昭和の電車 改訂版(4)阪急電鉄1301

関三平先生からお便りをいただきましたのでご紹介致します。
《週一ぐらいで覗かせてもらっています。大阪地下鉄のレスポンスの多さには喜んでいます。実は「昭和の電車300回」に予定していたのが、「新京阪100型、大阪地下鉄100型、阪和電鉄100型を乗り継いで、淡路→梅田→天王寺→美章園の小一時間の旅」と言うテーマで、構図自体も大体決めてあったのでした。また、そのうちお手紙なども書かせてもらおうと思っています。》
関先生、ぜひとも幻の「ナニワの三冠王」をここで見せてください!

さて、今回は阪急1301型。この1301型の思い出は、モダンな電車というのが第一印象でした。
木目プリントの室内、奥行きの深いふかふかシート、ベンチレーターがなくスマートな屋上。大好きな男前の阪急電車でした。

昭和の電車 改訂版(3)阪神電鉄3011型

前回の『大阪地下鉄100型』で思いついたのですが、記事に関連した写真をお持ちの方は、ぜひとも見せてください。牛に引かれた地下鉄も投稿がなければ日の目を見ずでした。現役時の写真でも、エピソード写真でも「お宝拝見」させてください。

と言うことで、お宝ではありませんが、私が撮った数少ない電車の写真から現役時代の3011型特急をご覧下さい。
テレビで“月光仮面”を放送していた頃に鳴尾付近で撮影しました。

昭和の電車 改訂版(1)大阪市電901

産経新聞に連載されていた、関三平先生の『昭和の電車』が新聞社の都合で打ち切られてしまいました。永年、記事をデジ青に転載させていただいていたご縁で、関先生と数回飲み会を開いて懇親を深めてきたこともあって、先月、関先生の慰労会を長岡京駅前の高級料亭を借り切って開催しました。

その時、参加者から『全ては見ていない』『もう一度見たい』との声が出ました。

実を言うと全回分を掲載していませんでした。それは最初の数回は見てるだけで掲載するつもりはなかったのです。でも、4~5ヶ月してから、これはみんなに見てもらったら面白いかも、と思いつき掲載を始めたのです。この当時は月に二回のペースでしたから8回ほどの記事が未掲載になっていました。その後も私の見落としやファイル忘れなどで何回かは未掲載となりました。あるときから、掲載忘れを関先生からご指摘があり、作者の先生にご覧頂いていたことを初めて知りました。

この度の飲み会で改めて全回分を再掲載してはどうか?と言うことになって、欠落分の補充をする事にして保存していたファイルを確認したところ、十数回の欠落と画質不良が分かりました。これらの原稿は関先生がお送りくださり、画質不良分はスキャンのやり直しで高画質化して準備が完了しました。

ところが、代理投稿のご依頼が重複して入って来たため、ずらしていましたが「中村進一作品」が峠を越えたのと、次の「乙訓老人再生プロジェクト」の着手が予定されているので投稿者名が重なるのをお許し頂いて掲載していくことに致しました。

関先生は皆様からの辛口のツッコミを楽しみにご覧になっておられます。ぜひとも皆様の思い出と批評などを遠慮なく書き込んでください。

京阪大津線の歴史を調べて(三井寺、坂本假停留場)

坂本仮停留場
反対側の終着駅坂本停留場も延伸開通の当初は仮の停留場が作られた。計画されていた最初の停留場(資料5)は3面のホームがあり、一番長いホームは約100mもあり、短いホームでも約40m、琵琶湖鉄道汽船100型は15m級であったので将来の2両連結運転も考慮されたと思われる立派なものであった。↑ 資料5:当初計画坂本停留場,長いプラットホームに加え、待合室等にもスペースが取られていた。(県政史料歴史史料昭と5より作図)
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京阪大津線の歴史を調べて(三井寺、坂本假停留場)その1

