凍える大地への旅 2016年 Part7 三道嶺の火の玉列車を撮る④

毎晩第6日目 12月14日

三道嶺滞在も4日目を迎えました。三道嶺を離れるのは明日ですが移動のため火の玉列車を撮影できるのは今日が最後の日になりました。今までは朝の撮影はパスしてきましたが最後の機会なので見ておこうかと参加することにしました。

▲ 8:08 撮影地③ 夜明け前の東站
哈密と北京では実質2時間の時差がありますが、中国ではどこへ行っても同じ時間で時差は設定されていません。北京ならこの時間はもう明るい朝を迎えていますが、哈密ではまだ夜明け前の暗い朝です。運行される列車の発車站、東站では仕業へと向かう列車がまだ休んでいました。
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凍える大地への旅 2016年 Part 5 三道嶺の火の玉列車を撮る②

第4日目 12月12日 その1

今日は年を考えて早朝、東駅での撮影をパスして部屋で熱いシャワーを浴びたりでゆったりしました。何回も来ていますのでいくら煙を見たといっても同じ光景を見ての感動は高揚しません。今回は陽が沈む午後7時前後が全てですのでスイッチを入れるのは午後6時半と決めていました。

10:40 撮影を終えて皆さんがホテルに戻ってこられましたのでチャーターバスに乗り込んで露天掘りへと向かいます。夜のお立ち台から南へ少し行った坑口站としました。
▲ 11:13 撮影地⑦ 昼前になってようやく陽が当たりだした坑口站付近、 東露天鉱から石炭を満載して上がってくるJS8225号機牽引お運炭列車、サミットはもうすぐです。
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2014~2015年 凍える大地への旅 Part9 三道嶺 5日目 最後の朝

今日は2015年元旦ですが、ここ中国では0時に爆竹が少しなったぐらいでお祭り騒ぎはありません。春節(旧正月)がお正月になっていますので普段と変わらずの2015年を迎えました。DSC_1361_104▲ 8:47 夜明け前の東站ヤードも出動前の静かな朝を迎えていました。左はJS8190号機、右は昨夜見事な大輪の花火を上げてくれたJS6209号機です。
【DATA】 ズーム32㎜ F3.8 1/10秒 ISO1000 露出補正-1.3段

明け方は刻々と露出が変わっていきます。カメラのクオリティを信じてシャッタースピード、絞りと露出補正を変えての出来上がり具合を楽しむ事にしました。
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2014~2015年 凍える大地への旅 Part8 三道嶺 4日目 大輪の花火

DSC_1237_200▲ 19:07 皆さんが待ち焦がれていたそれは突然に夕闇の中から現れました。高く火の粉を吹き上げて突進してきました。花火と言うよりも火の玉列車のようでもあります。こんな蒸気機関車を見るのは生まれて初めてです。無我夢中でシャッターを押し続けました。
【DATA】 ズーム90㎜、F5.3、 1/25秒 ISO6400 露出補正-1.0段

第6日目 12月31日 その2

18:24 花火の最後の挑戦に期待して東露天掘りの高台に来ました。皆さん思い思いに撮影場所を決められて運炭列車を待ちます。

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2014~2015年 凍える大地への旅 Part7 三道嶺 4日目 

DSC_0959_100▲ 8:28 遥か西にある三道嶺の朝は遅い。ようやく夜が明け出した暁の頃、停車場には照らし出された白煙が静かに流れる幻想の世界が演じられていきました。
【DATA】 ズーム28㎜、F4、1/15秒、露出モード;マニュアル、露出補正;-0.3段、ISO6400

第6日目 12月31日 その1

昨日はゆっくりとできましたので体調も元に戻りました。今日は三道嶺を終日撮れる最終日ですが、まだ新線を走行する蒸気機関車、そして花火を一度も撮れていません。このままではここへ来た目的を果たせません。今日こそはと、早朝から皆さんと一緒に東站に向かいました。

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2014~2015年 凍える大地への旅 Part6 三道嶺 3日目 今日も見えぬ花火

夕刻からの撮影地は、小竹先生が昨夜花火の大爆発が見えたと言われる東露天鉱の信号所付近です。私もお立ち台から見てはいますが、発車時のみだったのと、余りに大きく明るく輝いていましたので花火?とは信じられませんでした。本当なのかどうかは行って見れば分かります。粘ってみました。
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▲ 18:46 粘った最後の走行写真です。牽引機は6209号機。この時は分からなかったのですが、この機が花火を演出できるポテンシャルを持った機でした。

