陰陽横断3日旅 (後編 倉吉線跡探訪)

そもそも倉吉線跡を訪ねることになったいきさつを振り返ってみましょう。2016-2-21に私が「行商列車を読んで」という一文を投稿したことがコトの始まりです。この本には倉吉線を舞台にした行商の話が出てくるのですが これが伏線です。私の投稿に対して どですかでん氏がすばやく反応して頂き、続いて湯口大先輩からも 1963年に倉吉線を訪ねられた際の貴重な写真が投稿されました。話はさらに米手作市様にも拡散し、1週間後の2016-2-28にはぶんしゅう氏の「ダメ押し 倉吉線訪問記 1973年夏」が投稿されます。このぶんしゅう氏の写真の中に打吹駅前で子供たちがラジオ体操している写真がありました。実に素晴らしい情景だと感激したのですが、このとき倉吉か打吹に記念館があることを何となく知っていましたので ぶんしゅう氏にこの写真を倉吉に送ればきっと喜ばれますよとけしかけました。そして私の提案に乗って頂いたぶんしゅう氏が倉吉とコンタクトされ、いろいろなやりとりの末に倉吉観光マイス協会の塩川修氏のご尽力があって 倉吉線鉄道記念館にクローバー会の特設コーナーが設けられ、会員各位から提供して頂いた倉吉線のなつかしい写真が常設展示される運びとなった訳です。9月1日付けの倉吉市の広報誌にも我々の写真展示で同館がリニューアルされたことが紹介されました。半年ちょっとの間にこのような展開になるとは夢にも思っていませんでしたが、クローバー会と倉吉市とのつながりができたことはうれしい出来事でした。そんないきさつ故 一度倉吉を訪ねて見学しなければと思って今回の旅の目玉としたわけです。なお9月11日には米手作市様が記念館の一番乗りを果たされています。前置きが長くなりましたが、10月11日の朝 倉吉観光マイス協会の塩川修氏と初めてお会いし、この日の旅が始まりました。

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「市報くらよし 9月号」より

ぶんしゅう殿が去る8月5日 73983で倉吉線鉄道記念館のリニューアルについてご紹介下さいました。その予告通り 倉吉市の広報紙「市報くらよし 9月号」の最終ページにクローバー会からの写真寄贈を機にリニューアルを行ったとの記事が載っています。

市報くらよし 平成28年9月号 P.24

市報くらよし 平成28年9月号 P.24

丁度1年前 私が呉線開業80周年記念イベントに関わった際に 特派員氏に古い写真探しをお願いしたところ急なお願いにもかかわらず、tsurukame氏と特派員氏からすぐに貴重な写真が数多く集まったことを思い出します。今回のぶんしゅう氏のように きちんと広く会員に呼びかければ 全国すみずみまでレールがあるところには当会の誰かが必ず一度は訪れて記録を残しているものと思いますので 比較的容易に貴重な記録が集まるのでは思います。東日本大震災に関わる東北地方の鉄道写真集めもそうだったように思います。倉吉のようなかたちで地元に協力ができるのが我々の強みでもあり、また若い頃に各地でお世話になったことへの形を変えてのお返しのようにも思います。決して売名行為ではなく このようなかたちで各地に足跡が残れば誇らしく思えます。是非倉吉線の跡をたどって 記念館を訪ねようと思っているところです。

倉吉線鉄道記念館への写真提供について

倉吉線鉄道記念館を運営されています倉吉観光マイス協会よりかつての倉吉線の様子を撮った写真提供の依頼が参っておりますことをご報告させていただきましたが、依頼のあった写真の撮影者の皆さま方全員から「使っていただいてもいいよ」と快諾をいただきました。これこそクローバー会の日頃の親睦連携活動の賜物と感謝いたしております。ありがとうございます。

