竹薮の傍から

このところ、話題が明治に及び、顧問も「すまんけど、私も仲間に入れてんか」と、草葉の陰から現れそうである。京津電軌開業80年を直前に、1992年8月14日が命日だから16年の歳月が経過した。顧問は、吉川文夫さんとは絶えず「京電」のことを中心に文通しておられたようで、1993年秋の彼岸を前にして「お参りに行きたいが、案内して欲しい」と電話があった。2人でお伺いしたら奥様から「主人は吉川さんからのお手紙を全部残していました」と、段ボール箱を取り出された。そして「京電関係はこちらの箱です」。2人は顧問の遺品となったものを整理の上、紙袋などに詰め合わせ、頂戴して辞去した。鹿島さんの事務所で荷造り、宅急便で鎌倉へ送った。「関西の鉄道」32号には吉川さんが顧問を偲び、お二人で探索した「京電」の話が掲載されている。ぜひ購読してほしい。DRFCとの「絆」はここにもあったのである。

 インドネシアの孫(2年7ヶ月)が里帰り中である。藪を通して阪急が行きかいする光景がお気に入りである。その阪急、98日朝やって来た7400先頭の8連、8300系新を垂直にしたようなマスクの持ち主であった。車内扉上3ヶ所に薄型テレビの案内装置がある。扉間座席は323で肘掛の区切り付。1週間後、9300系の5本目に出会った。近々6本目も登場するらしい。そしてさらに増備を重ねると噂されている。正雀で観察している「鉄」に、桂で休車となっていた6300系が1本見当たらないので去就を尋ねたら、それは事故編成の代替となり、事故編成1本をあの世へ送ったらしい。9300系増備により2300系の終焉が近づいてきたようである。そしてもう一つ、洛西口駅の前後、東側の田圃や道路で工事の準備が始まっている。道路付け替え工事となっているが、地元紙乙訓版では洛西口駅の踏み切り改良工事のためで、阪急は高架線になるとのこと。この踏み切り前後だけで、川岡、山陰街道の踏み切りは関係ないようだ。勿論、東向日駅高架化も関係なく、向日市民としては寂しい。

月代わりと共に水泳列車の話も陰を潜めた。高校入学するや新聞局に入局したが、6月に入ると水泳バスの切符売りをやらされた。青柳浜往復で朝7時に校門前出発だったと記憶している。料金は忘れた。校下の京都帝産バスの重役さんが安くバスを提供してくださる、とのことで新聞局をはじめ水泳部や他のクラブでも主催し、クラブ運営費の足らず前を稼いでいた。往路は良いとして、復路は帰校がいつになるやら?となり、卒業後は話をきかなくなった。その年、江若鉄道に1957号登場。大鉄車両なる聞き慣れないメーカーにつき高山師匠に尋ねてみたら、「あぁ、あれなぁ向日町駅の東北隅の掘っ立て小屋でごそごそやってるとこや」と、教えてくれた。まだ下鴨の住人で親のすねかじりであった頃で、自転車で向日町へ行った。木造トタン張りの建屋があり、2線引き込まれていた。1958号となるべし車両が工事中。その傍らでタンク車が整備中であった。察するに大鉄車両とは、私有貨車の定期検査を主たる業務としていたようであった。

その年、195810月は阪神の小型車を追いかけている。一段落したところで近鉄名古屋線へ。ジェットカー登場や改軌の事を師匠から教えて貰ったからだ。1225日には和歌山へ。発端は阪急甲陽線の7,8号の姿が消えたからだ。師匠から「和歌山に行けば阪神700と共に頑張っている」と聞かされた。このころピクとTMSが頼りだったが、ローカルのことなど報じられることなく先輩に教えられ行動したものだ。その和歌山ではガソリンカーの成れの果てを7両も見る事ができた。車庫で形式図を見せてもらったら205206の2両が江若から流れ着いたものであることを知った。そして珍車、片ボギーの801。元は8001なる高松琴平顔負けのインフレナンバーであったとか。片ボギーを見たのは初めてで、伊太祁曽~貴志間往復してきたが、2軸貨車より乗り心地は良かった。こうした電車の部類に入れられた気動車については須摩の大人の銘著を紐どいて頂くと、故事来歴がよく分かる。なに、高過ぎて買えなかった、どなたか解説をよろしくお願いします。