【DATA】 ズーム116㎜ F5.6 1/125秒 ISO4000 露出補正-1.0段
DSC_0819_131

この列車だけ、信号所で一旦停車して5分後に発車していきました。そしてお立ち台下の急勾配を駆け上がる時に花火が見えだしました。

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2014~2015年 凍える大地への旅 Part5 三道嶺 2日目 花火は見えず

DSC_0256_112▲ 16:39 夕刻、斜光となった東露天鉱の信号場を発車する運炭列車。西露天鉱のズリ捨てが廃線となった今、夕陽を題材に撮れる撮影地です。

暮れてからは初めての三道嶺の花火に挑みます。さてどんな花火になるのか楽しみです。

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2014~2015年 凍える大地への旅 Part4 三道嶺 2日目

今日から3日間、終日三道嶺での撮影です。目的は新線の走行写真と花火ですが、新線は運行されなければ撮れません。花火は夕闇になる頃が勝負ですが、どの程度のスケールなのかさっぱり分かりません。見てからの楽しみとしました。

DSC_0133_109▲ 撮影地② 東露天鉱の高台から俯瞰撮影をしていましたが三道嶺の主、アイグリさんより北泉線にプッシュプルが運用準備中との情報が入りました。アイグリさんは回族で多くの友人を持っておられます。蒸気機関車運転手からの直接情報が瞬時に取れますので確実で信用できます。急いで向かいました。
10:45 空車とは言え
42両ものセキを牽引してゆっくりと上り勾配を上って行きます。噴きあがる白煙も見事で撮りながらも見入りました。

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2014~2015年 凍える大地への旅 Part3 三道嶺 1日目

DSC_9915_105DSC_9895_100三道嶺の主、アイグリさんから王さんに南站から北二鉱への列車がもうすぐ発車しますとの連絡が入りました。急いで東露天掘り鉱での撮影を切り上げて向かいます。

▲ 16:56 撮影地② Google座標; 43.125831, 92.726284
夕暮れが近づいた頃、南站を出発して北二鉱へとテンダーファーストで向かう運炭列車。今日は風もなく空高く煙を噴き上げてきました。ドレーンは撮影している私たちへの運転士からのサービスです。

三道嶺露天掘り炭鉱は、戦前からの撫順阜新と違って中華人民共和国が建国されてからの1960年に採炭が始まった新しい炭鉱です。そのためか今尚多くの蒸気機関車が活躍しています。
ここへは2011年2月に準特急先輩、クモハ73106さんに連れて行ってもらってから3回目の訪問です。飽きるほど大型蒸気機関車の建設型が見られ堪能していましたが、今回は新しく露天鉱が開鉱されて蒸気機関車が走る運炭新線が開業した。また花火列車が見られるとの情報もあって参加をすることにしました。

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2014~2015年 凍える大地への旅 Part1 旅立ち、北京到着

新年好! 昨年はよく動きましたのでしばらく休養を取らせていただきましたが、年末年始は凍える大地の鉄路を求めての旅に行って参りました。驚く発見もありましたので、これより発表させていただきます。
製造67年も迎え老朽化が進み出しました老体ではございますが、身体が動ける元気な間は頑張って大好き鉄路を世界各地のどこまでも追い続けていきたいと思っております。今年もよろしくお願い申し上げます。

DSC_1241_3今年1番目のショットは火の粉を吹き上げながら向かってくる新疆ウィグル自治区の露天掘炭鉱「三道嶺」の運炭列車です。中国語では汽車を『火車』と書きますが、まさにその通りの火の玉列車です。海外鉄ちゃんの間では「花火」とも言い、インドネシアのシュガートレインが有名ですが、ナローゲージの小さな蒸気機関車です。こちらは標準軌の大型蒸気機関車ですのでスケールは比べようもなく、大輪です。
【DATA】NikonD800E、レンズ;VR28~300㎜ f/3.5-5.6G、焦点距離100㎜、AF-C、3Dトラッキング、手ブレ補正ON、露出; f5.3、シャッタースピード;1/25秒、露出モード;マニュアル、露出補正;-1.0段、ISO感度設定;6400、手持ち撮影

この驚きのシーンを動画撮影されておられた同行者がおられます。YouTuduにアップされましたので、是非にご覧ください。もっと、もっとすごいシーンが見られます。下記をクリックしてください。
http://youtu.be/ANFlnrZMoMA