ついてはデジ青に掲載されていない写真が他にもあろうかと思います。私も撮っているよと思われる方はお知らせください。折角特別スペースを空けて展示を待っておられますのでこの機会にもっと多くの写真を集めてみたいと思います。よろしくお願い申し上げます。

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倉吉観光マイス協会からのお願い

今年2月は”どですかでん”さんの「一枚の写真から 急がんと! 国鉄関金駅」の投稿から廃線となった倉吉線の記事が続々と続き、盛り上がりました。ついでに私も投稿しましたが、ご好評いただいた写真を倉吉線鉄道記念館に送らせていただいたところ大変感激されました。
そして本日、記念館を管理運営する倉吉観光マイス協会より下記のメールが届きました。======================================================

(前略)この度は倉吉線の貴重な画像を御提供頂き誠に有難うございました。私も鉄道写真を趣味としており、今まで見たことのない当時の倉吉線画像をたくさん拝見し興奮致しました!是非、来館者の方々にもこの貴重な画像を見て頂ければと考えております。

年度変わりもあり少し遅くなってしまいましたが鉄道記念館を管理する行政と現在展示している画像の提供者の方々と協議を行い、館内展示画像の配置換えを行ったうえで壁一面に今回提供頂いた画像を展示させて頂く事に致しました。「寄贈 同志社大学鉄道同好会OB会」のクレジットを入れさせて頂きます。
そこで新たな展示に伴い、もう少し展示する画像を御提供頂く事は可能でしょうか?提供をお願いしたい画像をブログから拾いましたので、添付にて送付させて頂きます(11枚ございます)。
無理をお願い致しますが何卒宜しくお願い申し上げます。
展示の準備作業進捗に於いては随時ご報告させて頂きます。
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と、いった内容です。ご要望を受けました写真を掲載しますので、撮影者の皆さま方はご検討をお願い申し上げます。私は只今、五所川原におりますので帰宅次第にご投稿者の皆さま各位へ、お願い書を送らせていただきます。よろしくお願い申し上げます。

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今も楽しめる倉吉線

ぶんしゅう様 「倉吉線を偲ぶ会」にご入会ありがとうございます。打吹駅前のラジオ体操の風景に感動です。7月21日なら多分夏休み初日なので これだけの子供たちが早起きして集まったのでしょう。6:13に442D倉吉行きが出るころに集まり始め 6:30から体操。6:39に443D山守行きが着く頃には体操が終わって、カードにハンコを押してもらって解散。・・・・・昭和の夏休み風景ですね。

ところで ジパングクラブのPR誌「おとなび」を見ていましたら、倉吉線廃線跡ツアーがあるのでびっくり。ぶんしゅう様は「白兎51号」での現地入りだったようですが、今は「スーパーはくと1号」で倉吉入りです。倉吉線鉄道記念館となっている打吹駅も訪ねるようです。最後は須磨の大人が入浴されたという効能あらたかな関金温泉で背中を流してもらって旅をしめくくるようです。いつのまにか「昭和の名ローカル線」になっているのも驚きです。それにしても ラジオ体操の写真は記念館に飾るにふさわしい名カットだと思います。

現代の倉吉線旅

現代の倉吉線旅

ダメ押し 倉吉線訪問記 1973年夏

投稿する函館の昔の写真をスキャンするためにネガを整理していたら探していた倉吉線のネガ2本が見つかりました。
もう少し早ければタイムリーだったのですが、遅れ馳せながらのダメ押しとして1973年7月21日(土)、私が初めて訪問しました倉吉線の紹介をさせていただきます。ただ当時の記録日誌は紛失してまだ見つかってはおらず、写真と時刻表を見て、合わせながらの紹介となりますので時間等が間違っているかもしれません。ご理解、ご了承願います。

① 京都22:08(臨時急行白兎51号)⇒4:36倉吉
▲ 4:36 前夜、京都から臨時急行白兎51号に乗って着きました。まだ夜明け前の倉吉駅です。駅前にひと気など全くありません。
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