本来、彼岸の日に顧問を偲ぶ一端として「新規投稿」とすべしが、またしても新機軸となりスカタンを恐れ遅延してしまった。

天然色写真で巡る40年前の九州(1)

(1)まえがき -フジかサクラか-

旧掲示板に、昭和43年、初めて訪れた北海道で撮影したカラースライドを画像復元して発表しました。今回から、その続編として昭和44年春に九州を訪れた際に撮影したカラースライドを、性懲りもなく発表することにしました。すっかり忘れ去った遠い過去の事象が、文字と写真で改めて表現すると、生き生きと蘇ってくるのです。これぞ掲示板の魅力だと考えます。
前回も今回も、一眼レフに入れたモノクロフィルムを主体に、カラースライドはEEカメラで、ここぞという時にだけ撮っていました。ただ違うのは、前回はフジ、今回はサクラのカラースライドを使用したことです。
この40年間、両者は同じ条件(と言ってもほったらかしに近い)で保存しています。ところが、その結果はたいへん対照的なのです。
色調については、フジはほんど色が抜け、復元が不可能なぐらい褪色しているのに対し、サクラは褪色も見られるものの、フジほどではありません。完璧に違うのは、カビの発生です。フジには大なり小なりすべてにカビが見られるものの、サクラにはほとんどカビがありません。
当時の国産カラーフィルムの評価は、フジのほうが高く、シェアも占めていました。サクラは二流品の評価で、価格も少し安かったように思います。
しかし、サクラのほうが、明らかに防褪色、防黴性といった保存性能は優れていたのでしょう。
ものの評価というのは目先だけで惑わされてはならない、長い目でじっくり見定めることが肝要だとの思いをこの例で改めて思いました。
せっかく優れた技術を持っていながらフィルム事業からは撤退したサクラ(現コニカミノルタ)はつくづく惜しいことをしたと痛感しています。

フジとサクラのカラースライド

 

「都電荒川線の日」記念イベント

9月27日土曜日、「荒川線の日」の記念イベントとして、荒川車庫の一般公開が行われたので、都心に出掛ける途中一寸覗いてみた。ポスターやHPに「保存車6000形撮影会の実施」と書かれており、確かに以前「6152」が保存されていたが、平成15年に「荒川遊園地」に移されている。しかも「昭和24年日本鉄道自動車製」と記されており、一般に知られている保存車の中には同社製のものがなく是非確かめたいと思った。

 当日9時40分に自宅を出た。金町・町屋間は僅か15分、町屋で都電に乗換え荒川車庫には10時40分に到着した。車庫の前には山吹色も鮮やかな6086がビューゲルを上げて停まっていた。

6086の経歴は、ネコ・パブ社「RM LIBRARY19 都電6000形」によると、昭和24年3月8日付で入籍し、青山車庫に配属。その後、南千住→青山→三田→巣鴨→神明町→大久保→三ノ輪→駒込と転属し、昭和45年12月24日付で荒川車庫の配属となり、昭和53年4月27日付で廃車となっている。廃車後の足跡については公表されていないが、恐らく個人に譲渡され、大切に保管されていたものと思われる。所有者に手放さなければならない事情が生じ、解体寸前の処を、岩手・宮城内陸地震で亡くなられた岸 由一郎氏のご尽力により保存されることになったそうである。

その他、7515と7027が展示され、7515は車内も見学できた。また、6086については、離れての型式写真と、近くでの記念写真の時間がそれぞれ決められており、見学、撮影者も現場案内担当の方の指示に従い、マナーはよかったと思う。

 6000形については6152が平成12年12月まで動態保存的に営業運転されていたが、京福福井支社の事故により不可能になったため、荒川遊園地での静態保存になってしまった経緯があり、6086については6152の二の舞とならないように願う次第である。

 

昨年登場したレトロ調の新製車9001との並び

 

