【101639】わらくろや社長様 コの付く客車

先日、マルーン会長のお供をして明延1円電車乗車と坑道見学に行ってきました。
その時に随行してくれたのが山科で有名な旅行社・わらくろや旅行社社長です。各地の有名人とのコネがあるのか、行く先々で土産店や食堂で歓待されました。
その旅行の途中で「客車には記号があって“ナオスマカ”が付くのです」と会長や同行のJR西日本大株主・ましたしも氏にのたまうので、思わず「コホナオスマカが正しい記号で・・」と言いかけると、「コホの付く客車などありません。見たことがない」と言下に否定するのです。見たことのないものは信じないというのは心貧しき人々によくあること、でも客車となると見逃すことはできません。井原さんに叱られる!
で、帰って調べましたら一枚撮していました!
かなり古く、しかも濃い霧の中で撮ったものですから写りはもう一つ、でもそんなことは言ってられませんのでお許しください。

わらくろや社長、これが“コの付く客車”や!
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【101602】 羽村さんが遺したアルバムから 〈9〉

奈良電鉄
羽村さんシリーズ、阪急、京阪、叡電と京都周辺の私鉄が続いて、最後は奈良電です。と言っても撮られた写真は4点だけ、羽村さんにとって、奈良電は近くて遠い存在だったようです。私も、同じようなイメージで見ていました。奈良電時代は、沿線に行くような用事はなく、唯一、学校の遠足や町内の行楽で、大久保あたりの芋掘りに行った記憶しか残っていません。“芋掘りに行く時だけの電車”のイメージしかなく、現在の近鉄京都線と比べて、沿線人口も少なく、田舎電車そのものでした。
芋掘り以外にもうひとつ、行楽客を集めたのは木津川の水泳場だった。海のない京都では、川の中州を利用した水泳場が何ヵ所かあった。中でも奈良電木津川鉄橋付近の水泳場は、新聞社の後援もあったりして人を集めた。奈良電は、鉄橋の上に木組みの臨時ホームを設けて開催期間は乗降扱いをした。写真のように、1両まるごと広告電車も現われてPRにつとめた。この臨時ホームは、昭和43年のDRFC時代、車庫見学に行った時にも残っていた。電車は、昭和23年に登場したデハボ1100形で、運輸省の規格型、同年に登場した近鉄の規格型600形とほぼ同じである(奈良電京都、昭和26年)。

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【100214】 北海道の鉄道被害を憂う 〈続〉

北海道胆振東部地震から2週間以上が経ちました。JR北海道ホームページによると、不通区間のうち、最後の根室本線富良野~東鹿越も9月26日に開通することになりました。震源近くの日高本線苫小牧~鵡川でも、一部代行バスが残るものの列車運転が始まり、これで、地震前に営業していた区間は、すべて復旧・営業再開することになります。以前、本欄の私の投稿で、廃止が取り沙汰されている線区が不通になり、なし崩し的に廃止に追い込まれるのではと心配しましたが、それが杞憂に終わり、安堵しているところです。ただ、以前から災害で不通になったままの日高本線・根室本線の一部は、バス連絡が続いています。
ブラックアウトで停電が続いていた北海道のなかで、札幌の繁華街ススキノにも電気が復旧し、名物のニッカウヰスキーの電照広告に灯が点いた時は、人だかりの中から歓声が上がったと報じています。“札幌”“灯り”の新聞見出しで思い出したのが、たまたまC62のネガスキャンをしていた時に一緒にコマにあった、この札幌駅前の夜景だった。北海道を転々としていた身には、煌々と灯りが点るのは、久しぶりの大都会の光景で、都会から来た旅行者にとっては、逆に心が安らぐような光景だった。ススキノでニッカウヰスキーの電照広告を見た人たちも、同じような思いにとらわれたのだろう。

