デジ青でテレワーク

昨今のコロナ騒ぎで折角の季節に外出もままならず、在職中の方々は加えて仕事に対する不安など、更に心配の多い日々を過ごしておられることと思います。
クローバー会の4月、5月のイベントも中止となりましたが、会員の皆様の繋がりを保つためにも、デジ青を活用していただければと思います。いわばデジ青でテレワーク、今まで閲覧だけで投稿、コメントなどされていない方もこの機会に参加されればいかがでしょうか?投稿にはIDが必要ですが、クローバー会会員であればすぐに発行できますので事務局までお申し出ください。また、コメントは誰でも入れることができます。近況報告、地元のニュース等、身近な話題で結構です。どんどん投稿やコメントを入れて頂き、外での活動の出来ない分、デジ青で盛り上がりましょう。デジ青のサイトが昔のBOXです。よろしくお願いいたします。      ↑ 昨年4月撮影:近江鉄道多賀線の「あかね号」

水上勉著『停車場有情』

7月7日の『阪急1301系』の投稿欄にマルーン氏から『水上勉の「停車場有情」という作品を読んだ。こんな作品があったのか、と感銘をうけた』と記されていた。

早速、図書館へ貸出を申し込んだが、古いという理由で時間がかかったものの府立図書館から取り寄せてくれた。
ページを開けてみたが独特の筆致に引き込まれ,一気に読破した。

水上勉が福井県の人だと言うことは知っていたが、あのモノトーンの何とも言えない押し殺したような作風から、北の、それも能登に近い鉛色の海をいただく越前地方の出身だと勝手に思い込んでいた。しかし今回、小浜線の若狭本郷の出だと知った。大正8年に生まれて、9才の時京都の寺に修行に出たが、預けられたのが我が家に近い八条坊城であったのには驚き、しかし、親しみを感じた。

初めて京都の地を踏んだのが旧丹波口駅。そこから歩いて大宮通を下がり、大宮陸橋の下をくぐって八条坊城へ向かったとある。いずれも私の生活圏なので、時代が違えば顔を合わせたかもしれないと思った。

書かれている駅の数は28駅、ほとんどが北陸本線、小浜線、山陰本線だが中には満鉄もある。大正年代から湖西線の駅まで出ているからかなりの年月をかけた記録である。面白いのは駅周辺を描写した箇所と音の描写であった。さすが文豪である。行間に閉じ込められたその時代の空気感まで呼び覚まされる。鉄道ファンでなければ記憶しないことまでさらりと書いてあった。

蒸気機関車の旅が当たり前であった頃をよく知っているものにはなつかしい作品である。

イチローついに引退

あまり野球に興味の無い私でもイチローの名は肝に染み込んでいます。
常に謙虚で、ひたすら我が道を追求する姿には比叡山の千日修行を経た大阿闍梨にも似た気高さを感じます。
最後の瞬間まで超一流であり続けたのには感銘しました。開幕戦で見せたライトから三塁へのレーザービームはとても引退とはつながりません。でも求道者であるご本人には打撃不振が我慢ならなかったのでしょうか。
歌手で言えば、古くは『藤山一郎』『美空ひばり』『三波春夫』ぐらいでしょう。引退まで声量・音程ともに落ちなかったように思います。相撲なら『双葉山』に尽きます。力量・精神力はもとより教養も高く、引退時の見極めもすばらしかった。

さて、こう考えていると『鉄道』では何が超一流だったのか?と考えました。

特急でいえばなんでしょうか?
引退まで超一流であり続けた特急は何でしょうか?
長い歴史があるだけではダメです。生涯を常に幹線のみで活躍して、地方へは都落ちせずに廃止された特急。だれが見てもその時代を代表する特急。
『つばめ』と言いたいが九州で地方巡業している。
『はと』はどうだろうか?
『あさかぜ』なども超一流の人生を送ったのでは?

