待望のカブース(緩急車)を付けたフライアッシュ号です。しかし、入ってきたのは、順番の外側線です。 O氏が早朝から待っておられた第1号です。固唾を飲んで、お皿から落とされるFA(フライアッシュ)の乱舞を期待しますが、何事も起こりません?? ウソでしょう! どうして!!

前回3月に来た時に谷満春さんから、「FA」は、阜新にある3つの発電所から出ます。環境問題対策が、中国でも叫ばれ始めて、2つの発電所では、水をぶっ掛けて拡散しないように処理されていますが、残り1つは、まだ対策設備がなく未処理で、ズリ捨てに捨てられています。」と、説明を受けていました。
「ひょっとして、残りの1つにも処理対策が実施されたのかも、それとも昨日の雨で野積みされていたFAに自然のシャワーが降ったかのどちらかではないだろうか・・?」と、私達は推測しました。

▲  フライアッシュ号は、FA捨てを終えた後、O氏がもう1つの捨て場ではないかと思われていた場所で停車して、全車のお皿を傾けて、底に残ったFAを再度振るい落していました。 どおりで、FAがたくさんあるわけです。


▲ 内側線と外側線のポイントを手動で換える信号所小屋に行ってみることにしました。すると、昨年5月に来た時のおじさんがいるではありませんか。大きな声で、「你好、你好、好久不見!」と言いますと、向こうも覚えていたらしく、熱烈歓迎で小屋に入れてくれました、早速、運行表を見せてもらいました。上の表が、最新の24時間の運行実績です。FA号(赤文字)は、1日2回の運行となっていますが、毎日運行は変わりますので、参考資料としてご覧ください。

当分は、FA号がやってくることはないだろうと、一旦山の中腹まで下りて、食堂でカップラーメンとビールで昼食です。そして、また山に上がり、今度は夕日をバックに撮ろうと挑戦しました。
▲ 17:27、まだ陽は傾いてはいませんでしたが、待望のフライアッシュ2号がやってきました。ゴクリと喉を鳴らしてシャッターボタンに指を置きます。連写を始めましたが、またまた何も起こりません。皿を傾けると、ボトンと落ちておしまいです。
どうして何だろうと、首をかしげましたが、上の写真を見ていただくと、皿にはFAのこんもりといくつもの小山が出来ています。サラサラのFAだと、こんな風にはなりません。水分を含んでいるからこそ、こんもりとなるのです。先ほどのフライアッシュ1号も同じ状態でした。がっくりです。

夕日は傾いてきましたので、こちらぐらいはまともに撮りたいと念願しましたが、沈む前に厚い雲の中に入ってしまいました。もう上がってきても、ロクな写真になりません。18:10過ぎに失意の中で、下山しました。
19時前に五龙炭鉱まで下りましたが、既に夕闇が迫っています。BusもTaxiもありません。正門前の雑貨屋にTaxiは来るのか聞いてみましたら、店主が出てきて、正門前に泊まっている乗用車の運転手を呼んでくれました。これから夕食を食べに行きたいので、解放広場近くの飲食街まで送って欲しいと申し上げると、20元(約260円)で交渉成立しました。


▲ 19:45、昨年5月に行った鍋屋に直行です。今日の腹いせ、験直しに頼むのは、鶏一羽とスッポン1匹が入った豪華な鍋です。野菜やビールを頼んでも一人約100元(約1,300円)。日本で食べたら、数倍もするでしょうね。腹だけは満足にできた一日でした。


【20223】2012年春の中国鉄路の旅          Part7 平庄煤礦鉄路 その2

第9日目 4月27日  平庄2日目

今日は、 撮影開始前に平庄駅に立ち寄って、切符を買わなければなりません。
① 4月27日 平庄→平庄南     K7384 次  1枚  O氏乗車
② 4月28日 平庄→阜新       4210次    2枚   O氏と私が乗車
③ 5月  6
日 ハルピン→瀋陽北     D102次    1枚  O氏乗車
④ 5月  6日 ハルピン東→満州里 K7059次orK7091次 1枚 私が乗車

