「B」の時代 ⑤

私が夜間撮影を始めるきっかけになった鉄道雑誌の記事がありました。それが「鉄道ファン」1967年5月掲載の「夜も楽しく」の鉄道写真随想です。それまでにも鉄道の夜間撮影の手法はありましたが、撮影法が公開された指南書は、これが初めてでした。“よるたの”の言葉も生まれ、「夜は夜なりに、昼間は気にも留めなかったものが見えてきて、何か背中がゾクゾクするような興奮が呼び起こされます。冷たい水銀灯の光、黒天に消える白い蒸気、露で光る枕木、そして鈍く光る機関車」などの表現に、いたく感激し、さっそく京都市内へ出掛けて、祇園や東寺前で、市電をバルブ撮影したことがありました。ちょうど高校3年生の時でした。その著者が、なんとデジ青にコメントもいただくMさんで、改めてデジ青を取り巻く繋がりを感じました。

蒸機ばかりではと思い、つぎは、電機の夜間撮影も載せてみた。やはり、デッキつき旧型電機のほうが、夜間の光線に陰影ができて、近代的な電機よりも、ふさわしい。上越線で貨物を牽くEF1630、発車前のひと時を運転士のシルエットも入れて撮ってみた。新津機関区(昭和46年9月)。

 

 

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 「B」の時代 ④

「利尻」を撮る

つぎは、機関区での止まり撮影ではなく、列車の「B(バルブ)」撮影例を、北海道の夜行で見てみました。優等列車と言えども、夜行列車は停車時間が長いものです。眠いのをガマンして、この停車時間を利用して、カメラと三脚を担いで、ホームに下りて、列車をよく写したものです。以下は、宗谷本線を走ったC55時代の「利尻」です(昭和44年9月)。
この日は、DRFCの仲間と、豊富で日曹炭砿の96を撮り、上り「利尻」に乗り込んだ。牽引はC55とあれば、そのまま寝付く訳にもいかず、駅に停車するたびにホームに飛び降りて「B」撮影を行なった。写真は、幌延に停車中の「利尻」、手帳を見ると、露出は定番の絞り8、30秒となっていた。

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 「B」の時代 ③

五稜郭の巨体

つぎの「B」も機関区での撮影、北海道は五稜郭機関区へと参ります。青函連絡船で函館に着くと、そのまま列車に乗り換えて、大沼やヤマ線へ行ってしまい、函館で時間を掛けて写すことはありませんでした。そこで、最後の訪問時の帰途、連絡船をひと便遅らせて五稜郭機関区へ行き、最後の函館を記録することにしました。この時代、すでにC62は見られませんでしたが、その改造機体となったD52は健在で、函館本線の貨物列車を牽いていて、その巨体を写すのには、格好の場所でした。(昭和47年3月)。蒸機を斜め後から低い位置で仰ぎ見る角度の迫力のあること、前回の宮崎区のC5789でも感じた。五稜郭機関区でも、D52ラストナンバーの468号機を同じような撮り方をしていることが分かった。太いボイラーに、不釣り合いな小さな動輪、これぞD52の魅力でもある。

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 「B」の時代 ②

南九州、夜の機関区

B(バルブ)の時代、つぎは九州の機関区で見た夜景です。夜間撮影の場合、それが目的というより、夜行列車に乗るまでの時間つぶしに、機関区へ行くことが多かったのが実情と言えます。九州ですと、宮崎、鹿児島、人吉、吉松など、夜行列車が発着する駅の機関区へよく行ったものでした。駅で写すよりも、乗客に邪魔もされず、一人で落ち着いて気ままに写したものでした。
以前の本欄でも紹介した宮崎機関区。機関区は駅に隣接した、ラウンドハウスも無い狭くて細長い構内だった。ガントリークレーンのある大型の給炭設備も無く、ハンプ状の給炭線に石炭車で運び、ベルトコンベアに石炭を載せて、給炭していた。狭い分、光線もうまく回っていて、印象的に撮れた(昭和46年12月)。

