【83177】凍える大地への旅 2016年 Part8 三道嶺を撮る、北京へ

第7日目 12月15日

今日は三道嶺撮影の最後の日です。午後には北京へのフライトになりますので、早朝からの撮影から参加することにしました。
▲ 7:50 撮影地 東站 昨日と同じく夜明け前の東站で出発前の撮影です。
ISO51200の解像力はどの程度だろうと絞りも解放値で挑戦してみました。
【DATA】NikonD500 ズーム70㎜ F2.8 1/125秒 ISO51200 露出補正-0.7段

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【83003】凍える大地への旅 2016年 Part7 三道嶺の火の玉列車を撮る④

毎晩第6日目 12月14日

三道嶺滞在も4日目を迎えました。三道嶺を離れるのは明日ですが移動のため火の玉列車を撮影できるのは今日が最後の日になりました。今までは朝の撮影はパスしてきましたが最後の機会なので見ておこうかと参加することにしました。

▲ 8:08 撮影地③ 夜明け前の東站
哈密と北京では実質2時間の時差がありますが、中国ではどこへ行っても同じ時間で時差は設定されていません。北京ならこの時間はもう明るい朝を迎えていますが、哈密ではまだ夜明け前の暗い朝です。運行される列車の発車站、東站では仕業へと向かう列車がまだ休んでいました。
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【19984】中国の蒸気機関車について(追補)

藤本氏の記事と関連コメントを見て、相生市で撮影していたことを思い出しました。写真をご紹介します。場所は赤穂ではなく 相生市の中心部にある中央公園です。藤本氏のコメントによると 平成9年に解体されたとのことですが、撮影月日が平成9年7月24日ですから、解体直前の姿ということになります。

寄贈した㈱美乃美は京都市左京区で盛業中の中国関連図書を扱う会社のようです。

↑ 1E1 貨物用 前進形 QJ6200

↑ 2C1 旅客用 人民形 RM1163

 ペーロンがとりもつ縁とはいえ 何でここに中国の蒸機なの?と思い 狭い場所でかつ逆光だったので早々に退散した記憶があります。今はモニュメントだけになっているようです。


【17257】失業者二人の旅日記  初冬の大地へ      Part11 白銀 その2

第11日目 12月10日  白銀2日目

今日も夜明け前に目覚めて、いつものように朝食を仕入れて出発しました。7:50白銀新站を出る357次を撮影するには、日の出の関係上、昨日行った深部銅鉱手前の丘に登らなければなりません。


8:19、朝焼けの中、白煙を吹き上げながら1470号機牽引の357次がやって来ました。白銀のハイライトです。撮り終わった後も余韻に痺れました。


▲ 9:21、折り返しの358次通勤列車が到着しました。紅く染まる煙の下、夜の勤務を終えた職工たちが列車に乗り込み家路へと向かいます。

これで朝の白銀ショーは終わりと夕刻の撮影ポイントの確認をしていましたら、1047号機が単機できました。どうしてと後を追いますと、踏切上の信号所に止まっていた、DL牽引の貨物列車の先頭に付いて、DLを引き離しました。
その後は、貨物を牽引して三冶錬へと向かいます。どうやら、DLが故障したので急遽呼ばれたようです。おもしろくなりました。予期せぬことが起こりえるとの予感です。



▲ 10:02、単機で引き返してきた 1047号機。故障したDLを牽引して側線へと機回しをした後、残された貨車を牽引して三冶錬へと上がって行きました。DL化された貨物輸送ですが、こんな事もあるのですね。手際の早い対応でしたので、結構起こっていると思われます。

これでSYが走らないとされていた日中も目が離せなくなりましたが、夕日のシルエットを撮りたいとロケハンをしながら、ヤードへと向かいました。


▲ ヤードに架かる吊り橋を渡りました。無数の黄色のタンク車は、硫酸専用です。右上写真のまた右上にかすかに見えるのが公司站のホームです。


▲ 白銀の蒸気機関車、結構綺麗に塗装されています。これは、2008年の北京オリンピックを記念し、お化粧をして車番も2008号機に改番されていました。蒸気溜は、ナチス兵のヘルメットに似ているとトウさんから説明がありました


▲ 車庫に入っていた走れる状態の1581号機。白銀には、SYが6台あるらしいです。


▲ 車庫横に放置された廃車群。以前には建設型も走っていたようです。JS8021、SY135・0138・0819号機の残骸です。


▲ 15:25、まだ夕刻前なのに斜光を受けて1470号機牽引の359次がやって来ました。その後、昨日同様に追っかけをしましたが、写真はもう一つ。戻って、夕日のシルエットを試みましたが、下りの煙はショボイものでした。