機関車では何が超一流に値するでしょうか?
頭に浮かぶのは『C53』ですが、これは3気筒という機構が使いにくく、地方線区には向かなかったと聞く。『C62』も出自に問題があります。D52からの改造ともいえて、終盤には軸重を軽減して北海道へ転封させられています。
私は『C59』を機関車のイチローとしたいですね。

他にも電車では?私鉄では?気動車では?など切り取り次第ではいろいろなジャンルで『イチロー』が認定できるのではないでしょうか?

ここで述べた基準と候補は私の個人的好みです。基準を含めて皆様の『イチロー』を認定してみませんか?

 

Nゲージ運転会の開催

先日、吉野で「OB会員がEVEに乱入予定!」との烽火をあげました。
でも「持ち込んだ車両が走らない」では、元模型班の沽券に係わる(ちょっと大袈裟ですかね。しかし最低限のエチケットではあります)ので、事前の運転会を開催します。
会場は、6線のエンドレスで同時運転が可能です。
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目的:Nゲージの運転会
(車両の整備状況確認と、OB会員の親睦)
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日時:10月4日(火曜) 13時~16時
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場所:「三光堂」京都市下京区梅小路東中町42
(八条通りと御前通りの交差点、北東角です)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/sankoudo/index.html
運転会場 (三光堂模型店に隣接する南側の家屋)

運転会場 (三光堂模型店に隣接する南側の家屋)

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木次線に乗ろう!!

ぶんしゅう氏の木次線レポートを見るに付けても行きたくなりました!
三江線と木次線、どちらも似た運命をたどりそうで、心配しております。三段スイッチバックも延命水も有るうちが花!
三江線旅行と同じように乗って残そうを実行しませんか?
木次線の話が出ると、時々投稿してくださる「おろち」さん、現地に在住の方と思いますが、ぜひともお目にかかってお話がしたいのです。
http://ameblo.jp/c56108/entry-12142086571.html

木次駅のはずれの跨線橋も金網が張られて撮影出来なくなるとか、会長様、ご一考下さい。

《提案》583系の写真、共同掲載の呼びかけ

このたび、583系が秋田→大阪(4/26~27)、大阪→海浜幕張(4/28~29)と運行されました。
関西および関東のクローバー会々員の方々が、この列車を撮影されています。
そこで各自が撮った写真を集め、一つの投稿にしたいと考えました。

ご賛同いただける方は、デジ青の「メディアライブラリ」へ写真を登録してください。そして、鉄鈍爺宛に「こんな写真を登録した」と、メールをください。

未だデジ青へ投稿したことが無い人は、「こんな写真がある」と、鉄鈍爺にメールをください。写真の登録や受け渡し方法について、ご相談します。

いずれの方も、キャプション、紀行文、感想文などを付けて頂けると有難いです。(文体等は揃えますが、可能な限り原文で投稿致します)

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鉄道博物館にあなたの写真を展示しませんか

富士フイルムでは毎年「”PHOTO IS” 想いをつなぐ。30,000人の写真展」を開催しており、DRFCクローバー会では会員の皆様に出展のご案内をさせて頂きます。
皆様のお持ちの鉄道写真を出展されてはいかがでしょうか。
「鉄道のある風景」部門では大宮、名古屋、京都の各鉄道博物館の中で希望されるところへ展示ができます。また、昔のSLの写真などを「よみがえる昭和の写真」部門に出されても良いのではと思います。
応募には専用台紙を購入する必要がありますが、事務局にて準備しており、こちらで取りまとめ、台紙に貼って送付しますので、出展希望の方は、事務局まで御連絡の上、プリントしたものかデーターをお送りください。但し、家庭で印刷したインクジェットプリントでは応募できませんのでご注意ください。また、応募は各部門ごと1会場1点となります。p1 取りまとめの関係上、締め切りを5月10日とさせて頂きます。
皆様ふるって御応募ください。詳細につきましては以下をご覧ください。 続きを読む

4月19・20日 京都鉄道博物館 内覧会のご案内

おはようございます。京都鉄道博物館 内覧会の招待券を入手しました。

4月19・20のいずれか 10:00~15:00 おひとりさま です。0419 0420

上記の 0419 0420 のところを開いていただければ詳細、ご覧いただけます。

何分1名様ということで 先着順にさせていただきます。送付先などを下記メアド宛お送りいただけますか。toshihiko.otome@club-t.com です。宜しくお願い申し上げます。

乙咩 壽彦(おとめ としひこ) 78年度生 2016年4月1日

4月1日・・・ほんまですよ!