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2012年 冬から春への中国鉄路一人旅  ドイツ風的蒸気機関車の撮影の旅 総集編

海外旅行では欠かせない、クレジットカードを忘れるという大失態から始まった旅でしたが、倹約を重ねて何とか手持ちの現金でやりくりしながら、O氏に自宅から送ってもらったクレジットカードを持ってきていただくまでを凌ぎました。
O氏と合流できなかった場合は、街角に這いつくばって道行く人からの施しをお願いするしかないかと覚悟しておりました。O氏様、助かりました。ありがとうございました。

44日間の人生最長の旅は、前半の「2012年冬から春への中国鉄路一人旅」と、後半の「ドイツ風的蒸気機関車の撮影の旅」になっております。まとめましたので、ご覧ください。


▲ 今回の旅では、成都から广州までと、深圳から大連までは、飛行機を利用しましたので、乗車地図では、つながっていません。

▲ 昆明のメータゲージ区間は、時刻表に記載がないので、現在調べております。分り次第に差し替えます。广州~九龍間の乗車距離は、中国鉄路区間のみです。

下記をクリックしていただきますと、内容をご覧いただけます。

【2012年冬から春への中国鉄路一人旅】

Part  1  とほほのスタート
Part  2 1891次に乗って齐齐哈尔へ
Part  3 富拉尔基(フラジル)の蒸気機関車
Part  4    国境の町、黒河(ヘイフー)へ
Part  5  国境の町、黑河(ヘイフー)のあじあ号展望車
Part  6 ( ハルピン )から鸡西(ジーシー)へ
Part  7  鶏西鉱業集団鉄路 その1
Part  8  鶏西鉱業集団鉄路 その2
Part  9  鶏西鉱業集団鉄路 その3
Part10 大地横断5,010キロ 鸡西から昆明へ
Part11 昆明のメータゲージ、 湏越(雲南)鉄道
Part12  昆明のミシェラン 雲南鉄路列車陳列館
Part13  成昆鉄路に乗って、グースの里 北碚(ベイベイ)へ
Part14  江合煤鉱鉄路 グースの里北碚(ベイベイ) その1
Part15 江合煤鉱鉄路 グースの里北碚(ベイベイ) その2
Part16 江合煤鉱鉄路 グースの里北碚(ベイベイ) その3
Part17 北碚(ベイベイ)から重慶(重庆)へ
Part18 重慶モノレール(重庆軌道交通)
Part19 重慶から芭石鉄道へ
Part20 芭石鉄道その1
Part21 芭石鉄道その2
Part22 芭石鉄道その3
Part23 簡単便利に購入できる中国国内線航空券と鉄道切符
Part24 一旦出国、再入国で大連へ
Part25 大连市電(大连軌道交通)

【ドイツ風的蒸気機関車の撮影の旅】

Part  1 瀋陽鉄道博物館(沈阳鐡路陳列館) その1
Part  2 瀋陽鉄道博物館(沈阳鐡路陳列館) その2 展示車両
Part  3 平庄炭鉱(元宝山の建設型と、平庄の上遊型)
Part  4 平庄炭鉱(元宝山の建設型と、平庄の上遊型) その2
Part  5 平庄炭鉱から阜新炭鉱へ
Part  6 阜新炭鉱(阜新煤礦鉄路)その1

Part  7 阜新炭鉱(阜新煤礦鉄路)その2
Part  8 北台製鉄所 その1
Part  9 北台製鉄所 その2
Part10 北台製鉄所 その3
Part11 錦州八角台発電所の建設型
Part12 瀋陽から天津へ、そして帰国

以上です。現在、次の中国鉄路乗車の旅も始まっております。近々にアップロード始めさせていただきますので、またご覧いただければ幸いです。

2012年春の中国鉄路の旅  Part1へ続く

 

ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part11  錦州八角台発電所の建設型

とうとう紀行記を完了投稿することなく、また次の旅に出ています。只今、大地に中心地「鄭州」からの書き込みです。2週間の予定は立てていますが、その先はいつものように未定で切符が買えた方向に向おうかと、気ままな乗り鉄旅を楽しむ予定です。

第10日目(訪中42日目) 3月31日

① ホテル 8:10(Taxi)→9:07 錦州八角台(Bus)→錦州市内’Taxi)→ホテル
②   
ホテル(Taxi)→錦州駅(Bus)→錦州南站(D9次)→瀋陽(地鉄)→中街