は、昨年5月に来た時に眺望がすばらしいと、平庄南駅の裏山に2人で登ったのですが、いくら待っても列車は来ませんでした。O氏は最近、中国鉄ちゃんの集まりで、ここで撮った人の写真を見せてもらったら、かなり良かったとリベンジに燃えておられました。TaxiやBusで行くより、丁度良い時間に列車がありましたので、これに乗車です。
私は、五家炭鉱の路線や駅がどうなっているのか見たかったので、Taxiで向かうことにしました。午前中の撮影は、お互いの希望を尊重して、別々に行動することにしていました。

は、次の撮影地阜新炭鉱へと向かう2人の切符です。もっと早くに買っておきたかったのですが、ネットの残席情報では、なぜか「0」が並んでいます。始発駅の赤峰からは、1,000席以上の残席があるのですが、2日前(当日含む)にならないと、平庄からの残席はありません。ネット情報のミスかと思い、昨日も着いてすぐに平庄駅售票処で確認したのですが、「没有」と言われ、今日になりました。

は、 鉄道写真家小竹直人さんがプロモートされた「阿里河森林鉄道」のフォトランツアー(5月2日~6日)に参加後に、解散場所のハルピンから、日本へ帰国される飛行機の出る瀋陽へ向かわれるO氏の切符です。

は、同じく解散後にロシア国境の町満州里へと向かう私の切符です。

これだけの多種な切符です。間違いがあってはならないと、メモ用紙に分けて書き、售票処に2人のパスポートと共に提出しました。

ところが、ちゃんと書いたつもりでしたが、售票処駅員から「どの列車に誰が乗るのか?」と聞かれました。 あ~やっちゃいました。いつもは、同時にこんな多種な切符を買っていませんでしたので、名前まで書いていませんでした。ボケて頭が回らなくなっていた私のミスです。すみませんと謝って、再度説明して発券していただきましたが、受け取って確認すると、の切符が1枚しか発券されていません。今度は、駅員のミスです。もう1枚発券していただきました。

始めに售票処に並んだ時は、前には3人しかいませんでしたが、ふと気づくと後ろには、售票処を超えて外まで人民が並んでいます。その数、約30人以上です。ほんの5~10分程度のやり取りでしたが、あっという間に状況は一転していました。田舎の駅ですので、窓口は1つしか空いていません。O氏も来るのが5分遅れたら、買えなかっただろうねと、安堵されていました。


▲ しかし、ちゃんと買えたと思ったこの切符は、まだ問題がありました。写真をみて気づかれた方はいらっしゃいますでしょうか? 当ててみてください。
これは、撮影が終わった後から気づきましたが、中国鉄道倶楽部の隊長さんまで巻き込んでの迷惑をかけることになりました。これは、中国鉄路の切符を買う上でも、重要な事の1つですので、詳しくPart8で説明させていただきます。



▲ 駅前からTaxiに乗って約40分で、五家駅に到着しました。結構遠いです。炭鉱では動いていて、粉砕した石炭がご覧のように山積みにされていましたが、セキの姿は1両もありません。今日、五家炭鉱から石炭列車が出るとしますと、空セキを回送しなくてはなりませんので、O氏との待ち合わせ場所から確認できます。
以前に通勤列車が運行されていたことを確認できる駅舎とホームがありました。また、機回しが出来るようにもなっていました。

しかし、この日は前日と打って変わったようなような強い風が吹き上がっています。ポッパー付近では、細かい粉塵が降り注いで、マスクとサンブラスなしでは近づけませんでした。勿論、用意は万全でしたが、ホテルに帰ってシャワーをすると、黒い滴が流れました。

▲ 復路はバスです。おじさんに聞きましたら、ついて来いと案内してくださいました。駅前からは炭住がびっしりと並んでいました。結構大きな町です。


▲ 歩くこと約10分で、5路のバス停?に着きました。 乗っても中々発車しません。車掌さんに料金(3元)を支払うと、貴方は何人?どこから来たの?と聞かれます。日本人で京都から来たと答えると、「日本人!初めてです!」と、えらく驚嘆されて、是非に一緒に写真を撮らせてと、スマートフォンモドキの携帯電話を取り出して、運転手さんをカメラマンにピッタリと迫られました。可愛いお姉さんでしたので、まあ良いかと、私もにっこりポーズで撮っていただきました

