▲ 着いた太麻里站の玄関口下を見ますと、埋め込まれている站の銘板がありました。街を歩くとよくマンホールの蓋にその土地の名産や特色をあしらったデザインマンホールを見受けられます。でもこれはマンホール蓋でもなさそうです。これは何なのでしょうね。
1988年1月1日の開業時に設置されたものと思われますが、なぜに地面にどうしてこの位置が選ばれたのでしょうね。
太麻里站は、“迎接千禧年第一道曙光” と、言われるように台湾本島で最初の日の出が見られる站です。
ここに来ますと、高雄で迎えた朝とは違っての思いっきりの快晴でした。南下して太平洋側に来ますと、天候は一転するのですね。暖かくにもなってきました。準特急さんはTシャツ姿で撮影に挑まれます。我々軍団では1番の年長者ですが、時間のある時には東海道走破を目指して行軍を続けておられる1番元気な老斗儿でもあります。
第5日目 1月12日 その1
① 高雄6:40(莒光號701)→9:32太麻里
5:30 目覚めてホテルの窓から見た今日の空模様はどんよりした重い雲が立ち込めていて今にも雨が降りそうです。訪台以来最悪の空模様の朝を迎えました。
今日の撮影はしんどいだろうなと思いながら高雄站ホームに立ちます。
乗車する莒光號を牽引するのはR136号機。まだ暗い中を入線してきました。
【 R100型ディーゼル機関車 】
莒光號の運行が開始された1970年に米国GM社より39両が輸入投入されました。動輪配置はA1A-A1A、出力1650HP、最高速度100km/h で客貨両用に使用されています。
▲ 乗車した6号車は、1979年 唐榮(現;台湾車両)製のFP10009客車です。旧型車両とはいえ、JRグリーン車並みの設備で快適です。
左は、5号車のSP32992客車。
台鐡の客車は、増備が繰り返され、また改造車もあって多種多様です。
同じ形式でも1両1両が少しずつ違いがあるそうで、客車マニアにはたまらないそうです。
701次は、ほぼ7割方の乗車率、夜明けの鉄路を南下します。
▲ ホテルを出る時にランチボックスを渡されました。
中はご覧のとおり、サンドイッチ、バナナ、お菓子類や暖かいコンソメスープも入っています。こんなサービズをしていただけるホテルは、今まで泊まったことがありません。高雄の京城大飯店は、お奨めできますね。
7:04 屏東手前で、日の出を迎えました。
▲ 高雄から屏東線・南迴線を走行して、台湾本島南部をぐるりと回って太麻里へと向かっています。
【 屏東線 】 高雄~枋寮 61.3キロは、1941年12月15日に全線開通。高雄~屏東は複線電化、屏東~枋寮は単線未電化です。
【 南迴線 】 枋寮~台東 98.2キロは、中央山脈を貫き険しく曲線が連続する区間でした。工事は難航を極めて、1992年10月5日にようやく全線開通。これにより台湾を一周する鉄路がつながりました。
トンネル区間は、台鐡では最長2番目の中央トンネル8,070mを筆頭に35本(38.9キロ)が掘削されて、全線の約40%を占めます。単線未電化です。ちなみに枋山~古莊の駅間距離は26.9キロもあり、台鐡最長駅間になっています。1日上下各1本しか停車しない枋山站は、台鐡最南端の駅として有名です。
▲ 8:09 少し遅れて枋寮を発車しました。ヤードを見ますと1日1往復となってしまった旧型客車の3両編成がありました。
▲ 8:11 車窓左手には、逆光を受けての山々が墨絵調になって綺麗に見えています。これから向かう太麻里方向へは険しい山々が立ちはだかります。列車は果樹園が広がる中を走行していきます。
▲ 8:19 南下を続けていた列車はここで左、東方向に進路を変えて上り勾配を上がって行きます。
▲ 8:46、列車は山間のいくつものトンネルを抜けて大武に到着しました。ここで対向列車との交換と後方からの追い抜き列車待ちのために約7分間の停車です。反対ホームで待つのは台東発台中行の莒光號752次です。
▲ 8:53 台南発花蓮行の自強號301次が追い抜き通過していきます。DR2800系(3両ユニット×3本)の9両編成です。
【 DR2800系 】
花東線改軌による東部幹線開通に合わせて自強號用として45両が、1982年から投入されました。台鐡DCとしては初めての空気バネ台車を採用しています。