前項「大津電車軌道坂本延伸裏話」でも少し触れましたが、三井寺-坂本間が全通した後も両端の坂本、三井寺停留場は仮停留場のままでした。当初の計画は高規格の車両を使い、連結車も走らせるような考えで進んでいましたが、三井寺、坂本の両終端駅は駅部分の用地買収の遅れで開通を優先させて仮停留場で営業を開始しました。この年は大津電車軌道が太湖汽船と合併し、新たに琵琶湖鉄道汽船としてスタートを切った時でしたが、その後、乗客が思うように伸びず、当初の過大投資の為もあって工事は進まず、その内に経営状態が悪くなり、その後2年足らずで京阪電鉄と合併することとなりました。京阪電鉄は大正14年に京津電気鉄道と合併し、昭和4年4月11日に琵琶湖鉄道汽船の鉄道部門を合併して大津、琵琶湖への進出を果たしたわけですが、この合併した部分を今後どうしていくのか、方向性がまだきまらなかったため両駅の仮停留場の状態が続きました。 続きを読む

『通勤形電車』の変遷    河 昭一郎様ご寄稿 

河 昭一郎様より鉄道雑誌に掲載予定で編集された表題の論文をデジ青用にご寄稿頂きましたので掲載いたします。
ただ、頂いたのは出版用に割り付けられた完全原稿のため、そのままでは掲載できません。一旦ばらしてデジ青仕様に組み替えましたのでご了承下頂きます。内容・文章には手を付けておりません。併せて以前に投稿された藤本哲男さんの73系に関する記事もご覧下さい。

ロクサン形がルーツの通勤電車 クモハ73030 1962-1-4 京都

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再度、『かえだま』に関する考証を

河 昭一郎さんより、先の投稿に補追として写真と解説が送られてきました。
我々には事故による車輌運用の事件として面白おかしく伝えられてきた話題ですが、当事者には大変な、歴史的大事件だったことが先の河さんによるご投稿で明らかになりました。『かえだま』などと揶揄していた不見識を恥じるばかりです。
それでは送っていただいた当時の貴重な記録写真と解説をご覧頂きます。
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京阪大津線の歴史を調べて(大津電車軌道坂本延伸裏話)その3

3. 全線開業までの運行形態
先に開通した三井寺-螢谷間はカーブの多い路線で大正末期には開業時に作られた大津電軌1型(京阪合併後の旧80型)とその後増備された大津電軌11型(京阪合併後の90型)という路面電車タイプの車両によって運行されていた。これに対し、三井寺-坂本間はカーブの少ない直線の線路を主体に、当時の高速高規格電車での運行が計画された。開業時に新製された琵琶湖鉄道汽船100型(京阪合併後の旧800型)は15m級ではあったが片側ロマンスシート、片側ロングシートの当時としては先端を行く車両であった。螢谷-坂本間で線路がつながったと言っても三井寺を境に坂本側は高規格の高床式、螢谷側は路面タイプの低床式と全く異なり乗客は三井寺で乗り換えを強いられ、この状態は昭和6年まで続いた。ところで部分開業の時はどのような運転形態であったのだろうか。開業時に作られた仮停留場の図面を見ると、三井寺停留場と兵営前停留場は路面タイプの低いプラットホームで、これに対して山上停留場、松ノ馬場停留場は高床用のプラットホームであった。

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京阪大津線の歴史を調べて(大津電車軌道坂本延伸裏話)その2

2.5つの仮停留場

部分開業に伴って坂本、三井寺、兵営前、山上、松ノ馬場の5つの仮停留場の設置願いが出された。まず、先に紹介した昭和2年4月25日付「仮停留場設置御届」では兵営前、山上、松ノ馬場の3駅について仮停留場の設置願いが出された。兵営前、山上は前項で述べた陸軍との土地交換が遅れ、兵営前、山上間が完成しないため、三井寺-兵営前、山上-松ノ馬場の折り返し運転用に仮停留場を設置した。ところが同じ文書に書かれている松ノ馬場の理由書を見ると松ノ馬場停留場用地の一部及びその北側の用地で、当初住民の電車敷設反対があり、用地買収が遅れたためとある。

 

資料3:兵営前仮停留場平面図(県政史料室歴史史料、大と1より作図)
折り返しの設備を持ち、路面電車タイプの低床のホームが作られた。

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