バスは、後から4人の客を乗せてから、ゆっくりと出発しました。ノロノロと町中を走り、客を拾って行きます。約15分後に鉄路と交差する、装煤~五峰間の道口(踏切)に着きました。ここで下車して平庄南前の橋まで歩きますが、風が一段と凄まじくなって砂塵を巻き上げてきたので、一旦踏切番小屋に逃げ込みました。
▲ 日本では安全第一ですので、部外者が侵入するのはご法度ですが、ここでは一人で列車が来ない間は、暇を持て余していますのでフレンドリーに迎えてくれます。直ぐに自己紹介をして、列車の通過記録簿を見せてもらいました。
これを見ますと、O氏が平庄南駅の8:50に着かれてから、装煤へ向けて9:04、10:06、10:19の3本、平庄南に向けての正向き列車は、9:30、9:43と2本が通過しています。これなら、それなりの収穫はあったでしょうね。

▲ 踏切番小屋には、もう1人保線区員がおられました。平庄南から来た可愛らしいレールバスに手を上げて停車させ、何やら積み込んで装煤へと向かって行きました。このレールバスを見たのは初めてです。

風が少し収まりかけたのでお礼を言って、踏切番小屋を出て、O氏との落ち合う場所へと向かいました。 O氏の大きな体は、遠くからでもよく見えます。手を振ると、分ったらしく手を振って答えていただきました。
朝はたくさん来て良かったですねと申し上げると、「それが、丘の上まで登ったんだが、風が凄まじく、まず三脚は立てられない。カメラを構えても身体が持っていかれて、安定しない。砂塵で下方向は見えなくなってしまう。残念だが下りた。」と、言われました。

▲ 11:26、昨日、ちょっと悔しい思いをした場所には、直ぐに列車が上がってきましたが、気温がどんどんと上がってきているので、煙は全く見えずです。さっきのレールバスの方が絵になりました

▲ 12:13、すっかり我々が馴染みになった食堂で、昨日同様の麺とビール定食です。
スープも結構美味しいのです。

▲ 13:47、食後、新緑をバックに撮りましたが、やはり煙がないと寂しいですね。

この後、今回最後の挑戦と目的の撮影地に、突風で足を取られながら向かいました。
到着後、ズリ捨て拾いのおじさんのガレージで風を凌ぎながら待ちましたら、このズリ捨て線は1日3回しか来ないと言われました。どおりで、昨日は来くことがなかったのです。
今日は、3回目が昨日通りに、ここに来るかどうかです。移動は不可能ですので、賭けましたが、汽笛すら聞こえてくることはありませんでした。


【20168】2012年春の中国鉄路の旅          Part6 平庄煤礦鉄路 その1

第8日目 4月26日  平庄1日目
瀋陽19:05(K
7362次)→5:35平庄
574キロ 10時間30分

平庄を訪れるのは、昨年5月、今年3月に続いて3回目です。中国鉄ちゃんで訪中50回以上を誇られる、O氏もなぜか同じです。近くの元宝山には、何回か行かれているようですが、ここに蒸気機関車が走っているのは分ってはいたけれど、前進型が驀進する集通線等々、行くなら優先すべき撮影地がいくらでもあった。ここや阜新が注目されだしたのは最近で、蒸気機関車が撮れる場所がなくなったせいでもあると言われます。

1回目2回目とまずまずの撮影はできましたが、確かに平庄では、際立って素晴らしいと感動を持てる撮影場所はありませんでした。
しかし、いつもは平凡単調でDATAから、消してしまいたくなる撮影場所でも、いくつかの条件が揃えば、一転してしまうことがあります。今迄撮り逃がしたのは、西露天口からのズリ捨て列車でした。特に山に夕日が沈む頃の光景は、考えただけでも心が躍る瞬間です。
今回、私たちが平庄に来た目的は、ただの石が突然にダイヤとして輝く、この瞬間を撮りたいがためです。滞在2日間をこれに賭けたいと思ってきました。今日は、雲1つない雨上がりの快晴です。条件1をクリアーするでしょう。きっと素晴らしい夕焼けが見られる事を期待しました。


