【99204】 客車のある風景 ~フィルムの片隅から~ 〈9〉

混合列車の魅力

客車列車は数多く乗りましたが、「混合列車」となると、乗車機会はウンと少なくなります。それでも、思い出してみると、釧網線、根室本線、石北本線、五能線、日中線、大社線、木次線、高森線、肥薩線で、蒸機の牽く混合列車に乗った記憶があり、昭和40年代、まだこれだけの混合列車が残っていたことに改めて驚きました。どのローカル線でもあったわけではなく、客車列車のスジがあるものの、旅客数は少なく、貨物量も少しはある、このような客貨のバランスがあって、混合列車が設定されたようです。乗ってしまえば、客車列車と変わりはありませんが、発車時のショックで前に貨車が連結されていることを感じ、途中駅では、旅客ホームのないところでも平気で停車し、客扱いが終わっても、悠然と貨車の入換えに励むなど、混合列車ならではのシーンが見られました。
石北本線は、本線格で、客貨もほかの線区よりは多いから、混合列車もスケールが大きい。これはDRFCメンバーとともに、下り「大雪6号」に乗り、遠軽に着いて、始発の523レに乗り換えたもの。生田原で補機が付いて9600+D51の重連となり、貨車も長く、その編成にも興味が湧く。常紋に向けて、列車は力闘を始める(昭和44年9月)。

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【99160】 客車のある風景 ~フィルムの片隅から~ 〈8〉

夜の客車

今では死語に近くなりましたが、“夜汽車”という言葉があります。窓から洩れる室内灯、照らし出された乗客の姿、発車ベルが鳴り終わり、一瞬の静寂のあと、耳をつんざく汽笛、ゆっくりホームを離れていく列車…、これは、もう客車でしか演出し得ない、夜汽車のイメージではないでしょうか。
なにゆえ、夜の客車は、絵になるのでしょうか。やはり白熱灯の暖かい光があります。もちろん蛍光灯の客車もありましたが、客車は白熱灯に限ります。加えて一枚窓が連続して続く規則性、また、ブドウ2号の濃い塗装が、窓とのコントラストを出している。これらが相乗して、哀感さえ漂う夜汽車のムードを演出しているのではないでしょうか。
九州の名物夜行鈍行門司港~都城の1121レ、1122レ、早朝を走る1121に比べて、ずっと夜間の1122は、見どころは少ないが、時間調整もあって、とくに吉松~人吉の各駅では停車時間が長く、バルブ撮影に適している。ここ大畑は、周囲に一軒も家もなく、漆黒の世界がひろがるが、D51 1058の前照灯と客車から洩れる光だけが、“夜汽車”の雰囲気を演出していた(昭和45年9月)。

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【99104】 客車のある風景 ~フィルムの片隅から~ 〈7〉

西鹿児島の団体列車

前項で、客車にまつわる話題として、デカンショさん、1900生さんから、「エキスポこだま」が採り上げられました。この列車、昭和45年、夏休みに万博に押し寄せた入場者の輸送手段として生まれたものでした。夏休みになって、万博の終了も22時30分まで延長されますが、輸送の大動脈を担っていた新幹線は最終が出たあと。そこで、苦肉の策として生まれたのが「エキスポこだま」でした。全国から一般客車をカキ集め、7月3日から最終日の9月13日まで、上りのみ、全車指定での運転でした。時刻は、大阪22:58発、新大阪、京都に停車して、三島には6:53着、始発の新幹線「こだま」(全車自由席)に乗り換えて三島7:05発、東京8:10着でした。「エキスポこだま」自体は臨時急行ですので、途中の駅までの利用も可能でしたが、割引もあって、一部区間とは言え冷房の入った新幹線に乗って東京へ戻れるのは魅力でした。列車は三島に着くと、すぐ回送でトンボ帰りして、その日の晩の運転に備えていました。
日本が高度成長の頂点に達した昭和45年に開催された、国家的一大イベントの日本万国博覧会、総入場者は6400万人で、その大移動を担ったのが鉄道で、日本全国から、万博会場を目指す、列車が数多く運転されました。たまたま訪れていた九州でも、その大輸送の一部を垣間見ました。
昭和45年8月の終わり、西鹿児島駅のホームの時計は16時55分を指している。なにやら5番ホームから楽団の演奏も聞こえてきて賑やかだ。大勢の見送りを受けて、雑型客車ばかりの列車が出発して行く。時刻表を見ても該当する列車はなく、どうやら団体列車のようだ。

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【99074】 客車のある風景 ~フィルムの片隅から~ 〈6〉

横サボを鑑賞する

客車らしさを演出する小道具として、車体に書かれた標記、取り付けられた表示板があります。なかでも車体の中央に下げられていた、引掛け式の行先方向板、通称“横サボ”は、その代表です。鉄道趣味のジャンルも構成していて、私はさほどの執拗さは持ち合わせていませんが、恰好の蒐集品対象にもなっているようです。以前の趣味誌に、“これによって旅客車に魂が入る”と書かれていましたが、まさにそのとおりで、サボが吊り下げられるだけで、生きた客車を感じて、サボの行き先を見ては、見知らぬ地への思いを馳せたものでした。なかでも、青地に白文字、琺瑯製のサボは、茶色に塗られた客車とは絶妙のバランスでした。
琺瑯製のサボのなかでも、毛筆体のものは、昭和30年代初頭まで製作されていたと言われ、昭和40年代後半でも、この写真のように、北海道や東北では見られた。達筆で書かれたサボは、昔の職人の技を感じたものだ。琺瑯は、金属の表面にガラス質の釉薬を焼き付けたもの、今でも、JR北海道の柱部の駅名表示に使われる。

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【99050】西日本豪雨の爪あとは深く

逆走する台風12号のおかげで西日本各地の鉄道は またしても運転見合わせとなっています。とは言えこれは一時的なストップで済みそうですが、問題は先の豪雨によって寸断されている鉄道の復旧です。

平成30年7月28日 中国新聞朝刊

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【99037】 客車のある風景 ~フィルムの片隅から~ 〈5〉

長大編成と最短編成
客車編成を前にして、よくやったのが、編成調べでした。少し前のコメントでも1900生さんから、編成調べの話を聞かせてもらいました。当会でも編成調べの権威が多くおられました。私にとって衝撃的だったのは、入会した時にもらった「青信号19号」でした。前年に行われた九州の狂化合宿の旅行記を、一年上のTさんが記していました。12日間の旅行で、たとえ一駅でも乗車した列車を、端から端まで全列車全車両を記しておられ、その几帳面さには脱帽でした。編成調べの醍醐味は、思いもよらない珍車や、全く別の配置区の客車が混じったりすることですが、端まで調べ上げて、初めて“何両編成”と分かり、感慨に浸るのも目的のひとつでした。今回は、そんな客車の編成両数です。
私が撮影した中で、一番の長大編成は、西鹿児島発東京行き「高千穂」の16両編成だった。客車急行の全盛時代、東海道・山陽線の主要な急行列車は、荷物・郵便車、区間の増結車両を含めて15両だった。寝台特急の20系固定編成も15両編成で、このあたりが、ホーム有効長、牽引定数などから限界のようだ。この写真は、それを上回る両数だが、真夏なのに1両目だけ窓が開いておらず、回送扱いと思われる。それにしても、二列車の併結ではなく、単独でこの長さ、さすが、この時代である(昭和40年9月)。

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