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【99840】 北海道の鉄道被害を憂う

久しぶりのデジ青投稿です。ここしばらくの日常生活の中で、いちばん驚いたのは、4日の台風21号の強風でしたね。ホントに生きた心地がしませんでした。本日の役員会後の飲み会でも、その話題で持ちきりでした。関西在住の皆さんのところは、いかがでしたでしょうか。
関西では、このところ天変地異の連発です。大阪府北部地震から始まって、40度近い猛暑、西日本豪雨、そして今回の台風による強風です。人間誰しも、天変地異には遭遇するとの思いは持っていても、その被害者にはならないという、変な安心感を持っているように思います。しかし今回は、私自身も、危うく関西空港での閉じ込めや、家の倒木を経験、はたまた信号機が90度曲がったままになっていて、危うく交通事故に巻き込まれそうになったことなど、身を持って災害の危機を感じました。
そして、ここへ来て、北海道胆振地方東部地震です。あのJR北海道も一時は全道すべてで運休でしたが、昨日あたりから徐々に動き始めました。各線の被害状況は不明でしたが、先ほど、JR北海道のホームページを開くと、全路線の運転計画があり、初めてその全容を知りました。私が真っ先に心配したのは、廃止が予定・計画されているローカル線の状況でした。案の定、HPでは、すべて「運転再開の目途が立っていない区間」に指定されていました。本州3社に比べて、著しく脆弱なJR北海道のこと、軽々しくは言えませんが、「被災→運休→廃止」の道を辿るのではと危惧しています。
今回の地震で震源に近かった日高本線の鵡川は、思い出の地だ。2010年、ぶんしゅうさんとクルマで北海道を回った時、鵡川の道の駅で、二人一緒にクルマの中で寝て、翌日、日高本線の撮影に向かった。朝は鵡川駅に向かい、列車の交換を撮影した。女子高校生の乗り降りもあって、アクセントを添えることができた。HPでは、日高本線で、災害不通が長く続き、もともと廃止予定の鵡川~様似は、「通常時からバスで運行中」とあり、まるで鉄道には触れていない。存続予定の苫小牧~鵡川は「運転再開の目途が立っていない区間」であり、日高本線全体が廃止に憂き目に会うのではと心配している。

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【99499】鉄道、つれづれ草 ーエイデン編ー

じっとしていても倒れそうになる7月の午後、乙訓の老人はアルバムを小脇に抱えて、四条大宮の木陰で、律儀に待っていてくださいました。
今回は京福電鉄です。この電車には、一時期、介護士もお世話になりましたが、福井地区と叡山・鞍馬地区と嵐山地区に分かれるため、京福電鉄へのなじみは叡山・鞍馬地区(線)に限定されます。
それなのに老人様は「写真はここから選んで!当時の記録は火事で焼けた(老人の丸投げ時の常套句)のでわからへん」と言いながら、昭和61年発行の「れいる17号」をテーブルに投げ出しながらコーヒーをすすられました。
これではリハビリにはなりませんがやむを得ません。引き受けました。

デナ1型 5+6 八瀬

さて、始めて見るとこれが大変です。「京福電鉄」は現在では分割されて、車輌もすでにないものや、新たに作られて昭和61年の本には載っていないものなど介護士の知識では説明できないものがたくさんあります。そのため、曖昧な説明になりますが、間違いがあればご指摘ください。訂正致します。記号、車番など現在と違う表記は、老人の時代のものとご理解ください。また、嵐電は、老人の好みに合わないとかで収録されていません。
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【99228】 客車のある風景 ~フィルムの片隅から~ 〈11〉

窓の開く客車

客車の魅力は、いろいろありますが、「窓が開く」のも、そのひとつでしょう。窓ガラスで遮られることなく、ナマの車窓風景をたのしむことができます。この季節なら、走るにしたがって涼風が入って来て、生き返った気持ちになります。最近聞くのは、小海線へ行っても、窓の開かない冷房付きの気動車ばかりで、窓を開けて高原の自然の風を入れたいと聞きます。とくに猛暑の今年、テレビでは「ためらわずに冷房を」と叫んでいますが、暑いときには暑く、涼しいときには涼しく感じる客車こそ、自然の摂理に合った乗り物だと思います。
「窓の開く」のは、自然が感じられるだけではなく、車内外で人と人との交流ができるのも、また客車の魅力です。車内から手を振って、外の人と一時の邂逅を楽しんだ幼い日の思い出は誰にでもあると思います。
クローバー会メンバーとともに、現地で前泊して、甲斐駒ヶ岳をバックにした小海線小淵沢の大カーブの先端にやって来た。イベント用として、C56の牽く混合列車が運転されていた。これは、定期の貨物列車に客車1両を連結したもので、列車番号も183レだった(昭和47年8月)。