今日は、帰りがけの駄賃として、O氏と一緒に锦州から約40キロ先の八角台にある発電所に走る建設型の撮影に参ります。錦州市内のホテルに昨夜チェックインしましたが、約40キロの発電所までの所要時間が分りません。八角台まで行くには駅前ターミナルからの路線バスがありそうですが、駅まで行って乗り換えてとなると結構時間がかかりそうです。今日夕刻の列車で瀋陽に戻りますので、早めについておかないと撮影にさしつかえがでます。

昨日の感じではTaxiで行っても50元(約680円)前後だろうと思いましたので、ホテル前からTaxiで向かいました。広い道路を走り出しましたが、郊外に出ると左に回って迂回します。道路が混んでいるので、抜け道を行くのかと思っておりましたら、コの字型に回り道をしたのが、後でGPS通過記録で分りました。昨夜といい、この地のTaxiの運転手は、メーターは倒すが、よそ者と分ればわざと迂回をします。何とも、せこい人民ですね。おまけに、復路に乗ったトロトロ走る路線バスと比べて、所要時間は殆ど変わらずでした。


9:07、迂回を重ねて、国道と交差する踏切に到着しました。ヤードの向こうに白煙が見えました。左手前にも蒸気機関車が止まっています。
さあ踏切からヤードに入って撮影しようとしましたら、門番から大声で静止させられました。見つかったらおしまいです。仕方なく踏切を国鉄八角台方向へと通過する建設型6211号機を見送りました。
そして門番が発電所から出る車のチェックをしている間に、踏切番の部屋に行って、運行状況を聞きました。
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ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part5  平庄炭鉱から阜新炭鉱へ

今日は、337キロ先の阜新炭鉱へと向かいます。平庄駅からは9:29発昼行と、19:08発夜行の2本の列車があります。夜行は、阜新に02:02着ですが、一旦ホテルに入ってから早朝撮影に向かえば良いかなと勝手に思っていました。どちらになるのか史超さんに聞いてみましたら、列車は7時間もかかって遅いので乗りません。瀋陽から大型バスを呼んでいます。高速道路を走れば4時間以内で着きますので、昼食後に出発しますと言われました。

第4日目(訪中36日目) 3月25日
①  ホテル6:00(チャーターBus)→元宝山鉱_西駅→風水溝駅
② 風水溝駅7:40→8:58平庄装煤駅→五峰付近10:10→10:45西露天鉱
③ 
装煤駅12:40→市内13:30→13:45ホテル14:20→17:55阜新機務段
④ 阜新機務段18:15→夕食→20:00ホテル


▲ 西駅で数人を降ろしてから、橋まで連れて行かれましたが、風が強く気温も上がって来ていたので、狙ったカットにはならずでした。
7:37、通勤列車が
風水溝駅に到着しました。今日は、ヤードにセキの姿はなく、降りた大勢の職工達は迂回せずに炭鉱に直行して行きました


▲ 8:58、今日は、直ぐに平庄炭鉱装煤駅に参りましたが、機関車は1425と1017号機の2台だけです。毎日運用が違っています・
9:27五峰駅方面に移動しますと、1083号機が空車を回送して装煤駅へと向かってきました。


10:07、いつもの五峰~平庄南間の橋での撮影です。橋手前まで行きたかったのですが、皆さんのカメラ視界に入ってしまいます。多人数での撮影のデメリットです。風が強い日でした。この前後のカットは、全部風が前に吹いていて機関車を隠していました。牽引機は、1425号機です。


▲ 10:45、今日は、直ぐに西露天鉱行きです。またEL撮影かなとウンザリしていましたが、1764号機が作業車を牽引して上がってきました。これなら好し好しです。
▲ 空車のセキを牽引してELが降りていきます。ドイツ人には感激シーンなのでしょうね。

▲ 未舗装路を石炭を満載したトラックが通過するたびに、半端でない粉塵が舞います。通訳の史超さんもこれには参っていました。
踏切には、多くの注意看板が立っています。左から「火车小心=列車に注意」、左下は「紅灯停车・灭 灯停车=赤灯停車・点滅停車」、右上は「铁路道口・一停・二看・三通过=鉄道踏切・1に停車・2に確認・3に通る」、右下はZ型の変形道の様子です。真ん中下3つの看板はお分かりと思いますが、問題は「☓ ∧ 」。この標識が分かりません。どなたか教えてください