6086が荒川車庫に運ばれるまでの行程を紹介したパネル

 平成19年5月16日、荒川車庫に隣接して「都電おもいで広場」が設置され、本物のPCC5501と7500形で車体未更新のまま残った7504が展示されている。5501の車内は座席が撤去されギャラリーとして使用されており、運転台は道路に面した片方だけが復元されている。7504の車内は現役時代のままであるが、家庭用のエアコンが取り付けられている。オープンしているのは土・日・祝日の10時~16時までであるが、それ以外の日でも外からの撮影は可能である。

5501の運転台

当初は画像の通り、足踏式であったが、扱いにくいということで後日通常のマスコンに取替えられている。

 

ナニワ工機の銘板

 

7504

#2 新規投稿する

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1.右メニューか画面左上にある「新規投稿」をクリックします。
2.ユーザー名とパスワードをいれます。

※上記の「ユーザー名」はハンドル名ではありません。
あなたのメールアドレスの@から左の部分がユーザー名になります。メールアドレスがabc@def.comならユーザー名はabcです。

3.「ログイン情報を記録」にチェックをいれ、「ログイン」をクリックします。

4.記事のタイトルと本文を入力します。

6.次に記事のタグ・カテゴリー・投稿者名を選んでください。

タグにキーワードとなる単語を入れておくことで、後で検索しやすくなります。
Googleなどの検索エンジンからもヒットしやすくなりますので、できれば入れておきましょう。地名や写っている車種などを入れてください。何も入れなくても投稿はできます。複数のタグを入れるには単語ごとに半角コンマで区切ってください。

カテゴリーもできるだけ指定してください。

投稿作成者は旧掲示板でいうところの投稿者名と同じです。
※この項目は管理権限のあるユーザのみ表示されます。

7.「投稿」をクリックすると、記事が公開されます。

次回から投稿するには、左上か右メニューの「新規投稿」をクリックします。ログインしなくても、直接投稿画面になります。

#1 新規ユーザ登録

荒らし投稿対策のため、掲示板へ投稿を行うには予めユーザー登録を行う必要があります。
※旧掲示板へ投稿を行っていた方は、管理者側でユーザー登録は完了しています。
この作業をする必要はありません。

1.掲示板右メニュー「掲示板操作」にある「新規ユーザ登録」をクリックします。

2.画面に従い、ユーザ名メールアドレスを入力し、登録をクリック。
ユーザ名は半角英数字のみです。投稿記事に表示される「ハンドル名」は別の画面で設定できます。

3.以下の電子メールにて、ログイン用のパスワードが届きます。
件名:  [DRFC-OB デジタル青信号] あなたのユーザー名とパスワード
差出人:wordpress
パスワードはメール本文中に記載されています。
重要な情報なのでメモに残すなどしておいてください。

4.メール本文中にあるアドレスをクリックする。
http://drfc-ob.com/wp/wp-login.php

5.掲示板のログイン画面が表示されます。
ユーザ名とパスワードを入力し「ログイン情報を記憶」にチェックを入れてから、ログインをクリックします。

6.掲示板の管理画面が表示されます。新規投稿作成をクリックします。
以後、#2新規投稿方法に従って投稿してください

CRHの旅Ⅱ Part4 京九鉄道初乗車

これからが、今回の旅の本番、香港返還に合わせて1996に開通した京九鉄道広州駅~北京西駅2300km、約21時間の初乗車の始まりです。

 

200891317:15、急いでホームに上がりました。既にT16は、ホームに着いていました。客車の行き先サボを見ると、何と海南島三亜駅からの車両です。前もって時刻表は見ていましたが、気が付きませんでした。

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質問

管理人様、

投稿文に対してコメントを書くとき、複数持っているハンドル名を使い分けることができませんか?
「○○○」としてログイン、と出ていますがこれを「●●●」にコメント欄で変更する方法をお教え下さい。

京都駅付近の鉄道遺跡を偲ぶ (5)

