記事の前に、本来は総本家青信号特派員書き出しの記事ですが、ご都合で当日は地元におられません。代わって、原住民の私が開業当日の様子をご報告させていただきます。
12月21日、周辺の住民から開業が待たれていた「西山天王山駅」が開業なりました。開業式典が開催される時刻近くに行ってみますと、開業イベント「おもてなし物産展」も開催されてまして、びっくりするほどの人出です。
そもそもこの駅は、京都府住宅供給公社が、昭和41(1966)年に竹藪茂る天王山山麓を切り開いて建設した円明寺団地の前に走る阪急京都線に設置される予定でした。私がまだ高校生だった頃の47年も前の事です。
人口約8,000人の新しい街ができましたが、将来近いうちにできるであろう目の前の駅は、阪急電鉄は自社の不動産部門が開発したのではない、また費用対効果がないとの理由で設置を拒み続けました。
かといって、総人口約16,000人の大山崎町では住民の約半数が住む地であっても、建設負担金捻出は無理です。将来の利便性も考えて住宅購入されていた方々の中には、騙されたとの絶望感がありました。
長い間封印されてきた夢でしたが、夢が開いたのは高速道路の開業でした。名神高速道路と京都丹波路を結ぶ京都縦貫道の建設に伴うルートとして、長岡京市西山をトンネルでぶち抜くことが決まり阪急電鉄京都線をオーバークロスすることになりました。そして、迷惑料?として高架下の使用が許可されて、所在地のある長岡京市により新駅建設が計画されました。大山崎町とは違って歳入予算が約5倍の長岡京市です。建設費歳出も問題なく、約20億円かかる費用も阪急と折半で折り合いがつきました。
出来上がった駅には改札口が2ケ所もあります。新設駅としては異例です。
ホーム大山崎方向には総本家青信号特派員さんご紹介のとおり、両側が桜の並木になっています。来年4月には鉄ちゃんが群がることでしょうね。
この西山天王山駅のウリは高速道路を走るバスと鉄道が融合したネットワークです。また、淀川対岸の京阪淀駅とも結ばれました。
まだ試験的な意味合いもあろうかと思いますが、東京・信州・丹波路へと電車から乗り換えて行く事ができます。今までこういった例は淡路島・四国に向かう舞子駅がありますが、多方面となると最初かも・・。今後の利用客実績によっては便数も増えるそうです。
西山天王山駅のもっと詳しい紹介については、阪急電鉄はこちらへ、長岡京市はこちらへ。
▲ 高速道路のバス停までは改札口を出てから駅前にあるエレベータで上に向かいます。我々鉄ちゃんとしては俯瞰して阪急電車が撮れるかどうかですが、上り下りともガラスの前に金網が設置されていますので、コンデジの直径の細いレンズでないと抜けません。
▲ 販売していた開業記念入場券450円です。一応高速道路・路線バスと阪急電車を立体的に取り扱った仕様です。
開業が待たれて、多くの期待を掛けられた西山天王山駅です。地元民として愛され利用客が多くなれと祈るばかりです。
老人も新駅拝見に参りました。先に紹介しました折に述べましたが、京阪淀駅との連絡がどうなのか、それが気がかりになっていたのです。その昔、山崎橋があったそうで、大山崎駅近くから橋本に渡れたそうですが、洪水で流され復旧されることなしでした。戦後も「橋本の渡し(正確には山崎の渡し)」と言って、大水の時は一服となったそうですが和船が行き交いしていたそうです。話に聞くだけで見たのは長岡町で、調子のバス停近くで「山崎の渡し」と掘り込まれた石碑を見ただけです。橋本は地名や駅で名高いのではなく遊郭があり、大阪落語で出てまいります。さて京阪との連絡は三川合流地点から上流に宮前橋が出来たあと 新京阪バス時代に設定されたと聞いております。橋の左岸はその昔の淀港であった納所で、対岸の地名は水垂といいます。橋の名前からして石清水八幡宮の門前橋であることが分かります。
西山天王山駅から90系統のバス路線が設定され、阪急、京阪バスが協同運行となりました。平日は朝夕混雑時は30分毎、昼間60分毎となっています。土休日は60分毎です。運賃は阪急、京阪連絡は200円、JR、京阪連絡は220円となります。運賃の支払い方法は阪急、京阪で異なりますから、その流儀に従います。
その昔、京阪電鉄は大阪市内から淀川西(右)岸での延長線を目論見ました。得た特許は山崎から淀へルートでした。阪急バスに乗って宮前橋を渡る時に、このあたりに電車が走ったのかもしれないのかと思いました。バスは設定12分でしたが、たいした渋滞なしで13分所用でした。この日は満員の乗車でしたが、正月、競馬の日を除けばどうなるのか、京阪沿線に行くときは必ず利用するようにしようと誓いました。
乙訓の老人様、コメントをいただきまして、ありがとうございます。山崎の渡しは、昔によく乗りました。お正月の初詣は石清水八幡宮に行くのが毎年の我が家の恒例行事でした。山崎駅で降りて淀川の堤防を越えて川岸に参りますと、手漕ぎ船が横付けされていてまず中州まで乗り、八幡宮側へは乗り換えて着きました。利用客は結構おられました。幼き頃に家族で一緒に行動した思い出の1つでした。
京阪淀駅へのバスは、利用価値がありますね。私も京阪沿線に行く時は利用したいと思っています。
老人のお膝元で情けないことがありました。12/20まで向日町郵便局ーJR長岡京間の阪急バスは一日9便(これで阪急ではなく田舎バスと言われるようになりました)あったものが新駅開業に沸いている間に7便になっておりました。これでは阪急田園バスではなく過疎バスと言わねばなりません。老人が向日町に居を構えた1967年と同じぐらいの便数です。人口は倍になり、交通人口も増えている中でどうした事でしょう。自家用車の増加もあるのでしょうが、人口増は老齢化をもたらし、地域交通機関の充実が望まれているのです。我が向日市は老人達の要望に背を向けています。隣の長岡京市、運行形式は午前と午後は異なりますが「はっぴいバス」と名付けられた市民バスが走っております。市境に住む老人は月1度の病院通いに利用しております。
老人や障害者はバスを待っています。これ以上減らさないでください。