▲ 皆さんは、EL撮影に励んでおられましたが、O氏と私は一足先に露天掘を離れました。12:00、午前中の運行が終って休む1025と1764号機。この2両がズリ捨て専用でした。


▲ 平庄での最後の昼食は刀削麺でした。スープが美味しく結構いけました。ただ調理のスピードが追いつきません。
外国人が珍しいと近所からも人民が集まってきて記念撮影の連続でした。


▲ ホテルに戻って、シャワーで汚れを落としてから、大型バスに乗換えて、阜新へと向かいました。国鉄の新線建設が始まっています。沿線は、赤土のハゲ山、丘陵がおおく植林が進められていますが、数10年以上は必要ですね。


▲ 17:55、平庄から高速道路を約3時間半で夕日の阜新炭鉱機関区に到着しました。列車の半分の所要時間です。前回見つけられなかった機関区です。SY上遊型0941、0988、1210、1319号機の4両が休んでいました。12両が在籍のはずですが、みんなに会えるでしょうか・


▲ 夕食時には、明日から阜新と北台を引率していただく案内人の紹介がありました。阜新の住民だそうです。どんな撮影地を案内いただけるか楽しみです。
今日も皆さんの食欲は衰えることなく旺盛でした。  Part6  へ続く

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ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part4  平庄炭鉱(元宝山の建設型と、平庄の上遊型) その2

第3日目(訪中35日目) 3月24日

① ホテル 6:00(チャーターBus)→6:50 元宝山鉱_西駅→風水溝
②  風水溝 →9:40 平庄

夜明け前に、ロビー集合に遅れることなく全員集合。元宝山鉱の通勤列車が出発する西駅に向かいました。夜が明けだすと雲一つない青空が広がっていきます。 ただ風は、昨日同様に強そうです。
▲ 7:00、建設型8249号機が牽引する通勤混合列車が、青空の下、西駅を発車しました

▲ 7:14、直ぐにバスに乗って追っかけです。途中の駅に止まっている間に追い抜かして、昨日、回送を撮った橋に着きました。
直ぐに木材を積んだ貨車は、炭鉱内に持っていかれました.坑内で支柱等に使用されるんでしょうね。どの炭鉱でも山積みにされた木材がありました。
朝のショーが終ったので、昨日同様に平庄へと向かうのかと思っていましたら、バスは途中で止まり線路沿いを歩いて行くように指示されました。どうやらヤードに止まっていた石炭列車を国鉄駅に牽引して向かうそうです。


▲ 8:15風水溝を発車して、国鉄との連絡駅、京通線の安慶溝に向かう長編成の石炭列車。元宝山で貨物を蒸気機関車が牽引するシーンは、通常見ることはありません。ラッキーでした。


▲ 9:45平庄に戻りました。1083号機は、ドック入りです。 ヤードでは、1425号機が満載された石炭列車を連結して発車待ちでした。

▲ 11:02、五峰~平庄南の橋梁に移動して待ち受けましたが、強風が吹き荒れ寒くて待つのはみなさん大変でした。


▲ 12:04、今日は朝から正向きで客車あり、石炭列車ありで、午前中だけで4連発でした。みなさんご満悦での昼食です。バス内でなく、落ち着いての食堂です。10数種類の餃子に皿まで平らげる勢いで食べておられました。

 


▲ 13:04、昼食後は、古山二井(左上と下)と 古山三井(右上)に行きました。前回は、遠くて行けませんでしたので、どうなっているのか分かりませんでしたが、二井はズリ捨て列車が待機していましたので、それなりに活発なのかなと分かりました。一井は既に閉鎖されていました


▲ 14:25二井から三井には動きがないことが分かりましたので、装煤ヤードに戻ると、再び1425号機が石炭列車を牽引して、平庄南へと向かいました。てっきり追っかけをすると思っていましたが、彼らの関心はELです。

▲ もう、どうしようもありません。ELの運転席に乗ったり、好き放題です。午前中は満足しましたが、午後はドイツ風が強く、受け入れられません。


17:00、ズリ捨て路線が撮りたいのに、再び装煤駅ヤードで今日最後の撮影です。左は、今回のツアーの英語通訳の史超ShiChaiさん、26歳。吉林省吉林市の舒蘭で育ち、今はご両親と新京でお住いの生粋の東北っ子。留学して英語を勉強したとか、明るくハキハキしたお嬢さんでした。


