第2日目 8月3日 その2
11:00 明朝ジャカルタのコアからソロへ、そして明後日に本隊と合流するソロからスラビアまでのきっぷが手に入りましたので、これでツアー本隊と合流できると一安心です。インドネシア国電の乗り鉄旅をすることができます。前回乗っていないタンジュン・プリオクとボゴールまでを乗り鉄することにしました。
▲ ガンビア駅南側コンコースです。こちらの存在は今回初めて知りました。
▲ 東側出口を出ますとタクシー乗り場です。国電に乗り換えできない駅ですので多くのタクシーが客待ちしています。
▲ こちらのコンコースに掲示してあったガンビア駅唯一の発車時刻表です。5:00~22:15に1日34本の長距離列車があります.]
▲ こちらはジャカルタにもう一つある長距離列車の始発駅パサール・スネン(Pasar Senen)駅の発車時刻表です。4:45~23:00に1日26本が運行しています。この駅には今回行きませんでしたがガンビア同様に国電は停車しないのでしょうか。
11:34 コタに向かいますが、来る国電は205系ばかりです。
▲ 11:54 ラッシュを過ぎた車内ですのでガラガラ状態ですが目立ったのはおそうじおじさんたちです。モップをもって床掃除を始終続けておられます。おかげで床はいつもピカピカです。見事でした。
▲ 12:11 小腹が空いてきました。
着いたコア駅の7-Elevenでちょっと変わったホットボックを見つけましたのでゲットしました。
パンを切って具材を入れるのはのは手作業で同じですが、具材のソーセージが違っています。回教徒社会では豚肉は禁止されているので、なんか違っています。プッチン感の歯ごたえがありません。
いつもの食感とは違っています。
▲ 12:31 大勢の客が乗車に向かわれる列車が入線していました。客車列車が発車するのは1日数回しかありません。列車は荷物車を両端に8両の3等車(エコノミー車)を挟んだ10両編成です。終着はどこなのか表示板がありませんので分りませんが国電区間を走り抜けていくのでしょうね。
▲ 12:39 先の編成が発車した後、すぐに入線してきた優等列車。回送のようでスイッチバックして車庫に向かいました。牽引機はCC206型機、客貨共用機として約100両が在籍する主力機です。
▲ 12:42 4番線に到着したのは、環状線のカンプン・バンダン(Kampung Bandan)からの1駅間だけの接続電車です。
毎日10数往復が運行されているそうです。
使用されているのは電装品はボンバルディア製を使って2010年から自国 PT Industri Kereta Api INKAで製造されたKfW形電車です。
INKAは貨車から電気機関車・ディーゼル機関車まで製造する鉄道車両で、東南アジア諸国に輸出までしています。
ただ、この電車もそうですが乗ってみますと内装はかなり荒っぽい造りです。
▲ 12:50 9番線にも同じ4両編成のKfW形が入線してきました、これがタンジュン・プリオク(TanjungPriuk)往復の電車です。
▲ 振り返って見るとコンコース中央に掲示横断幕がありました。この路線はバタヴィアの玄関口であったタンジュン・プリオク港から1914年に建設され、ここからジャワ島各地へと人・物が運ばれましたが、役目を終えたのか、1989年頃?以降旅客扱いが休止されていました。それが昨年12月21日に、コアまでの約8.1㌔の区間運転がどうしたことか26年ぶり再開になりました。
タンジュン・プリオクへの運行は当初3往復でしたが、利用客が多かったのか2016年6月25日より増発されたとの公告です。1日6往復の時刻表が記載されています。
次の発車は13:05で、13:25着です。約8.1㌔を所要時間20分で運行されています。乗車することにしました。
【 撮影禁止の注意を受ける 】
電車は、ジャカルタ・コタを出るとコタの客車区の北側に広がる不法占拠スラムの更に北側の線路を走り、カンプン・バンダン⇒アンチョール⇒タンジュン・プリオクと走ります。冠水したスラム住居が並ぶ中を複線で走行していきます。
車内から光景を撮っていましたら、警備のため同乗している公安員が来て「写真を撮らないでください。」と、注意されました。インドネシア鉄道で撮影禁止を聞くのは初めてです。勿論車内には撮影禁止の注意書きはありません。どうしてなのでしょうか?不法占拠スラムがあるので恥ずかしく公表したくない、撮影して欲しくないとのどこかの北の国の対応のようでもあります。