 

梅小路公園便り

以前に旧京都市電の保存車両が、梅小路公園内に展示されると報告しましたが、先日、補修が完了したようで無事公園内に設置されました。
また、同時に当欄も含めて京都市交通局と“やりあった”N電は、動力バッテリー化が完成し展示運転用線路も敷かれて試運転を迎えるのみとなっています。

800型の中でも後期増備型で形は900型に近い

800型の中でも後期増備型で形は900型に近い

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梅小路公園の保存市電その後

過日、京都市が梅小路公園に保存してある市電7両のオープン展示と、運転中のN電について運転区間の変更と蓄電池化すると発表したことをここで報告した。 これに関してはすでに新聞紙上やテレビでも報道されているのでご存じのことと思う。

この件には多くの知人からメールや電話で京都市へ蓄電池化反対の意見を言うべし、とのご意見を頂いた。そこで個人として市長へメールでN電に蓄電池を積むことは車体への負荷が多すぎないか、架線はどうなっているのか、保存車両を民間業者へ貸し出して飲食店に使うのは車体保存に問題が生じないか、等の質問をしたところ回答を得た。
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画像分類考

鉄鈍爺(てつのろじい)と発します。

総本家青信号特派員氏が「写真整理学」を投稿されています。
http://drfc-ob.com/wp/?p=21266
http://drfc-ob.com/wp/?p=21287
http://drfc-ob.com/wp/?p=21792
http://drfc-ob.com/wp/?p=21912

私は鉄道模型を作っていました。(現在は完成品を走らせる烏合の衆と化していますが:苦笑)
模型を作るには設計図や車両細部の写真などの資料集めから始めます。
設計図は実物図面が入手出来れば良いのですが、趣味誌の模型設計図も結構使えます。それ等が無い時は形式図から主要寸法を得て、細かい寸法は写真から割り出します。
自分が作りたい車両が現存する場合は実車の撮影や採寸が可能ですが、もう廃車解体されている場合は過去に撮影した写真を使ったり鉄道関係の書籍や写真などから漁ります。

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梅小路公園に市電広場!

1月5日の朝刊に、梅小路公園内に市電ひろばができて、保存されている京都市電が展示・運転されるとの記事が出ていた。いままでも旧N電が運転されているが、記事によると運転コースが現在の旧二条駅前から西へのルートを廃止して、山陰線高架より東側になるらしい。市電は山陰線の高架下に車庫を作って現在も保存されている。搬入時に見たのだが、900型、600型、700型、500型等だったように記憶している。市電ひろばは、旧国鉄の官舎跡で、昨年まで福島県からの疎開家族に提供されていたものである。場所は水族館の西隣で、木津屋橋通りの南側である。
問題はこの市電の運転方法である。記事で見る限りであるが、給電設備が必要だからという理由で、市電にバッテリーを積んで架線を使わずに「EV」化して走らせるとのことである。

これはとんでもない考えであると私は思う。子供の遊園地の遊具ではないのだ。運営主体はJR西日本と京都市と違えども、れっきとした鉄道博物館の付帯設備で、京都市の税金で建設される産業遺産展示物である。受電設備がないというが現在も600Vで架線給電して走っているではないか。市電廃止後30年以上も放置してきた保存車両を市民に公開して走らせるなら当時の姿を再現するのが行政の責任ではないか。何でもいいから走らせればいいだろうとは市民を馬鹿にするのも甚だしい。そんな形で走らせるなら静態保存の方がまだましだと思う。会員諸兄はいかがお考えであろうか。

できるなら現在の線と新設線をつないで頂き、公園の西の端から東の水族館までのピストン運転をして頂きたい。もちろん架線集電でである。30年も日の目を見ずに待っていた市電達に対するせめてものご褒美として。