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 「B」の時代 ①

手ノ子の96

ことし、何度か写真展・展示会を行い、来場された方と鉄道写真について話をする機会がありました。そのなかで、撮影方法について聞かれることもありました。たとえば、つぎのような写真、11月に京阪七条駅近くのカフェギャラリーの「東北の鉄路 全盛時代を偲ぶ」に展示した写真ですが、長時間露光の夜間撮影についてです。今でも夜間撮影をすることはありますが、高感度デジカメで撮れるとあっては、いまや三脚なし、手持ち撮影が常識になりました。しかしフィルム時代、感度は低く、増感現像という手段はあったものの、粒子が荒れます。そこで三脚に据えて、30秒とか1分間露光をするバルブ(B)撮影が、夜間撮影のスタンダードでした。蒸機の場合、煙が流れたり、ライトが光跡になったり、長時間露光ならではの意外性がありました。いわばアナログならではの撮影方法が、デジタルの時代、かえって新鮮な表現に映るのかと思った次第です。このように、長時間露光で撮った写真のいくつかを紹介していきましょう。
米坂線の手ノ子駅に停車する、168レを牽く29622を撮ったもの。安全弁から噴き上げる蒸気が、長時間露光でまっすぐに上がっている。蒸機に当たる光線だけでは弱いので、周囲にある、信号や室内照明の光源をうまく入れるのがポイントだ。何点か撮っているが、手帳を見ると「ALL F.8 30S」と書いていて、絞り8、シャッター30秒で撮っていた(昭和47年2月10日)。

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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【29】 初冬編

立野を中心に、豊肥本線、高森線を撮る

今回は九州の中央部、豊肥本線・高森線(現・南阿蘇鉄道)の初冬の風景です。両線が交わる立野の前後には、大規模なスイッチバックがあったり、高い橋梁が存在します。昭和40年代、蒸機の牽く客貨列車も多くあって、よく訪れていました。ところが、両線とも2016年4月の熊本地震で、大きな被害がありました。その後に各地で発生した災害に隠れ勝ちですが、復旧作業が遅々としていて、現在でも不通が続いています。
今回のカラーは、昭和46年12月、同47年11月を合わせたものです。豊肥本線は、立野を出発すると、三段式のスイッチバックで、阿蘇の外輪山をよじ登って行く。スルーできない、文字通りのスイッチバック式だが、その赤水寄りにも、好適なカーブが続いている。列車は1794レで、立野で停車時間があるため、まず到着前を撮って、駅で停車中を押さえる。そして、外輪山の方向へ直登して、スイッチバック付近のカーブ地点に着き、朝陽を受けた96の勇姿をとらえた。

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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【28】 初冬編

名勝、大畑へ

昭和46年初冬の南九州、つぎは大畑へ向かいました。大畑を含む吉松~人吉の矢岳越えは、それまでも列車で何度か通りましたが、下車しての撮影は、この時が初めてでした。日本三大車窓の絶景地であり、33‰勾配、スイッチバックとループ線、重装備のD51に混合列車と、魅力が大盛りの区間でした。いままでは、夜行鈍行の1121列車で大畑を通ることが多かったのですが、この1121レから撮るためには、現地泊しか手はなく、奮発して人吉の国民宿舎に一人で泊まりました。大畑では、食糧調達の術はなく、朝食、昼食用のおにぎりを宿舎で作ってもらい、薄暗い人吉の駅を出て、一番列車841レで大畑へ向かいました。大畑には7時14分着、841レの発車を見送ったあと、ループ線を見下ろす、撮影地へ向かった。朝露でズクズクになりながら着いた。天気さえ良ければ、霧島連山まで、キレイに見渡せる場所だ。まもなくループ線を一周して、1121レがやって来た。1121レは、門司港発鹿児島本線経由の都城行き夜行。九州へ行けば何度も愛用した列車で、客車6両と、大畑では唯一の本格的な客車編成だった。

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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【27】 初冬編