▲ 早めにホテルに戻って、シャワーを浴びて汚れた身体を洗ってからの夕食タイムです。このパターンは、守って欲しいと全員の望みでした。1日過ぎるよ、マスクはいつも真っ黒になります。シャワーをすると、タオルが黒くなります。頭から黒い水が流れてきます。この地に住む人民は毎日こんなに最悪の空気を吸っています。よく我慢できると思わずにおられませんでした。   Part5  へ続く

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ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part3  平庄炭鉱(元宝山の建設型と、平庄の上遊型)

瀋陽鉄道博物館は、広大な蘇家屯機関区内にあります。敷地内に食堂車を使った食堂がありましたので、みんなでバスを降りて撮りました。


▲  蒸気機関車は、博物館にも展示してあった工建型1018号機でした。1958年製造、軸配置;0-C-0、動輪直径;1,000mm、最高速度:35km/h。1959年に撫順化学工場に配属、1989年に 蘇家屯機関区に転属され、2009年9月に引退しました。、食堂車はCA23-890666+CA23-890888の2両でした。門の前の保線のモニュメントも立派です。機関車も客車も磨かれてピカピカでしたが、案内表示は日焼けして年月が経っているように見えます。食堂車は、1両定員は48人ですから全部で96人。使用されている様子がなく、単に展示してあるだけか分かりません

瀋陽鉄道博物館の場所はこちらです。列車食堂こちらです

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ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part2 瀋陽鉄道博物館(沈阳鐡路陳列館) その2 展示車両

第1日目(訪中33日目) 3月22日

ドイツのツアーですが、我々日本人2名も入場拒否にあわず入れました。前回の時は、私とTaxiの運転手に館内案内人がピッタリと付きましたが、今回は総勢16人の団体に案内人1名です。監視が行き届かない事は明白です。できるだけ案内人に近づかず撮影に専念しました。前回途中から撮影を拒否された車両からご紹介します。

前回の訪問記はこちらをご覧ください


▲ GJ(工建型)、鉱線や入換用として、1957~1961年までに122両が製造されました。GJ型は、工建(GuoJian)の略です。


▲ SY(上遊型)満鉄のミカロ(JF6)のコピーで性能も同じです。1960~1996年まで1,769両が製造され、今も現役で数10両が地方鉄道で活躍中です。軸配置1D1、全長21,168mm、動輪直径1,370mm、1,500PS。韓国や米国にも輸出されました。韓国では901型として今なお休車扱いで店村駅に展示されています。


▲ JS(建設型)、 満鉄のミカイをベースに1957年から総数1,558台が製造され、上遊型と同様に今も現役で数10両が地方鉄道で活躍中です。軸配置1D1、全長23,053mm、動輪直径1,370mm、2,270PS。

▲ 正面にも置いてあった蒸気機関車と同じ、OJ(前進型)。今や数台がイベント用や工場専用線で働いているのみです。


EX9800(維修車)997310とあるが、種車が分かりませんが、間違いなく「大陸」号用の客車でしょう。ドアは、半円形のガラスが入っていて原型を留めていますが、改造されて、台車も換えられて、定員9名、自重42t、全長24.5mとなっています。製造は、1933年(昭和8年)満鉄鉄道工場です。

▲ GW997310(公務車)とあるが、前身は展望1等寝台車「テンイネ2」です。1936年(昭和11年)に満鉄工場で3両(?)が製造され、初めは奉天~北京間の急行列車に使われましたが、後に釜山~北京間の急行「大陸」として使われていました。豪華なダブルベットとバスタブまでついた客車で、黒河で見たあじあ号の展望1等車「テンイ8」と比べると内容的には豪華だったかも・・・。現在、北京に2両(G
W97347・GW97349)と合わせて3両が保存されています。この車両とよく似た特別車「トク2」が製造されていますが、詳しい資料がありません。鄭州世紀歓楽園に保存展示されているGW97351がそうではないかと言われています。


▲ YZ5-22436(硬座車)とあるが、前身は
鋼製三等車「ハ5」と思われます。2010年に天津地方鉄道を訪問した紀行記に掲載した客車と類似しています。

客車は他にも、YW22硬座寝台車、YZ5硬座車、 CA23(891113)食堂RW24(551436)軟座寝台車、YW25G(661613)硬座寝台車、YW25K(000001)硬座寝台車、最新のYW25T-000002硬座寝台車が展示されていました。