市電ひろば_NEW

写真整理学 -5-

カラーポジ
カラーポジを撮り始めたのは大学1年生の時に、北海道へ行った時が初めてだった。当時は、現像料込みの値段で売られていた。カラーポジは、透過式で印刷に適したフィルムとされるが、当時は、もちろんそんな認識はなく、スライド上映会でみんなにも見てもらうのが目的だった。実際、あの頃は、鉄道同好会でもよくスライド上映会をやったものだった。すべて国産の銘柄で、フジとサクラを交互に使っていた。
ここからは以前にも書いたことだが、当時はフジのシェアが高く、優秀な製品という評価だった。いっぽうサクラは二流という評価だったが、数十年経ってみると、全く逆の結果となった。フジは、スコーンと色が抜けてしまって見るも無残な姿が多いのに対し、サクラは多少の褪色はあるものの、色抜けはない。製品の評価なんて、アテにならないとつくづく思ったものだ。

社会人になってからは、仕事絡みでポジを使うことも多くなり、とくに、モノクロを余り撮らなくなった2002年ごろから、一眼デジカメ導入までの約5年は、ポジが主流となった。実際、優れた風景の中を順光で適正露出で撮った鉄道写真は、我ながら惚れ惚れする、唯一無二の”作品”と呼んでもいいものだ。しかし、逆に言えば、たとえ半絞りでも露出を間違えば、目も当てられない結果となる。フィルムが現像から上がってきた時は、いつもドキドキだが、感動より落胆のほうが多かったポジではある。撮り貯めたポジは、通算246本、コマ数で約9000駒となる。
初めてのカラーポジは北海道へ行く途中に、都内各地で廃止予定の都電を写した(以前の掲示板で発表済み)。上は渋谷・宮益坂、右は高田馬場駅前。褪色・劣化は激しいが、45年前の都電も、何とかここまで修正できた。

保存方法は、大きく分けて二つ、初期は一点ずつマウントしたものを、専用のポジアルバムに収容、マウントには、適宜データの記入している。本数が増えると、この方式では追いつかず、マウントを止めて、スリーブ状態にして、缶・箱に収納している。スリーブには、自作の撮影ラベルを貼り、データを記入している。
ポジは、保存状態が一時悪かったこともあってカビが発生(湿気の多い押入れに長期間保管)、また前記のようなフィルム特有の経年変化により、褪色・劣化が激しい。デジタル保存は、カラーネガ以上に急務だが、現状はほとんど進んでいない。加えて、スキャンはなかなか難しいと感じている。褪色しても、軽度のものなら修正ソフトの褪色修正のボタンででほぼ一発修正できるが、褪色・変色の激しいものは、どうやってもダメだ。やはり色が残っていないことには、救済できないと痛感した。色調が正しく出ているポジは、逆にコントラストが強くなり過ぎて、黒つぶれ、白飛びが激しい。
過日、会社更生法の適用を受けたコダック社は、コダクロームに続き、最後まで残ったエクタクロームの製造中止を公告している。ほんの数年前まで、国内外からカラーポジが続々と新発売されて、色調や粒状など、選び放題だった時代が夢のように思えるほど、昨今のカラーポジの衰退には、その終幕が見えてきた思いがする。

ポジの整理は、一点ずつマウントしてスライドファイルに保存、スリーブで一本ずつ保存する2種の方式

写真整理学 -4-

前回、モノクロフィルムについての私の整理術については記しましたが、もうひとつ、カラーがありました。モノクロに長い間馴染んだ私も2002年以降は、カラーオンリーになりました。近年はデジカメも加わり、増殖を続けるカラーの整理は、今日的なテーマでもあるのです。
カラーネガ
カラーネガで鉄道を撮り始めたのは比較的古い。初めて一人で九州へ行った高校2年生の時、モノクロとともにカラーも加え、カメラ2台態勢となった。マミヤ製の怪しげなEEカメラだった。ところが、この昭和40年代前半、カラープリントの料金はL判一枚が100円ぐらいだったと記憶している。今の物価に換算すると300~400円程度になり、とても大量には撮れない。結局、15日間、九州へ行って撮ったのは、当時あった16枚撮りフィルムのうち数枚だけで、帰ってからまた別のところで撮る始末で、フィルム一本を一年近くかけて撮った。

