東西会員交流旅行 ご報告 Part2 天浜線から大井川鉄道へ

2日目の10月28日は宿泊先の「国民宿舎 奥浜名湖」で朝食後に解散・自由行動としました。
▲ 8:49 宿泊しました9名の記念写真です。総本家様は昨夜帰宅、藤本様一行3名は大井川鉄道の写真を朝から撮影のため掛川に宿泊されました。交流会の当初予定の宿舎は西鹿島駅に近い「森の家」でした。ここだと新金谷から千頭へ走る「SLかわね路」を撮る事は可能だったのですが、気賀駅からでは間に合わなくなった。一緒に宿泊したかったが掛川に宿をとるしかなかったとの事でした。
この後健脚の会長様と山室様は標高差59mの遊歩道を徒歩(約15分)で降りられて気賀駅へ、残り7名は宿の送迎車(約5分)で気賀駅へと先に向かいました。
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東西会員交流旅行 ご報告 Part1 遠州鉄道から天浜線へ

今年の秋は雨の多い日々が続きましたが、参加者の皆様の日ごろの行いがいいのか出発当日は雨はあがって秋晴れを迎えました。集合地の西鹿島駅までは皆さんバラバラで向かわれます。総本家さんと私は途中の遠州鉄道での駅撮りをしたいので早めに最寄駅の長岡京から乗車しました。

① 長岡京 7:21(快速)⇒7:31 京都 7:45(ひかり510号)⇒9:05 浜松

▲ 9:21 新浜松で遠州鉄道と天浜線(天竜二俣~新所原)の西1日フリーきっぷを購入、乗換て西鹿島へと向かいますが十二分に時間があります。相対式ホームがある高架駅で降りて駅撮りしながら進みます。どですかでんさんグループと合流です。

② 新浜松 9:24⇒9:26 遠州病院

1002+1102編成に乗車して1回目の下車駅は遠州病院、次の八幡で交換する列車を待ち受けます。

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東西会員交流旅行 直前のご案内

東西会員交流旅行も明後日に迫りました。9名の宿泊者と日帰り5名(内1名は宴会不参加)の参加となっております。
心配な現地の天候ですが、27日は朝7時~夕刻18時までは曇天、最高気温23℃、夜は17℃、28日は晴れのち曇り、最高気温23℃の予報です。雨天の心配はなさそうです。

【 集合地・時間 】
当初は浜松駅としていましたが皆さんバラバラの到着になりそうですので、遠州鉄道から天浜線への乗換駅の西鹿島11:32にします。天竜川鉄橋での撮影後、西鹿島12:35⇒12:39天竜二俣の列車に乗ります。
もし列車遅延やご都合で遅れる場合は天竜二俣駅の転車台ツアーが開催される13:50までには天竜二俣駅待合室に来てください。

ちなみに総本家さんと私は、京都 7:45(ひかり510号・自由席)⇒9:05 浜松で早めに到着、遠州鉄道で駅撮りを楽しんでから西鹿島に参ります。ご一緒していただける方、大歓迎です。
何かありましたら、メールでお知らせしております携帯電話までご連絡の程、よろしくお願い申し上げます。

東西会員交流旅行ご案内 Part4 天浜線 天竜二俣⇒掛川

翌日の10月28日は朝食後は解散、自由行動となります。藤本様が大井川鉄道訪問の行程表をPart2のコメントでご紹介していただいております。折角ここまで来ていますので関西方面からは中々行く機会が少ない大井川鉄道へ行かれるのもお勧めですが、天浜線の天竜二俣⇒掛川を撮影されるのも選択肢の一つです。紹介をさせていただきます。
▲ どちらにしても天竜二俣から掛川への移動の出発駅は気賀です。
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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【20】 秋編

草津線の蒸機列車

前回掲載の加太とセットで、草津線へもよく行ったものです。牽引するのは、亀山区のC58、D51と、加太で見るカマと同じで、見せ場となる勾配区間もないものの、草津線の魅力のひとつは、長編成の客車列車が朝夕にあったことで、貨物も日中に結構走っていました。京都からだと、まず草津線で2、3本を撮ってから、午後、加太へ向かう、と言ったセット撮影も可能でした。しかし、加太がある関西本線亀山~奈良の蒸機の廃止より、一年早い昭和47年9月限りで蒸機は姿を消しました。DL化直前の草津線には、朝夕を中心に4往復の客車列車があって、線内は亀山区のD51が牽いていた。うち3往復は京都発着で、通勤時間帯は、写真のように客車10両編成だった。この時代、ほかの線区でも蒸機の牽く旅客列車は残っていたが、これほどの長編成は、なかなか見ることができなかった(726レ、石部~三雲 昭和47年9月)。

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東西会員交流旅行ご案内 Part3 天浜線 天竜二俣⇒新所原

天竜二俣駅で機関区・車庫を見学した後は豊橋側の東海道本線と接続します新所原へ始発列車に乗車して向かいます。乗車距離は41.5㌔、乗車時間は1時間20分です。
天竜二俣 14:42⇒16:02 新所原

▲ 14:42 再び列車に乗ります。乗車率はご覧の通りガラガラ状態です。
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わらくろやツアーin鹿児島

