JR日田彦山線の今後は?ちょっとひと回り

久々の投稿です。5月21日(木)、まさしく不要不急の外出ですが現地の様子が気になり出かけました。赤間~久留米(鹿児島本線快速)、久留米~日田(久大本線)日田~添田(日田彦山線代行バス)添田~田川後藤寺(日田彦山線)田川後藤寺~新飯塚(後藤寺線)新飯塚~直方(筑豊本線)直方~自宅(西鉄バス)、所要約8時間でした。

久留米から久大本線、昔は久留米を出ると次は御井(みい)でしたが久留米高校前、南久留米、久留米大学前と久留米が4つも並んでいます。その昔の白滝、旧白滝、上白滝、下白滝(順番は定かでありません)を思い起こします。東へ進んで田主丸駅、ここまでが久留米市、次の筑後吉井からはうきは市になります。

 

 

 

 

 

 

日田からは運転休止中の日田彦山線代行バスに乗車、日田添田間は現在約100分、鉄道の時は約50分でした。バスは大行司、筑前岩屋駅から線路を離れ沿線の主要自治体東峰村の中心小石原を経由します。見どころのアーチ橋、代行バスの車窓からようやくです。お許しを・・・

 

添田から日田方面の錆びついたレールです。かっては急行列車も走るにぎやかな路線でした。3年前の九州北部豪雨で運転休止、こちらでは復活に向けたJR九州、福岡県、地元自治体との協議が連日報道されています。前述の東峰村村長も鉄道による復活を断念、福岡県、JR九州が推すBRTでの再建に合意したもようです。

また1ヶ所、鉄路が消えていくのでしょうが令和の時代の新しい地域再生の姿を時折足を運んで応援して行きたいと思います。

追伸 この地区のお手元の画像、ぜひぜひ投稿をお願いします。九州のなかでも一二を争うスポットかと思います。

山口線から山陰へ

今回のコロナ禍で、かれこれ1か月、カメラを持たず外出していない。近場で阪急や近鉄、JRを撮ることも含めると1か月も撮影に出なかったのはここ暫くで記憶に無い。鉄道を撮りに行く、ということが如何に仕事のストレスやらを発散する効能が大きく、自分の中で重い位置を占めていたかを改めて思い知ることになった。今、それを悔しがっても仕方ないが、過去の撮影など振り返り、新たな展開への英気を養うこととしたい。 続きを読む

 北のC62 全記録 〈23〉

昭和46年3月26日 最終日、何度も通った上目名、長万部へ
北海道での最後の日を迎えました。通用25日の北海道均一周遊券も期限切れが近づき、今晩に函館を出なければ、期限までに帰宅ができません。夜行鈍行に乗って早朝4時45分に倶知安に着いたあとは胆振線へ回って、二つ目のキュウロクを撮ったあと、今期5回目の上目名~目名となりました。最後をどこで撮るか、何度も行った撮影地で写したい思いが湧き、やはり足は151キロポスト付近へ。通い慣れた道のように線路上を歩いて、カーブの先の具合まで見通せるようになりました。天気はどんよりした空で、時折、降るのは、水分を含んだボタン雪で、雪が消えた道床は、さらに黒々として続いています。151キロ地点に着いて、高台に上がり、この場所を初めて訪れた3年前のことを思い出していました。
3年前など、今なら一瞬のことだが、ウラ若き20歳にとっては、3年の歳月は、ずいぶん昔のことだ。C62も顔ぶれが違うし、列車名も違う。その3年前を思い出して、ほぼ同じ構図で撮ることにした。例によって延々とドラフト音が続いてきて、顔を見せたのは、今日も2号だった。

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 北のC62 全記録 〈22〉

昭和46年3月25日 定番の上目名、倶知安へ

大沼公園のユースに泊まった翌日、列車を乗り継いで、またまた上目名にやって来ました。この日は天気も良く、山々もよく見えます。ただ最終日近くになって、やる気も失せてしまい、明確に撮影地も決めないまま、呆然と歩いて、お馴染みの151キロ地点まで歩きました。151キロ地点から先、目名寄りは、大規模な築堤になっていて、東を望むと、なだらかな傾斜地が広がっていて、目名の集落が見えます。西を望むと、冠雪した後志の山々がよく見えます。急に“山バックのロクニ真横”構図を思いつき、築堤をどんどん下がっていきます。雪があるので、泳ぐようにして、滑り降りて行くことができます。編成全体は捨てて、135ミリの望遠でC62重連をやや俯瞰できるところまで来ました。太陽の反射で暑いぐらいで、汗びっしょりでした。背後の後志の山々も、しっかり見えます。それをさらに強調するため、Y2フィルタを装着して、「ニセコ1号」の通過を待ちました。
例によって、野太い汽笛二声が、目名の通過の頃に聞こえて来て、ブラスト音がどんどん近づいて来る。この日も2号を先頭にした「ニセコ1号」が眼前を通過して行った。真横から見ると、ランボードの白線がずいぶん強調されていることが分かる。