45年前に初めて撮ったカラーネガでも劣化は余り見られず、スキャンデータに若干の修正を加えるだけで、この程度、見られるのは、カラーネガのアドバンテージだと思う。佐々機関区で撮ったレールバスの塗色も、一般気動車とは異なる赤2号だと理解できる。

その後も、カラーネガは撮るものの、その性格上、家庭の写真などが中心となるため、鉄道は合い間に散発的に撮る程度で、枚数はほとんど増えず、カラーの鉄道写真は、後述するポジに移っていく。しかし、2002年にモノクロを止めてしまうと、その代替として、カラーネガを再び使うようになり、それ以降はウンと増えることになる。ただ、それもデジカメの出現で、2005年には全く絶えてしまうことになる。
こんな経緯で、現在カラーネガとして保管しているのは、278本、コマ数で約1万枚ぐらいか、ただ、前記のような非鉄な写真も含まれるので、実際、鉄道関係は、その半分程度しかないと思う。
整理方法は、すべて同時プリントしているので、単純明快に撮影順にポケットアルバムに入れた時系列の整理方法を採っている。ネガは、カラーネガ独自の整理番号を振り、時代順にケースに入れている。問題点は、モノクロのベタ焼きと同じで、別にある撮影台帳との関連が弱いことである。カラーはとくに恣意的に撮ることが多く、撮影には連続性がないことも、台帳との関連性を弱くしている。ただ、現実的には、カラーネガの場合、ほかへ提供することは皆無に近いので、自分だけが理解できればよく、とくに不便を感じるケースはない。

カラープリントの整理は、市販のポケットアルバムに入れるだけ。分野別には編集せず、鉄道以外にも、興味の向くバス、近代建築、街並みも含めて撮影順に入れている。データは撮影日のみ記入、これを頼りに撮影台帳と照合する。

将来的なテーマとしては、ネガの劣化の前のデジタル化であるが、これには全く手が回っていない。カラーネガは、オレンジベースのため、劣化が進んでいるのか一見してよく分からないのも、着手を遅らせる理由のひとつである。ただ、楽観できるのは、ネガをスキャンしてデジタル化した場合の写真修整は、ポジに比べると、技術的には容易に行えること。カラーネガのデジタル化は、とくに急を要するものではなく、優先順位は低い。今しばらくは現状維持と言ったところだ。

写真整理学 -3-

今日は台風の接近で一日家に閉じこもったまま。こんな時こそ、写真の整理の絶好機、何事もコツコツとやりたいものです。
 モノクロフィルム(2)
もうひとつ、モノクロフィルムで大きな問題は、経年による劣化だ。
本掲示板でも、tsurukameさんらからも報告のあったビネガーシンドローム現象がその代表例である。フィルムのベースに、経年による加水分解が起こり、酢酸が発生し、あるレベル以上になると急激な劣化を招く現象だ。初期には酢酸臭とともにフィルムベースが湾曲する程度だが、進行すると、フィルムはストロー状に丸まってしまう。こうなると、引き伸ばし機にも掛からず、スキャンさえ不可能になってしまう。当会では”八つ橋”と京都らしい雅びな愛称で呼ばれるが、実態はたいへん深刻な問題である。個人が所蔵するフィルムだけでなく、図書館などで古文書などを保存しているマイクロフィルムにも、その現象が及んでいる。
ただ、幸いなことに、後述する以外には、私のフィルムにその現象はまだ見られない。この現象が顕著なのは、ある時期に製造されたF社のフィルムと言われている。ある時期とは、昭和40年以前を指すようで、その時期、F社のフィルムは、国産フィルムの中では高価で、値の安いSフィルムをもっぱら愛用していた。結果的には、倹約志向が良好な結果を得ているのは皮肉なものだ。
とは言うものの、昭和40年代前半に十数本はFフィルムを使用しており、酢酸臭とともに、若干の湾曲が確認できた。正常なフィルムにも感染すると言われているので、このフィルムだけは現在、隔離中である。
ビネガーシンドロームの初期状態のF社フィルム、強烈な酢酸臭のため、現在隔離中