▲ 常宿化してきた宝山大酒店にチェックインして、ホテルの朝食をとった後、直ぐにTaxiで撮影目的地に向かいました。
10:14
に到着、中々の場所です。ズリ捨て列車がくれば、そこそこの写真は撮れます。近くにいた作業員も10:20には上ってくると言われますが、煙は見えてもここまでやって来ません。

▲ 11:18
しばらくたってから、これは、おかしなと思いズリ捨て路線に上がって見ますと、随分と前でズリ捨て作業をやっていました。
▲ ズリ捨て線からは、本線が良く見えます。
12:18、機務段(機関区)のある装煤駅から単機が国鉄との接続線のある平庄南駅へと貨車引取りのために向かっていきました。


▲ 12:39、引き取ったセキは、約50両余り、平庄の街並みをバックに下って行きました。

▲ 13:01、ようやくズリ捨て線に列車が来ましたが、何と9両もの長編成です。
上がって見ますと、どこから現れたのか、トラックが2台止まっています。そして、前のズリ捨て列車が落していった、人間の頭以上の大きな石炭岩石を選びながら、荷台に積みこんでいます。後方には、今の列車がズリ捨て作業を行っていますので、粉塵が舞い上がり、風下のこちらにも舞ってくる中での作業です。



▲ これを見ていた専門家のO氏は、「
ぶぶんしゅうさん、このズリには売り物になる良質の石炭が結構混じってますよ。勝手な推測ですが、多分、採炭現場でわざと良質の石炭をズリに混ぜてもらって、これを拾って売るといった行為があるのかも・・・。採炭所で働く人民にも何らかのキックバックがあるのかも・・・。持ちつ持たれつ、お互いにこれで、生計を立てている行為は、昔から行われているんでしょうね。」と、独自の見解を申されます。

石炭の国際価格は、現在高騰して、1トン当たり約10,000円前後だと言われます。用途により価格は違っていますが、中国で有名な大同南部郊外産の発電用炭坑口価格は、今年1月10日時点で1トン当たり490元(約6,500円)ですので、この3~4トン積みトラック満載で、1台約25,000円前後の収入にはなるのでしょうね。と、言うことは、石炭かどうかを選別しているおじさんおばさんの日当は、80元ではすぐに集まるでしょうから、10人で800元(約10,400円)として、元締めは2台あたりで、約40,000円の収入にはなります。1ケ月で約120万円は、多少ばら撒いても中国では、十二分な収入です。かなり、ボロイ商売ですね。

O氏と同行しますと、中国鉄路撮影のノウハウの他にも、今迄知らなかった事をいろいろと、勉強させていただきます。人とおしゃべりすること以外は、何事にも無知な私には、大変参考になる事ばかりです。ありがとうございます。

▲ 14:17、そろそろお腹もへってきましたが、この辺りには、店屋もありません。約40分歩いて、ヤードがある五峰駅近くの昨年5月に食べた食堂に行くことにしました。
「好久没見(お久しぶり)」と、大きな声で店に入ると、店主は覚えてくれていたのか、直ぐにビールを冷凍庫に入れてくれました。
注文は、O氏も私も大好きな、野菜たっぷりの麺とビールです。1人当たりビール2本を付けて、これで一人11元(約150円)です。

▲ 15:30、平庄炭鉱鉄道1番の撮影地、五峰~平庄南間です。この場所からは、下り勾配になりますが、真っ黒な煙を出してくれました。新緑で青い空の下、煙が映えます。

さて、ここからが問題発生です。陽もまだ高いので、五峰ヤードから分岐する五家炭鉱からの列車が来た場合を想定して、少しロケハンをしました。1週間か1ケ月に一回走るかとどうかと言われている路線です。よほど運に恵まれないと、撮れることはできませんが、昨年夕刻に走って来ました。遠くから撮れただけでした。

今回は、もしもにそなえての準備ですが、そうしている間、16:19にズリ捨て線の最初に待っていた場所に列車が来るのが見えました。まだ、撮るには早すぎますが残念です。
次に来るのは、今迄の3回を考えると、5時半~6時半です。遅くなれば、念願の瞬間が撮れます。

