【97851】 ◆ “た~ちゃん”の電車めぐり ⑲

全盛時代の京都市電600形を撮る (2)

ちょっと留守にしている間にも、宮崎様や米手さんから、京都市電の貴重な写真がアップされ、楽しんでいます。これに乗じて、た~ちゃん撮影の昭和30年代の600形をもう一度載せました。
95両が製造された600形ですが、更新・改造が多く行われ、600形のまま残ったのは僅かでした。これも、ある意味600形の特徴とも言えるでしょう。一次車601~685は、終戦後の酷使や、軽量車体による車体歪みなどが発生し車体更新が行われます。先欄のコメントでも話題になった、側面中央部の垂れ下がりの有無が、更新前後の見分けポイントです。
そのあとは、未更新車のなかから、2600形ワンマンカーへの徹底した改造に移ることになります。昭和39年から18両が改造され、新製された2000形とともに、京都初の連結市電として活躍することになります。その後は、1600形ワンマンカーの簡易改造へと移り、昭和41年から63両が改造されました。結局、600形のまま残った一次車は4両のみでした。なお、戦後製の二次車686~695は、大きな改造を受けることなく、最後までツーマン車として使用されました。
600形を先頭に、烏丸車庫前でズラリと発車を待つ市電群、すべて形式が異なる、市電全盛時代のシーン。

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【97818】 ◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑱

全盛時代の京都市電600形を撮る (1)

本欄で大人気の京都市電600形、以前の米手さん投稿には、コメント数が36にも達して、急遽、別のスレッドを立てるという事態となりました。その米手さんとともに、“た~ちゃん”の介護投稿の資格認定を受けた私も、多数の600形のフィルムを預かっていました。以前にも「また投稿します」と宣言しておきながら、自分の投稿で忙しく、実施できませんでした。山陰から戻り、すぐ海外事情の視察(?)に向かわれた米手さんの留守中を見計らって、ご披露することにしました。
600形大好きの“た~ちゃん”は多くの写真を収めていた。学内の写真展「同志社をめぐる市電」でも紹介した、小雪舞う烏丸今出川を行く600形は、その代表的な写真。写真の撮影時期は、昭和35年前後で、まだ改造を受けず、95両全車が揃った全盛時代。昭和40年代、多くが改造されて、原型の600形は数両しか知らない私などには、羨望の時代に映る。

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【97344】 東海道線開業時の面影を巡る 桂川~西大路~京都 ⑥

東海道線の開業時巡りは、旧線に平行していた塩小路通を東へ、堀川通りを横断して京都駅近くに入って来ました。塩小路通は、平安京の八条坊門小路に当たる古道で、別名を、付近の史跡から三哲通とも呼ばれました。市バス車庫名にその名をとどめるものの、あまり聞かれなくなりました。開業時の東海道線は、塩小路通の南に平行して、単線の線路が敷かれていたことになります。塩小路通の道幅は、堀川以西は古道と同じ狭い幅であり、堀川以東のように拡幅されるのは、大正3年、東海道線が南に移設され用地が払い下げられた結果、現在見られるような道幅となりました。
京都駅周辺は、駅ビル新築時の前後に、周辺も大幅に再開発され、開業時を偲ぶ遺跡は何も残っていない。このオムロン本社の裏手の写真からも、何ら手掛かりもないように見える。しかし「ブラタモリ」の言葉ではないが、微妙な凹凸地形を観察すると、土地の歴史が浮かんで来るように、ここから140年前の東海道線の面影が見て取れる。

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【97325】 東海道線開業時の面影を巡る 桂川~西大路~京都 ⑤ 

桂川駅から西大路駅近くまで、歩いて巡った東海道線開業時の面影巡り、ここから先の京都駅方面へは、2008年ごろの旧掲示板から新掲示板への移行時期に、「京都駅付近の鉄道遺跡を偲ぶ」として本欄で紹介しました。ところが、見返してみると、旧掲示板は「おっと失礼」で、見ることができなくなっていました。ちょうど10年が経過していますので、その後の変化も含めて、改めて西大路~京都の開業時の遺跡を探索することにしました。

前回の「超低い恐怖のトンネル」がある御前通を過ぎると、まもなく京都鉄道博物館が見えてきます。米手さんご紹介の地図からも分かるように、ここまでの区間は、開業時の路線と、現在の上り線とが一致していますが、ここから開業時路線は、徐々に現在線の北側へ振るようになります。ご承知のように開業時の京都駅は、現在の駅前広場にあって、その延長線上に、開業時の東海道線があったことになります。ちょうど、京都鉄道博物館の梅小路機関庫・梅小路公園の芝生広場の直下に、開業時の路線があったことになります。
梅小路公園を走るN電、このすぐ南側を開業時の東海道線が走っていたことになる。

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【97194】 東海道線開業時の面影を巡る 桂川~西大路~京都 ④

桂川橋梁の探索を終えて、線路沿いを東へ歩きます。葛野大路通を越して、西日本JRバスの京都支店・営業所の前まで来ると、西小路通を越すところに橋梁があります。架道橋のように見えますが、銘板を見ると「長池川橋りょう」とあり、かつて、ここに川が流れていたことを偲ばせます。西小路通りは、北側のGSユアサ工場の横で屈曲しており、道路としては不自然な曲がり方で、この道路の下にいまも暗渠として残っているのかもしれません。橋梁は約11mの長さ、上り線の橋脚は、基礎部は切石積み、上部は煉瓦積みになっていて、明治9年の開業時のものと言われ、切石積みなどは、後年に改修されたと思われます。
煉瓦積みの橋台が残る、長池川橋梁の上り線。下り電車に乗ると西大路駅を出てすぐの直下にあり、開業時の煉瓦積みが、ひっそり残っていた。

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【97167】 東海道線開業時の面影を巡る 桂川~西大路~京都  ③

東海道本線開業時の面影巡り、続けます。桂川右岸の探索を終えて、左岸の西大路・京都方面に向かいます。ただ徒歩では川に阻まれて、桂橋まで3キロ近い迂回を強いられて、桂川橋梁の左岸側に到着しました。ここには、少し前の京都鉄道博物館で行われた企画展「鉄道遺産をたずねて」で、初めて知った周知の遺跡へまず向かいました。
桂川左岸の橋脚3基については開業時のものとも言われるが、これに疑問を呈する論文もあり、真相はよく分からない。ただ、上り線複線分の煉瓦橋脚は存在感が十分にある。下部にはアーチ状の切り欠きがあり、ここに興味深い刻印が・・

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