意外にネガが健在なのは、保存方法にも理由があるようだ。フィルムは、密封せず、ある程度の空気の流入のある容器に保存するように言われている。私も、ファイバー製の紙箱、プラスチック製の整理ケースに保存しているが、いずれも空気の流入するようになっている。年に一度は、天日に干して虫干しし、乾燥剤も欠かさない。そして、ネガカバーの材質も大きいと思う。私のネガカバーは昔ながらの硫酸紙を使った紙製のネガカバー、これだと、湿気を吸収するが、現在のビニール製だと、フィルムが密着して、フィルムの呼吸ができないように思う。
しかし、ビネガーシンドロームの症状がなくても、フィルムをよく観察すると、出し入れするたびに擦り傷が多くなり、経年によって、粒子に”緩み”が生じているのか、プリントしても軟調気味になって、以前のような締まった写真になかなか上がらない。加えて、長く愛用してきた引伸機もついに手放し、銀塩プリントを自家処理することはできなくなった。将来、フィルム劣化がますます進行することも考え合わせると、フィルムのデジタル化も急務の課題だ。
一昨年から、フィルムスキャン機を導入し、現状では、外部へ提供写真については、すべてデジタル化しており、印刷時の効果実証も得ているが、自家保存を目的としたデジタル化までには手が回っていない。長くお付き合いのある方からの報告では、毎日一定量のフィルムをデジタル化することを日課として、数年かかって数万枚のモノクロフィルムのデジタル化をついに完了したそうである。これぐらいの決意がないと達成は難しい。
モノクロフィルムの将来の着地点は、前記の撮影リストのデータベース化、デジタル化したフィルムとのリンク化を計ることとなるだろう。その実現には、膨大な時間と、絶えることのない熱意・根気が絶対に必要だ。

モノクロネガの整理状況、ネガカバーの番号順に並べてケースに収納。ベタ焼きアルバムの番号とは対応しているので、ベタ焼きで目的のコマさえ見つかれば、即座にネガへたどり着ける。

写真整理学 -2-

モノクロフィルム(1)
写真を媒体別にモノクロフィルム、カラー(ネガ・ポジ)、デジタルに分けると、圧倒的に多いのがモノクロフィルムだ。なんせ1961年、小学校6年生から鉄道写真を撮り始め、2002年に幕を下ろすまでの40年余り、モノクロフィルムで撮り続けた。整理番号「1」から始まった35ミリのネガカバーは、カラーポジのメイン化、その後のデジカメの導入により、「1707」でついに途絶えてしまった。これ以外に6×6も数十本あるから、コマ総数は約6万3000となる。フィルムの銘柄は、初期は国産SSフィルム、大学生の頃からコダック社トライXになり、途中で、国産SSS(ISO200)・ISO400、コダック社プラスXなども試験的に使い始めたが、またトライXに戻っている。多少、粒子は粗いものの、カリカリッとしたトライX独特の描写は大好きだった。高校生の時にフィルム現像を覚えたので、大部分は自家現像処理である。初期は、国産の現像液、その後はずっとコダック社の現像液D76の1:1現像を標準とした。
コマ数は、もっと多く撮っておられる方も多いので、自慢することもないが、唯一、我ながらよくやったと思うのは、すべてのコマのコンタクト(ベタ焼き)を取っていることだ。ベタ焼きは6コマずつに切り、ネガカバー番号別に、アルバムに貼り付けている。アルバムも、年代によって様式が異なるが、総数が67冊になった。ネガではなかなか読み取りにくい中身も、ベタ焼きでは、かなり読み取れる。もちろん、すべてプリントできれば最善だが、費用的にも時間的にも困難だ。
問題は、撮影データとの関連付けだ。大学生の前半まで、まだ撮影枚数の少ない時期は、アルバムにひとコマずつの撮影データを書き込んでいた。ところが、枚数が多くなってくると手が回らなくなり、撮影データを書き留めた台帳に分離する形を取った。こうなると、ひと目で閲覧が出来ない。ベタ焼きはネガカバー単位だが、台帳は流れに任せて、記入の基準も思いつき、杜撰な時期もあって、互いにリンクしていないからだ。目的のコマを探し出そうとすると、場合によっては大仕事になる。
今後の方策は、そのために、関連付けをより密接にした撮影データ一覧化が急務になる。エクセルでデータ化できれば、検索も容易だが、自分の技量と照らすと一気には実行困難で、ひとまず、紙ベースでの手書きリスト化を考えている。自作したA4用紙一枚の撮影リストに、フィルム1本36枚分の撮影内容(撮影場所、列車名、車号、年月日など)を記入するようにする。書くという作業は、記憶にも繋がり、ページを繰るという原始的な検索方法も、一番手っ取り早い。

