第9日目 8月4日 Purwosari 駅機関庫とソロのグデ市場
ソロはジャワ島の中心部に位置します。正式名は1745年、マタラム王国の王都がソロ(Solo)の地に移され名付けられた「スラカルタ」ですが、今もかつての名前で呼ばれています。
1749年には王位継承争いが勃発、王都はスラカルタとジョグジャカルタに分裂して、王宮が2つ存在する結果となりました。宮廷文化が残る古都で訪れる観光客も多いそうですが、私はそういったものには関心がありません。日頃家事をしていますので、関心があるのは庶民の暮らしです。暮らしを分かるには市場に行って食材を見るのが一番です。
今日は、タクシマド製糖工場へ行かれるO氏とMさんを見送ってから、アリフさんに知っておられる『ペチャ』を予約していました。
ところが約束の時間になっても来ません。これが『ゴム時間』なのでしょうが、午後からはジャカルタに戻るフライトがありますので、時間を取られるのは困ります。ホテルのお姉さんに頼んでアリフさんに電話をしてもらいました。約40分も遅れての出発でした。
▲ 今日の午前中の軌跡です。
まずはPurwosari 駅の機関区を見てみたいと向かいました。
朝の温度は20℃、とてもすがすがしく、こんな時に乗るペチャは最高です。
ホテルからは、地道をゆっくりと走り、約4キロ強を約20分で到着しました。
まずは切符売り場で切符の購入です。
乗りもしないのになぜかと申しますと、機関区に行くには駅構内に入らなければなりません。
機関区見学はタダでは入らせてはもらえず、入場券を必要としますが、そんなものは売っていません。
代わりに20,000ルピア(約200円)の区間切符を私と案内人の運転手、2枚を購入しろと、アリフさんかお聞きしました。
改札口で検札印をいただき、ようやく入場しました。
▲ 8:59、DC4連が通過していきました。チェプーへ行く時に乗車した同じタイプですね。
▲ 9:00、すぐにSoloBatapan方面行きの9両編成の客車列車も来ましたが、これも通過です。
さて、機関区はどこかと探しますが、それらしい所の臭いを感じられません。案内人のペチャの運転手君に聞きますが、英語は分からず、身ぶり手ぶりで意思疎通を図ろうしますが理解してもらえません。
運転手は携帯電話を持っていましたので、アリフさんに電話をして通訳してもらいました。
機関区は貨物倉庫の奥にあるとのことで行ってみますと、それらしい建物が見えます。
ただ入口は施錠されていましたので、近くにおられた職員の方にお願いして、カギを開けていただき入りました。
▲ 9:11、機関区と言っても各種の機関車等が休んでいる車庫でした。市内線を走るC12-18号機は客車2両を牽引した姿で格納されていました。
▲ 車庫外と車庫内にはプラッサー&トイラー (Plasser & Theurer)製の保線用車両がありました。マルチプルタイタンパーかな・・・。車庫外、09-16CAY型。車庫内は、7-16G型です。
奥の方には北陸重機工業(株)製のモーターカーがありました。
▲ マルチプルタイタンパー車とセットで使用されるのでしょうか、白い北陸重機工業(株)製のモーターカー1台もありました。
▲ 車庫内の壁面に2013年4月改定の時刻表がガムテープでとめてありました。赤枠をしましたのが、当駅発着時刻表です。1本が線が引かれていますので、休止になったと思われますが、19本が発着しているようです。
▲ 9:28、駅に戻ると、DC6両編成が入線してきましたが徐行したまま停車せずに行ってしまいました。
時刻表を見ましても次の列車は10:21の到着です。
駅構内では、切符を買い求める方の列ができ始まりました。
▲ 再びペチャに乗って市場を目指します。食料品市場をお願いしましたら、大通りのロータリーに建つ独立戦争の勝利の兵士像を左に曲がったグデ市場に案内してくださいました。約5キロ・約20分、9:52の到着でした。
▲▼ 入場して正面は果物売り場です。もっともスペースをとっているのは、みかん等の柑橘系で、意外でした。
勿論、熱帯の果実が並びます。バナナ、スイカ、メロン、ハミウリ、パパイヤ、ドラゴンフルーツ、ブドウ、トゲバンレイシ、リンゴ、ドリアン、マンゴー等々、水水しい美味しそうな果実たちです。
▲▼ 入口から少し入ると野菜売り場です。玉ねぎ、人参、トマト、キュウリ、白菜、大根、ジャガイモ、インゲン、ニラ、レタス、カリフラワー、唐辛子類の香辛料系野菜等々、写真の真ん中はヤングコーンでしょうか、どれも日本のスーパーに並ぶものと変わりはありません。
▲ 奥に入って中2階に上がりますと魚売り場です。捕りたての新鮮な魚が並べられています。魚料理は大好きですが、熱帯の地で捕れる魚の名前は分かりません。
青魚、白身魚が多く、マグロのような大型魚はありません。魚屋さんでの売る前の下調理はウロコをかいておられます。ウロコを掻くのは、衛生面での意味がありますので、魚をさばく最低必要事項は守られています。
ただ日本のように刺身で食する習慣はないようで、3枚卸しで並べられているものは見かけられませんでした。
エビは、ブラックタイーガーやバナナエビが、そのまま並べられていたり、皮をむいて売っています。ムキ海老に励む店もありました。しかし、不思議と貝類はありませんでした。あまり食する習慣がないのかも・・・。
▲ 同じく中2階に肉屋さんがありました。インドネシアの88%はイスラム教徒だと言われています。
「イスラム教徒は、“ハラールフード”というイスラム教のルールで、許可されたものしか食べることができません。豚肉は食べてはいけませんし、鶏肉や牛肉など動物の肉でもイスラム教のルールに従って屠殺した肉しか食べることができません。」だ、そうです。
食に対するルールは厳格に決まられていますので、豚肉はないだろうと思いましたが、一応ありました。
鶏肉は、別途1階でも並べられていました。大きなブロイラー種はなく、中身が詰まった小型の地鶏です。スープにすると絶品の出汁が出ますし、焼き鳥にしましても日本では味あえないしっかりとした歯ごたえがあります。
▲ ホテルへの帰路は、路地を行きます。時折、屋台が見受けられました。昼間の飲食が禁じられていますイスラム教徒です。買う人などいないと思っていましたが、結構買っています。日没後に食べられるんでしょうね。 10:46、帰りは約25分のホテル到着でした。
ジャカルタへのフライトは、14:15発の15:30着。簡単ですが一応機内軽食も出ました。
これでO氏に企画していただきました2013年インドネシアSL撮影の旅も無事終了です。ご一緒させていただきました皆様方、お世話になりましてありがとうございました。
O氏とMさんはこの日のANA便で帰国の途につかれましたが、一方の私は翌日のJAL便で帰国です。と、言いますのもJALとANAではこの日のフライトに限り、チケット代になぜか大きな開きがありました。
それなら、もう一泊してジャカルタ近郊の国電の乗り鉄旅も良いかなと、一人残ることにしました。
前回乗れなかった国電乗り鉄一人旅です。日本から譲渡された電車がたくさんいます。
残念ながら関西からの電車はありませんが、明日はそれなりに楽しもうと、ダニに噛まれた傷を掻きながらの辛い就寝でした。
Part17へ続く