マルーン会長を鉄道界の“漢(おとこ)”にしようと始まった旅もついに九州は鹿児島まで来ました。

今回は初めての二泊三日の豪華旅。わらくろや社長の渾身の企画です。
10月9日
新大阪発9:17さくら549から始まりました。四人一組のセットですから一ヶ月前に指定席をそれぞれが一斉に買わねばなりません。10時に窓口に並ぶようにするのですがこれが難しい!私は京都駅みどりの窓口で並び、ちょうど10時に窓口にたどり着きましたが社長から指定された5号車は全席売り切れ(というより修学旅行用で)。あわてて社長に電話したら「4号車で同じ座席をとれ」とのことで無事購入完了。後の三人にも社長から電話で指示。なぜかわらくろや旅行社はキップをとらず、各自でとる方式です。リベートをくれないところには冷たいらしい。
鹿児島へ13:31着後、なぜかソフトクリーム店へ強引に連れ込まれ、知覧茶の抹茶ソフトを全員で購入します。どうやら社長はサイダーをやめてソフトクリームに乗り換えたようです。そういえば前回の津山でも津山城でソフトクリームを我々に買わせて、自分は「岡山名物の桃ソフト!」と言って食べたうえ、さらに売店のお姉ちゃんにヒソヒソ話したと思ったらバニラソフトを舐めていました。

その日は南薩鉄道の特急バスで枕崎へ。
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東西会員交流旅行ご案内 Part2 天浜線 天竜二俣駅

下見は青春18きっぷが使用できる7月末とぶんしゅう8号に乗っての9月初旬の2回にわたって行いました。天浜線は2回を総合してご案内させていただきます。▲ 天浜線(天竜浜名湖鉄道)の路線図です。元々は掛川~恵奈の遠美線として計画されましたが、浜名湖を横断しないという軍事上の理由から東海道本線掛川~豊橋のバイパスとして建設されました。
1935年(昭和10年)4月17日 、二俣線 掛川~遠江森{現;遠州森  12.9㌔) が開業、徐々に西へと延伸されて 1940年(昭和15年)6月1日 に掛川~- 新所原(67.7㌔)が全通しましたが運行間隔はDC単行での2時間ヘッドでした。
赤字が続き1987年(昭和62年)3月15日 には国鉄二俣線としては廃止されて以降は第三セクターとなりました。

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東西会員交流旅行ご案内 Part1 遠州鉄道

ようやく秋らしい日々が訪れました。今年の東西会員交流会旅行があと2週間となりました。参加される会員の皆様方はそれぞれ往路・復路のご予定を検討中かと思っておりますのでご参考になればと下見をしてきました現地状況をご報告させていただきます。

▲ 今回訪問します遠州鉄道天浜線(天竜浜名湖線)は、私にとっては恥ずかしながら初めての訪問です。写真など撮ってはいないと思っていましたが先日昔の写真をスキャンしていましたら一枚、昭和45年の遠州鉄道新浜松駅のカットが見つかりました。現在の新浜松駅は1985年(昭和60年)12月1日 に南西のJR駅構内跡に移転高架化されていますので地上駅時代の貴重なカットです。車両も2018年(平成30年)4月に廃車となった30形です。
2017年度の一日平均の乗降客数は16,099人、ちなみにJR浜松駅は74,516人(新幹線含む)です。 続きを読む

 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【18】 秋編

山陰本線を行きつ戻りつ

前記の山陰本線の三見~飯井での撮影に続いて、何ヵ所か海岸沿いで撮影をしたり、三江北線、木次線に寄ったり、均一周遊券ならではの旅を続けました。昭和も46年になると、“SLブーム”は頂点を迎え、それを狙った出版物も多く出るようになります。撮影地でよく見掛けたのは、鉄道ファン臨時増刊の「撮影地ガイド」で、撮影地と列車ダイヤも載っている、まさに撮影向けの本でした。昭和44年、46年に発行され、ボロボロになった本を抱えた高校生・大学生をよく見掛けました。いまと比べると、情報源も限られていた時代で、コピーをするにも一枚が何十円もして、本をまるごと持参したものでした。三見から石見益田へ、乗り換えて岡見で下車した。ここは、三見のような穏やかな海岸ではなく、険しい岩礁が続いている。まずは、DF50537の牽く829レを撮影。

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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【17】 秋編

ウワサの伯備線へ

標記のシリーズ“秋編”をしばらく続けます。われわれの現役時代は、9月中旬からやっと後期の授業が始まりましたから、じゅうぶんに“秋”を感じながら、夏休みの撮影旅行を終えたものでした。当時、席巻していた“SLブーム”の象徴が、D51の三重連が見られた伯備線の布原信号場でした。信号場から鉄橋までのわずか数百mの区間に、全国が集まった“マニア”が集結しました。正統派を自認(?)していた私は、“にわかの聖地”には、絶対に行かないと決めて、近づかないようにはしていましたが、「話のネタ」にと、やっと腰を上げたのが、昭和46年9月でした。岡山から入った伯備線は初乗車だった、高梁川に沿う区間では、何度も対岸へ渡る鉄橋が続き、ガーダー橋が多く、撮りやすい区間だ。井倉~石蟹に掛かるガーダーは、渡らずの鉄橋で、対岸から編成をうまく入れられる。D51の牽く客車列車もあったが、まずはカラー映えのするDC列車にカメラを向けた。20系よりも10系が多く、岡山近辺のため、長編成も多かった。

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