ベタ焼きアルバムと撮影台帳の一体活用が、モノクロフィルム整理の課題。

長い投稿記事について

先日、佐竹先輩の写真展で話が出ていました「長い投稿記事があると、以前の記事がすぐに前ページへと飛んでいき、探すのに苦労する」との意見を反映して頂きました。

【20970】2012年春の中国鉄路の旅の記事では、下の方に「続きを読む」というタブがつきました。これをクリックすると長大な投稿記事の延長が開く仕組みです。

これでとりあえずサワリだけ読めるし、続きを読みたければタブをクリックすれば全文読めます。これは投稿者が記事を書いたときにそのように設定するとのことですが、どうすれば良いのかは管理者にお聞き下さい。

皆様のご感想をお知らせ下さい。

芭石鉄道撮影・乗車の旅 お誘い

DRFC-OBのM・T氏のご依頼で、中国四川省に残る、最後の軽便SL鉄道『芭石鉄道』の撮影・乗車と、生きている化石『メタテコイア原生林』を見る旅に、年末年始に参ります。今から、手配を行いますので、もしご参加を希望される方がいらっしゃいましたら、ご連絡下さい。勿論、中国内は、全て列車移動で、約25時間乗車の夜行寝台列車の旅、最新のCRH(新幹線)の乗車も堪能します。行程は、日本→北京空港集合→成都→芭石鉄道・沫江煤電です。ゆっくりと、10日間程度を予定しています。費用は、中国内のみで、約20万円を見込んでいますが、節約には努めます。参加者が増えれば、もっと安く、豪華な食事にもありつけます。
ご興味ある方は、コメント欄に、入学年度とイニシャル(例;M・T)をお書き下さい。それで、分ると思います。
芭石鉄道については、下記のホームページに詳しく掲載されていますので、ご覧ください。
http://www.geocities.jp/hokuman_hailaer/tentetsuki/china/bashi/info.htm
http://c5557.kiteki.jp/html/baseki11.htm
http://travel.railway.org.cn/wuyi/bashi/bashi.html
http://www.geocities.jp/hokuman_hailaer/tentetsuki/china/bashi/top.htm

教えて!なんでも探偵団

BSの好きな番組に、消えてしまった鉄道を回顧するものがあります。毎週土曜日の23時頃から30分ほどの短い番組ですが見られるときには見るようにしています。

先週は尾道鉄道でした。不覚にも全く知りませんでした。この名前の観光バスが走っているのを時々見かけましたが鞆鉄や中鉄、井笠などは知っていても尾道鉄道には興味がなかったのでしょう。

番組では尾道から市と言うところまで走っていた、途中に50‰の勾配があった、三次まで延伸するつもりだった、等と言っていましたが肝心の写真がほとんどなく、有っても雑誌からコピーしたような網のかかった粗いものばかりが数枚でした。

そこで急に興味が湧いてきました。DRFCの誇るなんでも探偵団にお願いします。現役時代の尾道鉄道について知りたいのです。もし資料をお持ちの方がおられたら教えていただけませんか?

よろしくお願いします。