▲ 13:25 定刻にタンジュン・プリオクに着きましたが、この写真を撮った直後に先ほどの公安官が来て「ここも撮影禁止です。」と注意を受けましたので撮影を中止しました。ここは撮られても恥ずかしくない駅構内です。一体どうしてなのでしょうね。
1941年に建造された大きなドームになった駅は当時の繁栄を物語っています。
▲ コンコース内のきっぷ販売窓口です。ここにも1日6往復の時刻表が掲示されています。
▲ タンジュン・プリオク駅正面です。駅前は直ぐに道路になっていて広くはなく、ミニバスが客待ちをしているのと果物売りの屋台が1つあるだけでした。かつては船からの荷物を担いで列車に乗り込む人々が往来していたのでしょうね。
▲ 13:55 当初は港町を散策しても良いかなと思っていましたが殺風景な様子でしたので、折り返し電車に乗って戻りです。復路の車内も往路と同様の乗車客数です。わずかですが利用客はいるようです。
▲ 14:15 定刻にコア駅到着。電車はまた直ぐの再折り返しとなります。
▲ 14:50 10番ホームからは中央線のマンガライから分岐してブカシ(Bekasi)へ向かう国電(205系)と11番線にも国電(元東急)が発車待ちです。先発する元東急に乗車してマンガライを目指しました。
▲ 15:16 環状線と中央線、ブカシ線が平面交差するマンガライに到着。阪急でいえば淡路のようなネックする駅ですがご覧のように地下道や跨線橋はなく乗降客も渡り通路で平面交差する駅です。おまけにホームはかさ上げしていなく階段式ホームです。ジャカルタの国電駅では電車の運行、利用客の乗降についても最も混雑する駅なのかもしれません。一旦降りて様子を見てみることにしました。
▲ ここでもJR205系、東急、東京メトロの車両たちがひっきりなしに発着していきます。私には馴染みのない車両たちですが、今まで乗ってこられた方にはこたえられないでしょうね。
▲ 16:40 途中からは田園地帯を走りながらボゴールに到着です。インドネシアで初めて鉄道が開通したのは1867年8月10日、スマラン~タングン約25キロでした。しかし、ゲージは標準(1,435㎜)であったために工費に膨大な費用がかかり、不採算になりました。
そのため以降のゲージは狭軌(1,067㎜)が採用されることが多くなり、狭軌鉄道が最初に開通したのは、今回乗車したジャカルタからボゴールまでの路線でした。マンガライからは、44.9㌔、所要時間は1時間6分です。
▲ 古い駅舎が見られると思ってきましたが、屋根がある駅舎は正面が閉鎖されて1部のホールが開業当初からを見られるにとどまりました。
▲ 古い駅舎側に出入り口はなく、反対側に屋根付きのコンコース・改札口・切符売り場が設置されていました。ご覧の通り多くの利用客で混雑しています。
[googlemap lat=”-6.596111″ lng=”106.790525″ align=”left” width=”300px” height=”150px” zoom=”4″ type=”G_NORMAL_MAP”]-6.596111,106.790525[/googlemap]▲ 改札口を出て街歩きを少ししてました。ボゴールからバンドンに向けて鉄路はありますが、横断する道路には柵と門が設置されています。踏切の横断遮断機は設置されていましたので、列車が走る時間には門が開いて遮断機が下りるのでしょうね。
▲ 17:30 ボゴールには多くのホームが設置されています。左側6・7番線は環状線に向かう電車のホーム、私が戻るコアへは屋根のある右側の2番ホームの3番線から発車します。発車時間は全く分りませんがベンチで座って待つことにしました。
17:32 コアからの折り返す電車が入線してきましたのでこれで戻ります。
発車後は直ぐに夕闇になってしまったのでウトウトになりました。気が付いたのは、コアに着いた19:22。所要時間は約1時間40分と結構かかったのですね。
▲ 19:37 夕食は駅の7-Elevenにおにぎりが売っていましたので2個買いましてホテルに戻りました。今日は時間を要しましたがコタ⇒ソロ⇒スラバヤのきっぷが買えました。未乗車区間のジャカルタ国電にも乗車できましたので、まあまあ予定通りに行きました。
明日は朝からソロに向かいます。インドネシア国鉄は以前に乗車していますが昼間に車窓が見える間に乗るのは初めてです。どんな車窓が見られるか期待しての就寝でした。 Part 5へ続く
前回、2013年のインドネシア国電乗り鉄はこちらです。ご参考にしてください。