2M1Tの3両編成が1ユニットで、東急車両製です。両端車の出力は310HP、中間付随車は270HPの冷房用エンジンを搭載して、最高速度は110km/hです。繁忙期には15両編成で運行しているそうです。
▲ 他の乗客の皆さんもホームに降りておられる中、再びトンネルに突入していきました。
▲ 8:59 車窓から見える太平洋は左側から右側に変わり、列車は快走して行きます。晴れていた空ですがご覧のように暗雲が立ち込めてきました。歓迎できません。
▲ 9:16 金崙に到着。対向列車との交換待ちです。ここで多くの乗客が降りていかれましたので一緒にホームに降りてみます。この駅から約3キロに日本統治時代に当地へ赴任した日本人警察官によって開かれたと言われている温泉があるそうで、皆さんは湯治に向かわれるようです。台湾の達人、片倉さんのレポートはこちらへ。
▲ 9:24 花蓮発新左營行きの自強號304次が通過していきます。DR3100系(3両ユニット×3本)の6両編成です。
【 DR3100系 】
1994年以降、台鐡の乗客数が急増してEL他増備車が必要とされました。東部幹線の増強用として1998年に投入されたのがDR3100系です。今までは東急・日立で製造されてきましたが、今回は日本車両となり車体を日本車両、動力関係を日立が行いました。プロトタイプ1編成(2M1T)を日本で製造し、以降は台湾車両で現地製造されています。
性能はDR3000系に準じていますが前面デザイン変更、プラグドア採用、2ドア化が行われ今までの外観とは違っています。30両が投入されました。
両端車の出力は310HP、中間付随車は270HPの冷房用エンジンを搭載して、最高速度は110km/hです。
▲ 9:38 約3時間強の莒光號乗車の旅を終えて、太麻里に到着しました。駅本屋側ホームの待機線にはズラリと旧型客車が留置されています。
▲ 站を出ますと、あれほど暗雲立ち込めていた空はすっかりと晴れた台湾晴れでした。
そして団長さんは後方の山を指さして「見えているあの白い建物辺りまで行って俯瞰撮影をしたいと思っている。上がるには、こ1時間はかかるかな。」と、申されます。
私は、「私の足では、とても無理です。下で撮ります。」と、申しましたが・・・。(続く)
Part12へ続く
南廻線の路線図を見ますと、開業20年少々なのに、数駅廃止になっていますね。木方山もそろそろ危ないのではないでしょうか?天気が良い日に、お早目の訪問がよろしいかと思います。一昨年、準特急様とこの駅から普快に乗車したときは、我々だけでした。
クモハ73106東ウラ様、コメントをいただきまして、ありがとうございます。
南廻線は確かに廃駅が続いていますね。乗っていても沿線の駅は人が生活をされている海岸線等とは違って上がった山間に位置しています。これなら住民が利用するには大変です。おのずと道路に走るバスになってしまうのは容易に分かります。存続が危なくなっているのは仕方ないのかもしれません。ローカル駅は大好きですので次回に寄ってみます。情報をありがとうございました。
老斗儿準特急です。最近はそれほど元気はありません。精々デジ青にコメントを出させてもらう程度です。太麻里もクモハ73106東ウラ団長について今回で2回目、昨年はデカンショ、ブギウギ台湾大好き組と行きましたので、これで3回目です。昔はキハ82の白鳥や北海道特急等で長編成ディーゼル特急をよく見かけましたが、非電化単線で海をバックに撮れる日本イメージのディーゼル特急の走る所は台湾のこのあたりだけになりましたね。それとランチボックスですが、花蓮駅前の鉄宿青葉緑地飯店も言えばいつも用意してくれました。
老斗儿はピッタリ表現かなと思って入れさせていただきました。私もこれからは老斗儿と呼ばれるようになりたいと思っておりますが、無理かな・・・。
ランチボックスは他にもお出ししていただけるホテルがありましたか・・。青葉緑地飯店は先日泊まった宿ですね。これなら他の宿でも頼めば用意してくれそうですね。次回には頼んでみます。
また、次回はデカンショ、ブギウギさん達とも一緒に行ってみたいですね。楽しみにしています。