先日、米手作市さんからお誘いを受け、乙訓老人とともに、旧京都駅関連の地図を調べに京都府立総合資料館へ行って来ました。知らないことは誰彼なく聞きまくるという積極的な姿勢を信条とする作市さんが、旧京都駅に関する資料の有無を同館に問い合わせたところ、旧京都駅を描いた地図があるとの回答をいただき、この日の訪問となったものです。
見せてもらったのは、明治17年に京都市が発行した『下京地籍図第32組』。京都市内全域で作成された色刷りの地籍図のなかの旧京都駅付近の地域です。土地の区分を表す地籍図のため、地上の施設や建造物は描かれていませんが、鉄道線路だけは地図記号ではっきりと描かれています。なかでもこのシリーズ1~4で紹介した、現京都駅付近から大宮通に至る区間は、道路や川との関係が手に取るようにリアリティをもって迫ってきます。詳細なうえに着色されているので、その真実味がさらに増します。これを見ると、天下の東海道線とはいえ、家並みの裏手を抜けたり、道路と併用軌道のような感じで通り抜けたりした、ごく小規模な鉄道だったことが伝わってきます。
残念だったのは、旧京都駅そのものの地域は、鉄道記号が省略されており、単に「官有地」としてしか土地の表記がされておらず、線形などを読み取ることはできませんでした。
前回の(4)では、旧駅東の正行院前の道を旧線跡としましたが、今回、この地籍図を見ると、寺の前には細い道がもともと存在していました。旧線はこの細い道の北側を並行して走っていたことになります。

(5)西大路駅付近の開業時の橋脚
旧線は、大宮通付近までは現在線の北側を通っていたが、そこから西へはちょうど梅小路貨物駅を斜めに横断するようにして、現在の西大路駅付近で現在線と合流している。したがってここから西へは開業時の区間を走ることになる。
西大路駅ホーム西端に西高瀬川を渡る鉄橋がある。下の橋台・橋脚はコンクリート製である。昭和の初期の河川改修の際にコンクリート製になったということである。ここから少し西に水路を渡る小規模な上路ガーダーが2ヵ所ある。1ヵ所は立ち入ることができないが、もう1ヵ所は線路の直下まで行くことができる。

複々線+向日町回送線の5線のうち、上り2線を支えているのが、写真のような石と煉瓦の組み合わせで造られた橋脚である。あまり知られていないが、正真正銘の明治9年の大阪~京都間開業時の構造物がいまも現役として使われているのである。その他の3線はその後の線増時代のもので、コンクリート製である。
ここから桂川鉄橋まですぐ。桂川を渡れば、くだんの25連の避溢橋のあったところである。

(おわり)

CRHの旅Ⅱ Part3 シンセンから広州へ

中国では、旧暦の815日に中秋節を迎えます。街中いたるところで、月餅(げっぺい)を売っています。月に見立てた丸い平たい形は、各地でも同じですが、中に入っている(具)に違いがあります。中秋節には、家族で満月を見ながら食べる習慣です。これが、日本に伝わり月見団子になったそうです。

有名な店では、並んで買う客もあります。知人、親戚に贈ったり、会社でも社員に配るのが習慣になっています。私も駐在時によくもらいましたが、甘党ではありませんので、あまり食しませんでした。

立派な箱に入っているのは、結構な値段がします。利益率の高い商品ですので、1年の利益の殆どを稼ぐ店もあると聞きました。

今年は、913日から、3日間が休みになっていました。3連休ともなると、列車に乗って出かける客が増えます。いくら頻繁にCRHが走っているとは言え、当日の切符売場は、大混雑となると予想しました。

前日に羅湖で、ホテルのチェックアウト後の13:00過ぎの広州行きのCRHの空席を探してもらいました。窓口のおばさんは、キーボードをたたきながら、13:00D716の次は、14:38発のD778しかないと、CRT画面を見せながら言います。不測の事態を考慮して、13:00発にしました。

鉄ちゃんなのに、自分で時刻表を見て、列車指定をすれば良いと言われる方が多いでしょうが、下記の8月発刊の時刻表をよく見て下さい。

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おじん2人ヨーロッパ軽便 その23-3

マン島鉄道 その3

翌日はかなりの雨で、気温も低い。雨衣を着てダグラス駅で1日乗車券を買う。10.7ポンドでマンクス電気鉄道と蒸気鉄道には全線自由に乗れ、スナェフェル登山鉄道が終点まで1往復OK。前二者は同じマン政庁が経営しているのであろう。