12月の南九州でC61を撮る

再び“天然色”シリーズに戻って、初冬編に参ります。昭和46年12月、この時期としては初めて九州へ向かいました。それまで長期間の旅行は、休みの多い春・夏限定でしたが、均一周遊券を使った初冬の旅行となりました。秋の旅行シーズンが終わり、年末年始のピークまでの空白期となる12月上・中旬は、列車も観光地も宿泊先もホントによく空いていることを実感しました。今なら、ライトアップなどの催事もありますが、当時はそんなチャラチャラしたイベントもありません。とくに有り難いのは、当時、常宿としていたユースホステルの予約でした。予約は、ハンドブックで宿泊先を選び、往復はがきで申し込みますが、到着までに一週間近く掛かります。満室だと、またプランを練り直し、再度、一週間後の結果待ちと、今から考えると、たいへん手間と時間の掛かる申し込みでしたが、予約なしで飛び込みもOKだったのが、この時期でした。夜行列車も空いていて、1BOXを一人で占拠して、ゆっくり熟睡したのでした。
お馴染み、朝の大淀川を渡るC57の牽く539レ。まだ川沿いのフェニックス並木も健在だった。原版は、すっかり褪色していたが、色温度を上げてやるだけで、簡単に朝のイメージにすることができた(1971年12月)。

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2019年の秋を追いかける 丹鉄引原峠のイチョウを撮る2 リベンジ

11月26日に台湾から帰国しましたが気になっていたのが訪台前に行った丹鉄の引原峠です。半分は紅葉していましたが全体的にはもう少しでした。帰国したら再訪したいと思っていましたがライトアップされるのは24日までの公示でした。それでも撮りに行きたいと天気予報を見ながら様子を伺いました。

11月29日、天気予報では午前中は晴れですが夕刻は曇りそうとの事ですが朝の青空を見ては行かないわけにはいきません。決断は遅かったのですが10時前にぶんしゅう8号に撮影機材を乗せて出発です。
撮影地までは約120㌔、約1時間40分の道のりです。丹後大宮で昼食をとってから現場に到着しました。
▲ 12:34 豊岡始発西舞鶴行きの丹後ゆめ列車IIのラッピングを施したKRT709号車、228Ⅾが引原峠の鉄路を上がってきました。11月15日に来た時はまだ緑色だったイチョウはすっかり黄色に変わっていました。
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癒しの島 台湾鉄道2019年秋の旅 Part 7 高雄トラムを撮る、帰国

第6日目 11月26日

今日は今回の旅の最終日、高雄空港のフライトは15:05ですので14:15にはチェックインカウンターへ行かなければいけません。もう何回も高雄ライトレールは撮っていますので新しい撮影ポイントが探せれば撮ってもいいかな、そして食べに行きたい小籠包の店がもう一つあります。「厚得福」です。昼食はここで食べたいと向かうことにしました。
▲ 7:30 先ずは朝食です。今回の旅ではホテルの朝食時間前9にはチェックアウトして撮影地に向っていましたのでゆっくりホテルの朝食を食べるのは初めてです。港が見えるレストランで朝食です。
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癒しの島 台湾鉄道2019年秋の旅 Part 6 礁渓⇒高雄、高雄トラムを撮る

第5日目 11月25日

6:00 起床、部屋の大きなお風呂に贅沢に温泉をたっぷり入れて入浴です。目が覚めました。今日は皆さんとお別れです。昨夕帰途された893-2さんは深夜便で関空に向われました。クモハ73106さん、デカンショ祭り号さん、大津の86さんは台北から帰国されますので北迴線で北上されます。私は一人高雄からピーチで関空に向かいますので今日は高雄泊まり。ゆっくりと礁渓から高雄へ南迴線で向かいます。
切符は昨日崇徳駅で空席を調べてもらいました。時間がなくて購入したのは礁渓に到着後になりましたが大丈夫でした。花蓮で18分間の乗継時間がありますが約7時間半の絶景が続く南迴線乗車の乗り鉄旅です。

① 礁渓 8:01(自強204次)⇒9:29 花蓮 9:47(自強308次)⇒15:33 高雄

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