駅のある風景  ~37枚目の写真から~ 〈11〉

ホームにて② 朝夕のラッシュ時

前回は、ホームに入線する列車と乗客の組み合わせを見ていただきました。今回は、地方の駅でも見られた、朝夕のラッシュ時の様子です。今でも、地方へ行っても、線区によっては、ラッシュ時は一定の利用があるようですが、昭和の時代のラッシュ時は、地方でも破格の賑わいがありました。今と較べると、そのあと、地方の過疎化、少子化、あるいはクルマ化が進んだことを、如実に語っている光景に思えます。18:45の西鹿児島駅、時刻からして、ちょうど仕事終わりの乗客が待つ4番ホームに、鹿児島発川内行き226レが、C61 33[鹿]が客車7両を牽いて入線する。蒸機の牽く客車編成、ホームで待つ多くの乗客、まさに昭和の時代、本線級の中核駅ならではの光景だ。いま駅は、鹿児島中央と名を改めて、川内まではJRとして残った鹿児島本線だが、いまはどの程度の輸送量なのだろうか(昭和45年)。

地方の電車区間として、大糸線の北松本駅の朝のシーン。ここには機関区があって電機の撮影のため初めて訪れた。地図を見ると駅付近には工場や学校が多く、旧型国電からも、多くの乗降が見られた(昭和45年)。ローカル線の非電化区間の一例、五能線の五所川原駅、朝のラッシュ時、ホームからこぼれ落ちそうな多くの乗客が降り立った。先には狭い跨線橋があって、列が遅々として進まない。▲▲ラッシュが一段落したあとも、上り方面に向かう乗客が降雪のなかホームに列を作っていた(昭和46年)。こちらは、超ローカル線の終点、室木線の室木。平日の朝ではなく、日曜日の朝のシーン、普段でも一日200~300人が駅の乗降数のはず、列車が到着すると、若者や家族連れまでが続々と旧型客車から降り立った。駅前を見ても、炭鉱の閉山で殺伐とした風景が続くだけ、付近でイベントでもあるのだろうか、室木線は、特定地交線の第一次廃止路線となり、昭和60年に廃止されいる(昭和46年)。

 駅のある風景  ~37枚目の写真から~ 〈11〉」への3件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員さま
    列車や車両以外の周辺風景を丹念に記録されているのにいつも感心しています。写真の一つ、五能線五所川原駅の朝ラッシュですが、4~5年前にタラコ40を撮りに行った際に見た光景と余りに違うので驚いています。この時は7時半頃到着の上下列車から降りてきたのはほぼ高校生ばかりで、通勤や用務客の姿はほんの僅かでした。車内の座席にはパラパラと空席があるような状態で、勿論立ち客はありませんでした。地方鉄道の朝は学生用と云われて久しいですが、その学生も少子化の影響で随分減って来たことがわかる光景でした。この先3セク鉄道を含め、学生利用の減少がその鉄道路線の廃止に繋がってゆくことを危惧します。

    • 1900生様
      五所川原のラッシュの思い出、聞かせてもらいました。実は私も数年前、同じ経験をしました。その日は、五所川原に泊まって、朝のラッシュ時に列車に乗ろうとしたのですが、駅に降りて来るのは、高校生ばかりで、大人の勤め人や、津軽地方を印象付ける老人もほぼ皆無でした。大人の勤め人は、すべてクルマに移行したのでしょうね。不可解なのは老人の存在です。この時代のこと、こちらもクルマ移行組なのでしょうか。

  2. 自分が生まれる10年程前の情景新日本紀行の放送年代
    王道年代のビンテージ情景風情と情緒があって良い

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