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【99220】 客車のある風景 ~フィルムの片隅から~ 〈10〉

客車時代の食事
最近、車内で駅弁を食べるシーンを、ほとんど見かけなくなりました。私は、駅弁に限らず、車内で食べるのは、周囲から目が気になって、どうも苦手です。その点、昔の客車では、人目をはばからず食事、駅弁を食べたりしたものです。かの有名な富士フィルムの「50000人の写真展・鉄道のある風景」に、昨年「窓」で入選された米手さんの写真も、客車で駅弁を頬張るDRFCメンバーを写したものでした。今のように、明るく開放的な車内では、食事をする雰囲気にはありません。ボックスシート、暗い車内ならではです。食べると言っても、コンビニも無かった時代、駅弁か駅ソバに限られて、たいへん貴重な食材でした。
正月明けの宇都宮駅、夜行列車を降りた身に、寒さと空腹がこたえる。向かいのホームからは、見るからに暖かそうな駅ソバの湯気が上がっていて、たくさんの客が群がっている。右手には、スハフ32 2362の狭窓が見え、その前を、寒そうな母娘が、白い息を吐きながら、通り過ぎた。

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【99204】 客車のある風景 ~フィルムの片隅から~ 〈9〉

混合列車の魅力

客車列車は数多く乗りましたが、「混合列車」となると、乗車機会はウンと少なくなります。それでも、思い出してみると、釧網線、根室本線、石北本線、五能線、日中線、大社線、木次線、高森線、肥薩線で、蒸機の牽く混合列車に乗った記憶があり、昭和40年代、まだこれだけの混合列車が残っていたことに改めて驚きました。どのローカル線でもあったわけではなく、客車列車のスジがあるものの、旅客数は少なく、貨物量も少しはある、このような客貨のバランスがあって、混合列車が設定されたようです。乗ってしまえば、客車列車と変わりはありませんが、発車時のショックで前に貨車が連結されていることを感じ、途中駅では、旅客ホームのないところでも平気で停車し、客扱いが終わっても、悠然と貨車の入換えに励むなど、混合列車ならではのシーンが見られました。
石北本線は、本線格で、客貨もほかの線区よりは多いから、混合列車もスケールが大きい。これはDRFCメンバーとともに、下り「大雪6号」に乗り、遠軽に着いて、始発の523レに乗り換えたもの。生田原で補機が付いて9600+D51の重連となり、貨車も長く、その編成にも興味が湧く。常紋に向けて、列車は力闘を始める(昭和44年9月)。

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【99160】 客車のある風景 ~フィルムの片隅から~ 〈8〉

夜の客車

今では死語に近くなりましたが、“夜汽車”という言葉があります。窓から洩れる室内灯、照らし出された乗客の姿、発車ベルが鳴り終わり、一瞬の静寂のあと、耳をつんざく汽笛、ゆっくりホームを離れていく列車…、これは、もう客車でしか演出し得ない、夜汽車のイメージではないでしょうか。
なにゆえ、夜の客車は、絵になるのでしょうか。やはり白熱灯の暖かい光があります。もちろん蛍光灯の客車もありましたが、客車は白熱灯に限ります。加えて一枚窓が連続して続く規則性、また、ブドウ2号の濃い塗装が、窓とのコントラストを出している。これらが相乗して、哀感さえ漂う夜汽車のムードを演出しているのではないでしょうか。
九州の名物夜行鈍行門司港~都城の1121レ、1122レ、早朝を走る1121に比べて、ずっと夜間の1122は、見どころは少ないが、時間調整もあって、とくに吉松~人吉の各駅では停車時間が長く、バルブ撮影に適している。ここ大畑は、周囲に一軒も家もなく、漆黒の世界がひろがるが、D51 1058の前照灯と客車から洩れる光だけが、“夜汽車”の雰囲気を演出していた(昭和45年9月)。

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