やはり、白銀は朝が勝負のようです。切り上げて明日に備えました。


【17025】失業者二人の旅日記  初冬の大地へ      Part7 雅満蘇(牙曼苏;Yamansu) その1

第7日目 12月6日 哈密→雅満蘇

早朝6時前、哈密のホテルをアイグリさんも同行して出発しました。目的地の雅満蘇(牙曼苏)までは、約120キロ、鉱山鉄道の起点がある中国鉄路の山口站までは、鉄道線では97キロあります。道路灯もない真っ暗闇を東方向に約2時間強を走り、近くからは迷走を重ねてようやく8:14山口站に到着しました。以前に来た時の道がなかったそうです。

なぜに山口站に立ち寄るかと言いますと、雅満蘇鉱山鉄道は、定期列車がありません。いつ何時に走るかは、この站にある雅鉄の事務所に来て聞かないと分からないのです。 ただかすかな情報では、8時ごろに山口站を発車して山の鉱山まで行くらしいとO氏がおっしゃいます。
站の構内には煙が見えません。事務員の返答は、「今日は走らない」でした。 ガックリと肩を落としましたが仕方ありません、雅満蘇へ向けて約35キロの真っ暗の道を登っていきました。

9:02雅満蘇近くで朝日が上がりました。ほぼ三道嶺と同様です。山口から雅満蘇までは、列車で約1時間30分前後かかるとアイグリさんは言われます。と、言うことは、終点の雅満蘇近くでないと撮影は不可能です。これではかなり撮影場所が限定されます。

▲ 9:13雅満蘇站に到着しました。構内には建設型8423号機が蒸気を吹かせて息づいていました。さらに奥の車庫には6495号機の姿も見えました。走れる蒸気機関車がいることが分かり一安心しました。


▲ 小さいながも石炭積込みと給水設備があります。朝日も浴びて紅く染まっていました。

▲ 不思議なことに構内に鉄鉱石を運ぶ貨車が見当たりません。これが後々に我々を悩ます根源の一つでした。



▲ 右方向に進むとプラットホームもある雅満蘇站がありました。1駅ですが駅名版もあります。カーテンまである整備された小さなレールバスが止まっていましたのでお断りをいれて見てみました。
後でアイグリさんから、今日は安全検査院がお見えになられているそうで、これに乗車して山口站まで往復されると聞きました。蒸気機関車が走らないのも検査院のお偉いさんが来られているためだそうです。昨日は走ったそうで、都合の悪い時に来たものです。しかし、通常は車庫に入っていてめったに見られない、このDCを見られたのはラッキーでした


▲ 10:19、ようやく朝食です。アイグリさんが案内してくれたのは、外観はボロボロの回民食堂ですが、結構ウィグル人で満席です。注文してもらったのは、羊肉の肉汁が美味しい肉マンと羊肉のスープでした。5人で60元(約750円)といつもより高額なので明細を聞きますと、肉マンは3個で2元(25円)ながら、スープは10元(125円)もします。最近、放牧が禁止されてから羊肉の値段が上がる一方で、キロ48元(600円)もするようになったので高くなったのよと、説明を受けました。京都西山にあります睛春庵に住いしますぶんしゅうは、毎日の食事当番をしておりますので、食料材料の価格には敏感です。キロ600円とすると。100g60円です。ほぼ豚肉と同等か、2倍程度です。中国の物価からしますと、かなり高額と言えます。

原因は、黄砂対策です。放牧されている羊は、草の根も食べてしまうそうで、放牧地を砂漠に変えるために一帯は放牧が禁止され、羊が激減したのが原因だそうです。
三道嶺では、途中で哈密に帰られたアイグリさんですので、あまり話す機会がなかったのですが、日本語が堪能です。聞けば、ウルムチの大学授業で学んだそうです。

雅満蘇の街に入る前も、かつては15万人が住む町だったが、今は家族も哈密に引っ越して15日サイクルで勤める人達が雅満蘇に来ています。雅満蘇の語源はウィルグ語で、”悪い水”の意味で生活するに適さない所なのですと流暢な日本語で説明を受けていました。もっと早く気づくべきでした。それからは、直接に質問をすることにしました

朝食後は、明日からの撮影のためにロケハンをすることにしました。、