▲ 満鉄の貨車群です。

【ディーゼル機関車】


▲ 東方紅1型は、中国初の量産型液体式ディーゼル機関車として1966~1972年までに107両が製造されました。軸配置B-B+B-B、全長16,550mm、1,820PS、重連運用を前提とした型運転台です。1998年に退役しています。


▲ 北京3型は、1975~1991年までに358両が製造された液体式ディーゼル機関車で、1部永久重連型もありました。軸配置B-B、全長15,045mm、2,670PS、最高速度120km/h。2000年に退役しています。

▲ 東方紅3型は、東方紅1型の後継機として、1976~1988年までに268両が製造された液体式ディーゼル機関車です。1,350PSを2機装備しており、牽引両数に応じて、片方のみを使用できる特徴を持っていました。軸配置B-B、全長11,855mm、2,700PS、後期型は3,000PS、最高速度120km/h。2000年に退役しています。

ディーゼル機関車は、この他に東方紅5型、ND5型、東風4B型(DF4B)、東風5型(DF5)、東風4C型(DF4C)、東風6型(DF6)、東風7型(DF7)、最新の和階3型(HXN3)も展示されいました

【電気機関車】

▲ 電気機関車は、交流式の国産最初の韶山1型(SS1)が1両だけ展示されていました。ソ連と蜜月時代の1959年にソ連製のVL60型電気機関車をベースに製造しましたが上手くいかず、途中からソ連との対立関係に入りました。仕方なくフランスの技術を仰いで、1967年までに7台の試作車の製造を重ねました。ようやく、製造技術が確立して、1968年から量産体制に入り、1988年までに819両が製造されました。軸配置C+C、全長19,400mm、4,200kw、最高速度90km/hで、1961年に中国で初めて電化(交流25,000V、50ヘルツ)された、四川省と甘粛省を結ぶ山岳路線の宝成線宝鶏~鳳州間で使用されました
宝成線のこの区間は、敗戦国となった日本の満鉄職員が戦後徴収されて、調査設計をして建設した路線でもありました。


▲ かつて満鉄で活躍した貨車群です。


▲ 信号設備の歴史も展示されていました。

▲ レールや橋梁も今昔が展示されていました。

▲ 最新のCRH3(ICE3)も惜しげもなく展示されています。これを見たドイツ人は一言です。「コピー!」、卑下した表現でした。


▲ 前回、撮るなと言われたパネルもじっくり見てみれば、抗日戦線を表現するものではありません。目くじら立てて撮影を拒むようなものではなく、理解に苦しむところです。

撮影途中に、どこからか現れた前回の案内人が、カメラ前で阻止する姿を表現しましたが、今回はドイツ人が多数一緒です。黙って無視すると、そちらの方へ行ってしまいました。ドイツ人は、多少の阻止にもめげず、撮影を大胆なアングルからでも堂々と撮り続けます。案内人の監視はそちらに向いていきました。

ドイツ人を案内する中国人男性は、日本語の通訳でもありました。ここを案内したことはあるのか。手続きは簡単なのかと聞きますと、以前に2名と3名の2組を案内したことがある。しかし、ここは入場許可を取るのは難しい。30人以上の団体でなければ受け付けていない。
博物館の場合は入場料をとると、政府からの給料はそこでストップする。入場料収入だけでは、給与が出ないし安定しない。そのために。ここの職員は、入場料収入を求めない。だから入場者もさせないし、制限もすると言いますが、中国を知っている私としては、それだけの原因とも思えません。2~3人を案内したと言うのも、団体ならOKと矛盾する返答です。もっと違った真実があると思いますので、この通訳の発言は信憑性を欠くものと、無視してください。

▲ 夕食は久しぶりの中国料理のフルコースでしたが、やはり欧州人にとって、箸の持ち方は難しそうです。ちょっと可哀想でしたので、スプーンを取ってきて渡してやりましたが、中国人の案内人は、そんな気を使ったりせずに自分たちで、ワイワイと会食中です。日本なら即、クビですね。
まあ、この国の人民に、気配りを求めること自体無理なのも分かってはいますが・・・。

夕食後、夜行列車に乗車するために瀋陽駅に向かいました。   Part3  へ続く

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2012年冬から春への中国鉄路一人旅 Part3  富拉尔基(フラジル)の蒸気機関車