それまでは、装煤からの石炭列車を平庄南駅前の橋の前から撮ることにしました。
こちらも。新緑をバックに上り勾配を力行する石炭満載の列車が撮れますので、まずまずです。最優先の撮影が待っていますので、17時まで待つと決めましたが、それでもO氏はソワソワです。先に行っていただく選択肢もあったのですが、折角一緒に来ていますので無下に断りきれないのが私の弱点です。5分前には向かうことにしました。

▲ ところが、徒歩約8分、五峰駅まで来ますと、向こうから黒い姿が見え始めました。約30両のセキを牽引して、SY1052号機がやってきました。思わずO氏の肩を叩きました。後5分の我慢が出来なかったかの報いを受けました。しかし、これも中国鉄路撮影の常識でもあります。

撮り鉄に徹する方は、よく2人以上で行くよりも1人で行った方が、良い写真が撮れると言います。どうしても複数で行くと撮りたい場所がお互い違っていたり、同じ場所でも撮る位置が、お互いに邪魔になったりして妥協を余儀なくしてしまうので、デメリットが大きいと申されます。私も同意見ですが、中国鉄路となるとこの常識は、異なります

まず、鉄道写真を撮っている鉄ちゃんに出会うのは、芭石鉄道ぐらいのもので、他では全くいません。拡がる大地では、孤独感さえ出ますので、安全性から言っても複数で撮る方が良いに決まっています。私も数10回は経験していますが、誰も通らない場所で、一人で何時間も待つのは、もし強盗・野獣にでも襲われたりしたらどうなるだろう、突然の病にあったら、天候が突然に変わったらどうしよう等々の不安を感じますので、撮影そのものが冒険です。撮影場所がダブっても、数10人もいるわけがありませんので、ごくわずかな譲り合いで、問題にはなりません。
複数で行くと、身の安全や時間を確かめ合ったり等々の1番大事なメリットが多くあります。何よりも待っている間に、大地を背にして、
日本では想像もできない中国鉄路についての面白いお話が出来るのは、とても興味深く楽しいことです。私はこちらの方を優先します。

撮影場所を移動しました。目的地は、お互いで確かめ合った、ズリ捨て線の1番手前にしました。本当は、一番奥にしたかったのですが、もし手前であったなら撮れません。明日もありますので、今日はここで固く、決めておこうとO氏と、意見一致です。


▲ しかし、待っている間にも本線には、蒸気が走行しています。
17:25
1017号機が単機で平庄南駅へと向かいます。つまり、平庄南駅では、今2台の蒸気機関車がいるわけです。国鉄線から引き取るセキが多いとしか理解できません。

そして、 18:11に空車約30両を、18:27には空車約20両を牽引して装煤方向へと向かって行くのが見えました。
あの場所に残っていれば、4連発で結構良いショットが撮れたでしょうが、結果論です。 前回撮り逃がした拘りに固執した事は、新しいチャンスを失う結果になるのは、人生経験豊かの私達には、分ってはいても、老いて判
断力が鈍くなったのでしょうね。

▲ 今回の最優先撮影場所だったここには、待ち続けましたが、汽笛すらありません。24時間操業のはずなのになぜだろうと、私たちは思いますが、残念ながら2人共、ここでの情報を取れる方法や、案内人を知っていません。自力撮影での辛さです。
日没を確かめて、山を下りました。

道路に出ましたが、今度はTaxiもBusも通りません。町まで歩くには、元気が残っていません。とにかく町方面に向かう車に手を上げて頼むしかありません。
夕闇が迫った頃に、ようやく若者が運転する高級車が止まってくれました。降りる時にも、お礼を言って、ここの相場の20元を渡そうとしましたら、いらないと受け取りません。今時の銭、銭の中国にもこんな粋な若者がいるんですね。感心しました。

▲ 今宵の夕食は、ホテル近くの餃子屋にしましたが、注文すると、何と1皿に50もの餃子が出てきました。これで、14元(約180円)です。激安です。
しかし、年寄り2人では食べ切れる量ではありません。かなりを食べ残して、店を出ました。