マン島共通1日乗車券

ダグラス駅構内の庫を覗くと、はるばるこの島までやってくるインパクトであった単端式レイルカーが2両共、徹底的なレストア中であったのが残念無念。アイルランドの有名な軽便鉄道である County Donegal Railway は勿論蒸機以外、実にバラエティに富んだ単端式レイルカーを延べ20両以上保有していた。その中で最も新しい19、20が同鉄道廃止で1961年この島にやってきたのである。

メーカーはWalker、1949年及び1950年の製造で、前頭キャブオーバー部分にエンジンが納まり、客室部分をピギーバック方式で牽引している。それにしても、この骨組み(機関部)はまさしく芸術品であろうが、1950年にもなって木骨鉄皮車を生み出すとは、いかにも英国やアイルランドである。ついでながら戦前有名だったグレート・ウエスタン鉄道のR.E.C流線型ディーゼルカーも木骨車体で、これらはすべて、馬車の車体を作る技術だったのである。


これは芸術品だ


この車体も機関部同様木骨である。手前が機関側

仕方がないから、本場文献(The Railways and Tramways of the Isle of Man)から活躍中の写真を借用しておく。本来1両で就役するものだが、このマン島蒸気鉄道には転車台もデルタ線もないから方向転換が出来ず、このため2両を背中合わせにし、前頭車両のみの動力で進行するわけである。あぁ、やっぱりこの車両の活躍中を見たかった。

これが本来の姿

ダグラス駅には架線がないのに、構内を赤いマンクス電気鉄道の側面開放式電車が動いていた。白鼠色の有蓋貨車を連結しており、実はこの貨車がディーゼル機関と発電機を搭載したパワーユニットで、キャップタイアケーブルで電車にエレキを送っているのであった。サイドのシャッターは全部下ろしているのは、雨がハンパでなかったから。

マンクス電気鉄道電車と電源車
マンクス電気鉄道側開放電車と電源車

CRHの旅Ⅱ Part2 香港鉄路博物館

十分な睡眠を取った深圳での翌日、香港に入国して、香港鉄路博物館を目指しました。香港鉄路博物館は、太和駅大埔墟駅の中間にあります。前回は、近い太和駅で下車しましたが、今回は、市場や繁華街のある大埔墟駅で下車して向かいました。採りたての魚介類魚市場や野菜市場がたくさんあり、グルメ党の私には、見ているだけでも、とても楽しい所です。

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祝・新掲示板使用開始

今日の佳き日に新掲示板がスタートしたことを心から御祝い申し上げます。
最初は少しとまどうでしょうがハイテク老人の集まりであるクローバー会の面々には何ほどのことがありましょうか!新しい機能の数々を楽しみながら使いこなして下さい。
最後に忙しい中、独力で作って下さった小西会員のご子息、ヨウスケ君に心からお礼を申し上げます。
なお、使い勝手や分からないことは事務局かヨウスケ管理者にお問い合わせ下さい。

CRHの旅Ⅱ Part1 旅立ち

久方ぶりの投稿になります。会社内での業務内容がかわったために慣れぬ事で難儀をしております。この2ケ月間は、まともに休みを取れずで、治らぬ病の頚椎ヘルニアが悪化し、糖尿値も上がり、狭心症と併せて、担当医からは、このまま続けると、本当に生命の保証すらできないと言われる始末です。長期の休暇を勧められ、やむなく休みを取って、まずはストレスを取り除くことにしました。

 鉄ちゃんのストレス発散には、鉄道に乗る事が1番です。目的地は、大きな心で迎えてくれる旅慣れた大地、中国です。前回見学に行ったのにも関わらず、休館日で悔しい思いをした香港鉄路博物館を、第1視察候補地に、その後は、71日に開業した北京天津間300km/hの城際鉄道乗車を目指す事にしました。 続きを読む