—–第4・5日目 2月22・23

6時46分、地平線の彼方からあがる朝日を見ながら行動開始です。

フラジルは、チチハルにある工業都市です。3大工場と火力発電所の4ヶ所に蒸気機関車があるらしい。しかし、どこも工場内で使用されているために、一般の目に触れることはない。見たければ許可を必要としますが、生産現場となるとまず難しい。忍び込む以外に手はないのですが、見つかれば厳罰が待っていますので、これは避けなければなりません。それでも撮りたいものは、撮りたいとの二重三重苦に矛盾が重なり、考えれば考えるほど動きが取れません。

昨日ホテルにチェックイン後、その中でも発電所の蒸気機関車は石炭輸送のため、国鉄線への専用線があって工場外郊外約7キロを走るので、撮影には問題ない。また約60両、おおよそ5,000トンものセキを牽引をするからには爆炎も期待できるだろうと、確認のためにロケハンに出かけました。

ホテル前に止まっていたTaxiに乗り込み、発電所を伝えますと料金メーターを倒さず、まず15元(約190円)の料金提示です。流しを拾えば良かったのかと思いましたが、15元なら値切る事もないかとOKを出しました。この地のTaxi、すれ違う度に見ていますと、客が乗っているのにすべて空車マークです。こんなの中国内でも見るのは初めてです。

約20分ほどで発電所の正門に到着しましたが、線路は裏側です。裏へ回れとメモ用紙に地図を書いて申しますが、さっぱり理解してくれません。丁度夕日が真っ赤に染まっていますので、撮影チャンスですが、言葉が通じないとは困ったものです。
仕方なく車を降りて歩きましたが、専用線にたどり着くころには夕闇が迫り、ロケハンは失敗に終わりました。 続きを読む

失業者二人の旅日記 初冬の大地へ Part11 白銀 その2

第11日目 12月10日  白銀2日目

今日も夜明け前に目覚めて、いつものように朝食を仕入れて出発しました。7:50白銀新站を出る357次を撮影するには、日の出の関係上、昨日行った深部銅鉱手前の丘に登らなければなりません。


8:19、朝焼けの中、白煙を吹き上げながら1470号機牽引の357次がやって来ました。白銀のハイライトです。撮り終わった後も余韻に痺れました。 続きを読む

失業者二人の旅日記  初冬の大地へ      Part10 白銀 その1

第10日目 12月9日

哈密21:04(T296次)→12:10蘭州(20分晩点)
② 蘭州12:21(チャーター車)→13:46白銀

兰州站からはトウさんがチャーターした車に乗って、高速道路を白銀に向かいました。約100キロの道のりです。中国鉄路も通ってはいますが、本線上の白銀西站は、約7キロ離れた街外れにあり、上下各7本だけが停車しています。市内には支線の白銀市站がありますが、朝に上り1本、下りは夕方に1本しか旅客列車は走っていません。所要時間も約3時間と、利用できません。


▲ 兰州は中国全土に知れた牛肉麺発祥の地で、前回に準特急先輩と美味しい麺をいただきました。左のこってりした新疆拌麺とは違って、コクがあるのに透き通ったスープは、日本人好みでもあります。麺の種類は選べますので、平麺を注文しました。トッピングは、焼き豚ならぬ焼き牛肉です

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失業者二人の旅日記  初冬の大地へ Part9 雅満蘇(牙曼苏;Yamansu)その3

皆様、明けましておめでとうございます。今年も長文の紀行記を投稿し、お読み疲れ等のご迷惑をおかけいたしておりますが、出来るだけの簡略化を目指しますので、なにとぞご勘弁を賜りたくよろしくお願い申しあげます。

第8日目 12月7日  雅満蘇2日目

もし朝に運行があるのではと7時前には起きました。隣の部屋におられるアイグリさんに昨夜の情報をお聞きしましたが、運行は決まらなかったとの残念な返事です。蒸気機関車の様子を見に行かれたO氏からも止まったままだと確認されました。

それではと、夜間撮影でもするかと三脚を持って、まだ真っ暗闇を出かけました。

夜が明けてからアイグリさんが、事務所に行かれていろいろと聞いていただきましたが、検査員の偉いさんが引き上げるまで運行はないだろうとの返事です。そして、 蒸気機関車の運転手が親しい同じウィグル人です。今日彼は、交代でハミに帰っていくので、その前に単機であれば、フョトランができるように頼んでみますが、がどうでしょうかとの提案がありました。O氏と相談しましたが、もう1日あるので、明日に期待しようとお返事しました。
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