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 北のC62 全記録 〈21〉

昭和46年3月24日 C62単機区間で写す

1000キロ離れた地で、山科人間国宝さんとの奇跡的な出会いに興奮して、夜行列車で眠りにつき、まだ明けやらない大沼駅に降り立ちました。今までは、山線の重連区間でしたが、今期では初めてC62の単機の区間で写すことになります。C62の運用を見ても分かるように、朝の通勤列車、大沼発函館行きの126列車が、C62の間合い運用で唯一、普通列車を牽くC62となります。ただ連日の強行軍、夜行列車の連続で、やる気、元気も失せて来ました。4時33分、寝過ごさずに何とか列車から降りたものの、待合室でまた寝てしまい、ハッと起きると外はもう明るくなっています。あわてて外へ出てみると、五稜郭区から単機で回送されてきたC6215が、安全弁を吹き上げて、モクモクと煙を上げて、側線で待機していました。
大沼7時05分発の126列車、雪に覆われた駒ヶ岳をバックにして、C6215が発車して行く。点灯したヘッドライトが格好のアクセントとなった。

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 北のC62 全記録 〈20〉

昭和46年3月23日 奇跡の遭遇?
北海道へ入って、ちょうど2週間が経ちました。均一周遊券の残りをフル活用して、C62重連に集中します。塩谷で撮った翌日は、上りを小沢、下りを二股で撮ることになりますが、忘れられない撮影、出会いを果たすことになります。倶知安ユースで泊まり、倶知安からひと駅乗って小沢へ向かいます。小沢は、夏に来たことはあるものの雪の時期は初めて、20‰勾配が続くものの、夏は、両側に山が迫って、引きのある撮影ができない線区ですが、雪があれば、自由に撮影地が選択できます。ただ、さすがにこの季節、豪雪地帯ながらも黒々とした道床が見えています。C62重連の魅力のひとつが、“人間に最も近い機械”を実感することだ。その機械を操るのが、二組の機関士・機関助士で、ナッパ服に帽子、ゴーグル、首に巻いた手ぬぐいと完全武装、まさに“男の世界”だった。その一端を表現したいと思い、少し前から編成全体だけでなく、キャブ周りも写すことにして、機関助士も、タブレットの授受でキャブ左に位置することが多く、二人のコンビネーションを公式側から狙うようにしてきた。あとはシチュエーションだが、幸い、雪が降り出し、135mmで狙ってみた。雪の斑点がボケて、にっこり笑ってくれた。“おい、頑張れよ”の励ましなのか、“こんな時に好きやなぁ~”の軽視なのか、それは分からない。とにかく、自分の存在に気が付いてくれたのは事実で、それがたいへん嬉しかった。 続きを読む

 北のC62 全記録 〈19〉

昭和46年3月22日 初めての塩谷へ

「北のC62」、前回〈18〉では昭和46年3月20日のことを記しましたが、同時期に渡道した分が、あと5日残っています。昭和46年と言えば1971年で、あと一年でちょうど50年前の出来事になります。自分自身では、鉄道趣味人生で、最大の感動を味わったと今も思っているC62重連ですが、これだけ年月が経つと、その感動も薄れてきています。そのためにも、自分としては、最後の記録のつもりで記しておきたい思いがあります。しばらくご辛抱お願いします。

この日は初めて、塩谷に降り立ちました。塩谷と言えば、訪れる3、4年前のNHK朝ドラ「旅路」の舞台になり、小樽築港区の機関士だった主人公の家があったところとして描かれていました。現在、梅小路蒸気機関車館で保存中で、当時は小樽築港区で入換機だった9633が、ドラマの専用機のように出てきたものです。
塩谷は、小樽を出て、山線に入ってから最初の駅であり、背後には小樽の市街地が続いていて、自然のなかを行く重連は望めませんが、角度によっては海を入れることもできて、小樽から延々の20‰勾配が続き、煙はかなり期待ができます。

釧路から夜行鈍行に乗って小樽に着き、塩谷まで行って、撮影地に向かった。線路の山側は、家も無く、なだらかな傾斜地になっているので、自由にポジションを選ぶことができる。小樽を出てから、ずっと20‰、R300程度のカーブの連続で、煙の具合も良い。

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まだまだ続くよ、台湾鉄路への遠征その4

玉里客城1號橋 莒光602次

自強306次 DR3100型

瑞穂からは、7時19分の自強306次で玉里まで乗る。この列車は、ディーゼルカーのDR3100型、日本車両製である。まだまだ新しい車だが、全幹線電化完成後はどうなることだろうか、と思う。 続きを読む

まだまだ続くよ、台湾鉄路への遠征その3

翌1月12日は、前半が九曲堂で撮影、後半はひたすら移動となる。九曲堂では、レンタサイクルで約10分、高屏渓で鉄橋を渡る列車を撮る。戦前は東洋一の長さだったという下淡水渓橋梁からひたすら撮る。元の鉄橋は一部が水害で流されて、一部しか残っていないが公園の施設として残されている。この区間、九曲堂―六塊暦は、西部幹線と南回り線の優等列車が頻繁に走るので飽きることはない。 続きを読む

まだまだ続くよ、台湾鉄路への遠征その2

翌1月11日、宿を早めに出て、八堵駅に入線するEMU300の自強109次をホーム端で撮り、そのまま乗り込む。自強109次は、日曜日以外毎日運行しており、基隆を7時35分に出て、竹南から海線を経由し、終点の彰化には10時48分に着く。八堵ではがらがら状態だったが、台北から満員となり立客が出るくらいになった。竹南から彰化までは、山線と海線に分かれており、乗り間違えでもするとややこしい。

EMU300型 彰化

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