群馬県の私鉄を訪ねて

9月9日、前日来の高崎での仕事が午前中に片付いたため、駆け足で群馬県下の私鉄を覘いてみた。

前橋駅から徒歩で上毛電鉄の中央前橋駅へ、この区間は上毛電鉄の発着に合わせてレトロ調のシャトルバスが結んでいるが、歩いても15分位である。ガ ラス張 りの駅舎は掃除が行き届き、非常に明るく清潔な感じがした。到着電車を1本撮影後、改札口で一日乗車券を購入したが、女性の駅員の対応が非常に感じが良 かった。元京王井の頭線のデハ714+クハ724に乗車すると乗客は10人程でちょっと寂しい。次の城東で早くもおばさん1人が下車、各駅の駐輪場には相 当数の自転車が止められていたのでラッシュ時にはそれなりの利用があるものと思われる。車内は内装がマリンブルーで魚のシールが貼られており楽しい雰囲気 である。途中駅で交換待ちの時、乗客のおばさんが初老の運転士に「綺麗な電車ですね」と声を掛けると「組合員がお金を出して水族館をイメージして作った。 内装は専門業者に頼んだが、魚のシールは社員が貼った」と答えていた。20分で車庫のある大胡に到着、降りたのは私一人であった。西桐生寄りの鉄橋で上り 電車を撮影し、次の電車で赤城まで乗車した。

わたらせ渓谷鉄道大間々駅には徒歩15分程で到着。12時16分発間藤行で足尾まで行き、日光市営バスで日光に出て東武で帰ろうと思ったが、足尾で 待ち時 間が2時間もあり中止、結局12時52分発の桐生行に乗車した。この列車は11月末までは間藤始発であるが、12月からの平日は大間々始発となり、間藤〜 上神梅間の列車間隔は約3時間も空くことになる。到着した桐生行の乗客は8名で、大間々で乗車したのは私1人であった。次の運動公園で2名、相老で東武の りょうもう号から乗り換えのビジネスマン風の客が4名増えて桐生に到着した。昼食後、上毛電鉄のフリー切符で前橋に戻ろうと思ったが、上信電鉄に行きたい のでJRに乗った。107系の4連で、こちらも単行で間に合う位の乗車率であったが、伊勢崎で座席の3分の1位が埋まり、前橋で7割位塞がった。

高崎で上信電鉄のホームに行くと、デハ252+クハ1301が停車中であった。未撮影の車両であるが、終点の下仁田まで行かないと撮影できないので 今回は 諦めた。座席は3分の1以上埋まっており、今日乗った電車の中では最も車内が華やいでいた。以前から目を付けていた南高崎〜根小屋間の鉄橋で撮影するため 根小屋で下車。おばさん駅員が乗客に「おかえりなさい」と声を掛けながら切符を受け取っていた。鉄橋に行く途中で上り電車(クモハ6001+クモハ 6002)が通過、現地に到着すると順光側は電柱と電線がうるさいため手前で撮ることにした。程なく下り電車(先程の上りの折返し)が通過、上下あと一本 ずつ撮影しようと思っていたが、疲れたので今回は下見と云うことにして駅に戻った。切符を買うと今時珍しい硬券であった。

今回は、駆け足で平日の昼間という最も乗客が少ない時間帯に乗車したが、3社に共通することは、状況が非常に厳しいということであった。この中でも 各社そ れぞれに一人でも乗客を増やす努力をしていることが判った。特に上毛電鉄は社員がお金を出し合ってでも鉄道を守ろうとする姿勢には感動するものがあった。 しかし、状況は厳しく、来年3月には大胡にある県立高校が少子化による統廃合で廃校となり、通学客の減少が予想されている。開業時に作られたモハ101を 生かしたイベント、沿線の中高年を対象としたハイキング会の開催等を通して是非頑張っていただきたいと思った。

1.デハ711              中央前橋
元京王井の頭線の3000系で、平成11年から12年にかけて入線し、8編成在籍する。昼間の30分間隔は40年前と同じであるが、40年前は朝夕の20 分間隔の時間帯が長かった。中央前橋駅は確かに前橋市の中心部にあるが、生活基盤が郊外に移ってしまったため周囲は閑散としている。JR前橋駅からここま で歩いたがシャッターが下りている店が目立った。JR前橋駅前の大型スーパーも撤退を検討しているとか。

2.デハ714の車内           中央前橋
従業員がお金を出して水族館をイメージした車内に改装した。


3.わ89−201            大間々
大間々駅を発車した間藤行であるが、乗客は10人程。休日は神戸(ごうど)にある冨弘美術館に行く人が結構乗るということである。
わ89−201は平成元年開業時に富士重工で作られた車両で3両在籍する。



4.クモハ6001+クモハ6002    根小屋〜南高崎
昭和56年新潟鐵工所で作られた車両で当初から冷房付きであった。


5.中央前橋駅〜前橋駅間のシャトルバス  JR前橋駅前
上毛電鉄の電車の発着に合わせてJR前橋駅間にシャトルバスが運行されている。運行会社は日本中央バスで運賃は100円である。写真のレトロ調のバスは、平成11年式日野KK−RJ1JJAAという型式で車体は東京特殊車体製である。

おじん2人ヨーロッパ軽便 その23-2

マン島鉄道 その2

マン島は淡路島より少し狭く、人口はその半分—面積572平方キロ、約7万5,000人。勿論英語だが、かつて断絶したマンクス語も最近は文化として一部復活しているとか。元来がケルト系で、地域柄当然ヴァイキングの侵略・殖民も。

一般には100年も続く通常道路60kmでのモーターサイクルレースと、独特のマンクスキャット(尻尾がないかごく短く、後足が前足より長い。大昔ノアの 箱舟に乗り遅れかけ、前足を扉にはさまれ折損したのが由来)が有名。この猫をデザインしたキャットコインも有名で、相棒も記念に銀行で両替しゲットした。

首都ダグラスの地形は南が崖のようにそそりたち、その高台に Douglas Steam Railway のダグラス駅がある。美しい煉瓦建の駅舎にさらに門があり、まるでテーマパークの入口である。勿論ショップがあり、本やグッズが買える。



列車は案外少なく1日4〜5往復。5〜11月のみ運行で、現在島の鉄軌道はすべて観光用。ダイヤ等もインターネットで知ることができる。
http://www.iomguide.com/transportation.php
かつてダグラスの町にはサンフランシスコのようなケーブルカーもあったらしい。

天気が悪いが、まずは2泊のリーズナブルホテル確保を。目の前に路上駐車可能で手ごろな宿だが、何と1人1泊60ポンドと抜かしくさった。これが実に15ポンドまで値切れたのだから、吹っかけにも程がある。雲助は世界中にいる。

鉄道線路の両側はことごとく、戦車でもない限り突破など絶対出来ない物々しい生垣で、列車の半分が完全に隠れてしまうから、撮影場所が殆ど得られず、開放 的なのはわずかに駅構内のみ。これは先回にも書いた羊が線路に入り込まないためだが、どこでも撮影できる農業国は天国である。


踏切も先回紹介したが、普段は鉄柵で閉ざして羊の侵入を防ぎ、列車が来る時だけ90度回転させ道路を塞ぐ。その傍に建つ小屋は、かつて踏切警手の宿舎だっ たのだろう。道が狭いと扉は片開きだが、踏切の数だけ人手が必然だから、絶対数が極めて少なく、無人踏切は立体交差以外あり得ない。

放牧地も同様厳重に囲われているが、非牧畜農地・農家に接している線路だと有刺鉄線だけになる。とある農家で老夫婦に、撮影のため敷地に入らしてくれと頼んでみた。気軽にOKが出、やっと列車が撮影できたが、これ以上の横勝ち構図は高い足場がない限り無理である。

その後その農夫はティーか、カッフィーかと尋ね、お茶をご馳走してくれた。農家といっても、南側壁にはショーウインド顔負けの大きなガラス窓があり、居間 でくつろぎながらからアイリッシュ海が見下ろせるのである。冬なら相当に厳しい風雨に曝されると見え、日本なら当然開閉できるところだが、分厚いガラスは 嵌め殺しだった。